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2013年1月の5件の記事

2013/01/25

もう終わり 『ケサラン・パサラン』(2巻) 山岸凉子 / メディアファクトリー(MFコミックス)

Photo 前回紹介したとき「先読めず」と書いたが、先も何も2巻でもう完結。
 なにしろ1巻の帯が
   山岸凉子 最新作スタート!
で2巻が
   山岸凉子 最新作完結巻!
である。ビックリマークもびっくりだ。それも、飼いネコについて綴った読み切り40ページを加えての1冊なので、実質2冊もたなかったことになる。

 内容的にも、自宅建築を思い立ったイラストレーター兼エッセイスト由良子がデザイナーや方位鑑定の指摘に右往左往、というだけで、とくに膨らみはない。作者得意のエキセントリックなキャラクターの魅力にも欠ける。

 そもそも、なぜ、「」なのか。
 実は女流マンガ家の作品で、自宅建築はちょっとしたトレンドだ。
   伊藤理佐『やっちまったよ一戸建て!!』
   山下和美『数寄です!』
   内田春菊『ほんとに建つのかな』
 このほか、秋本尚美、うぐいすみつるらにも自身で家を建てるという内容の作品があるようだ。

 ふと、これは彼女たちならではの「無頼」の現れなのではないか──と考えてみる。
 かつて文人たちが酒にひたり、女に溺れ、放蕩、破滅をうそぶいてみせたように、現在の女流マンガ家たちは不安定な収入、不規則多忙な生活の中で家を建てるという無理無茶無謀をしでかしてみせる。「家宅の人」となる。それを描く。そして作家としての心のバランスを取る(何と?)。

 「家を建てる」マンガの多くは、サービス精神のふりをしながら、実はそういった作者の「我」が剝き出しになっている気がしてならない。そしてそのためだろう、大半が、つまらない。

2013/01/20

胸におかれた蛇 『毒の目覚め(上・下)』 S・J・ボルトン、法村里絵 訳 / 創元推理文庫

Photo欠員を待って日夜ロビイングに余念のない猫ちゃん象さん亀君には誠にお気の毒だが、十二支に選ばれた動物たちへの世間の扱いは必ずしも手篤いわけではない。年賀状のイラストで肌が擦り切れるほどプリントアウトされると、お年玉くじの当選確認をもって12年後までお役御免、それだけである。

今年は巳年だが、我が家の年賀状には蛇のイラストも「子供の教育費がヘビー級」とかいう寒いギャグも入らなかった。これで12年間さよならではさすがに申し訳なく、せめて1月の間はと蛇の登場する本を読んでみることにした。それも1匹や2匹ではない。

『毒の目覚め』はイギリスの女流作家S・J・ボルトンの長編2作め。2009年の作品。

舞台となるイギリスの小さな村では、その年蛇が異常発生していた。
赤ん坊の胸の上でとぐろをまくクサリヘビ。家中にあふれるヤマカガシ。さらにはイギリスにいるはずのない南国の毒蛇、タイパン。とうとう老人に死者が出たが、その血液には1匹のクサリヘビに咬まれたとは思えない濃度の毒が検出された。
動物の扱いには詳しいが、顔の大きな傷がもとで人と話すことに強いコンプレックスをもつ獣医クララは、いやおうなく村の事件に巻き込まれていき、やがて自身も容疑者とみなされてしまう……。

上巻の、家中にぬたぬたとはいまわる蛇をクララが捕獲する場面など、息を呑む緊張感がある。爬虫類学者による蛇の薀蓄も楽しい。下巻ではキリスト教の一派をめぐる伝奇的なサスペンスに重心が移ってしまうが(それでも蛇との関連付けがしっかりなされているのは立派)、上下2巻、息を詰めて一気に読み切るに足る作品である。

ただ……。

──ここから後は結末にいたる具体的なストーリーに触れていきます。未読の方はうかつに目を通さないようご注意ください──

『毒の目覚め』では、蛇の生態やキリスト教の一派のありさまなど、詳細な調査に基づく描写が随所に現れる。それはいいのだが、そこにミステリとしての「謎」と「解明」を押しはめるため、多少無理はせざるを得なかったのだろう。キーパーソンたる警察次長のマット・ホアと爬虫類学者ショーン・ノースの「役割」がほとんど同じで、キャラクターの区別がつかない(2人が徹底して同一の場面に居合わせないのはたまたまだろうか?)。また、犯人?側のキーパーソン2人が蛇に対する特異な能力について同等に扱われており、そのような能力を持つ者がなぜ同時に居合わせたかの説明がない。

そして、そんなふうに人間の描き方に着目してしまうと、そもそも主人公クララのキャラクターに問題があることに気がついてしまう。
原題「AWAKENING」は、顔の傷のために人間嫌いだったクララが人生に対して積極的になれる、ということを示したタイトルかと思われる(したがって『毒の目覚め』という邦題は本来なら逆)。しかし、クララが積極的になれたきっかけは、実は登場人物の男性に「きれいだ」と言われたことにつきるのだ。つまり、顔の傷による「どうせ女性扱いされない」との思い込みが、「女性扱い」されたことで解決する。……はたしてそんなものが人間としての「目覚め」と言えるのだろうか? また、(非道い言い方だが)傷を除くクララの地顔が「きれい」でなかったら「目覚め」は起こらなかった、ということなのか。
『毒の目覚め』全篇でくどいほど繰り返される顔の傷をめぐる心理描写には確かにリアリティがあるが、そのリアリティは男性に評価されてはじめて顔を上げられる女性、男性なしでは一人前たりえない女性のそれである。クララのメンタリティは、ドジっ子がハンサムな少年から見出されるのを待っている、という古い少女マンガと何一つ変わらないのだ。

などなど、いくつか気になるところはあるが、インディ・ジョーンズを思わせる映像的サスペンス、角川ホラー文庫ふうホラーかと思わせておいて骨太なミステリとしての帰着、この2点だけをもってしても十分お奨めできる作品である。
まあ、あと、欲をいえばもう少しいろいろな種類の毒蛇とその生態を描いてくれてもよかったかな。

2013/01/15

『身代わり』 西澤保彦 / 幻冬舎文庫

Photo 『死の扉』の直後に『身代わり』を読んだのは全く偶然に過ぎない。西澤保彦の文庫新刊が出たので読んだ、それだけ。

 それだけなのだが、さすがに驚いた。

 女子高生の殺された現場に巡回中の警官の死体……。この事件の状況や雰囲気が、『死の扉』のそれにそっくりなのである。もちろんいろいろ違いはあるのだが、西澤が『死の扉』を下敷きに書いたのは間違いないだろう。
 とはいえ、決してパクリ、盗作にあたるわけではない。本作は、エッシャーの作品のように錯綜した事象を、主人公たちが「ああでもない、こうでもない」とオープンに推理して真相にいたる、西澤らしい読み応えのある作品なのだ。
 そもそも『死の扉』を下敷きにしたと思われる殺人も、事件を構成するピースの1つにすぎない。また、その事件の真相も、『死の扉』に比べれば何歩も踏み込んだ練り込みがなされている。

 ただし、『死の扉』を未読の方は『身代わり』を先に読むのは避けたほうがよいだろう。『身代わり』の「ああでも」推理の内に『死の扉』の真相に近いものが書かれてしまっているからである。
 また、西澤作品をご存知ない方にも『身代わり』はお奨めしない。匠千暁(タック)、高瀬千帆(タカチ)、辺見祐輔(ボアン)、羽迫由紀子(ウサコ)の4人の登場人物について本作は十分に説明してくれないし──むしろ旧作についての遠まわしな物言いが頻発し、苛立つ方も少なくないかもしれない──そもそも西澤ならほかにいくらでもよい作品があるからである。

2013/01/14

短評 『フランクを始末するには』『死の扉』

 最近読んだ本から。

Photo『フランクを始末するには』 アントニー・マン、玉木 亨 訳 / 創元推理文庫

 背表紙の「買いものリストだけで成り立つ異色作」「奇想とユーモアあふれる傑作短編集」という惹句に曳かれて読んだ。
 オーストラリアの作家による、いわゆる「奇妙な味」と称される類のショートストーリー集。
 刑事の相棒に赤ん坊を配する試み。庭の雑草を許さない未来社会。エスカレートするチェスの必勝法。エスカレートするペットの豚のための心づくし。
 おそらく、こういったミステリともSFともつかぬひねくれた作品を初めて読む者には、それなりに意外性があり、驚き、楽しめる水準なのだろう。しかし、60年代、70年代の日本SF、とくに筒井康隆や小松左京の実験的作品を読んでしまった身には表題作はじめいずれも生ぬるい。
 こういった作品は奇抜さと不気味さが勝負だけに、それらの点で今ひとつと思われたらそこまでなのだ。

Photo_2『死の扉』 レオ・ブルース、小林 晋 訳/ 創元推理文庫

 思い返してみれば、創元推理文庫は「奇妙な味」というジャンルに弱い。これは当たり前で、創元推理文庫は「本格」志向なのである。
 ただしここでいう「本格」はパズル色の強い「本格推理」「新本格推理」の意ではない。「本格」ミステリ、「本格」サスペンス、「本格」SF、「本格」サスペンスの「本格」である。スパイもハードボイルドも日常の謎も、それぞれの中で「本格」であれかし、それが創元推理文庫の道なのだ。

 『死の扉』は1955年にイギリスで発行されたレオ・ブルース9冊目の長編。推理小説全盛期の香り漂う良作ではあるが、そんなものがさしたる理由もなしに突然新訳で復活する、実に創元推理文庫ならではの選択だろう。
(背景にはやはり忘れられていた作家の一人、D・M・ディヴァインの『兄の殺人者』や『ウォリス家の殺人』がある程度売れたことが力になっているように思うが、どうだろう。)

 内容は、イギリスの小さな町で、嫌われ者の女店主と巡回中の巡査が一つ場所で、しかし時間を違えて殺されていた事件に、歴史教師の素人探偵キャロラス・ディーンが挑む、というもの。綿密に張り巡らされた伏線、会話に漂うゆったりしたユーモアが意外な真実に誘う。フーダニットの王道である。
 不思議なのは、もし現在の作家が全く同じ犯人像を描いたとしたなら(実際、あちこちで無節操に書かれていそうだ)、類型的とか凡庸とか感じられるに違いない、ということだ。クリスティなど、犯人像もトリックも今となっては決して珍しくもないのに、読み返してみるとやはり楽しい。良き時代の良き推理小説では、書き手の自負が作品の魅力のバックボーンとなって動じない、ということか。

2013/01/05

果てなき転落の物語 『マンク』 マシュー・グレゴリー ルイス、井上一夫 訳 / 国書刊行会

Photo新春のことほぎとて取り上げ奉るは『マンク』(「破戒僧」の意)、敬虔な青年僧が肉欲に目を眩ませ女犯はおろか人殺しまでして果てる、誠にぎにぎしくおめでたい物語なり。

主人公アンブロシオは、カプチン教会の僧院長にして信仰篤きことでマドリッド中の尊敬と崇拝を集めていたが、僧院に入り込んだ妖女マチルダの誘惑に他愛なく戒律を破り、やがては黒魔術、薬物使用による強姦、近親相姦、殺人等々悪徳の限りを尽くす。
運命に弄ばれる数組の男女に古城の幽霊まで動員してルイスの筆は縦横無尽、当時のやんごとない衆生が人前では眉ひそめつつ寝室で密かに読み耽った趣きも推察できれば、のちの詩人やホラー作家がマチルダの妖美な誘いを端緒に身を堕としていく主人公に自らの様々な夢を推し嵌めた運びも想像に難くない。

詩人バイロンはその風刺詩「English Bards and Scotch Reviewers(イギリス詩人とスコットランド批評家)」にて作者ルイスについて

 Oh! wonder-working Lewis! monk, or bard,
 Who fain wouldst make Parnassus a churchyard!
 Lo! wreaths of yew, not laurel, bind thy brow,
 Thy muse a sprite, Apollo's sexton thou!

と謳い、アンドレ・ブルトンは主著『シュルレアリスム宣言』において

 文学の領域では、ただ不可思議だけが、小説のような下位のジャンルに属する作品や、概して裏話の性質をもつすべてのものを、みのりゆたかにできるのである。
 ……この本がはじめからおわりまで、世にも純粋なかたちで、地上をはなれたいと渇望する精神の一面だけをもっぱら称揚していること、……
             (巖谷國士訳)

等『マンク』に異例の行を裂いている。

ただ、少し前に放送された「所さんの目がテン!」でもイギリス人は古い洋館に「幽霊が出る!」と威されても存外平気なのに比して「悪魔がいる」と囁かれると恐れ慄くのに対し、日本人はその逆、という有り様が紹介されていた如く、そもそも日本人には「悪魔」を恐ろしいもの、「破戒」をあらざること、と捉える用意がない。
ためにどうしても『マンク』を大仰な昼メロのようにしか読めないところがあるのだが、それでもこの昼メロは翼の規模といい闇といい、なまなかでない。ましてこれがルイス齢十九の成果と聞くとその無造作なばかりのダイナミズムに驚く。

……ただ、この表紙カバー、何とかならないか。映画とタイアップといっても、写真は帯までがならい。まして天下の怪作にこの写真はなかろうものを。

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