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2013年3月の5件の記事

2013/03/23

怪獣の出てこない 『怪獣文藝』 東 雅夫 編 / メディアファクトリー 幽ブックス

Photo黒史郎、松村進吉、菊地秀行、牧野修、佐野史郎、黒木あるじ、山田正紀、雀野日名子、小島水青、吉村萬壱らの短編。加えて佐野史郎と赤坂憲雄、夢枕獏と樋口真嗣の対談あり。

発売前から大いに楽しみにしていた単行本だ。しかし──

たとえば、初代ウルトラマンの各話を思い起こしてみよう。
基本はいずれもおなじみ「ウルトラマン3分以内に怪獣打倒」というパターンだが、その内容はSF色の強いもの、ノコギリ鳴らしてホラーめかしたもの、スプーン握ってギャグに走ったもの、宇宙見上げて奇妙な哀愁にあふれたものなど、意外なほどバリエーションに富んでいた。
だが、ジャンルや雰囲気こそ変化しつつも、それらはすべて「怪獣特撮」という確たるイメージで括ることができたはずだ。

つまり「怪獣」が登場する作品には、SF、ホラー、ギャグなどのジャンルを問わず、それらを横断する確かな共通項があった、ということだ。
ところが本書『怪獣文藝』には残念ながらそれがない。重くて固くて強い、「怪獣」がいない。「怪獣」ならではのスケールを踏み外した感覚、突拍子のなさがまったく感じられないのだ。

収録作のうち、山田正紀や吉村萬壱らの作品の品質はかなり高い。かつて、70年、80年代なら、SF年間ベスト集成といったアンソロジーに選ばれていて不思議でない、そんな水準だ。それでも、本書に登場するのは(よしんば40メートルの巨大生物であっても)断じて「怪獣」ではない。
ここに並んでいるのは総じてウェットな伝奇ホラー、せいぜいSFショートショートなのである。

東雅夫が編者として執筆陣にどのような依頼をしたのかはわからない。わからないが、どうやら「あの、ゴジラやウルトラマンのような作品を」、ではなかったようだ。
もちろん、怪獣に「文藝」を求めることがいけないわけではない。むしろ、怪獣本といえば昔懐かしい怪獣図鑑ばかり、という中に、新しい「文藝」こそ求められているといえなくもない。それでも、今、枯渇しているのは怪獣そのものであって、ホラーではないはずだ。

結局、「怪獣」を味わいたいなら、初期のゴジラや平成ガメラ、そしてウルトラシリーズのビデオを見直したほうがずっといい。
そもそも、この1冊に、その名や姿が読み手の人生に焼き付けられる「怪獣」は1匹でもいただろうか。
もっともそれらしいのが、表紙の、開田裕治による、目を光らせた「怪獣」のイラストなのだとしたら、それはあまりに寂しい。

2013/03/18

追悼 銭形のとっつぁん 『警部銭形 星屑のレクイエム編』『同 10番街の殺人編』 原作 モンキー・パンチ、作画 岡田 鯛 / 双葉社 アクション・コミックス

Photo_25日、声優、俳優の納谷悟朗氏が亡くなった。
痛恨に耐えない。

「ルパン三世」シリーズの銭形警部や「宇宙戦艦ヤマト」の沖田艦長の声アテで知られるが、調べると「鉄腕アトム」の時代から活躍されていたとのこと。洋画はもちろん、この国のアニメをずっと支えてきていただいたことがわかる。
沖田艦長の

  地球か、何もかもみな懐かしい。

はじめ、名セリフも多い。銭形警部にいたっては、ほとんどすべて名セリフと言ってよい。

カリ城はじめ、何作かビデオを見直した。笑いつつ、体の一部がむしり取られたように寂しい。
勢いで銭形警部を主人公とするスピンオフ作品まで購入してきた。
(亡くなったのは納谷悟朗であって銭形警部ではないのだが……)

『警部銭形 星屑のレクイエム編』『警部銭形 10番街の殺人編』には、それぞれ双葉社の「ルパン三世officialマガジン」に掲載された短篇3作が収録されている。
構成は刑事コロンボや古畑任三郎で知られるいわゆる倒叙モノで、まず犯人が殺人事件を起こし、そこにルパンが絡んでいるとの情報を得たICPO(インターポール)の銭形が登場、あきれられつつ犯人を突きとめ、追い詰めていく、というストーリーである。

細かいアラを指摘するなら銭形のまん丸い目やその下のオタク線ってどうよ、とか、一部のストーリーが松橋犬輔作画の『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』からのパクリでしょ、など、ないわけではない(犯人が自白にいたる証拠が弱くて公判維持が難しそう、というのはコロンボや古畑でも同様だし、そこは問いません)。しかし、銭形の毎回の登場シーンが

  ムムッ!
  人死にが出とるのかね…?

のセリフで始まるなど、全体に「銭形感」は醸し出せており、ルパンに対しては全敗でも、実は銭形が極めて優秀な警部であることがうかがえて嬉しい。もちろん、銭形らしい人情味も犯罪者に対する気骨も堪能できる。スピンオフとしては及第点かとも思う。

それにしても──
ある作品のラスト、犯人の、コンビなんてものはどちらか一方が死なないと終わりにならない、とのセリフに、銭形がルパンの不敵な表情を思い浮かべるシーンがあるのだが、元祖ルパン役の山田康雄に続き納谷悟朗まで失って、僕たちはもう、原作者の思惑さえ超え、作画、テンポ、声優、音楽等が一丸となった「あの」ルパンの新作を見ることができない。
どんな死地にあっても

  にゃにおうっ

とルパンを追う不屈の銭形警部はもういない。

2013/03/12

汚濁を孕み、悪趣味をひり出す 『夜のみだらな鳥』 ドノソ、鼓 直 訳 / 集英社

Photo植民地時代からの名門アスコイティア家の末裔ドン・ヘロニモに、ふた目と見られぬ畸形の嗣子《ボーイ》が誕生する。ドン・ヘロニモは《ボーイ》のためにあらゆる種類の不具者を国中から集め、奇妙な彫像や歪んだ樹木であふれる醜美の逆転した広大な屋敷を用意する……。
『夜のみだらな鳥』は、カバーにも書かれたこの畸形の嗣子をめぐる設定で知られるが、実はこれは物語のごく一部にすぎない。そもそもそのような単性のグロテスクで語り尽くせるような作品ではないのだ。

本書の語り手は、高校教師の息子で作家を志すウンベルト・ペニャローサである。ウンベルトはドン・ヘロニモに秘書として雇われ、不具者たちを管理するうちに《ボーイ》かかりつけの侏儒の医師アスーラ博士によって正常な臓器の80%を削ぎとられ、修道院の老人《ムディート》となって世の中から見捨てられた老婆たちと暮らすことになる。しかも気がつけば《ムディート》は乞食の老婆に拾われ、老婆の死後修道院で育てられたことになっている。

このように、この作品では登場人物や時間、空間が章ごとに容易に入れ替わってしまう。唖でつんぼの《ムディート》が会話するくらいの矛盾は平気の平左衛門(古風)、誰それと誰それがまぐわったという話もめまぐるしく入れ替わり、裏返り、孤児イリスの孕んだ赤ん坊の父親はウンベルト、と思いきや生まれてきた赤ん坊は20%まで小さくなった《ムディート》である。その性器を老婆たちがいじくりまわす、グロ。

キャロルの『不思議の国のアリス』に滅多矢鱈と代名詞が現れる難解な(というより意味をなさぬ)詩が出てくるが、その詩を長編小説に仕立て上げたかのごときありさまだ。

しかし、かといって決して「わかりにくい」わけではないのが摩訶不思議。

物語は段落分けも少なく延々と綴られるが、数十ページからなる1つの章だけ読むと、意味や目的は不明ながら、それぞれむしろわかりやすい、モノや行為が明確に描かれた文章なのだ。しかし、それを続けて読むうちに、読み手はどんどん多重のメビウスの輪に惑わされ、はてなく広がる不要なモノだらけの迷宮に追いやられる。
畸形どうしのジャジーな色恋。淫乱な少女の妊娠を奇跡とあがめ、一方で生きるために夜の市街で集団強盗団と化す老婆たち。《ボーイ》のために自分で用意した屋敷で畸形に取り囲まれ、石撃たれ、やがて自身が正常であるということを信じられなくなって死んでいくドン・ヘロニモ。体中の孔という孔をすべて縫いふさがれた妖怪インブンチェのような存在となって語りを終える《ムディート》……。

とはいえ、本書の描く黒い世界をただ安易に「悪夢のよう」と言ってしまいたくはない。
ここに描かれた猥雑、貧困、老醜、その他あらゆる雑多で醜悪なものは、プラスチックでコーティングされた現代が見てみぬふりをしてきた原初の生と性の力であり、それはむしろ懐かしく暖かく私たちを迎えてくれるはずのものだ。だからこそ、輸出用の大きなカボチャ五百個がごろごろと転がったあとに訪れる最後のページの静けさは、これほどにも寂しい。

それにしても、二段組み430ページにわたる長編を、揺るがずぶれず悠々と書き上げたドノソの腕力はあきれんばかり。一方、ウンベルトのとめどない語りかけの対象は修道院のシスター・ベニータだったりヘロニモの妻イネスだったり彼を追う魔女ペータ・ポンセだったり孤児のイリス・マテルーナだったりと数センテンスごとに入れ替わり、そもそも地の文は間接話法であふれているわけだが、そのようなテキストを迷わず翻訳してのけた鼓直氏の仕事もまた驚嘆に値する(鼓氏の訳業には誤訳が多いとの指摘も聞くが、おそらく頓着する視点が違うのだろう。小林秀雄のランボーのようなもの、と言っては強引か)。

以下はそのほんの一例。

もっともシスター、ごく最近まで、あなたはよく言っていた……ねえ、ムディート。ほうきやはたき、雑巾やバケツ、それからシャボンを掻き集めて二、三日のうちに、そうね、手があきしだい大掃除をしましょう。このまま放っておいたら大へんなことになるわ……気をつけて、シスター。手を貸しましょう。このがらくたはこうよけてと。こっちの廊下を行ったほうがよくないかな。廊下は、すでにその目的は忘れられているが、(以下略)

2013/03/05

竹の青きに 『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。』(現在2巻まで) 作・K.Kajunsky、漫画・ichida / PHP研究所

Photo家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。どういうことなのでしょうか?」という質問がYahoo!知恵袋にアップされたのは2010年7月17日のこと。
その相談はその後解答数1700を超え、質問者によってブログも開設されてネット上で大きな話題となった。
本書はそのコミック化。

夫の帰宅時に玄関先で口から血を流していたり、頭を弓矢が突き抜けていたり、軍服を着て銃を抱えたまま名誉の戦死を遂げていたり。
夕飯がかつおのたたきの日にダイイングメッセージで「かつお」と書いていたり、ピエロ(ドナルド)姿で倒れていたり、お手製のワニと思われる生き物に食べられていたり。

岐阜から慣れない東京に嫁ぎ、こちらに友達が多いわけでもなさそうな専業主婦が連日「死んだふり」となると(意識的か無意識かはともかく)「この部屋で死んだような毎日を送っているわたし」の表象、と読めなくもない。
ところが、質問者の淡々とした文体で夫婦の穏やかでいたわりに満ちた生活、結婚までのほほ笑ましいいきさつが語られると、ひょうきんな妻によるちょっと風変りな悪戯なのか、とも思う。

コミックはそのあたり、一歩踏み外せば悲愴な話となりかねない危うさと、明るくかいがいしい若妻の両面をすっきりした線で奇麗に描き上げる。

わけもなく唐突に「竹青(ちくせい)」という名が浮かんだ。
「竹青」は蒲松齢の「聊斎志異」にあった伝奇を太宰治が翻案したことで知られるが、作中の「竹青」は万能の女神然とした存在であって決してヤワな女ではない。しかし、「竹青」というその名から想起されるものは、竹が青いのか、竹の青なのか、(聊斎志異にも太宰にもそんな場面はないにもかかわらず)術が破れてただ竹の青、その色だけが川面を流れていく情景だ。

家に帰ると必ず死んだふりをしている少し浮世離れした細面の妻は、実はもう何年も昔に死んでしまっているのではないか。質問者は日ごと夜ごと形を変え姿を変えるその死とよりを戻しているだけではないのか。
もちろんこれは愉快な本であって決してそんな話ではない。そんな話のはずはないのだが、そうでも言わないとつじつまの合わないはかなさが笑いの紗を透かした向こうに垣間見える。微笑ましくも可笑しく、愛しくも少し切ない作品である。

2013/03/01

マホガニックな愉しみ 『跡形なく沈む』 D・M・ディヴァイン、中村有希 訳 / 創元推理文庫

Photo買ってきたばかりなので、書評ではない。

ディヴァインは、この十年を振り返っても、もっとも読み応えのあった、いわば「当たり」のミステリ作家。
ただ、ミステリというジャンルは、出来がよければよいほど、プロットやトリック、つまりはその特長をそのまま紹介することができない。このブログでも何度かディヴァインを取り上げようとしてきたが、たいていカバーに載っているようなあらすじをまとめる途中で力尽きていた。
今回はそんな努力もしません。なにしろまだ読んでないものね(←なにをエラそうに)。

ディヴァインの長編では、犯人を示す矢印がそこかしこに張ってあるにもかかわらず、いつも見事に誤誘導されてしまう。『悪魔はすぐそこに』、『兄の殺人者』。『五番目のコード』でも同じことがいえるが、タイトルの「コード」にあたるものが日本では日常的でないため、ややイメージがつかみづらい。
読後、思わずあちらこちらとページをめくり返してしまったのが『ウォリス家の殺人』。中年に差し掛かった登場人物たちの倦み疲れた表情とそこに射すほのかな光明。そういった大人小説(?)としての粘度の高い読み応えの上に非常に高度なフーダニットが圧着バイメタルされている。しかも犯人がわかってみると、その人物以外にあり得ないと思われるほど細部まで正直に書かれていたことがわかる。巧い。

これほどの作家がなぜメジャー扱いされてこなかったのか、理解に苦しむ。しいていえば饒舌なシリーズ探偵など登場し得ないほど、ミステリとしては重く、苦すぎたためか。そこがいいのになー。
いずれにせよディヴァインに未訳が残っているというだけで、新刊チェックにいそしむ日々のモチベーションも高まろうというものだ。

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