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2011/07/25

日常に偏在するモノ 『運命の鳥』 高橋留美子 / 小学館

Photo それに比べると、と比較するようなものでもないが、高橋留美子はさすがだ。

 少年サンデーの長期連載、『らんま1/2』、『犬夜叉』、『境界のRINNE』は、よくも悪しくも少年マンガの枠を決して踏み外さず、一定の水準を保ってマスの読者を楽しませてきた。そのスタイル、スタンス、ストラテジーについて「もはやマンネリ」と野次るのはたやすいが、「そのくらいわかってやってるわよ」と言わんばかりに作者の底堅い力量をみせつけるのが青年誌における短編読み切りである。

 『Pの悲劇』、『専務の犬』、『赤い花束』、そして新刊の『運命の鳥』。これら「高橋留美子劇場」と副題された作品集には、少年マンガとは異なる対象に向けた作品が並んでいる。ストーリーの素材は嫁・姑問題であったり、夫婦の倦怠であったり、サラリーマンの上司への気遣いであったり。それら生活のテーブルの上で、主人公は思い込みや勘違いに踊らされ、振り回され、いずれも最後はほろ苦い日常への回帰で終わる。中年サンデー、老年マガジンがあるならスタンダードとなるだろう味わいである。

 不思議なのは、これらの作品には、いずれも「わけしり」でなくては描けない細かなリアリティが満ち満ちていることだ。1970年代後半の『うる星やつら』以来、ずっとマンガ界の一線級に立ち続ける高橋留美子が、うだつの上がらないサラリーマンの私生活を斟酌しうるとはちょっと思えないのだが──。
 もう一点、不思議なのは、これら、最後に予測を微妙にずらして読み手をうろたえさせる短編群において、作者は(たとえば初期の「笑う標的」や「炎トリッパー」のように)さらに鮮烈な作品にしようと思えば容易にできたかもしれないのを、意図的に6~7割程度のところで仕上げているようにも見うけられることだ。とはいえ、手を抜いているという印象はない。作者の少年マンガ作品がそうであるように、ターゲットに向けて正しく手際よく作品が製造、提供されている、ということなのだろう。

 そうこう考えてみると、やがてうすら寒い。高橋留美子がさらに怖い、凄まじい話を描こうとするときはいつか訪れるのか。そのとき、対象とされる読み手はいったい誰なのか。

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