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2013年7月の5件の記事

2013/07/30

『黒異本』 外薗昌也 / 廣済堂モノノケ文庫

Photo一方、実話怪談蒐集でも知られるマンガ家外薗昌也による『黒異本』は先の『妖しい怪奇譚 実録怪談集』に比べると格段に強烈だ。

(どこまでが本当かは知らないが)ともかく各逸話ごとに二段落ち三段落ち、さらに後日談まで追い詰め、煮つぶし、これでもか、これでどうだの濃厚テイスト。
とくに巻の中央をどっぷり占める「団地」~「黒い人」にかけてのノイジーなラインナップは、心霊系の怖さに生身の人間のエグみ、生理的嫌悪感に生活への実害などなどさまざまなレイヤの気持ち悪いものがベタついて重なって、ここ数年の実話怪談本中でも出色の出来だろう。

ただ、ないものねだりとわかって言うなら、この『黒異本』の怖さに逆に実話怪談本の限界を感じないでもない。頑張ってもこのヘンまで、とでも言えばよいか。
この本で取り上げられている「黒い人」がもし実在するなら、『黒異本』の怖さはその人物のキャラクターやその周辺の怪事件に依存することとなり、極言すれば作家の想像力や編集の手腕は不要となる。
一方、「黒い人」がもし実在しないなら、作家の表現は彼が実在するごとく書かねばならないという制限を受け続けることになる。

実在する怪談蒐集家、その蒐集家に心霊体験を訴える知人・ファン、体調を崩す編集者。そういった面々が繰り出す箱庭の中の怪談群。
かたや適度なスプラッタに東西の伝奇のスパイスをまぶし、あわよくば映画化をうかがう商用ホラー長編群。

どちらももちろん悪いというわけではないが、パターン化した恐怖はどうしたってやがては慣れる。精神でなく神経を刺激する傾向のものならなおさらに。
かつて「新耳袋」シリーズが地縛霊、金縛り、心霊写真などといった既存の怪談の様式に納まらない怖い話、面白い話への窓を大きく開けてみせたように、そろそろ「実話」「実録」の縛りを受けない、アマチュアの自由奔放な精神による新しい「怪談」のブレークスルーを見てみたいと思うのは贅沢なのだろうか。

2013/07/29

『妖しい怪奇譚 実録怪談集』 平谷美樹・岡本美月 / ハルキ・ホラー文庫

Photoメロンやイチゴ同様、最近は実話怪談の本が四季を問わず店頭に並ぶようになった。とはいえさすがに盛夏、旬ともなると各社揃い組みで新刊出来。実話怪談の夏、日本の夏。どんどどーん(遠景に花火)。

さて、実話怪談の本を読み始めると部屋の隅から家鳴りとともに線香の匂いがしたり窓の外につらそうなユニゾンが聞こえたりするのはけったい至極だが、とりあえずこの夏も目についたものから買って読んでみよう。

『妖しい怪奇譚 実録怪談集』は従来『百物語』と銘打ってきたシリーズ、その12巻めにして最終巻。

もともとスプラッタな落ちや因果因縁を求めない方針の本シリーズではあったが、ここにいたってもはや地味の極み。
今どき、車を走らせていたら屋根の上に何かがどんと乗った、夜道を歩いていたら遠方にゆらゆら狐火が見えた、金縛りで誰かに足をつかまれた、程度で「怪談」として一項立てられてはむしろ戸惑ってしまう。
すべてを気のせいや偶然と断じるわけではないが、こういう話は最低でも車の屋根に手の跡がついていた、足に指のかたちの痣が残ったなど、気のせいでない論拠が示されてはじめてぞっとするのではないか。

そもそも、心霊現象体験者の語った通りが実話なのではなく、その語りからにじみ出る歪みを伝えてこその怪談本だろう。
著者は誠実な人物なのかもしれないが、巻を重ねるうち、素材のまま提供することに拘泥し、怪談を語る本来の目的からどんどん外れてしまったように思われてならない。

2013/07/16

『009 RE:CYBORG』(現在2巻まで) 原作 石ノ森章太郎、ストーリー 神山健治、作画 麻生我等 / スクウェア・エニックス ビッグガンガンコミックスSUPER

009アニメ映画『009 RE:CYBORG』(2012年10月27日公開)のコミカライズ。
2013年、世界中で爆破テロが頻発し、ギルモア博士が再びサイボーグ戦士を招集する。しかし、3年ごとに記憶をリセットされて高校生として暮らしていた009こと島村ジョーは応答しなかった。一方、考古学の道に進んだ008 ピュンマは、アフリカのオルドバイ峡谷で翼のある化石を発見し……。

1巻冒頭、002と007がバーで待ち合わせるシーンの男臭さに途方に暮れる。添付の表紙、これが002。おちゃらけタコ坊主007の違和感たるやもっと凄い。誰だこれ。
考えてみれば彼らサイボーグ戦士たちも、ブラックゴースト団によって改造されてなんだかんだでまもなく五十周年。おっさんになってないほうがおかしい。
輸送機のプライベートスペースでラブシーンを繰り広げるジョーと003 フランソワーズ。すでに映画で公開済みとはいえ、フランソワーズに黒い下着はいいのか石ノ森。

石ノ森章太郎は、デビュー当時「引き出しの多い作家」と評され、SF、アクション、ギャグ、少女マンガ、時代劇、なんでもござれの多彩なテクニックで知られていた。ただ、後から振り返ると、ヒット作に巨大ロボがいない。
彼のシリアス長編の殿堂は、自らに超人性を与えた組織に刃向い、孤独な戦いをいどむ超能力者あるいはその集団、である。
そんなヒーローのジレンマこそを描こうとした石ノ森にとって、巨大ロボのごとき大雑把に強すぎるキャラは扱いにくいだけだったのかもしれない。
しかし一方、その設定下でヒーローの存在を強く大きくしていった結果、石ノ森は何度も「神の領域」という壁にぶつかり、いくつかの作品は(一神と多神の整理すらつけないで先に進んだあげく)手におえなくなって実質未完で終わってしまう。『009』しかり、『幻魔大戦』しかり、『リュウの道』しかり。

原作者の死後に制作が始まった『009 RE:CYBORG』についても、石ノ森の世界観にこだわればこだわるほど、大ネタ「天使の化石」には奇麗な着地は望めない。
……だからといって『009 RE:CYBORG』に見る価値がないわけではない。ストーリーが膨張してぐだぐだになってしまう寸前の沸騰が面白いのが『009』なのだから。
果物も、石ノ森作品も、腐る直前が一番美味いのである。

2013/07/08

『肉筆幽霊画の世界』 安村敏信 / 新人物往来社

Photo_3二百年待ち焦がれてきた宝箱が思いがけずまろびきた、そのような心持ちである。

というのも「幽霊」を専門に扱った画集は極めて少ない。
鳥山石燕の画図百鬼夜行、稲生物怪録絵巻、さらには水木しげる作品群など、容易かつバリエーション豊かに入手できる「妖怪」本に対し、比較すべくもない。

現在入手可能なものに辻惟雄監修『幽霊名画集 全生庵蔵・三遊亭円朝コレクション』(ちくま学芸文庫、2008年)がある。これは大変な労作ではあるのだが、いかんせん文庫だけにどうしても五十点の図版が小さい。カラー印刷の品質も物足りない。
また書物として見るに、幽霊画についての歴史資料研究の趣が強すぎ、こと「幽霊」という感性に訴えるべき題材を扱っている本としてはやや学究的に過ぎてつらい(それが主旨なのだから当然のことではあるのだが)。

そんな中、新人物往来社から発刊された『肉筆幽霊画の世界』は、その三遊亭円朝コレクションをはじめ、大阪の大念佛寺、福岡市博物館、京都の大統院など、各地に伝わる肉筆幽霊画ばかり百点を集め、オールカラーで紹介したもの。
Photo_2先の『幽霊名画集 全生庵蔵・三遊亭円朝コレクション』とかぶる図版も少なくないが、文庫に比べておおよそ1.5倍というだけでずいぶんと画質が向上し、また随所で断ち切り一杯に幽霊の顔のアップを掲載しているため、電車で隣の若い女性がきゃっと悲鳴をあげるくらい真に迫る力がある。

円山応挙、河鍋暁斎、月岡芳年など名の知られた画家の作品もよいが、作者、年代不明な作品にも見るべきものが少なくない。
足がないことからようやく幽霊とわかる応挙の端麗な美女、恨む相手の首を咬みちぎった血みどろグロテスクな怨霊、なぜか情けない顔つきの男の幽霊たち、掛け軸そのものも描き込んで幽霊がそこから飛び出して見える「描表装」なる手法によるものなど、画風もさまざまで、ページを繰って飽きることがない。
肉筆画に限定したため、巨大な骸骨が暴れるような騒々しい木版作品が排され、音のない冷え冷えとした世界観で徹底されているのもまた嬉しい。

昨今の怪談本では「幽霊」という言葉は死語に近く、「心霊現象」がそれに代わっている。
かつて「幽霊」が語られたとき、お岩にせよお菊にせよ、死者は非業の死を遂げていることが多かった。つまりは死者を嬲った生者のほうがよほど傲慢で我が儘だった。しかるに現代の「心霊現象」においては、霊側がむしろ執着に囚われ、身勝手と判じざるを得ないことも少なくない。
そもそも幽霊の「幽」は幽境、幽冥、幽玄、幽遠の「幽」である。これを個々人の狭隘な「心」などに差し替えてしまえば、いかにヒリヒリ怖かろうが、本書に示された幽霊たちの奥深くも静かに美しきさまが喪われてしまうのも必定というものだろう。

2013/07/03

『トルコで私も考えた トルコ料理屋編』 高橋由佳利 / 集英社

Photoすでに何度か取り上げてきた『トルコで私も考えた』、5年ぶりの新刊(通巻6冊め)である。

ただ、今回は一家が神戸に開いたトルコ料理店とそこで供される料理のレシピが中心で、購入するならそのようなものと考えておいたほうがよい。
プライベートをつぶさに描くことへの家族の反対も多少はあったらしく、少なくとも、知られざるトルコについてその文化や習慣をこと細かに列挙し、ひるがえって日本の有り様に洞察を誘う、そういったかつての手応えは期待しないほうがよい。

とはいえコミックエッセイとしての面白さは水準を越えており、この本を読んで、いつの日か──高橋由佳利の昔の単行本など懐に──新神戸駅からそう遠くない坂道の料理店を訪ねる自分を夢みるのも楽しい。
だが、シシケバブやマントゥ(トルコ風水餃子)をいくら頬張ったとて、遠い異国の何がわかるわけでもない。

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