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2012年9月の6件の記事

2012/09/30

牙抜きコブラのような 『生きる悪知恵 正しくないけど役に立つ60のヒント』 西原理恵子 / 文春新書

Photo 仕事の悩みや男女の悩みなど、全5章、60の相談に西原が答える。
 「使えない部下にイライラ」に「ネジだと思えば腹も立たない」、「よく空気が読めないと言われる」に「読めなくても許される人間になれ」など、そこそこ苦味の効いた回答もなくはないが、全体には質問もまっとうなら回答する西原も流しソーメン。「逆説的な回答」などと持ち上げた書評も目にするが、朝日の人生相談でもそのくらいはかます。文筆家は皆プロなのだ。
 西原が安心して牙をむくのは噛みついても多少では死なない相手とことをかまえたとき。その際の瘴気はこんなものではない。
 論より証拠、本書の章間に数編ねじ込まれた綾辻や伊藤理佐、重松、角田らの相談にサイバラなカットで応える見開きを見よ。毒の黒さが違う。正しくないし、役にも立たない。全ページこの水準で埋まっていたなら人生の一冊たりえたに違いない。
 もちろん、そんなものが文藝春秋の手におえるはずもない。かくして、大手版元がサイバラ本をこしらえるときは神足とか清水とか、ちょっとぬるめの(でも本人は黒いつもりの)文筆家に本文まかせ、その隙間をサイバラのカマクビで埋めることになる。毒ヘビを展示するには互いに安全なガラスケースが必要なのだ。

2012/09/28

CG無用 おもしろうて やがて特撮博物館

 秋晴れの中、清澄白河の東京都現代美術館特設の「特撮博物館」(7月10日~10月8日)をようやく尋ねた。
 7月にはテレビの特番もあり、早く見たい行きたいとは願っていたのだが、猛暑の中、おっさんの列をなす(笑)展示会に行く気力体力がなかったのである。

 『エヴァンゲリオン』の庵野秀明が館長、平成ガメラシリーズの樋口真嗣が副館長。この「特撮博物館」のポイントは、決して過去のゴジラシリーズ、ウルトラシリーズへのオマージュではなく、喪われつつある技術「ミニチュア特撮」に対し、その内実と魅力を伝え、一人でも多くの実作者、せめて協賛者を募ろうとするもの、ということにある。
 したがって、展示物はゴジラやウルトラマンなどの当時の「映像」でなく、海底軍艦や戦闘機や破壊されるビルなど、とことん「物体」であり、かつそれを作成するにいたった絵コンテや技法である。

 展示後半の柱は、その技術を現代に再現した『巨神兵東京に現る』という短編映画。これは先に書いたとおり特撮という技術を実践してみせ、かつその後でそのカラクリを提示してみせることが目的なのだが、9分という短い尺の割に、作品として見る者を圧倒するだけの力があった。キレキレの平成ガメラシリーズを撮った樋口真嗣の嗜好、(意外や)舞城王太郎によるワードなどがナウシカともゴジラとも肌触りの違う独特の時間を演出してくれた。『巨神兵東京に現る』の上映の後でスタッフのインタビュー映像や作品に実際に使われた東京のミニチュアセット(中を歩き、撮影することができる)を見ることになるのだが、そこからもう一度『巨神兵』を見に戻ることはできない。通路は一方通行にできているのだ。残念。東京は炎上して今頃は腐海に沈んでいるのだからやむを得ないのだが。

 ところで、本作の巨神兵について、その細く前のめりなプロポーションが「まるきりエヴァ」との評を事前に見聞きしてはいたが、操演のテクニックなどを見るとこうなるのも必然と納得できた。ともかくいい出来である。いずれDVDなどで公開されることもあるだろうから(9分の作品をどうやって?)未見の方はぜひ大画面でご覧いただきたい。お口ギチギチ、バッ、のプロトンビームは強烈、東京の宙に吹き飛ぶ王蟲の姿が目に浮かぶのであった。

 その他の展示物としては(入口で「展示物が多いので音声ガイドをお奨めします」と案内があるほどで、とても語りきれないが)、海底軍艦についてのあれこれや、ウルトラシリーズの戦闘機一覧などに胸が躍った。はっきり言えば、モデルそのものは案外小さく、貧相といえば貧相である。しかし、それが映像の中に登場し、効果音や音楽が流れることであのような迫真的な存在感が得られたとしたなら、それは特撮という技術そのものを評価すべきだろう。

 ただ、この特撮博物館は、特撮という技術、その歴史を楽しく頼もしく伝えるものである一方、その技術が廃れ、見捨てられていった経緯をまざまざと示すものでもあった。それぞれの時代の作品はそれぞれの時代の子供たちを沸かせたものだったろうが、それでもこうして一望にしてしまうと、ある時代を境に、ミニチュア特撮が喫した敗北が見えてくる。
 しかし、それについて詳しく書くのは別の機会にしたい。

 ウィークデーの午前中からという時間帯にもかかわらず、どの展示物の前にも人がいっぱいで(多いのはやはり40前後のおっさんだが、女性の姿も意外や少なくなかった)、音声ガイド機1台に夫婦でヘッドホン2個つなぎ、順路に従うだけで3時間。
 図録は「特撮博物館」と「巨神兵東京に現る」の2分冊構成で2,700円。膨大な展示物の大半をカラー写真で掲載している大作。編集の苦労がしのばれる。出口前の土産コーナーで女房はケータイストラップにバルタン星人、自分は図禄のほか巨神兵をモチーフにしたメモにノートを購入。女房の目があるので穏やかに退館。

 清澄白河からの帰り、3つめの押上駅で降り、ソラマチの31階で遅い昼食をとった。
 ソラマチ8階のバルコニーのベンチでは、すぐ隣のスカイツリーを寝そべって見上げることができる。すでに日が傾いてまぶしい。スカイツリーは地上634m。初代ゴジラの10倍以上。

2012/09/24

短評 『とめはねっ! 鈴里高校書道部 (10)』『茶柱倶楽部 (3)』『リアル猟師奮闘記 山賊ダイアリー (2)』

Photoとめはねっ! 鈴里高校書道部 (10)』 河合克敏 / 小学館ヤングサンデーコミックス

 小ネタの扱いが本当に巧い。塀内夏子山崎紗也夏ら女流作家に通じる筆遣いの妙。
 最新刊でも、縁(ゆかり)と望月の修学旅行が、出会いや書道の知識にあふれて楽しい。そして一見バラバラに見える小ネタ(たとえば龍安寺の「吾唯足知」の蹲踞)が、「競書大会」出品作の選定、ひいては二人の書道に向かう姿勢そのものを少しずつあぶり出す。巧い。
 掲載誌が移り、単行本発行はややスローペースとなったが、このタッチを維持してほしいものだ。

茶柱倶楽部 (3)』 青木幸子 / 芳文社コミックス

 能天気なんだか素質にあふれているんだかな若い主人公がマイペースで日本茶の味わいを求めていく……枠組みだけ見れば『とめはねっ!』に似ていなくもない『茶柱倶楽部』、3巻め。
 ただ、恩人の老女の弟探しに付き合って台湾を訪れる今回のストーリーはさすがに重すぎ、無条件に楽しむことはできなかった。重い話厳しい話なら1巻2巻にもそれなりにあったのだが、主人公の朗らかさ、天然ぶりがそれを圧倒していた。今回は歴史の重みの淀みに主人公が「あがいて」しまった。その分、負け。初期の太平楽なお茶娘ぶりへの復帰を期待。

リアル猟師奮闘記 山賊ダイアリー (2)』 岡本健太郎 / 講談社イブニングKC

 相変わらず狩ってはさばき、さばいては食べるの記を淡々と。
 主にハトやカモを狙った1巻に比べ、2巻ではイノシシやスズメバチなど強敵が相手で、作者も罠やハチ用スプレーで対抗。心なしか猟に慣れた作者の余裕の表情のにじむコマが増えた。
 木々の間を滑空するヤマドリの尾のしだり尾の美しさが目を奪う。それを獲り逃して、なおヤマドリの美味を語る作者って、どんだけ。

2012/09/16

背中のブランコ 『残穢』 小野不由美 / 新潮社

 残る穢(けが)れと書いて「ザンエ」と読む。

 「怖すぎて、家に置いとけない」と評した新聞記事があったが、なるほど怖い。とくに前半、しんしんと怪異が少しずつつのっていく物気配はここ十年を振り返ってもあまり記憶にない。
 いわゆる「見える」「霊感がある」わけではないが、読み始めたとたん「ア、コレハイケナイ」スイッチが発動し、読むのは通勤路のカフェに限定、読み終わった本はその駅にそっと捨ててきた。怪異を信じるかどうかはさておき、家に置いておくのは避けたほうがよいような気がしたのだ(もっとも、二度三度読み返すたびに新しい発見が得られる類の書物ではない、という計算がなかったわけでもない)。

 いずれにせよ、本書(と同時に発行された『鬼談百景』の組み合わせ)は、最近ややダレ気味の「実録怪談」に新しいシステムを投入した、といってよいのではないか。
 ストーリーそのものは必ずしも仰天するようなものではない。貞子のような新しいホラーヒロインが登場するわけでもない。小野不由美本人と思われるホラー作家宛てに住人の居つかないマンションについての便りが届く。畳を掃くような音。映像に残った赤ん坊の顔。床下をうろつく気配。移転していった住人に起こる悲劇。怪異は特定の部屋だけで起こるわけではない。マンションとその周辺の土地に何かあったのか? 仕事の合間を縫っての丹念な調査の結果、見えてきた全貌は……。

 「全貌」にあたるものが表題なのだが、そこまで進むと話が大きくなり、妙に理屈が通りすぎて、かえって緩む面もある。やはり前半、説明のつかない怪異の薄く広がるさまがすさまじい。実際、本を捨ててつながりを断ったはずの今も、誰もいない二階でドアの閉まる音がする。閉じたはずの押入れは天袋と同じ幅だけ隙間が開き、庭の虫は窓のあたりだけ急に静まり返る。廊下のスリッパは向きがさかさになり、切ったはずのテレビから低い男の声が。
 などと茶化したことを書いてはいけないのかもしれない。なぜな、この家

2012/09/07

これも業(カルマ)? 『くるくる自転車ライフ』 こやまけいこ / イースト・プレス

Photo 「こぎ遍路」とは、白のサイクルジャージにメット傘の弘法大師が、八十八箇所のサイクリングロードを茄子をかじりながらのりりん、のりりんと……

 あれ? なんかヨソのデータと混ざってる? 巻き戻し、巻き戻し。

 はい、今回取り上げるのは、あのムチパンダの、ぶいふぁみ君の、それから『ふしぎだいすき! マジックえほん』その他あれやこれや!のイラストレーターこやまけいこ氏による『くるくる自転車ライフ』。やー、あなたもくるくる? 私もくるくる。

 『くるくる自転車ライフ』は、ふとしたきっかけで自転車の魅力にとりつかれ、折りたたみ小径自転車「BD-1」を購入したこやま氏とそののりりんな夫君が、やがてどっぷりサイクリング・ブギ、江ノ島までの往復110kmは完走するわ(18インチの折りたたみ自転車でそんな長距離すんなり走れるとは!)、ロードレース観戦に出かけるわ、正月の山手線一周にチャレンジするわ、しらす丼は食べるわ餃子は食べるわ蕎麦は食べるわ、新しい自転車や大小いろんなガジェットは購入するわ……そんな自転車ライフをきゅきゅっと描いた4コママンガ集。

 展開や味わいこそゆるめだが、自転車へのはまり具合はギアもがっつり。引越し先の条件も一に自転車、二に自転車、三四がなくて五に自転車。一方、初心者のための細やかなナレッジやサイクリング向けファッション紹介ページ(とーとつに女子がかわゆいぞ)など、小生のごときママチャリ読者へのサービスも行き届く。そしてロードレースの魅力に目覚めたけいこは、嵐の中、必殺技ローリングパニックを手に、ツール・ド・フランス出場をかけてライバルとの決戦に……いや最後のほう違うからそれ。

 どうも自動書評ロボ「カラスマル3型」の調子が今一つのようだ。今宵はこれで失礼しよう──Queenの“Bicycle Race”が鳴り響く──さらば。ふはははは……。なに?
 「ぼくは自転車を愛する男だ とびおりるならきみだけとびおりろ!」
 ……いやそれ、萩尾望都の3月うさぎだから。

2012/09/03

慟哭の書 『アルキヘンロズカン(上・下)』 しまたけひと / 双葉社アクションコミックス

Photo ホイチョイテイストのライトでポップな表紙絵に騙されてはいけない。
 A5サイズだからといって、よくあるコミックエッセイなどではない。

 「歩き遍路」とは、弘法大師(空海)が修行のため辿ったとされる四国八十八箇所の寺を自身の足で歩いて廻る修行のこと。白装束に遍路笠の「お遍路さん」がそれである。距離にして1200キロ以上、1箇月以上かけて八十八の番所すべてを廻ったとき、願いがかなうとも言われている。

 『アルキヘンロズカン』はこの四国八十八箇所巡りに挑んだ「30代独身 売れないエロ漫画家」と「グダグダと日々を過ごす元OL」の二人を主軸に、その道程をぶちまけるように描き上げた作品である。彼らは道々さまざまな人々と出会い、驚き、呆れ、あるときは不快な思いにとらわれる(そして不快に思った自分にまた落ち込む。ともかく歩く以外にすることのない遍路は内省的になるしかないのである)。

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 知人の昔話、その一。

 

 四国には弘法大師ゆかりの寺やらため池やらがめったやたら多い。
 あるとき、小さな町の高校に通う少年少女が逢引きするのに、
「がっこ終わったらおだいっさん(お大師さま)の前な」
「うん、ええよ」
と約束したところ、少年は学校の南の山裾の古寺に、少女は北の浜の社に向かってそれぞれ待ちぼうけ、翌日ケンカになってしまった。
「おだいっさんいうたら坂の上やろ」
「あほちゃうん、浜に決まってる」

 

 南無大師遍照金剛

 

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 『アルキヘンロズカン』に登場する遍路たちは、必ずしも八十八箇所を廻り切ると願いがかなうと考えているわけではない(一人?を除き)。
 祖母に強要されてやむなく歩くことになった元OLの道程は空疎で、心を乱すさまざまな出来事はあれど、結願(八十八箇所め)が近づいても「いまひとつ物足りない」思いにかられる。彼女の心は満たされるだろうか。一方、作者の分身と思われる売れない漫画家の行程はまさしく「慟哭」に満ち溢れ、彼はひっきりなしに見たくないものを見、考えたくないことを考えてしまう。売れない表現者としての惨めさが、ひがみ、焦り、無力感の真っ黒い塊となって再三彼を責めたてる。彼は遍路道に何度も文字通り這いつくばってしまう。

 旅の最後にようやく巡り会えたある人物──その人物に会ってみたい、というのがそもそも遍路となったきっかけの一つだった──にも、主人公は完膚なきまでに叩き伏せられてしまう。ここまできても、救いなどない。それでも……という読了感が得られるかどうかは、読み手にとって今人生がいかなるものであるかによるだろう。

 黒い気持ちを剥き出しに描いたこんな本を無造作に人に奨めてよいものかどうかは、よくわからない。
 だが、もし読むのなら少しでも若いうちのほうがよいようにも思う。

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 知人の昔話、その二。

 

 昔、遍路道添いのある豊かな家では、お遍路さんが通りかかるたびにお茶や握り飯をお接待に供していた。その頃の遍路には当時業病と見なされていた病に罹患した者も少なくなく、やがてその家の家族も発病し、一家は離散してしまう。家も家族も失った主人は歩き遍路に身をやつし、
「わしらがなんの悪いことをしたちゅんじゃ」
と怨嗟の中で亡くなった。
 この昔話を伝えた母親は、知人にこう諭したそうだ。
「しやから、お接待は断られたらいかん。渡すときは渡しきり。お握りは紙袋につめて、お茶碗もそのまま差し上げるんよ」

 

 南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛
 (「お接待は断ってはいけない」「お遍路さん同士で物のやり取りをすると『業をもらう』のですべきでない」というのは、こういう意味もあったかと思います。ただし、この話は戦争より前のこと。現在はそのような病気の心配はありません。)

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