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2012年11月の4件の記事

2012/11/29

郷愁だけでは語れない 『エムエム三太[完全版](上・下)』 小沢さとる / パンローリング社マンガショップシリーズ

Mm 飛行機から降りてくるエムエムを陰から殺し屋が狙う。エムエムは十五歳、身長一五二センチの少年だ。しかし、タラップに現れたのは長身、コート姿の青年ただ一人。この青年が実は特殊な能力をもった主人公の変身した姿だったのだ! 愛車「モンスーン」で殺し屋を追うエムエム。上空から襲いかかる敵飛行機。撃たれたはずのエムエムはすぐさま立ち上がり、小型ライト・プレーン「エムエムマシン」でなお殺し屋を追い詰める!

 連載開始からいきなりのこのスピーディな展開は、50年近く経った今も鮮やかに記憶に焼きついている。今回久しぶりに読み返し、自分の記憶が(ほとんどコマ単位で)間違っていないことに驚いたほどだ。

 1965年に少年サンデーに掲載され、のちに少年マガジンに移った『エムエム三太』は、海洋SFマンガの第一人者小沢さとるによる超能力アクション。拳銃片手の国際陰謀スパイもの(007やナポレオン・ソロが人気絶頂だったころだ)、『ミュータント・サブ』を想起させる超能力フィール、そして創意工夫のオリジナルメカが続々登場する作者ならではのSFテイスト、それら(盛り込み過ぎとさえ思われる)要素が息をもつかせぬ圧倒的なテンポで次から次へと繰り広げられていく……。

 これほどの作品がどうして長く入手困難だったのかといえば、背景にはマンガの神様による「漫画家の中で一番下手糞」という酷評があったらしい。作者はそのため旧作の復刊に消極的だったというのだ。神様はときどきほかの神様に対して我が儘でお行儀が悪いのである。

 以下、雑感。

・「エムエムマシン」は当時(あの)イマイから精緻なプラモデルが発売されており、小学生憧れの一品だった。
・エムエム自作のメカには「エムエムマシン」「モンスーン」に加えて一人乗りジェット(ロケット?)がある。手を前に、体を伸ばした姿勢で搭乗するものだ。これも「エムエムマシン」に負けず劣らず強く記憶に残っていたのだが(「通勤に1台あれば!」とか)、まさか最終回の、それもたった5コマに登場するだけだったとは。
・胸のペンが飛び出し自在な武器となる「スキップ」もかっこいい。セスナを打ち落とすシーンの躍動感!
・第二部の敵「ムウムウ教団」は静岡の田舎の村に教団本部を置き、東京の破滅を企んだ。ウルトラマンの毒ガス怪獣ケムラーが「大武山」から現れるのと似てますね。
・マンガショップシリーズは『まぼろし探偵』『月光仮面』『8マン』ほか桑田次郎作品多数、『スポーツマン金太郎』、『矢車剣之助』、『スーパージェッター』、『少年忍者部隊 月光』、『0戦はやと』など、懐かしい作品でいっぱいで棚買いの衝動にかられる。ただ、稀覯本の復刊が多いだけに、さすがに価格が……。『エムエム三太』も各巻1,800円と、マンガとしては購入に少しガッツがいる。

2012/11/25

自分探しの旅、今、昔 『眺めのいい部屋』 E.M.フォースター、西崎 憲・中島朋子 訳 / ちくま文庫

Photo おせっかいな従姉と二人で訪れたフィレンツェの宿で、ルーシーは無口な青年ジョージと知り合う。郊外の菫の花あふれる棚地でジョージはルーシーに情熱的なキスをするが、ルーシーは戸惑ったままフィレンツェを離れる。ローマで知り合った青年貴族セシルはルーシーに求愛し、やがて二人は婚約する。しかし、イギリスに戻ってジョージと再会したルーシーは……。

 シンプルな筋立てだ。
 ところが、作品を通してみると、ところどころ説明がつかない。

 たとえば、ルーシーとセシルが出会う場面や、セシルがプロポーズにいたる過程が全く描かれない。セシルの人となり、その時点でのルーシーの心情を描く絶好のチャンスを、作者はすっぱり切り捨てる。一方、ジョージについても、精神性の高い若者、と持ち上げるのはその父親だけ。実態はほとんど描かれず、ただ無口で無骨な青年にしか見えない。軽薄ながらサービス精神旺盛なセシルにより好感を抱く読者は少なくないのではないか。

 社会的な抑圧から自立しようとする若い女性の心の成長物語……そうまとめたいが、これもうまくいかない。そもそもルーシーは最初から大人しい主人公ではない。相手かまわず言うべきは言い、ピアノを弾けば場にそぐわない曲を選び、異性との交際も一人で決め、一人で宣言することに重きをおく。
 作中では当時の階級意識が随所に示されるが、それは上にも下にもわりあいたやすく破られてしまう。「葛藤」や「煩悶」がないのだ。よくわからないのだが、本作で描かれる階級差別はせいぜい同じミドルクラス(中産階級)内の問題で、アッパー、ミドル、ワーキングの壁ではないということなのだろうか。

 つまるところ、磨き上げんばかりに克明に構築されているわりに、あれこれ突き詰められる気配がない。
 作者は個々の人物の心理や行動を描きたかったのか、宗教とのかかわり合いや階層意識など人生観、世界観を語りたかったのか。後者にしてはそれぞれの人物が(脇役にいたるまで)のびのび、細やかに描かれ過ぎ、前者にしてはストーリー展開が観念的に過ぎる。
 それでも全体として見事な造形作品となっているあたり、さすが観念さばきなら熟練の国のワザ。などと決めつけても何を語ったことにもならないのだが。

2012/11/13

『エドワード・ゴーリーが愛する12の怪談 憑かれた鏡』 E・ゴーリー編 梨田元幸 他訳 / 河出文庫

Photo 怪談は夏のもの、と言われるが、はたしてそうか。
 晩秋から冬の初めにかけ、篠突く雨の音を外に、ぬくぬくと膝掛けなど愛でつつひも解くにふさわしいオールド・ファッションな怪談もある(暖炉と足元にうずくまる猫が揃えばさらに望ましい)。
 独特な線画と奇怪な文体で知られる奇才エドワード・ゴーリーによる怪談撰集『憑かれた鏡』は、そんな夜の供にお誂え向きの1冊だ。

 収録作家はA・ブラックウッド、C・ディケンズ、R・L・スティーヴンスン、B・ストーカー、W・W・ジェイコブズ、W・コリンズ、M・R・ジェイムズら、19世紀イギリスのゴーストストーリーを飾った錚々たる顔ぶれ(「信号手」! 「猿の手」! 「夢の女」!)。つまりはいずれどこかのアンソロジーで見かけたような作品群であり、およそ新鮮味を期待するのは無理というものだが、その代わり昨今の(神経に直に薬物を打ち込むような)エキセントリックな刺をまとった「実録怪談」に比べればモノクロームの映画にも似た古色蒼然たる様式美の真黒い影が立ち上がり、それはそれで楽しく、読みがいがある。古典の銀は遅効性なのだ。

Photo_2 ところで、本書巻末の解説でも触れられているとおり、このアンソロジーを選別し、各作品に添えるペン画を描いた折のゴーリーを描いた作品がトーベ・ヤンソンの短編集『黒と白』(冨原眞弓 編・訳、ちくま文庫)に収められている。「黒と白──エドワード・ゴーリーにささぐ」がそれで、『憑かれた鏡』に収録された怪談よりよほど現代的で、世界がぐにゃりと熔けてしまうような嫌な感じに満ちている。あのムーミンの作者もまた、黒い鏡に憑かれた作家ではあったのか。

2012/11/04

来々軒は二度ベルを鳴らす 『麺's ミステリー倶楽部』 ミステリー文学資料館編 / 光文社文庫

Photo 短編ミステリーのアンソロジーといえば──

 たとえば密室、暗号、名探偵。旅行にアリバイ、猫にギャンブル。女流、ユーモア、スパイ、毒。あるいは年間傑作選、特定の都市を舞台にしたもの、捕物帳、名探偵のパスティーシュ、などなどさまざまあれこれ。なかには美食、美酒というのもあったが、さすがに食材にしぼったアンソロジーとなるとちょっと記憶にない。

 (どこかで聞いたようなタイトルの)『麺's ミステリー倶楽部』は、そんななか、なんと具を「麺」にしぼって11編を供したアンソロジー。
 ただ、さすがに「麺」かつ「ミステリー」とナルト候補作が乏しいと見えて、10作のうち半数がラーメンネタ。続いてうどん、蕎麦、きしめん。替え玉がなかったのか、蕎麦やきしめんを扱った作品の一部はミステリーと呼ぶには少々無理があり、ソーメンやヤキソバ、パスタ、カップ麺にいたってはまったく登場しない。さらに、いずれキツネかタヌキの作家12人の麺々には北森鴻や山田正紀らコシのきいた本格の打てる作家もいるのに、素材が麺ではどうしてもシリアスよりペーソス、論理よりダシの効いた人情と、ミソかショウユに味付けが偏ってしまったようだ(まあ、確かにラーメンに密室、うどんでアリバイでは、すぐのびるだけに厳しいかも)。

 はい? 「11編とか10作とか12人とか、正確な収録数はいくつなんだ?」 ……や、失礼、麺だけにドンブリ勘定が過ぎたようで。

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