フォト
無料ブログはココログ

« 2012年11月 | トップページ | 2013年1月 »

2012年12月の5件の記事

2012/12/28

伝統工芸 『ゴースト・ハント』 H・R・ウェイクフィールド、鈴木克昌 他訳 / 創元推理文庫

Photo 怖さより技巧を味わいたい、という意味で、これも冬に読むのが似つかわしい怪談集。
 H・R・ウェイクフィールド(1888~1964)はレ・ファニュやM・R・ジェイムズらの系譜を継ぐ英国正統ゴースト・ストーリーの最後の担い手であり、逆に言えばそのため晩年は不遇だったようだ。作品集は今では本国でも大半が絶版らしいが、黒檀を磨き上げたような文体で綴られる怪談は一種贅沢な時間を供してくれる。
 作者自身の経験から、「そこに住む者が庭を走って川に身を投げる」古い西洋館を素材にしたものが少なくない、など、怪異のパターンはややバリエーションに欠けるが、幽霊屋敷探訪を実況中継したラジオリポーターがどんどん壊れていく表題作「ゴースト・ハント」のような垢抜けたショート・ストーリーから「湿ったシーツ」「不死鳥」などの復讐譚、「暗黒の場所」のように意図的に怪異の説明を控えたもの、あるいは「通路」のようなSF風異次元ものまで全18編、それぞれ小振りな中にも作者の展開の技が冴える。多くの作品で怪異を正面から描かなかったことが普遍性につながった。
 個人的には、少年が片腕を奪われる「最初の一束」を好もしく思う。最後の見開き、濡れた灰のような濁ったものに侵された気配が見事。

2012/12/18

『短編工場』 集英社文庫編集部編

Photo さらっと。

 「小説すばる」は1987年11月創刊の月刊小説誌。『短編工場』はその25周年を記念しての文庫アンソロジー
 (ちなみに同じ集英社でも純文学志向な月刊誌が「すばる」)

 収録12作はすべて2000年以降の掲載だが、最近の作品にしては子や親の死を素材にしたウェットさが目につく。今ふう、ライトな恋愛モノ、家族モノもいくつかあるのだが、相手との関係や子育てについて、睦まじさより無神経、軽妙さより無責任のえぐみが残り、今ひとつ楽しめなかった。
 その中、女教師と女子高校生の思わぬ道行を描いた桜庭一樹「じごくゆきっ」が図抜けて気持ちよく読めた。歴史に残る名品とまでは言えないが、少なくとも無責任な印象はない。

2012/12/13

なんでもやきはらう光線 『怪獣画報[復刻版]』 円谷英二監修 / 秋田書店

Photo 悪ノリついでに昭和本をもう1冊。

 著者はあの怪獣博士、大伴昌司。監修はあの円谷英二。表紙絵の恐竜、あの、小松崎茂。はい、ここまででおろおろと立ち上がって財布の中身を確認したあなた。この後の展開なんて気にしないですぐ本屋へ行ってらっしゃい。なんのこと? というあなたはもう少し先まで読みましょうか。

 本書は昭和41年(1966年)に発行された秋田書店『怪獣画報』の復刻本。当時そのままのハードカバー、箱入り。「¥320」という奥付もまんまながら、残念、箱に記載の定価は「本体2667円+税」。
 本文は4章からなり、ネッシーや雪男など、当節でいうところの「UMA(未確認生物)」の章(67種類も紹介されている)、ティラノザウルスやステゴザウルスなど古代巨大生物の章、怪獣映画やウルトラシリーズに登場した怪獣の紹介に2章。現時点からみれば怪獣図鑑としての資料的価値は決して高くない。まあ、資料がほしければウィキペディアをたぐればよろしい。ポイントはちょっとしたことでも「おお、なんだか凄そうだ」と思わせてくれる大伴博士の筆遣いだ。「ただの見間違いでしょ」「そういう生物実際にいるらしいし」と思われる怪物の噂でも、なんともいえぬ香ばしさ、怪獣を語るならこうでなくっちゃね、とわくわくするのである。

 イタリアの学者がしらべているが、前世紀の海竜ではないかといわれている。
   ──大丈夫か、イタリアの学者。

 近づいたボートを一撃でまっぷたつにわってしまったという、おそるべき怪物だ。
   ──カリフォルニアの沖に現れた十メートルもある化け物エビ!

 「なんだ! どうしたんだ。」
   ──大ダコ怪獣スダールの項の書き出し。 
   「うわーっ! たいへんだぞっ。」と続く。

 ちゅうがえりをして空中にとびあがるのがとくいで、一とび二百メートルくらいとべる不思議な怪獣だ。
   ──そんな特技があったのか、カネゴン。

 もちろん、各ページには東宝ゴジラシリーズやウルトラQ、ウルトラマンからのスチール写真、イラストカット満載。ギャンゴの熱線を避けるバルタン星人、ガボラに飛び蹴りをかますレッドキング! ……ん?

 細かいことを1つ2つ。
 この本が書かれた当時は、恐竜の滅亡に巨大隕石説はまだ知られてなかったらしい。
 この本ではガラモンは「電波怪獣ガラダマ」。確かにガラモンが最初に登場した回のクレジットは「モンスター」だけで、ガラモンとは呼ばれていない。しかし、ドラマ内でもガラダマは隕石のこと、と記憶しているのだが。
 巻末に「権利元の意向により、一部キャラクターなどの掲載内容・表現について、最小限の改変」とあり。なんだ。どこだ。気になる、気になるとき、気になれば。

2012/12/05

マンガばかり読んでると 『マグマ大使(全2巻)』 手塚治虫 / 秋田書店サンデーコミックス

Photo 60年代のマンガ、アニメについて、疑問に思っていたことがある。
 同じ手塚作品でありながら、アトムやレオに比べ、なぜ『ビッグX』『W3(ワンダースリー)』『マグマ大使』はこうも顧みられないのだろう。

 無論、それなりの理由には見当がつく。
 敵も味方もドイツ・ナチの影を曳く『ビッグX』をCMに起用するには勇気がいるだろうし、『W3』は主人公が地球人の少年なのか動物の姿を借りた3人(?)の宇宙人なのかはっきりしない。『マグマ大使』の実写版は球団キャラクターにするには古めかしいし、1話完結で怪獣をばったばったと倒した同時期の『ウルトラマン』に比べて展開のもどかしさもあった。

 その『マグマ大使』の単行本だが、たかが2巻とあなどってはいけない。
 地球の創造主アースが生んだ正義のロケット人間、マグマ、モル、ガム。地球侵略を企む超絶的な宇宙人ゴア。時間や次元さえ操るゴアの命令で暴虐を尽くす怪物たち。ゴアの意外な弱点。人間そっくりの姿で東京を乗っ取ろうとする人間モドキ。その人間モドキが巻き起こす疑心暗鬼。ゴアや人間モドキに対し、くじけず戦いを挑む少年まもる。そして、これらすべてにあふれる躍動感。

 久しぶり(何十年ぶり)に読み返して、不覚にも理解できてしまったのは、当時の大人たちがよく口にした

   マンガばかり読んでるとバカになるよ

その感覚だ。
 『マグマ大使』は今読んでも面白いし、テンポも速い。しかし、サンデーコミックスのカバーでいみじくも手塚が語ったとおり、この作品は「たいへん都合のよい設定ではじめた、一種のでたらめ」である。こんなふうに手放しで破天荒、奇天烈な作品は現在ちょっと思い浮かばない。そんな荒唐無稽な、つまりマンガ本来の破壊力に満ちたマンガばかり読んでいると、軸のしっかりしていない子供のなかには……確かに迷走する者もいるかもしれない。
 その「迷走」の逆こそ、親や社会の敷いたレールを進む、ということなのだが。

 ところで、素朴な疑問をもう1つ。
 「マグマ」はともかく、「モル」「ガム」の名はどこからきたのか。なぜ誰も不思議! と騒がないのか。

2012/12/02

暗い熾火 『小沢さとる未収録短編集 トランキッド』 小沢さとる / パンローリング社マンガショップシリーズ

Photo 青年誌ならともかく、少年サンデーの増刊や冒険王に、何だろうこの寂寥感、無常感。

 『トランキッド』は小沢さとるの単行本未収録短編集。得意の海洋SFのほか、SFスパイアクション、戦記、カーレースもの等、60年代後半に発表された9編が収録されている。

 驚くべきは、いずれの作品も濃密な死の影に覆われていること。両親の死、仲間の死、仇敵の死。主人公自身も無造作に、だが無念の中に死んでいく。

 小沢はすっきりした絵柄で潜水艦同士の攻防を描き、同時代の手塚や石森、横山に比べてもスマートでクールな印象が強い。海底に繰り広げられる戦闘はチェスのごとき頭脳戦で、敵艦を撃沈させればパイプくわえて「ふむう」、少年兵の小型潜水艦が行方不明になれば「かわいそうに」、多くの犠牲者を出した海戦の目的も、謎の敵主艦が沈没した時点で「○○が海のもくずと消えたいましるよしもない」で済ませてしまう。

 『トランキッド』の作品群は、そんな小沢が週刊連載では見せずにきた澱のようなものか。作画、ストーリーは当時としても高水準とは言いがたく、巻末のカーレースもの2作にいたっては展開の無茶、無理押しに息が詰まる。だが、ここでの(永島さえ想起させる)朴訥さ、執拗さは、まさしく当時のマンガにこもっていた熱そのものであり、その火は今も息さえ吹きかければ暗く燃え立つに違いない。
 つまりは、力があるということだ。

« 2012年11月 | トップページ | 2013年1月 »