フォト
無料ブログはココログ

« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »

2012年6月の6件の記事

2012/06/29

語りたい高み、語らせぬすごみ 『総特集 いしいひさいち 仁義なきお笑い』 文藝別冊 KAWADE夢ムック

Photo いしいひさいち、デビュー40周年を機に編纂されたムック。
 撮影、インタビュー嫌いで知られるいしいひさいちが自身で書き下ろした「ロングインタビュー」。数葉の未発表作品。いがらしみきお、しりあがり寿とり・みき、吉田戦車、秋月りす西原理恵子、カラスヤサトシ、さそうあきら、小坂俊史、あずまきよひこによる寄稿マンガ。宮部みゆき、戸川安宣、村上知彦、川島克之による寄稿エッセイ。大友克洋インタビュー。その他年譜的資料など、ぎっしりとマンガ、文字が詰まっている。

 先に、文句を並べておこう。

・相原コージ、竹熊健太郎からのコメントがない
・これだけのメンツがそろっていながら、寄稿マンガの一つひとつは(後で取り上げる一作を除き)さほど面白くない
・これだけのメンツがそろっていながら、「自分といしいひさいち」「すごい」「天才」と持ち上げるばかりで、なぜいしいひさいちは面白いのか、なぜ再読に耐えるのかにほとんど誰一人言及していない、できていない(平次がどう、ののちゃんがどう、スターシステムが、ドーナツブックスがどう、と作品の「現象」をなぞるばかりでそこから二次掘り三次掘りしている記事がほとんどない)
・「著書目録」にアクション増刊の4冊が含まれていない(確かに書籍、文庫ではないが、いしいひさいちを全国に知らしめた非常に重要な冊子である)
・「データ主義的いしいひさいち年譜」にもアクション増刊は最初の1冊しか取り上げられていない
・単行本未収録の「ゲームセット」が長い割にはつまらない

 次に、想定外に面白く読めたところ。

・とり・みきの寄稿マンガ「ロカちゃん大好き」に全面的に賛成。全面的にというのは、全コマ、すべての指摘、すべての線に対して、という意味
・「この似顔絵がすごい!」コーナーのアンケートに対し、たとえば近藤ようこが「1位 ヒロオカ なにもかも好きです。(広岡達三著の)『星霜』を読みたい」とモノのわかったコメントを寄越しているのに対し、とある(町民の情け、ここでは名前をふせよう)漫画家・漫画評論家のコメントは以下のようなもの。

1位 高取英 この依頼があった時、いしいひさいち似顔なんて高取と峯正澄と安田しか描いてないだろ、と思ったのだがそうではなかった。ちゃんと考えてみれば、もっといろいろあったのだ。(後略)

 標本にしてとっておきたいほど見事な「ごまめの歯ぎしり」だ。

 さて、つまらぬことばかりあれこれあげつらって、つまるところこの本はつまらないのかといえば、決してそんなことはない。
 いや、むしろ、体が震えるほどにすごい1冊だった。
 いしいひさいち本人の手による(文字通り手描きの)「ロングインタビュー」が、他のどのページをも圧倒して読み応えがある。一つひとつの言葉が岩のように硬く、重いのだ。

 随所にギャグや当人いわくの「でっちあげ」らしきものも散見するが、それを含め、いしいひさいちがどれほどブレずに作品を描いてきたかがわかる。たとえば、「4コマの既成概念を破壊したとも言われていますが、その点いかがですか?」という質問に、「それは誤解です。そもそも4コマ漫画に起承転結というセオリーは存在しません」と滔々と4コマ漫画論を説く。もちろん、「えー、今の見解マジですか」「でっちあげです」とさらにとぼけてはみせるのだが。
 ほかにも「萌え漫画作品が仮につまらんとしたらそれはオチがないからつまらんのではなく『つまらんからつまらん』のです」「作品は読者のものですが『いしいひさいち』は私のものです」などなど、他者の踏み込みを許さない明晰、明哲な言葉遣いが並ぶ。隙がない。

Photo_4_3 そういえば、そもそも1977年発行、プレイガイドジャーナル社版の『バイトくん』巻末の村上知彦の解説において、いしいひさいちはすでに「作品に対して思い入れはない」「テクニックだけで描いているのだから深よみしてほしくない」と自らを裁ち捨てるような厳しいコメントを残していたのだった。いしいひさいちを語るには、彼の文体、描線を語るところから始めなければならない(その意味でもとり・みきの手法は正しい)。

 ところでその「ロングインタビュー」の最後のページには、次のようなことが書かれている。

   このインタビューは長ったらしい辞表です。

 『いしいひさいち』は『いしいひさいち』のもの。だからこれはきっと冗談ではないのだろう。だから僕たちにできることは、その日が訪れるまで『ののちゃん』が「ついうっかり」続くことを願うことだけだろう。笑いながら。痙攣しながら。

2012/06/24

結局喜劇とはなりきれず 三谷版『桜の園』 アントン・チェーホフ作、パルコ劇場

 ご報告が遅れたが、6月14日(木)、渋谷のパルコ劇場で三谷幸喜演出の『桜の園』を観てきた。

 チェーホフは自身の脚本を「喜劇」、ときには「笑劇」と称し、『かもめ』初演の際「悲劇」として喝采を受けてがっかりしたという逸話が残っている。パンピーな感性をもってすれば「どうかしてる」と言わざるを得ないのだが(だからこそ一段すごい作家だったのかもしれないが)、この逸話に新しい解釈のチャンスを見出だす演劇人もままいるようだ。
 今回、三谷幸喜もインタビューで「コメディとして作ってあるので僕みたいな人間こそやるべきだと昔から思っていた」、「何より浅丘さんがこんなにコメディエンヌとは思わなかった。3人の中で一番笑えます」等々「喜劇としての『桜の園』」を繰り返しアピール、実際、前説に青木さやかを立たせてAKB「ヘビーローテーション」の替え歌を歌わせたり、「携帯電話の電源は」等の館内放送をロシア語⇔日本語で脱線させてみたり、いくつか「お笑い」風演出で観客を笑わせた。

 しかし……、「喜劇としての『桜の園』」という空気もしょせん最初の数十分だけ。

 上品だが金銭にも人間関係にもダルな没落貴族を演じる浅岡ルリ子への観客の反応は「笑い」でなく「さすが」だったし、青木さやかのガラッパチな演技はそもそもストーリーから浮いていた。後半、舞台は退場していく貴族階級、金はあれど文化をもてない新興商人層、革命の夢を追うだけの若い学生たち、よってたつ主人を失った使用人たち、それぞれがいずれも勝者たりえないことを暗に示し、いくつか涙をさそうシーンを配して幕を閉じる。つまり、三谷版『桜の園』は、結局のところ、従来の哀感漂う『桜の園』のバリエーションに過ぎないのだった。

 ともかく『桜の園』という作品は、脚本(ほん)があまりによくできているため、高校生が制服のまま棒読みで演じてもそれなりの感銘が残ってしまうようなところがある。一筋縄でどうこうできる脚本ではないのだ。今回、セリフや展開はかなり原作に忠実だったが、たとえば昨年秋のTVドラマ『ステキな隠し撮り ~完全無欠のコンシェルジュ~』であれほど笑わせてくれた「脚本家」三谷幸喜が「喜劇」として演出するなら、オールドチェーホフファンからの酷評覚悟で翻案改編に突っ走るしかなかったのではないか。

 とはいえ、今回の『桜の園』、チェーホフの舞台としては決して悪いものではない。浅岡ルリ子によるラネーフスカヤを観られただけで価値はあった。拍手。

2012/06/20

女王様の憂鬱 『魔境の女王陛下 薬師寺涼子の怪奇事件簿』 田中芳樹 / 講談社ノベルス

Photo 前作『水妖日にご用心』が祥伝社NON NOBEL、1つ前の『霧の訪問者』は講談社ノベルス、その前の『夜光曲』は祥伝社NON NOBEL、さらにその前の『黒蜘蛛島』は光文社カッパ・ノベルス……と発行元も変化自在、ドラキュラもよけて通る「ドラよけお涼」こと薬師寺涼子の活字版は2007年以来、実に久しぶりの登場だ。

 しかし、期待が大きすぎたせいだろうか、即日読み切ったものの、どうも今一つ……いや、全然すっきりしない。

 第一に、文体がくどい。本シリーズは涼子の部下でノンキャリ警部補の泉田準一郎(三十三歳)がぼやきつつ語るのが基調なのだが、たとえば

 私の上司は、つごうにあわせてハンマー投げ競技のハンマーのごとく部下を振りまわし、遠くへ投げとばすのだが、いちいち例をあげていると『南総里見八犬伝』より長くなるからやめておく。

などという回りくどい文体は朴訥、無趣味な泉田らしくない。
 また、

 これまで自分のことしか語ってこなかったのを、私は恥じなくてはなるまい。

は泉田が語り手としての自覚をもっていることを示していて違和感がある。

 きちんと比較したわけではないが、初期の泉田の語り口と比べると、前作『水妖日にご用心』あたりから「声優が違う」「声が半オクターブ低い」印象だ。
 シリーズものを多数かかえる田中芳樹、たまにしか手掛けない薬師寺涼子シリーズで泉田の口調をほかの誰かと混同してしまったのかもしれない。

 第二に、ともかく敵が弱い。
 本シリーズでは、涼子の女王様ぶりを強調するほどに敵はヘタレにならざるを得ないのだが、今回はとくにモンスターが情けない。どのようなモンスターかはネタバレになるので書けないが──と思ったら表紙にまんま載ってますね──ともかくシャアシャアと思わせぶりに登場した割にパッとしない。さらに、珍しく底知れぬダーティな悪役を持ち出してはみたものの、なんとなく涼子と直接対決しないままに終わってしまった。
 睥睨はすれど対立はしない涼子の立ち位置からすれば、毎度敵との戦闘がスウィングしないのもやむを得ないところはあるのだが、それにしても本作では爽快感がない。ストーリーも何もかも半オクターブ低い感じだ。

 なお、215ページの上段、ここは「日下は信じがたいという目をして涼子を見た」のほうがよかったのではないか。でないと、涼子が凌駕したことにならない。

2012/06/17

這いよれ! 更年期女子さん 『みんな邪魔』 真梨幸子 / 幻冬舎文庫

Photo ゾワゾワ、ウネグネといえば、少し前イヤミスをいくつか取り上げたが、その大傑作、果物でいえば王様ドリアン!な作品の紹介が漏れていた。『孤虫症』や『ふたり狂い』、『殺人鬼フジコの衝動』の真梨幸子、『みんな邪魔』(『更年期少女』改題)だ。

 1970年代後半、日本中の少女たちが熱狂し、未完のまま打ち切られた少女漫画『青い瞳のジャンヌ』。今も続くファンクラブ、その憬れの幹事会「青い六人会」では、選ばれたメンバーが互いをエミリー、シルビア、ミレーユ、ジゼル、マルグリット、ガブリエルなどと呼び合い、取り澄ました午後を過ごす。もっとも、給仕に「パンくのくず、はらってくださるかしら?」とセレブを気取っても、その実態は噂話と醜聞に満ちた下世話で傍若無人な中年女の集まりに過ぎない。その私生活においてはさらに。
 彼女らを描く作者の筆は無遠慮で、意地汚い食事マナーとともにこまめに描かれた見栄、嫉妬、エゴ、怠惰、虚言、その他類語辞典の中項目を埋め尽くしそうな悪食なありさまが「青い六人会」での虚像と、家庭での実像に分けて交互に、克明に暴かれていく。そんな「青い六人会」のメンバーにやがて謎の失踪、殺人事件がばらばらとふりかかって。

 ナメクジやガマガエルの粘液質な不潔感とはちょっと違う、腐った肉が乾燥してぽろぽろと崩れそうな、それにうっかり手を突っ込んでしまったようなばさばさした不快感がある。そんなものをなぜ読むのかと問われたら返答に困るが、ここまで徹底されるといっそ爽快なのだ。爽快? ううん。お化け屋敷的なエンターテインメントと割り切るには生理的に不快だし、たとえばグロテスクな網を張ったザルで心身の邪なものを無理やり濾しとる試み、などと言うと大仰か。
 それにしても作家の周辺にもごく普通に知人友人親戚の付き合いがあるだろうに、「自分をモデルにしたのではないか」といった疑念で真梨幸子の周辺の空間歪んでないか大丈夫か。

 最後の章までくると本書がミステリであり、それなりに巧みな伏線と論理的な解決が用意されていたことに驚く。その伏線に気がつくと(つまり最初からぱらぱら読み返すと)また一段と顔をそむけたくなるような浅ましさだ。萎える。

 単行本時のタイトル『更年期少女』のほうが格段にインパクトが強かったのに、なぜ『みんな邪魔』なんてホヤけたものに変えてしまったのか。文庫の表紙の装丁もこの作品の魅力(か?)をおよそ伝えない。書店での平積みもヒット作『フジコ』より低い。惜しい。ともかくイヤミス度合いでは天下一品だ。お奨め。ほれほれ。

2012/06/11

這いよれ! サン子さんウミウ子さん 『海に暮らす無脊椎動物のふしぎ』 中野理枝 / ソフトバンククリエイティブ サイエンス・アイ新書

Photo 「這いよれ!」シリーズ(?)も4冊め。「ほどほど」ということを知らない烏丸である。
 それはともかく、三葉虫や毒グモ毒ヘビ、深海に生息するナマコたちはともかく、サンゴは「這いより」はしないのではないか!とご指摘の貴方。仰るとおりだ。しかし、サンゴ同様固着性と思われるホヤの中には、成体になってもゆっくりではあるが移動するものもあるのですよ、といったお話が詰まっているのがつまり本書である。

 ちょっと引っかかるのは「無脊椎動物」という括りで、これでは哺乳類や魚類などの脊椎動物ではない海の動物すべてが対象となってしまう。しかし本書では、海中でごく普通にお目かかるエビ、カニ、イカ、タコ、巻貝二枚貝などはほとんど扱われず、カイメン、ホヤ、ウミウシ、ヒトデ、ウミシダ、コケムシ、サンゴなどなど、どちらかといえばあまりその生態の詳細が知られていないややマイナーな無脊椎動物たちがいかに頑張って生きているか、いかに子孫を残そうとしているか、について一つひとつ丁寧に取り上げられている。
 対象があまりにも広いため、本のつくりとしては若干慌ただしい。同じ生きものが何度も登場したり、大物が前菜扱いですぐ消えたりする。ウネウネ、グネグネした生きものの写真はいずれもカラフルで美しいが、もう少し大きくてもいい。それぞれの生きものの大きさが(本文やキャプションに明記してあるものを除き)はっきりしない。同じウネグネでも、数cmでそれか、数十cmでそれかは、読み手の印象が激しく違うのではないか。情報を詰め込むためか、写真キャプションもフォントが小さく読みづらい。

 いろいろ面白い話はあるが、インパクトのあった部分を2か所ばかりピックアップ。

 スナギンチャク類の中には体壁に年輪をつくる種がある。その年輪から年齢を計測したところ、2,742歳のスナギンチャクが見つかった、という報告がある。

  2,742歳! なお、このスナギンチャクの仲間のイワスナギンチャクはパトリキシンという猛毒を持ち、同じサイエンス・アイ新書の『猛毒動物 最恐50 コブラやタランチュラより強い 究極の毒を持つ生きものは?』で堂々最恐第1位を獲得している。

 もう1か所。

 転石下などにつくカイメンは比較的毒が弱いので魚に食べられやすいといえる。カイメンだけでなくコケムシや他の固着動物、さらには隠れていたゴカイやクモヒトデなども、ベラなどの魚にあっという間に食われてしまう。

  なるほど、海中の石を安易にひっくり返すことは、石の裏でミツミツと生活する小さな動物たちにとっては文字通り天地もひっくり返るような天災なのか。

2012/06/03

這いよれ! ナマ子さん 『深海生物の謎 彼らはいかにして闇の世界で生きることを決めたのか』 北村雄一 / ソフトバンククリエイティブ サイエンス・アイ新書

Photo 『ぞわぞわ』以来はまっているサイエンス・アイ新書から、もう1冊。今度は深海本だー(わくわく)。

 本書は、200ページあまりの半分を、奇妙で淑やかな深海の生きものたちの写真で埋め尽くした深海本の一冊。ただし、深海魚や無脊椎動物の総覧、図鑑的なものを期待するならあてがはずれる。また、サブタイトルの「いかにして闇の世界で生きることを決めたのか」にしても、残念ながら深海生物を見ることに徹した本書の内容に即してはいない。

 「見る」、つまり、深海本としての本書の特徴は、言ってみれば“ライブ感”、だろうか。三浦半島の海岸の地層に残された深海生物の痕跡ウォッチングから、初島沖の深海底総合観測ステーション、鳩間海丘の熱湯噴出口、海底のクジラの死体(すさまじい匂いらしい)、アユトラフ、相模トラフ、マリアナ海溝──と深海の写真やビデオキャプチャを追いがら深海生物の生態をながめていくのだが、著者は「しんかい」や「かいこう」といった調査船に乗り込んで実際に深海に潜るわけではない。写真も、大半が海洋研究開発機構や新江ノ島水族館の協力で得られたものだ。その写真は生物の全身が写っていなかったり、その姿がはっきりしないものも少なくないが、その分、奇妙で豊かなリアリティにあふれる。

 後半は、ナマコの生態に関する話題が続く。深海でカメラを向けるとナマコがふんだんに目に入るためか。ふよふよと泳ぐ薄赤いナマコ、調査船のカメラに(本人?のつもりでは)ダッシュで逃げる白いナマコ。写真から知れるその姿は透明で、どこに筋肉や神経があるのかわからない。研究のために捕獲しても崩れてしまい、種の確定すら難しいらしい。
 海底に木の枝と葉っぱのような不思議な痕跡が、という写真があって、その生物の正体はわかっていない、などという話題もライブ感にあふれていて楽しい。

 本書に登場するふよふよした深海生物たちは、本来、動画で見るのが望ましいのかもしれない。DVD付録付きのデラックスバージョンなんてどうだろう。ねえ益田編集長。

« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »