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2011年4月の3件の記事

2011/04/25

洋楽懐メロにふける

Photo  「僕たちの洋楽ヒット」や「ザ・一発屋」など、昔のヒット曲を集めたオムニバスアルバムがあります。集めようという意図はとくになかったのだけれど、「あっ、マージョリー・ノエルの『その風にのって』が入ってる!」「マッシュマッカーンの『霧の中の二人』! 懐かしい!」などと手に取っているうちに、CD棚の一角を占めるようになっていました。とはいえ、そういうアルバムは、入手した直後を除けばそう何度も聴くわけではないのですが、最近思い立って片っ端からPCにかけ、気になる曲、聞き返しそうな曲をどんどんiPodに取り込み、シャッフルで流してみると……これが実にいい。潤う。

 好みは、自分が洋楽を聞き始めた1960年代後半からせいぜい1970年あたりまで。こういうコレクションには、プレスリーやビートルズ、S&Gなど、何曲もヒットを飛ばした大物の曲は似合わないようです。どちらかといえば今では消息もよくわからないマイナーグループの、それも日本でのみヒットしたような曲がいいですね。

「雨のフィーリング」 フォーチュンズ
ウィキペディアに名前すら載っていません。昔はジリオラ・チンクエッティ「雨」、ホセ・フェリシアーノ「雨のささやき」、カスケーズ「悲しき雨音」、カウシルズ「雨に消えた初恋」など、雨をタイトルにするスマッシュヒットが少なくありませんでした。

「恋のかけひき」 ハミルトン・ジョー・フランク&レイノルズ
洋楽オムニバスの定番。「幸せの黄色いリボン」や「ノックは3回」のドーンとイメージがかぶります。

「恋のほのお」 エジソン・ライトハウス
エジソン・ライトハウスはバンドとしての実態はなかったようですが、いかにも「洋楽」といったオシャレかつナイーブな展開で聞き手を引き回してくれるのでした。

「ポップコーン」 ホットバター
これでテクノポップではないことが信じがたい。

「さすらいのギター」 ザ・サウンズ
ずっとベンチャーズだと思い込んでいました。

「僕と君のブー」 ロボ
ずっと以前ですが、この曲の懐かしさゆえに、ロボのベストアルバムをAmazon.co.jpで購入。……まあ、似たような曲ばかりだったわけですが。

「男が女を愛する時」 パーシー・スレッジ
上田正樹「悲しい色やね」かと思ってしまいますね。

「ダンス天国」 ウィルソン・ピケット
「ダンス天国」の原題は“Land of 1000 Dances”。かつての洋楽には邦題の妙というものがありました。ジュディ・コリンズ「青春の光と影」の原題が“Both Sides Now”……なんてのは、見事を通り越して呆気にとられます。

「かなわぬ恋」 アソシエイション
アソシエイションは2011年現在まだ現役。かないません。

「ジョージー・ガール」 シーカーズ
オリジナル・キャスト「ミスター・マンデイ」だとかピンキーとフェラス「マンチェスターとリバプール」だとかカプリコーン「ハロー・リバプール」(おおリバプール対決だ)とか、女性ボーカルグループの一発屋もいろいろありました。

 などなど。きりがないのでいったんクローズ。

2011/04/20

読書について

 ここ数年、どうだろう、もしかするとこの十年くらいで、本の読み方というか選び方が変わってきたかもしれない。

 かつては、自分の生きる道をがつんと覆す、そんな本を求めていた。自分を撹拌し、再構成してしまうほどに強い本。そういう本と出合うことこそ読書の真の目的。

 このごろは少し違ってきていて、自分を飲み込んだ泥をまるごとかき混ぜるのではなく、それから少しおいて、泥やいろいろなものが底のほうに沈殿して、その上のさらに上のほうに静かに透き通った冷たい上澄み、そんな本を読みたいと思っている。
 とはいえ、そのように思える本などめったにありはしないし、これかと思えば実はえてして読むには退屈、いや正しくは苦痛なので、そういった本ばかり読むこともできやしない。

 なので相変わらずあれやこれやと乱雑に読むしかないのだけれど、以前のように何を読んでも読書は楽しとつぶやくにはもうこちらがこちこちの壁のようになってしまっているので、海に向かう窓のような気持ちにもなれない。

 気がつけば何か読んでもどこかで読んだような気がしたり、かつて精妙絶妙と思われた作家の文体がただ小賢しく思えたり、1冊分の楽しみを得るために妙に苦行を重ねて、いったい何をやっているのやら。
 その分、これぞと思える本と出会えたときには……いや、その感動も、十代、二十代のころにはかなわないか。

2011/04/11

力だけでは足りない 『鉄腕バーディー』(全20巻) ゆうきまさみ / ヤングサンデーコミックス

Photo  震災から1か月経つ。
 3月11日より前に読みかけていた作家について、意識というか糸のようなものが切れてしまって、うまくつながらない。

 棚からすべり落ちた本を片づけるついでに、読み返しそうにない本を段ボール箱に詰めていったらどんどんいっぱいになって、箱や手提げ袋のほうが足りなくなってしまった。キリがないのでとりあえず古本屋を呼んで引き取ってもらったが、つまりはそんな程度の読書しかしてないということだ。

 『鉄腕バーディー』は震災のしばらく前に20巻そろえて「さあ!」とばかりに読んでいたのだが、これも売りとばした。評価しないからではありませんよ。濃密な、よくできたSF作品だと思っています。
 ただ、この作品は、無敵の肉体を誇る連邦捜査官バーディーを主人公としながら、意図的としか言いようのないほど爽快感がない。ともかく、作者が、主人公自身が、さらには敵ならまだしも味方さえ、主人公バーディーにあらゆる制限、縛りを加え、悶々とした展開が続いて「鉄腕」の枕詞が泣く。バーディーがその超絶的な攻撃力をもって叩きのめすことに成功したのは、敵の内でも巨大なだけのロボットだったり、せいぜい暴走した小物の悪漢ばかりで、20巻中、大物といえるのは1人だけ(しかもその敵を殺したことについて、バーディーはしばらくくよくよと思い悩む)。

 ゆうきまさみの作品では、舞台や設定はさまざまでも、細部のリアリティへの奇妙なまでのこだわりがうかがえる。食事シーンや高校の放課後など描いても、シーンごとに細かい設定や小道具を変え(食事時のシャモジの扱い1つみてもしびれる)、出来合いの「よくある小道具」ですませない。
 これは、ゆうきまさみの作品を読む楽しみであり、氏の長編を読み始めると軽い中毒症状に陥る要因でもあるのだが、『鉄腕バーディー』のように鬱屈した作品ではこの細部へのこだわりは読み手をきしませる。

 ……というようなことを書こうとしていたところに、震災である。
 ほかにもいろいろ書きたいことがあったはずだが、忘れてしまった。

 バーディーがいてくれれば、水素爆発を起こした建屋に水をかけるくらい瑣事だったろうに、と思う一方、バーディーにまかせたら炉心をひっくり返してプルトニウムをまき散らすくらいやりかねない、とも思う。
 そんな、マンガ的な世界が、福島の海岸ではまだ続いているという日常。

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