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2012年4月の7件の記事

2012/04/30

煮ても焼いても食べる 『リアル猟師奮闘記 山賊ダイアリー(1)』 岡本健太郎 / 講談社イブニングKC

Photo イブニングから、もう1つ動物マンガ(、かな?)。

 巻頭でいきなり

   シカやウサギの糞は
   新しいものなら食べられます

とウサギの糞を口にしてみせる長髪の主人公は、現役の猟師。作者(漫画家)は東京から郷里岡山の山奥に戻り、猟師になったのだ。

 連載の1回目で作者は野ウサギを撃ち、放血し、唐揚げにして食べる。
 ハト、マガモ、シカ、イノシシ。マムシ、カラスまでさばいて食べる。
 「いただきます」「ほほーっ」「香ばしくてうまい!!」「うおおおおう……!! こりゃ美味い!!」「たまらんな……」、食べる。食べる。
 獲物を調理するための下処理は、鳥なら羽根むしりから内臓抜きまで、すべて自身で行う。残った肉は冷凍庫に保存する。

 銃の種類(シャープ・チバ製マルチポンプ式単発空気銃「エース・ハンター」)、距離(歩幅で計算する)、スコープの調整、獲物の種類・習性、複雑な罠の仕組み、などなど、猟師の行動は──考えてみれば当然だが──徹底的に経験則と計算に基づく。つまりはとことん理詰めなのだ。
 本作が一見シンプルに見えながら再読に耐えるのは、その確かな論理性による。科学の子必読である。

2012/04/25

楽しいドヤ顔犬トーク 『いとしのムーコ(1)』 みずしな孝之 / 講談社イブニングKC

Photo 久しく猫マンガに押されっぱなしの犬マンガだが、これは宇宙の渚を突き抜ける一瞬のスプライト。しっぽ追いかけてぐるぐる待ちに待った単行本第1巻、かっこいいぞムーコ(ただしメス)。

 山の中の工房で吹きガラスの制作にいそしむこまつさん!! とその愛犬ムーコ!! の、働いて食べて走って遊んでの日々、それだけといえばそれだけの内容なのだが、

   ま、ムーコのほうが
   おはな
   キラッキラの
   つやっつや
   ですけど
   ね!

のムーコのひっきりなし犬トークがもうたまらない。おそらく表紙キャプチャではその魅力はまったく伝わらないので、どこかでこっそり一話分でもご覧ください。もし誰かに知られても

   ちっ! ちがいます
   こまつさん!!
   こっ
   こっ
   これには
   ふかい
   わけが────!!

とムーコトークでごまかしましょう。

 みずしま孝之は野球モノ、アナウンサーモノなど折々に読んではきたのだが、今ひとつこの作者ならではの「はしゃぎっぷり」に息を合わせることができなかった。今回は連載1回めからジャストミート。
 なのでイチオシです。はい? まるで書評になってない?

   わあっ!!
   なんか
   ごめん
   なさい!!

2012/04/20

大人専用ライトノベル 『張り込み姫 君たちに明日はない3』 垣根涼介 / 新潮文庫

Photo 作者が主人公、村上真介を放り込んだ箱が面白い。
 企業の人員整理、つまりはクビ切りを専門に請け負うコンサル会社のエース社員として、さまざまな企業に乗り込み、整理対象社員の一人ひとりと面談していくという役柄なのである。依願退職を勧められたベテラン社員に怒鳴られたり、お茶をぶっかけられたり、くらいは日常茶飯事。道を歩いていていきなり殴られることもある。

 作者の取材は手堅く、いろいろな業種、職種の厳しさ、悩み事、裏や表が折々に生々しく描かれる。それだけでもそこそこ興味深く読めて、そこに少し不思議なところのある整理対象社員が現れ、面談を重ねるうちにその企業の黒さ白さ、整理対象社員の人となりが見えてくる。

 愉快な話とは言いがたいのに、それでも読後感が爽快なのは、その企業に必要なリストラクチャ(再構築)の意味を問い、個々の従業員の雇用の意味を確認していく工程が、やがてその企業のみならず(主人公をも含む)各個人の人生のリストラクチャのきっかけ、つまり人生の見直し、洗い直しにつながるためだ。面談に招かれた各話の登場人物は、最終的にその企業を辞めてしまうこともあれば、辞めずに踏ん張るケースもある。いずれ無傷ではすまないが、それでも彼らはブラッシュアップされ、新たな人生に向けて胸を張る。

 いくらでも重く書けたであろうこのシリーズに、能天気で行動的な真介を配したのがいい。その周辺に、真介同様楽天的だが年長ゆえに若干は思慮深い恋人陽子、少し得体の知れないリストラ請け負い会社社長(NHKでドラマ化された際は堺正章が好演、というか怪演)など適度に色濃い脇役をかため、ここまでシリーズ3冊、いずれも読み始めると寝食を忘れる。

 ネットの感想欄など見ると、本シリーズ、実は垣根涼介ファンからは必ずしも好評とは言いがたい。『ワイルド・ソウル』『ヒートアイランド』などの代表作に比べ、うねるような展開やスピード感に欠ける、主人公に魅力がない、などなど。それは当然だろう。大金を狙うギャング団との抗争や世界をまたにかけた冒険に比べれば、しょせん景気の悪い一企業の狭苦しい会議室で「今なら退職金が優遇されますよ」とか、そのような話である。企業を舞台にしたライトノベル短編集と割り切ってさらさら読み流すとよいだろう。
 だが、ライトとはいえ本シリーズはあくまで大人向け。思いがけない展開や働くことについての含蓄にときどき「おっ」と声が出る、ちょっとだけ目がうるむ、それはそれで一興。

2012/04/09

萩尾望都をめぐる雑感

☆彡 萩尾望都はかつて誰よりも熱心にその作品を隅々まで読み返した作家の一人なのだが、あの時代の少女マンガについてはあまりにも個人的思い入れが深すぎてうまく書くことができない。

☆彡 ただその頃、熱心なファンの一人として「かわいそうなママ」や「小夜の縫うゆかた」や「10月の少女たち」や「秋の旅」や「あそび玉」や「ドアの中のわたしのむすこ」、そしてその後の一連の「ポーの一族」シリーズや「トーマの心臓」や「百億の昼と千億の昼」を、いずれも掲載雑誌から切り抜いて集めては、金魚鉢の中で飽かず口をパクつかせる出目金のようにひたすら繰り返し読み明かした日々を思い起こすばかりだ。

☆彡 「すきとおった銀の髪」「ポーの村」とバンパネラについての叙情的作品を描きついでいた萩尾望都が叙事的文体を手に入れたのが「グレン・スミスの日記」だった、ように思う。たった16ページとは思えない、大河ドラマ並みの骨太ストーリー、人の十年を一コマで描く雄弁な線。

☆彡 「グレン・スミスの日記」に比べれば、後日評価の高まった「トーマの心臓」は叙情的絵柄で、おまけに必要以上に長尺だったため(さらに線が不安定で)、むしろ退行に思えたものだ。

☆彡 「ドアの中のわたしのむすこ」は近未来のミュータントが混在する世界を描く短編SFファンタジー。短いが、作品としての重要度はのちの「銀の三角」などより上かもしれない。ミュージカルなストーリー、セリフ、テンポ、いずれも素晴らしいが、各コマにおける各キャラの目線の描き分けがすごい。カラフルな目線。目線の輪舞。
(登場人物の目線をレーザー光線のようにラインマーカーで塗り分けてみるとおわかりいただけるだろう)

☆彡 ところで、夢野久作に、ハウプトマンの「沈鐘」を翻案したと思われる「ルルとミミ」という絵本がある。萩尾望都のデビュー短編と同じタイトルだ。萩尾望都の評伝等で扱われたのを見たことはないのだが、夢野と同県出身の萩尾望都は、この絵本を読んだことがあったのかもしれない。

☆彡 「ルルとミミ」というタイトルだけでなく、すきとおった水の底を冷たくなった少女が流れていくさまは、萩尾望都ののちの(絵本的な短編)「みつくにの娘」を思わせる。

☆彡 また、夢野の「ルルとミミ」の最後の1行「――可哀そうなルルとミミ……。」が、やがて「かわいそうなママ」というタイトルに遷移した、と想像してみるのも悪くない。

☆彡 「雪の子」や「かわいそうなママ」は、一条ゆかりはじめ、掲載の数ヶ月後の少女誌に明らかにその影響を受けたコマやセリフが頻発した傑作。後者に描かれた階段の曲線は、平面に描かれた音楽、ヴァイオリンの旋律だった。

☆彡 シーンのパクリといえば、「秋の旅」の、バラの棘が少女の指にささって、のシーンも、その3、4ヶ月後、各少女誌にそっくりなシーンがあいついで掲載されたものだ。

☆彡 萩尾望都の描く男性はなぜか皆落ち着きがない(か周囲の状況や他人の感情にひどく鈍感か、どちらか)。慌ただしい人物は物語を動かす燐寸にもなるが、ときにはうとましい。「バルバラ異界」など、もう少し主人公が沈思黙考する場面があってもよかった。「左ききのイザン」に登場する男性は二人しかいないのに、二人とも気が短いことでは同様だ。

☆彡 「11人いる!」とその続編も、登場人物全員がバタバタしていて苦手だ。同じSFでも「あそび玉」や「6月の声」のように事態が明らかになればなるほど登場人物が冷静になっていく作品のほうが好もしい。

☆彡 とはいえ、作者のコメディが楽しくない、というわけではない。「3月ウサギが集団で」や「キャベツ畑の遺産相続人」は同じドタバタでも楽しくてしょうがない。

☆彡 COMに掲載された「ポーチで少女が小犬と」と「10月の少女たち」は岡田史子のいくつかの作品と同様、リアルタイムに読むことができた。相当幸福な経験といってよいと思う。

2012/04/07

装飾過多、科学性希薄な話題作 『なのはな』 萩尾望都 / 小学館

Photo 新聞や雑誌書評欄では「あの萩尾望都が原発事故にペンをとった!」と一種事件扱いである。まあこれだけ世間が評価しているなら、ネットの片隅で一人くらいネガティブなことを書いても大勢に影響はないだろう。

 ──と、煙幕を張っておいて、本題に入る(もくもく)。

 事件扱いするほどのものではない。

 巻頭の「なのはな」は、津波で祖母を亡くし、原発事故で家に住めなくなった福島の少女を幻想的に描いた作品。がちがちに悲惨な話のはずが、祖母の死も放射能汚染も昔日のキレイな思い出のようだ。
 巻末の「なのはな ─幻想『銀河鉄道の夜』」はその続編。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」と「ひかりの素足」に想を得ているが、その2作はいわゆる「夢落ち」でありながら、夢から醒めたときにそれまでの幻想的情景がオセロのようにすべてつべたく重い現実に塗り替えられてしまうという、怖い話である(賢治畏るべし)。それに対し、本作では、ファンタジーのくるみワタが現実の厳しさをぼやかしたまま終わってしまう。
 十年後、子供たちにこの2作を読ませて、福島の痛みがわかってもらえるだろうか?

 「プルート夫人」「雨の夜 ─ウラノス伯爵─」「サロメ20××」の3作は、何を今さらの古めかしい原発反対アジテーション。福島第一原発事故とはあまり関係がない。
 この3作では、擬人化されたプルトニウムやウランが、一方でちやほやもてはやされ、一方で世界の汚染源と責めたてられる。その責め口上はあきれるほどステレオタイプで、要するにウランもプルトニウムも半減期が長い、そう繰り返されるばかり。それは原発反対運動で何十年も前から繰り返し主張されてきたことだし、しかも3作とも「ちやほや」&「責め」で1セット、構成にほとんど変わりがない。
 ところで、(当たり前だが)ただの元素に過ぎないプルトニウムやウランそのものに罪や責任があるわけではない。「夫人」、「伯爵」、「サロメ」と一見意味ありげな配役に目がくらんだか、新聞や書評欄はヨイショ記事を重ねているが、本来の主人公たる人間に目をやったとき、この虚飾ばかりの3作にいかなる寓意、批評があるというのか。

 そもそも、「寓話」の体裁をとっているとはいえ、外部電源喪失も炉心溶融も水素爆発もヨウ素もセシウム除染も注水も避難地域も内部被曝も東電も何一つ描かれないこれら3作には、福島原発事故の巨大な四角い影がまったく感じられない。作者はいったい原発事故報道の何を見てこの3作を思い描いたのだろう。もし今回の原発事故にショックを受けた結果たどりついたのがこの3作だと言うなら、その意識構造は少々不思議だ。不自然、と言ってもよい。山岸凉子の反原発マンガ『パエトーン』(1988年)に対抗して用意していた原発ネタを今になってお蔵出ししてきたのか……とまで言っては邪推が過ぎる、か。

 ちなみに、しりあがり寿の『あの日からのマンガ』には、やはりヨウ素やセシウム、プルトニウムを擬人化した「希望」というトンデモナクつべたい作品が収録されている。
 「寓話」とは、その「希望」のような水準のものを言う。

2012/04/03

ルポを標榜するのは… 『僕と日本が震えた日』 鈴木みそ / 徳間書店 リュウコミックス

Photo 評価は ★★☆☆☆。
 いや、それほど悪い本ではないのだが、『あの日からのマンガ』や『1年後の3.11』と並べられてしまったのが運の尽き。
 とはいえ、3.11当日に都内にいた作者が「震えた」と言ってもどうしたって切実さに欠ける。六本木やディズニーシーから帰れなかった家族のトラブルから描き起こされてもつい「そのくらいで騒ぐな」と苛立ってしまうし、続いての章が出版業界の紙不足の話題なのも近場で済ませた印象を否めない。また、作者本人の東北取材訪問が11月下旬というのも「東日本大震災 ルポルタージュコミック」を謳う作品としてはどうなのか。

 つまり、「自身の震災体験」「等身大の被災」などと当事者ぶるから違和感があるのであって、結局外に出て日常から乖離するのなら、最初から専門家探訪の学習マンガに徹すればよかったのだ。
 そうして見ると、ガイガーカウンターの使い方や食品の線量の計測法はすっきりわかりやすくてよかった。

 その他の章も、鈴木みそのクリアなペンタッチ、コマ運びをもってすれば、もっといくらでも鋭いものになり得たはず。つまるところ徳間のコーディネートの甘さを責めるべきか。

2012/04/01

至福の夢、両手一杯の花束 『大島弓子全作品BOX 白・綿の国箱/緑・ミモザ箱』 グーグープロジェクト編 / 小学館プロダクション

 今朝、宅配便が大きな荷物を届けてきた。抽選に当選し、(ちょっとした覚悟の上)申込ボタンをクリックしたのは確か3年ほど前のことだったか。今日、ようやく──とうとう、届いたのだ。

 大島弓子のこれまでの作品をすべて網羅したBOXセットである。集英社、小学館ほか各出版社協力のもと、大島弓子の熱烈なファンを自負する作家、アーティスト、編集者らが「グーグープロジェクト」を組織、制作・販売は小学館プロダクションがあたった。限定300セット、価格は税込みで525,000円! 稀覯本なら知らず、およそ新刊のコミック全集にふさわしい価格とは言い難いが、以下に紹介する内容を知れば決して無茶な値段でないことはご理解いただけるのではないだろうか。

 『大島弓子全作品BOX』は一抱えではおさまらない大きな段ボールの箱2つからなるセットとなっている。
 まず「白・綿の国箱」と刻印された白い箱を開けてみよう。
 こちらには、デビュー作「ポーラの涙」から最近のサバ、グーグーシリーズにいたるまで、大島弓子の全作品が、すべて発表された雑誌サイズで収められている。当時の週刊誌、月刊誌の欄外のキャッチや次号予告まですべて再現されているが(白、ピンクといった紙の色、インクの色まで掲載当時のままらしい)、もちろん冊子からの起こしではなく、できる限り原画を版下とし、かつデジタル処理がなされているとのこと。描線は非常に美しく、大島作品ならではのたどたどしくも揺れる心理を再現している。
 個人的には、1972年に週刊マーガレットに発表されたのち、なぜか一度も単行本に収録されなかった「さくらさくら」との再会が嬉しい。実はこの作品、一時は雑誌からの切り抜きを手にしていたのだが、何の気なしに親しい友人に渡してそれっきりになってしまっていたのだ。……
 その他、マンガ文庫にしか収録されず、大きな版型での再発が望まれていた作品も少なくない。
 この「白・綿の国箱」には、作品ごと180冊あまりの小冊子が収められていることになるが、各作品には専用バインダーが用意されている(たとえば「綿の国星」の22作品は表紙付き専用バインダー4冊に綴じるようになっている)。

 さて、問題はもう一方、「緑・ミモザ箱」のほうだ。
 こちらには、大小の冊子、20冊が収められている。この20冊を限定300セット印刷、製本するためにどれほどの手間と費用がかかったのか、全く見当もつかない。
 1冊、手に取ってみよう。昔の新潮社の純文学書き下ろしシリーズふう厚紙の箱に入ったハードカバーだ。深緑の布地の装丁に銀の字でバイロンの詩句よりとった『もう思い起こすな』の表題。おわかりいただけるだろうか。あの、大島弓子1972年の作品「雨の音が聞こえる」で、主人公早咲秋子の父親が芥木賞を受賞した、あの作品なのだ! 『もう思い起こすな』の脇には、同じく早咲名義の少し小ぶりな随筆集『今は酒がまわってますので』がある。この2冊はグーグープロジェクト主要メンバーの編集者が、純文学の重鎮に大島弓子の作品を無理やり読ませ、匿名(大島作品内での名義)での発表を了解させたものなのだ!
 一方、赤い花とティーカップの小洒落た写真をあしらったエッセイ集『午後のローズティー』の著者は山上愛。大島弓子初期の傑作「鳥のように」の主人公だが、このエッセイ集にいたっては作中に主人公のエピローグのつぶやきに「今はものかき」とある、ただそれだけをヒントに、と、あの賞と映画化で知られる女流作家に依頼がなされたとのこと。本人はノリノリで書いたと漏れ聞くが、仕上がりはいかがなものか。
 次の1冊、『野いちごの国境』。一見乙女チックなタイトルながら内容は北欧、ラップランドの政治や経済、歴史、文化の硬派なルポルタージュ。著者は生田林太郎とあり、一瞬誰のことかと思ったが、そうか「いちご物語」のりんたろーっではないか。なるほど、文学ではなくその方面に進んだのか。
 マンガもある。「さようなら女達」で主人公館林毬が一夜のアシスタントを務めたあの作品である。作者がどんな修羅場でも「ベタにむらをなくすこと」を主張するだけある、きりっとした作風だ(もちろん、隅田名義にはなっているが、ページを開けばあの著名女流作家の仕事であることはすぐわかる)。ただ、同じマンガ作品を入れるなら、毬本人が懸賞に応募し、人の心を読めないことから最後の1ページを失敗してしまったという、そちらの作品もぜひ読んでみたかった……。
 続くユーモア小説は、ご存知「綿の国星」で須和野父が
   ドアか?
   ドアだ…!!
   開くか? 開く!
   開く!
   開くぞ!!
   開いたぁっ

とあちらの世界に行ってしまって書いた、あの超有名作だ。ぱらぱらめくった限りでは、最近亡くなったとある大物作家の手によるものかとも思われるが、どうだろう。
 このユーモア小説に加え、チビ猫の挙動について賭けをして須和野一家が危うく立ち退くことになりかけた、あのハードボイルド作家の手になる作品まで入っているのもご愛嬌。表紙の写真はもちろんペルシャの砂漠だ。

 その他、オリジナル作品だけでなく、大島弓子作品で引用されて印象深い作品のいくつかが、抄とはいえ大島弓子のカットをふんだんに用いた冊子になって収められているのも嬉しい。「ジョカへ…」のファウスト、「星に行く汽車」などのスティーブンソン詩集、「野イバラ荘園」の与謝野晶子詩集、ツルゲーネフの「初恋」やドストエスフキー「罪と罰」などなどなど。

 どうだろう、これで50万なら、決して高いとは言えないように思うのだが。

 大島弓子の作品は最近も選集としてときどき再発行されているようだが、その対象は主に「綿の国星」の映画化で有名になって以降の作品だ。しかし、大島弓子の描く人物が最も自由にページの中を走り回り、読み手を揺さぶったのは1972年から1974年にかけての3年間ではなかったか。もっと気楽に当時の傑作が読めるようになってくれるとよいのだが。……

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