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2011年2月の4件の記事

2011/02/28

終わって残念 『舞姫(テレプシコーラ) <5> 第2部完結』 山岸凉子 / メディアファクトリー(MFコミックス)

Photo  『舞姫(テレプシコーラ)』は連載10年、第1部、2部合わせて15巻、気がつけば山岸凉子の最も長い作品となった。

 背景の描き込みにこだわらず、人物の表情とバレエのポーズに注力する闊達なペンタッチは、マンガが持ち得る自在な表現力を過不足なく示している。
 最終巻は200ページのうち半分をハッピーエンドに費やすというこれでどうだ、これでもかの構成、何度読み返しても細かくはらはらさせたあげくゆったり幸せな気分に押し上げる手腕には感嘆するほかない。

 ところで、この作品の第1部には、2つの大きな悲劇が刻まれていた。一つは主人公六花(ゆき)の小学時代の同級生、空美(くみ)の貧困ゆえの悲劇、もう1つは六花の姉、千花の死だ。第2部は、登場人物それぞれの悲劇からの「再生」の物語であるようにも見える。しかし、山岸凉子は『アラベスク』以来、ずっと、そうした単純な構成には与しない。
 再生もまた人生の諸相の1つにすぎず、今日の幸福が永続するとは限らない。山岸凉子の長編は、滔々と流れる大河の一部を切り出したようなものなのだ。
 作者はたとえばローラ・チャンの謎を解き明かさない。読み手は自分に都合のよいさらなるハッピーエンドを期待するが(ローラが六花を慕い、さらにはコリオグラファーとしての才能に注目して追ってきた、など)、はたしてそうか。娘の1人をバレエのために失った両親にとって物語はここで幸福に終われるものなのか。などなど。
 いずれにせよ、作品は我々の目線から閉ざされてしまった。あとは六花がローラが生きていくだけである。

 雑記。
 ローザンヌ国際バレエコンクールは、毎年連休の頃にNHK教育で放送されることで知られている。不思議とこの番組は見逃さない。とくに何年か前までゲスト解説されていた女性の、鉈で割るような解説は聞きものだった。「この子巧いな」と目を引く少女の技術が「ステップが甘い」「選曲のミス」とざくざく斬り刻まれる。「ちょっと退屈」レベルの出場者にいたっては「十年早い」扱い。しかし厳しい分、何が足りない、何が失敗という情報をきちんと指し示してくれるので、誰も彼もほめて終わる昨今の解説者より格段に確かな手応えがあった。どなたか存じ上げないが、再登板を願ってやまない。

 もう一つ。
 最終巻に、1989年のローザンヌで振付奨励賞を受賞した田中祐子の舞踊の一コマがある。もしかするとこの受賞こそ『舞姫(テレプシコーラ)』の真珠母だったかとも思われる。それはともかく、どのような作品なのかWebで検索してみた。YouTubeにあっさり当時の映像が見つかる。驚いた時代である。
 さらに驚いたことに、その映像を見ていると、山岸凉子のコマに「あ、ここか」と声の出るほどあてはまる一瞬がある。ざっくりいかにもありそうなバレエのポーズに見えて、実はその振付の奔放さのよく表れた場面の1つだということもわかってくる。マンガ家の目と表現力ときたらたいしたものだと再確認した次第。

 さらに一つ。
 六花がコリオグラファー(振付師)として才能を認められるきっかけとなった作品「引きこもり」。これは六花が小さな箱に入ってさまざまなポーズをとるというものだが、現在放映中の明治キシリッシュのCM、木村カエラが箱に入ってコメントする、あれは、スタッフの誰かが六花のポーズに(パクリとは言わないまでも)ヒントを得たのではなかったか。CMのメイキングを見ると箱の大きさといい、厚みといいそっくりだ。

2011/02/21

圧殺者 小林秀雄

 前回取り上げた『鬼火・底のぬけた柄杓』(講談社文芸文庫)の巻末には、川崎賢子の解説に、次のようなことが記されている。

 生前の吉屋信子は、しばしば批評家から黙殺されることを嘆き、小林秀雄が彼女の作品に嫌悪をあらわにしたことに憤慨し傷つきもしたようだが、それははんめんでは、吉屋信子の仕事が理論武装の結果でなしに知らず知らず挑発的な存在になっていたという証でもあろう。

 (「はんめん」が何故ひらがななのかはともかく)小林秀雄は吉屋信子のどの時代のどのような作品を攻撃したのだろうか。いずれにせよ「嫌悪」とは相当だ。よほど酷評だったに違いない。

Photo  ところで、やはりこのブログで何度も紹介している久世光彦の著作の一つに、『美の死 ぼくの感傷的読書』という書評集がある(ちくま文庫)。亡くなった作家への「感傷」の度合が過ぎて少し辟易としないでもないが、昭和の街頭に照らされたような色合いの、読み応えのある書評集だ。
 そしてこの『美の死』のあとがきには、次のようなことが記載されている。

 五十を過ぎてようやく物を書きはじめて、心に決めたのは、怖いものに怯えていたら限りがないから、そうしたものには目を瞑ろうということだった。(中略)私などよりずっと以前から物を書いている人たちも怖いし、偶にはいるらしい文章の目利きとかいう人も怖い。(中略)──たとえば私は、四十年にわたって小林秀雄という巨きな幻影を畏れて、身動きできずにいた。

 さあこうなると本棚を漁る手が止まらない。あった。隆慶一郎『一夢庵風流記』。これは戦国の武将前田慶次郎(利益)の痛快無比な傾奇振りを描く歴史小説で、原哲夫のマンガ『花の慶次─雲のかなたに─』の原作ともなった逸品だが、問題は新潮文庫版、秋山駿の解説である。

 いってみればこの作品の前田慶次郎ふうに、言葉では説明できないが、何か堅く心に期するものが育っていったのではないかと思う。小林秀雄の眼の黒いうちは小説を書かない、と。(中略)小林が世を去ったのは昭和五十八年であり、隆氏が処女作『吉原御免状』を書き始めたのは、その一年後、昭和五十九年のことである。

 隆慶一郎は、それから鏑矢が放たれたかのごとく、野太く波乱万丈な作品群を矢継ぎ早に書き下ろし、6年後には急逝している。

 もちろん、いずれの解説、あとがきも、実のところそれぞれの著者が小林秀雄を尊重、師事していること、つまりは小林秀雄の傑出した力量を認めた上で書かれていることに変わりはない。しかし、それにしても構図が似過ぎている。
 つまり、小林秀雄は、小説家を圧殺するのである。これは(この国を代表する批評家をつかまえて言うことでもないだろうが)果たして批評の正しいあり方と言えるのだろうか?

 秋山駿の指摘が正しいなら、こういうことだ。
 もし、小林秀雄がもう5、6年も長生きしていたなら、読書人はあの『吉原御免状』も『一夢庵風流記』も『影武者徳川家康』も手にすることができなかったのかもしれない。いや、隆慶一郎はまだしも、6年の猶予を得て、いくつかの作品を世に問うことができた。だが、もしかすると隆慶一郎や久世光彦に匹敵する、あるいはそれをはるかに凌駕する資質をもった人物が、小林秀雄を畏れるあまりペンを取り得ず、不幸にも小林より先に亡くなったということはなかっただろうか。隆慶一郎や久世光彦の胆力をもってしてこうなのだ。いなかったはずは、ない。それは、どうなんだろう、小林秀雄。

2011/02/13

『文豪怪談傑作選 吉屋信子集 生霊』(ちくま文庫)、『鬼火・底のぬけた柄杓』(講談社文芸文庫)

Photo  このブログでも『闇夜に怪を語れば-百物語ホラー傑作選』(角川ホラー文庫)、『日本怪奇小説傑作集(全3巻)』(創元推理文庫)など、何度か取り上げてきたホラープロパガンダニストにしてアンソロジスト 東雅夫、彼の最近の労作がちくま文庫の『文豪怪談傑作選』(現在15巻まで)なのだが、この集成もまた凄い。鴎外、露伴、鏡花から芥川、康成、太宰、三島といった「文豪」たちの作品群から、怪奇趣味・怪談趣向の作品を探し出し、それぞれ400ページ程度の1冊にまとめているのだが、とにかくその選択基準が「作品として優れているかどうか」、ではなく、ひたすらに「怪奇の色がついているかどうか」(だけ)なのである。そのため、決して作家の代表作とは言い難い奇妙な短編や、半端な随想、はては日記同然の実録心霊譚まで、玉石混交ハイブリッド、玉はもちろん石は石として実に楽しい読み物となっている(とはいえそこは「文豪」、いずれもずしんと読み応えあり。ただし時代が時代だけに、言葉遣いが古かったり漢詩混じりだったり、すらすら安易に読み通せない選集も少なくない)。

 ところで、現在までの15巻中、とくに異彩を放つのが、3巻めの『吉屋信子集 生霊』ではないだろうか。
 吉屋信子は大正期に少女小説家として活躍した作家であり、後年の歴史長編『徳川の夫人たち』にしてもフェミニストたる作者の思惑と異なるところで「大奥」ブームのきっかけとなった。他の「文豪」たちに比べると今ひとつ時代に迎えられた大衆作家の印象が強い。
 ……ところが、この『吉屋信子集 生霊』、これが予想外にいい。短編の一つひとつに裏山の崖の粘土をじっくりこねたような野太い粘り気があり、怪奇が顕れなくとも十分に読める。作品の後半に至って、登場人物が静かに追い詰められ、そこに視野が暗くぶれるように怪奇がかぶさってくる。モダンホラーの怖さとはテイストが異なるかもしれないが、より骨に響く恐ろしさであり、スプラッタな流血はなくとも胸から腹にかけてうねっと流れるものがある。

 吉屋信子の作品としては、講談社文芸文庫から『鬼火・底のぬけた柄杓』という作品集も出ており、そちらも取り寄せて読んでみた。
 表題作の「鬼火」は吉屋信子の短編の代表作の一つ。手本のような構成、文体で、これは粘土どころかもっと怖いもののカタマリなのだが、逆にいえば最後の見開きが直接的に怖すぎて、『吉屋信子集 生霊』収録作の微妙な凡庸さに安寧を覚えたりもする。
 「底のぬけた柄杓」は海坊主の話かと思ったら、「せきをしてもひとり」で知られる俳人 尾崎放哉の生涯をさっくり切りまとめたもの。このほかいくつか収録されている俳人論はまったく門外漢でどう読んでいいのかとんとわからない。

2011/02/03

この水はのんでもよい 『ムッシュー・アンチピリンの宣言-ダダ宣言集』 ツァラ、塚原 史 訳 / 光文社古典新訳文庫

Photo  「DADAはおれたちの強烈さだ」で書き起こされるダダの7つの宣言、いくつかの評論、そしてダダ時代の詩作品を塚原史による痛快な新訳で開示したトリスタン・ツァラの著作集。ページをめくるたびパパンパパパンと真昼の花火が打ちあがる。素晴らしい。

 唐突だが、馬鹿馬鹿しいことを一つ思いついた。呆れないでくださいね。
 経済評論家勝間和代の『無理なく続けられる年収10倍アップ勉強法』『勝間和代の成功を呼ぶ7つの法則』等々の著作を好み、彼女の提唱するスーパーウーマンな生き方に憧れる女性を「カツマー」と称するそうなのだが(申し訳ない、詳しく存じ上げているわけではない)、その「カツマー」の皆さまが本書を読まれるとさあどうお考えになられるだろう。

 たとえばツァラは「ダダ宣言1918」と表題をつけながら

  おれは宣言を書くが、何も望んではいない。

さらには

  それに、おれは原則として宣言には反対だ。

あげくに

  おれは行為には反対だが、途切れない矛盾にも肯定にも賛成なのだ。

と嘯いてみたり。
 一方、

  誰もが叫べ。破壊と否定の大仕事をなしとげるのだ。

と高らかにアジテイトしておきながら

  おれは自分のあとについてくることを誰にも強制しない。

おまけに

  目的も、計画も、組織もありはしない。

そうですか。
 いやいやいや、これらはまだ実はセンテンスとして論理的というかまっとうなほうで、

  おれは宣言する、あらゆる宇宙的能力を、あの哲学的思考の工場から出てきた腐った太陽の淋病と対立させることを。

つまり、さて、どうする。あるいは

  吠えろ 吠えろ 吠えろ 吠えろ ・・・

と11回×25行=275回繰り返されたページを前に、どうしよう、どうしようもない。
 なにしろ、

  ⇒DADAは何も意味しない
 
のだから(「⇒」の部分には指差す手の形の印刷記号が入る)。
 いかがかしら「カツマー」の皆さん。

 と、面倒な引用を繰り返しているうちに、また別のことを思いついた。
 本書をまるごとテキストデータとしてパソコンに取り込み、「おれ」を「腐ったバナナ」に一括変換してみたらどうか。

  腐ったバナナは頭脳の引き出しと社会組織の引き出しを破壊する。

  柔軟さ、熱狂そして不正の快楽さえもが、腐ったバナナたちが無邪気に実行しているあの小さな心理が、腐ったバナナたちを美的な存在にしてくれる。

おや。なんだ、ぜんぜん大丈夫じゃない?

 少し真面目なことも書いておこう(いや、ここまでも十分真面目だったのだけれど)。
 本書の巻末には、訳者が「今のところ日本語で公表されたいちばん詳細な」と胸を張るツァラの略伝が掲載されている。問題は、ツァラが、ルーマニアでの学生時代にすでにのちのダダの方法論を発見し、仲間内で実践していたふしがあることだ。それは、「ダダは、第一次大戦によってもたらされた虚無と絶望を背景に『破壊と否定』を主張した」とかいうよくある文学史的粗筋を覆す。ダダは、少なくともツァラ本人にとって、少年期以来の「嫌悪感」に起因する、極めて個人的な問題だったのかもしれない。
 もちろん、起点などは何でもよい。要は、ダダが、現代詩、現代芸術にかかわる者にとって、「個体発生は系統発生を繰り返す」の言葉どおり、まず避けては通れない精神、そしてそれにともなう創作作法となったことである。赤ん坊が泣き、少年が反抗、青年が勘違いするようにダダはある。ここにも、そこにも、どこにでも。

 それにつけても、本当にもう、心からうらやましい。100年ばかり前の、チューリッヒ、パリの、ダダ、シュルレアリスムに集まり参じた若者たちの写真の、表情の、なんというのびやかさ、なんという不敵な目線、なんという誇り高き嘲笑。彼らのカッコよさときたらほとんど目から光線のエスパーレベルだ。あの頃の僕たちにもマン・レイがいたら、なあ。

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