フォト
無料ブログはココログ

« 電子書籍について気になるいくつかのこと その二 | トップページ | 電子書籍について気になるいくつかのこと その四 »

2010/11/10

電子書籍について気になるいくつかのこと その三

 昨日書いたことは、言ってしまえば読み手個々人の問題にすぎず、新しい時代には新しい「本」のあり方があればよいし、おそらくは誰もがそれに慣れていくことだろう。

 今日書きたいことは、もう少し深刻である。

 オンライン提供される電子書籍では、書物の内容を印刷せず、通常、サーバー上に置いてそれを配信する(カード型のメディアで配布されるもの、ピアツーピア型ネットワークで共有されるものもあるが、ここは話を簡単にしよう)。読み手は、サーバー上の書籍データを手元の端末にまるごとダウンロードしてピュアーで表示させるか、部分部分をダウンロードしては順次表示させるか、そのどちらかをとることになるだろう(YouTubeなどの動画配信も、このいずれかの方法を採っている)。
 つまり、極端な話、「本」のデータファイルは1つあれば事足りる。その1つのファイルを、読み手があちらこちらからダウンロードすればよいのである。実際には複数のサーバーにコピーが置かれ、それぞれからダウンロードされる、ということになるのだろうが、基本的な構図は同じことだ。

 一方、従来の「本」は、次のような手順を踏んで作られてきた。
 著者が(手書きであれワープロであれ)原稿を書く。フラットなその文書を、活字を組み合わせてページのイメージに組み直す。これを紙に印刷したものが「初校ゲラ」と呼ばれるもの。この「初校ゲラ」に編集者や著者が赤字を入れて、誤植や内容の漏れを整える。その赤字を修正して印刷したものを「再校」という。書籍など、丁寧に編集する場合は「三校」「四校」とこの作業を繰り返す場合もある。そして、これ以上直しはきっとありません、もう許して、これで印刷してくださいとなったとき、そのページを「校了する」。そのページは印刷機で大量に印刷され、束ねて製本され、ここにいたってようやく書籍や雑誌が完成する。

 何を言いたいかといえば、マスターとなるデータが1つという点では本も電子書籍も同じように思われるが、大きく異なる点があるのだ。
 紙に印刷された書物や雑誌では、内容は印刷前にフィックスされ、少なからぬ数、同じ内容のものが巷に配布される。一方、電子書籍においては、サーバー上のファイルを書き換えるたび、その瞬間から内容が変わってしまう。

 たとえば、著者が「右往左往」という熟語の用い方を間違っていたり、「端的」を「短的」と変換ミスしたりしたとしよう(おお、時事的だ)。印刷物なら版を変えない限り、同じ間違いが多数の読み手にそのまま届いてしまう。版を変えるのは手間と経費がかかるため、書籍では何ヶ月いや何年も変えないことが珍しくないし、雑誌にいたっては版を変えるという工程そのものを想定していないのが普通だ。
 しかし、電子書籍なら、ファイルをちょつと修正するだけで版がいくらでも変わっていく。カタログ的な書籍なら頻繁に更新されるべきだろうし、開くたびに展開の変わっていく小説などもそのうち出てくるに違いない。

 さて、四字熟語のミスくらですめばよいが、政治的な問題や個人の名誉にかかわる重大な誤謬があると指摘を受けた場合、あるいは人命にかかわる誤った案内がなされた場合、どういうことが起こるか。著者、発行サイドが、それらの問題を隠蔽し、黙って内容を変更してしまったら、問題は明らかになるだろうか。責任はどこまで問えるだろうか。

 もちろん、きちんとバージョン管理をし、修正箇所を明らかにするなど、真摯な管理がなされる場合もあるだろう。しかし、電子書籍の魅力の1つは、大手出版社の手を借りずとも、誰でも作成、発行に参入できることにある。ある書籍をダウンロードして、内容に科学的な誤りや個人への中傷があったため問題を指摘すると、翌日、何の断りもなしにその部分だけ修正されてしまい、指摘側が逆に抗議される……そんな非道い事態すら起こりかねない。

 電子書籍は、出版社、編集者というまがりなりにも「プロ」の介在した「書籍」を、参加ハードルの低い、その代わり責任のバーも低い混沌に導く暴挙なのかもしれない。

« 電子書籍について気になるいくつかのこと その二 | トップページ | 電子書籍について気になるいくつかのこと その四 »

テレビ・新聞・雑誌・出版」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 電子書籍について気になるいくつかのこと その二 | トップページ | 電子書籍について気になるいくつかのこと その四 »