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2011年6月の5件の記事

2011/06/27

『九月が永遠に続けば』『彼女がその名を知らない鳥たち』 沼田まほかる / 新潮文庫、幻冬舎文庫

Photo_2【本書にはところどころ、正視に耐えないようなシーンが出てくるのだが……(『九月が永遠に続けば』の文庫解説より)】

 そもそもは、週刊誌で、この奇妙な名前の作家の新作『ユリゴコロ』を紹介した書評を読んだのがとっかかりだ。
 誰が書いたのかは忘れてしまったが、少しばかりヘンテコリンな書評で、当の『ユリゴコロ』より、同じ作者の2作めにあたる『彼女がその名を知らない鳥たち』をベタぼめして終わっているのである。
 そのときは「ちょっと面白そう。そのうち読んでみるか」程度で素通りしていたのだが、それからしばらくし、書店店頭で『ユリゴコロ』の単行本を見て、その青く淡くエロティックな装丁と、「私は人を殺すときだけ、世界とつながれるのです。」という帯の惹句に魅かれ、ついその場で購入してしまった。
 そうなると、書評家がほめていた『彼女がその名を……』も気になって、文庫を求めると、その解説には「二十歳で結婚し、三十四歳で離婚し出家し僧侶となり、四十四歳で友人と設立した会社が五十五歳で倒産したため、小説を書き始めた」などということが書いてある。その後、五十六歳のときに『九月が永遠に続けば』が第五回ホラーサスペンス大賞を受賞、デビューにいたったのだという。

 本来、作者がいかなる境遇にあろうが、いかなる過去をもとうが、作品の価値に影響を及ぼすものではない、評価に影響を及ぼすべきではない。……と、頭でわかっていても、これだけ並ぶと「作品も面白いのではないか」と思ってしまうのは人のサガというもの。「作品を読む前から圧倒されてしまうのは、ジェイムズ・ティプトリー・Jr.以来かも……」とかぼやきながら、とりあえずデビュー作『九月が永遠に続けば』、2作め『彼女がその名を知らない鳥たち』を続けて読んでみた。

 ──なるほど、これは面白い。
 読み始めると、ページを繰る手が止まらない。ジャンル分けすればサイコサスペンスということになるだろうし、ミステリとしての決着についてみればいずれもそう目新しいものではないのだが、ともかく主人公の女性の「不安」が延々ととぐろを巻いてうねりにうねるところが読ませる。引きずりまわされる、と言ってもよいかもしれない。

Photo_3 ストーリーについては、文庫のカバーの内容紹介を引き写させていただくことにしよう。

『九月が永遠に続けば』
高校生の一人息子の失踪にはじまり、佐知子の周囲で次々と不幸が起こる。愛人の事故死、別れた夫・雄一郎の娘の自殺。息子の行方を必死に探すうちに見え隠れしてきた、雄一郎とその後妻の忌まわしい過去が、佐知子の恐怖を増幅する。

『彼女がその名を知らない鳥たち』
八年前に別れた黒崎を忘れられない十和子は、淋しさから十五歳上の男・陣治と暮らし始める。下品で、貧相で、地位もお金もない陣治。彼を激しく嫌悪しながらも離れられない十和子。そんな二人の暮らしを刑事の訪問が脅かす。「黒崎が行方不明だ」と知らされた十和子は、陣治が黒崎を殺したのではないかと疑い始めるが…。

 不思議なことに、いずれの作品も、実際に読んでみるとこの内容紹介とかなり異なる感じがする。はっきり間違っているわけではないのだが、バランスが違うのだ。前者では、主人公は息子の失踪にしか意識がなく、ほかのことなどことごとく息子が戻ってこないことへの「邪魔立て」に過ぎない。事件の因果関係もこの内容紹介では誤解を招きそうだ。
 後者にいたっては、どうバランスが違うかを説明するのさえ難しい。刑事の訪問など、主人公のさまざまな揺れや苛立ちの中では些事に過ぎない……。

 2作を比較するなら、『彼女がその名を……』の最後の展開に納得できないこともあり(○○に△△させる必然性はあっただろうか)、息子の失踪という一点にしぼってぐいぐいねちねちと読み手の首根っこを揺らし続ける『九月……』の息が詰まるような読み応えを評価したい。ただ、あまりに怪しい人物や事件が相次ぐため、最後の決着がワンオブゼムに見えてしまうというきらいがあるのが残念といえば残念。また、これだけ凄まじい展開を示しながら、(たとえばスヴィドリガイロフのような)「怪物」的人物が登場しないのが逆にぽっかり空疎で不思議な気もする。
 『彼女がその名を……』のほうには、やや「怪物」的な人物も現れるが、作品の主題はやはりそこにはない。作者の主眼は、あくまで主人公の女性の不安の側であって、その不安を引き起こす原因の側ではない、ということだろうか。

2011/06/20

ヴァザーリによれば…… 『芸術家列伝1 ジョット、マザッチョ ほか』 ジョルジョ・ヴァザーリ 著、平川祐弘・小谷年司 訳 / 白水Uブックス

Photo【彼が例の癖で女にあまりしつこく言いよったために】

   ヴァザーリによると
   ヴァザーリはこう書いています
   ヴァザーリの列伝によれば
   列伝の中でヴァザーリは

 イタリア・ルネッサンス期の芸術家や作品を扱った画集で、作品論で、テレビの美術番組で、このような言葉遣いにいったい何度出逢ってきたことだろう。
 ジョルジョ・ヴァザーリ。レオナルドやミケランジェロらより少し遅れて登場し、自身、画家、建築家として活躍したが、画家としては超一流とは言い難く(個人的には豪華王ロレンツォ・デ・メディチを描いたこの絵が好きだ)、現在ではイタリア・ルネッサンス期の芸術家百数十人についてその作品と人となりを紹介した『画家・彫刻家・建築家列伝』(いわゆる『列伝』)の著者としてより知られている。

 『列伝』は従来白水社から発売されてはいたが、3巻各8,000円前後と軽々しく手の出せるものではなかった。この夏はそれがUブックスの新書サイズで3巻本として発売されるとのこと。嬉しい。さっそく第1巻を買い求めてきた。

 まだパラパラとアットランダムにめくっている程度だが、あの哀しいウッチェルロの項には、もう寝るようにと声をかけた妻に、ウッチェルロが
 「ああ、この遠近法(プロスペッティーヴァ)というのは可愛いやつでなあ」
と答えたという逸話が載っている。本当に載っているのだ!

 まあ、上の逸話も本当かどうかはわからない。『列伝』には勘違いによる誤りや日時を特定していない記述が多く、他より剽窃した逸話やいかにもの作り話も少なくないという。それでも、たとえば彼がコレクトしたチマブーエの赤鉛筆描きのデッサンについて記された次のような一節、

 今見ると、稚拙以外のなにものでもないという気がしないでもないが、素描(デッサン)という芸術に彼の作品がいかに貢献したかは一目瞭然である。

や、ジョットの実物写生についての

 たちまち師の作風を覚え、師に匹敵する力量を示したが、単にそれだけでなく、自然をよく模倣しようとつとめたから、あの不恰好なビザンチンの様式の束縛からも完全に脱却することができたのである。

といった一節など、断ち切った物言いがちょっとたまらない。500年も昔に生きたヴァザーリが、一種の「ジャーナリスト魂」を持ってことにあたったのは間違いない。よしんば先走りやつんのめりがあったとしても、彼なくしてはイタリア・ルネッサンスは伝わらなかったのかもしれないのだ。

 なお、2巻、3巻は7月には発売される由。胸躍る。

2011/06/13

夜の海に光る 『虫と歌』 市川春子 / 講談社アフタヌーンKC

Photo【ヒナ流れ星でした】

 目先のわかりやすさなど知ったことかのアフタヌーン作品群、その中でもかなり読み手の読解力を要求する作品集である。SFや幻想小説をある程度読みこなすだけの素養がないと、両目がハテナマークになって最後まで読み通すのもつらいかもしれない。
 それでも、収録4作品中、「星の恋人」や「虫と歌」は、どこからこういう特異な世界観が湧いて出たのか見当もつかないまでも、まだ、誰が主人公で何が切ないかくらいはわかる。しかし、「ヴァイオライト」にいたってはもはやストーリー展開そのものが理解できない。

 というわけで、ほかは無理なら無理でしょうがないので、残る「日下兄弟」、60ページ程度の短編なのだが、これだけは機会があれば、もとい機会を設けてぜひとも読んでいただきたい。

 心に折れかかった枝をかかえたまま投手を続けて肩を痛めた高校生と、カタカタした奇妙な形の異星人との出会い、生活、そして別れ。ストーリーは一本道だし、他の作品に比べれば解読困難なコマは少ない。とはいえ、その異星人ヒナ(が小さな妹に見えてくる摩訶不思議)の挙動、野球部員たちのすべりまくる会話などなど、あらゆるコマがさりげなくも超絶的で椅子の横にひざまずいて帽子をとってヘソを噛みたくなって、そんなこんなで首を傾げつつさざ波に翻弄されているうちに152ページから153ページの見開きに絶句してしまう。泣いてしまう。

 これはもう、作者の勝ちです。

2011/06/12

実は知的パズル? 『カレチ』(現在2巻まで) 池田邦彦 / 講談社モーニングKC

Photo 【まちがってもいい! 車掌弁は迷わず引け!!】

 昭和40年代後半の国鉄、長距離列車を舞台とした、新米「カレチ」荻野憲二の奮闘と成長を描いた作品。「カレチ」とは、長距離列車に乗務する客扱専務車掌を指す、国鉄内部の呼称とのこと。

 「モーニング」に不定期に掲載されてきた読み切り連作(2011年1号からは月1連載)で、当初からパラパラ目を通してはいたのだが、もともと鉄道趣味がないのと(ミステリでも鉄道を扱ったアリバイ崩しは苦手)、それ以上に絵柄がいかにも人情噺ふう、当節の言葉でいえば「クサ」そうだったため、あまり注目していなかった。

 しかし、何作か読むうちに、どうもこれは単なる「お涙頂戴」じゃないのではないかと思えてくる。
 たとえば第1話、主人公は、母親が危篤でと涙ぐむ女性乗客を救うため、厳罰覚悟で規則を破る。この展開は、ただ情に流された主人公が情に敏い第三者に救われたという、とことん人情にまつわる話、と読めてもしかたがない。しかし、この第1話にして、すでに、ある特定の命題に対し、限られた時間内(次の駅まで、など)に、乗客のためにベストを尽くそうという思いと、それを阻む規則や上官の命令という矛盾する条件にいかに正解を導くか、主人公が迷い、判断を下す(ときとして無鉄砲な選択をする)という構図はすでにでき上がっている。
 ミステリに「フーダニット」(誰が犯人か)、「ハウダニット」(どのように行ったか)、「ホワイダニット」(なぜ行ったか)の三要素があるように、『カレチ』では、事件とそれにかかわるルール、問題点まで示した上で、「どうすべきか」の回答が求められる。そういった構造が毎話きっちり守られているのだ。
 もちろん、犯人当てのように明確な白黒がつかないケースも少なくない。荻野の判断は正しかったのか。本当はどうすればよかったのか。それはそれで読後に余韻を残すのだが、それは単なるお涙頂戴の余韻とは異なる、一種知的な快感である。

 ちなみに、昭和40年代後半(1970年代前半)というのは、国鉄労組による順法闘争(スト権スト)が頻発し、その都度ダイヤが乱れ、利用者の「国鉄離れ」が進んだ時期でもあった。
 『カレチ』は古きよき時代の鉄道マンを描いてノスタルジーを感じさせるが、当時の現場はすでにそのような人情だけで通るものではなかったはずだ。今後、『カレチ』がそこまで踏み込むのか、それとも一種のファンタジーで終わるのか。願わくば……いや、正解は、わからない。

2011/06/06

年棒1800万ってのは全然ダメなんです! 『グラゼニ(1)』 原作 森高夕次、漫画 アダチケイジ / 講談社モーニングKC

Photo【てめーら……… これでまたしばらくは試合に出られるなァ──!】

 この半年あまり不定期に掲載され、野球マンガ好きにほろ苦い笑いを提供していた『グラゼニ』、満を持しての単行本化である。いきなり朝日の書評に取り上げられるなど、幸先は悪くない。スミ1で終わらせるなよ、グラゼニ!

 主人公はプロ野球選手、凡田(ぼんだ)夏之介。高卒でプロ入りし、8年目。左腕でサイドスローという特徴を武器にワンポイントで起用されてはいるが、プロ野球選手の絶頂期と言われる26歳で先発ローテに入れず、年俸1800万という厳しいポジションにいる。
 彼は選手名鑑に載る全球団の1軍選手の年俸をソラで言えるいわば「年俸オタク」であり、自分より年俸の低い選手には見下ろしてキレのあるボールで圧倒、年俸の高い選手には腕が縮こまって打たれてしまう(年俸1億を超えると「天文学的数字」と映るためか、開き直ってそこそこ抑えられるあたり現金)。今夜も凡田は「グラウンドには銭が埋まっている」、グラゼニ、グラゼニと心中つぶやきながらマウンドに向かう。
 この凡田に、引退してラジオの解説で苦戦する同郷の先輩(いい味出してる)、同じく同郷の若手外野手、同期の先発ピッチャー、他球団の球団幹部などからめ、プロ野球の裏表をペーソスを交えて描くシブい作品、それが『グラゼニ』だ。

 年俸1800万レベルのプロ野球選手の私生活が実際はどれほどのものか知らないが、凡田の独白に「引退の翌年── 年収100万円台になった人を僕は何人も知っている!」とあるように、引退後のことまで考えると厳しい世界であることには違いない。作者はそういった金勘定や裏方の厳しさに加え、左のサイドスローが大物選手にデッドボールを当ててしまうなど、かなり野球をよくわかっているようだ。第4話に登場する、3試合続けて味方が1点も取ってくれない先発投手の悲哀など、今シーズンの日ハムの武田勝の先発5試合連続完封負けを予言したかのよう。
 プロ野球ファンというのはこういった細かな記録に興味を持つものだ。それを踏まえて描かれた作品が面白くならないわけはない。

 1つだけ、気になった点。
 原作者の「森高夕次」というのは、梶原一騎が『あしたのジョー』や『ジャイアント台風』を書いたときのペンネーム「高森朝雄」をパクったものだろう。誰だこれ。……調べてみると、「森高夕次」とは、マンガ家のコージィ城倉が原作を担当するときのペンネームとのこと。なるほどー、納得だ。
 コージィ城倉といえば、『愛米』などのヘンなギャグマンガの一方、『砂漠の野球部』(20世紀最後の魔球漫画!)や『おれはキャプテン』など、頭を使わないと勝てない野球、頭だけでは勝てない野球、そんな野球を描いてきた力のある作家である。そんなコージィなら、『グラゼニ』が週刊化されてたとしても簡単にネタに詰まる心配はないだろう。常に予想を覆す展開を見せ続けてくれるに違いない。
 唯一の心配は、コージィ城倉は暴投、途中降板が多いことだが……まあ、それはそれ、鉦や太鼓で応援するのがマンガファンというものだ。

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