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2012年7月の5件の記事

2012/07/30

先読めず 『ケサラン・パサラン』(1巻) 山岸凉子 / メディアファクトリー(MFコミックス)

Photo こうして同じ版元から長編出来、ということはつまり『舞姫(テレプシコーラ)』は本当に完結、少なくとも当分は続編が期待できないということか。いかにもにぎやかな「引き」のある第2部終幕だっただけに、ちょっと残念。

 さて、こちら『ケサラン・パサラン』だが、イラストレーター兼エッセイストの伯母が唐突に最寄り駅の徒歩4分以内に一戸建てを建てることを決意し、アシスタント兼秘書(というよりは家政婦)の姪がそれに振り回される、というストーリー。
 これは作者往年の怪作、「あやかしの館」(プチコミック、1981年6月号)のバリエーションである。「あやかしの館」はイラストレーターの伯母の建てた「洋館」に居候することになった高校生の姪があれこれ怖い思いをする、という読み切り短編で、浮世離れした伯母の招くギャグとホラーをカラリと軽く揚げた、奇妙な味が独特な作品だった。
 ただ、設定こそ似ているものの、『ケサラン・パサラン』では、伯母のイラストレーターは資産管理したり不動産屋と交渉したり、多少は世故に長けているようだし、語り手の姪も編集者の彼氏がいる女子大生、と舞台は絵柄も含めて格段に大人の世界になっている。(少なくとも今のところ)ホラーではなく「思い切って駅近に家を建てよう」学習マンガなのだ。

 タイトルの「ケサラン・パサラン」とは、江戸期以降に民間伝承に現れた白い毛玉のような謎の生物のこと。正体には諸説あり、妖怪扱いされることもある。あすなひろしの短編でも使われており、かつてブームとまではいかないものの、ちょっとした話題になっていた記憶がある。
 今回、ストーリーとケサラン・パサランがどうかかわるのかは1巻ではまだ明らかではない。今のところ、「ちょっと変わった不動産購入マンガ」の域を出ておらず、このまま淡々と「お役立ち」マンガが続くのか、それとも予想を覆す「迷走」が待っているのか。

 巻頭を読み返すと「事の起こりは今から数年前」「わたしは姪の紫苑 この時はまだM美大に通いながら」とあり、作者側には数年先の帰着点がある、らしい。しばらくは静観、お付き合いしてみるほかなさそうだ。

2012/07/27

赤表紙 『ベイビーステップ』(22巻) 勝木 光 / 講談社コミックス

Photo ずっと水色ベースだった表紙が赤い。中身も熱い。

 優等生によるお勉強テニス、練習を面白く描くマンガ、などとあなどっているうちに、いつの間にかストロングスタイルの試合が似合うマンガになっていた。この22巻で決着のつく対岡田戦、現在連載中の対緒方戦はことに実践的というか骨太で、いずれも本物の試合同様予断を許さない。

 作品のあちこちに錦織圭の存在が織り込まれているようだ。フロリダ留学して今や世界で活躍、という池爽児のモデルが錦織なのは当然として、ここにきてジャンプしての強打が重要な意味を持ち始めた。
 今大会(全日本ジュニア)での最大の難敵、オールラウンドプレイヤーの難波江との決戦は、つまり意外やハードヒッター同士の、となるのだろうか?

2012/07/23

夏休みに読みたい一冊 『吸血鬼カーミラ』 レ・ファニュ、平井呈一 訳 / 創元推理文庫

Photo ジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュ(1814~1873)はアイルランドの小説家。その作品はブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』をはじめ、シャーロット・ブロンテ『ジェーン・エア』、エミリー・ブロンテ『嵐が丘』等に多大な影響を及ぼしたとされており……などとウィキな紹介をしてしまうと、いかにも古めかしい作品が目に浮かぶ。なにしろ海のこちらは明治維新のころだ。
 確かにこの中・短篇集『吸血鬼カーミラ』に収められた短篇のいくつかは、傲岸不遜な主人公のところに夜ごと幽霊が現れて最後には復讐を果たす、とかいったいわゆる「怪談」で、よく出来てはいるが、はっきり言って今読んでそう「怖い」ものではない。しかし、巻末の中編「吸血鬼カーミラ」に限ると、清流のようにさらさらと美しい読み応えながら、本文の最初のページから不思議にうすら寒くて恐ろしい。久しく読み返したいと思っていたが、今回何十年ぶりかに読み返してみて、思っていた以上に血が洗われたような思いがして、よかった。

 レ・ファニュの特長の一つに、都会や田園など、作品の舞台を(言葉数は少なくとも)じっくり描いていることがある。カーミラは、オーストリアのスチリア州の古城を舞台としている。
 少し長くなるが引用したい。

 目のまえには、今そこを歩いてきた森の空地が横たわっております。左のほうには、細い道が大きな木立の下をぬけて、その先はこんもりした森のなかに見えなくなっております。右手には、同じ道が絵のような反り橋を渡り、橋のそばには昔物見櫓だった荒れはてた塔が立っており、橋のむこうはきゅうに木々に覆われた小高い台になり、蔦のはった岩が木かげに濡れた肌を見せております。
 芝のはえた低地の上には、うっすらと狭霧が煙のようにたちこめて、遠景にヴェイルをかけ、夕月にほのかにきらめく水の流れがおちこちに見えます。

 このような光景の中、主人公の純朴な娘とその父親、娘の家庭教師たちが薄暮の夕月を見に散歩に出て、馬車で駆ける吸血鬼と出会うのだ。
 主人公の前に現れた吸血鬼カーミラは魅力的な若い女性であり、襲われるのもすべて若く美しい女達ということもあって、本作では全篇にレスビアンの気配が濃厚である。だが、一方、カーミラが死者として永らえる葛藤を述懐する場面もあり、その特質は一面的でない。百年も昔の自身の肖像画が修復されて目の前に現れたときのカーミラの心持ちはどうだったのか、なぜカーミラは主人公の娘のみすぐに死なせなかったのか、など、描かれていないことへの興味はつきない。
 讃美歌への畏れ、棺に生きたままの姿で眠る死体、本名のアナグラムを名乗る、吸血鬼退治の専門家、など、のちのヴァンパイア映画の小道具のいくつかはすでに登場しているが、いずれもおぼろな謎として描かれている。

 ただし、本作の魅力は決して「幻想的」な雰囲気によるものではない。語り手は若さゆえ世事にたけてこそいないがカーミラに対する観察や判断は明晰だし、その他の登場人物も(吸血鬼がこの世に存在するとは思わないため防御が後手にはまわるものの)いずれも理知的だ。だからこそ、そのあわいに滑り込んだ熱病のような吸血鬼は魅力的であり、かつ美しいのだ。

2012/07/12

一家に一冊 『図説 死因百科』 マイケル・ラルゴ、橘 明美 監訳 / 紀伊國屋書店

Photo_2 先月、元アナウンサーがテレビ局のトイレで首つり自殺、というニュースがあった。
 さらにその前、レポーターが植物公園のトイレでやはり首つり自殺、という報道もあった。

 そこで本書の「トイレの時間」という項を引いてみよう。

   毎年1213人が、トイレでいきみすぎたことが
   間接的な死因になって死亡している。

おやおや。

 というわけで、一部で翻訳が切望されていた本書は(一部ってどこよ、という疑問はさておき)、アメリカにおけるさまざまな「死にかた」を245項目に切り分け、50音順(ん?)に並べ、コラムやレトロ風趣あふれる──ときどき項目に関係ない──図版・写真をたっぷり添えた「死因の百科事典」である。

 各項はさまざまな死にかたについてのひねりと毒の利いた興味深い読み物となっており、また「カルト教団」や「連続殺人犯」のように有名な事件を列挙する資料的な項目があるなど、ともかくおよそ退屈しないページが続く。荘厳というよりやや焦げ臭い笑いのこもった、大量の死、死、死。

 「アイスクリーム」や「蚊」の項にはいったい何が書かれているのか。あるいは「奇人変人」「口臭」「新人いじめ」「つまようじ」。「ナルシシズム」「媚薬」「モバイルオフィス」。

 ナタリー・ウッド(『ウエスト・サイド物語』等で知られる映画女優。その溺死はいまだ謎とされている)、ヴィック・モロー(TVドラマ『コンバット!』のサンダース軍曹。映画『トワイライト・ゾーン』撮影中、ヘリコプターの事故に巻き込まれて首が飛んで亡くなったらしい)らの写真に昔日を偲び、

   1995年以降、782人のチアリーダーが
   身体麻痺などの重症を負い、123人が死亡している

にジャンプして驚く。

 もう1つ、少し切ない統計を。

   毎年およそ2900人が
   バレンタインデー前後の1週間に自殺している。

 合掌。

2012/07/09

ほの白く立つ炎たち 『ひらけ駒!』(現在6巻まで) 南Q太 / 講談社モーニングKC

Photo ウィキペディアでは『ひらけ駒!』は「将棋に熱中する子どもを見守る母の視線を中心に、将棋の世界と親子のやり取りをひたすら静かに描く、数ある将棋漫画の中でも異彩な作品」と紹介されている。概ねそのような作品と、これはみなされてきたはずだ。
 だが油断してはいけない。女とマンガは化けるのだ。

 6巻にいたり、棋戦に臨む女流棋士たちの有り様が描かれるようになって、作品世界は一気にほの白く炎上した。

 とくに美貌の女流二段、壇レイ子が全コマいい。
 さらさらストレートヘアを肩に流し、小首を傾げてベッドから主婦を電話で将棋サロンに招く。

   楽しい集まりに
   なると思うんです

   菊地さんに
   来ていただけたら
   すごく嬉しい

 それがいざ棋戦となると、「力戦好きの攻め将棋」、しかも早指し。

 このレイ子を鏡と配置して、さまざまな女流棋士たちの日常がクロスカッティングで丹念に描かれていく。将棋は(当然ながら)知のせめぎ合いなので、彼女たちは勝負が決するまで声を漏らさない、居住まいを崩さない。寡黙なコマにこそ読み返すたびに発見がある。

 たとえば56ページ、122ページ。おっとりした女性の目のあたりに薄くスクリーントーンが張られると、どれほど恐ろしいことになるか。この凄み、7巻に続く。

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