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2010年10月の4件の記事

2010/10/29

『新クロサギ』(第6、7巻) 黒丸、原案:夏原 武 / 小学館ビッグコミックス

7  すでに8巻も発売中で、今さらではあるが、主人公の父親を騙し、家庭を崩壊させた宿敵 御木本の最期!とのことなので、6、7巻を買ってきて読んでみた。

 旧『クロサギ』は今はもうなきヤングサンデーで連載開始された頃から読んでいた。掲載誌が変わり、こうしてまとめて読むのは久しぶり。相変わらず原案の夏原氏の詐欺全般の知識の広さ、深さは凄い。脱帽。ストーリーもよく練られていて面白い。

 ただ。こんな指摘をするのはおこがましいのだが、こと実態に比べて、この作品に登場する詐欺師たちは誰もがなんだか抜本的に違う、ような気がしないでもない。

 詐欺師という人種は(もちろん全員というわけではないが)概してもう少しぶわっと熱っぽい。なんら根拠のない口から出まかせに、気がついたら自分も止められない、そんな一種浮かれたところがある。騙すほうも騙されるほうも独特のハイテンションで言葉と耳だけが熱風の上をすべっていく、そんなイメージ。
 「そんなバカな話、信じるものか」と誰もが思うようなことを、気がついたらともに信じてしまっている、そこに詐欺の極意というか本質があって、この作品に登場するごとく理詰めにじっくり罠を張るようなものではない、ような、気がする。

 資金を絶たれ、中国マフィアの金に手を出して追い詰められて自滅……それははたして詐欺師の生きザマ、死にザマだろうか。
 また、主人公側から見ても、中国マフィアを利用して宿敵を死にいざなう、復讐の手段としてはありだとは思うが、「シロサギ(詐欺師)」を詐欺のワザをもって喰らう「クロサギ」!という作品の趣向からみたとき、どうなのか。

 いずれにせよ、殺すほうも殺されるほうも、ずいぶん薄い。薄いなら軽いはずなのに、重い。重くてはシロサギもクロサギも飛べない。顔だって暗くなるだろう。暗い顔の詐欺師なんてらしくない。

PS 上の「一種浮かれた」云々に対し、知人からメールをいただいた。いわく、プロの詐欺師のうち、本当に凄いのにあったら、詐欺があったことそのものに気がつかない。大物は何の世界でも一流なのである、とのこと……。なるほど。失礼しました。

2010/10/23

プロの視界 『王狩』(1巻) 青木幸子 / 講談社イブニングKC、『茶柱倶楽部』(1巻) 青木幸子 / 芳文社コミックス

1  『ZOOKEEPER』の青木幸子の新刊。講談社、芳文社という出版社の枠を超えて昨日同時発売、合同フェア。よい試みだと思う。知恵を絞れ。

 青木幸子の作品は、たとえばこんな感じだ。
 カーブかフォークか、いずれにせよ変化球がくる、とバットを構えて待っている。するとそこに、ボウリングのボールがゴウンとうなりながら飛んでくる。

 設定はいずれもいかにもマンガ的。尋常ならざる異能の女性(年齢はさまざま)が何かのプロを目指す。読み手は当然主人公がその異能を生かしてその世界で活躍していくものと思う。ところが、彼女は目の三方を白くして言うのだ。

 「…………………… そんな 甘くない」

 では、どうするか。煩悶するのである。

 「そういう努力なんてプロ棋士ならあたり前
  なぜ 結果に圧倒的な差がつくの」

 そして、ときどき、

 「ほんの一瞬だけど
  いきなりどこまでも見えるみたいな時がある」

 以上、引用は6歳の夏から将棋の世界に踏み込んで今は奨励会に属する『王狩』の久世 杏のセリフからだが、動物園を舞台にした『ZOOKEEPER』の新米飼育員 楠野香也も、『茶柱倶楽部』で日本茶の美味しさを広めるために移動茶店で全国をまわる伊井田 鈴も、人には見えないものが見える(思い出せる、味分けられる)といった異能だけで何かをなしとげられるわけではない。それは資質の一部にすぎない。
 得られたわずかな情報をもとに、主人公がいかに前に進むか、人を動かすか、それがこれら骨太な作品群のテーマとなっている。彼女たちの歩みはゆっくりではあるものの、強い。

1_4  ……などと肩に力を入れなくとも、青木作品には(主人公含め)それぞれの道を究めるヘンな人物がいっぱい出てきて、それだけでも楽しい。
 これらの作品は、主人公との出会いを触媒に、誰かが何かをなしとげようとする物語でもあるのだ。

(今回は『王狩』の杏ばかり引用したが、『茶柱倶楽部』の“豪運”鈴の表情やしゃべり方も、涼やかでとても好もしい。とはいえ、日本茶を煎れてお金をいただくという移動茶店の運営は、もし実際に志せばそれはさぞかし大変なことだろう。なお、この作品中に登場する各地の名茶(注文先まで載っている)、とくににグラスで差し出されるお茶は、いずれも実に美味しそうで喉が鳴る。)

2010/10/17

清冽、可憐、摩訶不思議 『第七官界彷徨』 尾崎 翠 / 河出文庫

Photo吃驚した。
最初の1行から最後の1行まで、よく冷えた幸福なプリンの味わいである。
こんな作品は、読んだことがない。
       ζ
忘れられた戦前の女流作家、とかいうカテゴライズに、勝手にあれこれ粘着質な作風を想像していたのだが、これが大ハズレ(失礼な話だ)。
「宮沢賢治が恋愛小説を書いたらこんなふうになったかも」……いや、だからこそあり得ない、と嬉しく絶句してしまうのだが。
       ζ
第七官とは第六感のさらに上(中?)のことだろうか。
主人公の「うちの女の子」は2人の兄と従兄の食事当番として暮らしながら、第七官に響く詩を書きたいと夢見ている。二人の兄はそれぞれ分裂心理、苔の恋愛を研究し、音楽学校浪人の従兄は主人公とオペレッタを口ずさむ。登場人物がそれぞれ出会っては散る、素っ頓狂ではかない恋。
       ζ
あらゆる優れた作品がそうであるように、上記のような説明はこの作品の魅力をまったく伝え得ない。
尾崎翠本人による「『第七官界彷徨』の構図その他」を併載した河出文庫『第七官界彷徨』が、装丁も活字フォントもすこぶるバランスがよくてお奨め。それにしても「構図その他」に示唆された、劈頭の削除された2行、それによって作品の「配列地図は円形を描いてぐるっと一廻りするプラン」だった2行とはいったいどのような内容だったのだろう。
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ちくま文庫の『尾崎翠集成』(上・下巻)は入門書としては重すぎる。
同じく文庫サイズの『ちくま日本文学 尾崎翠』にしても、その他の短編の多くが同工異曲でかえって『第七官界』の味わいを削ぎかねない(個人的には「途上にて」という短編は何度も読み返せて好もしかったが)。
       ζ
複数の男女が、それぞれ奇妙な科学を語りつつ、到達し得ないものを目指す構図。不器用なようで読み手に活力を招く、歩むがごとき文章。
シュルレアリスト ルネ・ドーマルの『類推の山』との共通項を指折ってみたりもしたくなる。ちなみに、発表年度を比べれば、『第七官界』が雑誌に掲載されたのは1931年。ドーマルが死ぬ1944年まで書き続けられ、1952年にようやく出版された『類推の山』より先輩なのだ。
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尾崎翠はほかの短編で主人公を形容するに「駄駄詩人(ダダイスト)」という言葉を用いている。シュルレアリスムについての知識も持ち合わせていた、かも、しれない。すると、「第七官」とはフロイトの無意識を経て「至高点」につながるもの、だった、かも、しれない。
などなどつらつら考えてみるのも楽しい。
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駄駄だの至高点だの、余計なことを書いて小難しい印象をもたれたならあなたに謝罪しなければならない。『第七官界彷徨』は、いつかジブリの『耳をすませば』あたりのスタッフによってアニメ化されるのが似つかわしい、そんな可憐な作品である。
ただ、前半何度も登場しては家中にたちこめる「こやしをどっさり煮る臭い」をどうするか……それが問題だなあ。

2010/10/04

大人未満 『にこたま』(現在2巻まで) 渡辺ペコ / モーニングKC

Photo  渡辺ペコが話題、らしい。

 新刊の『にこたま』2巻を手に取ってみる。表紙の女の子の「目」がとてもみずみずしくて潤う。ひかれて1巻と合わせて買ってしまった。
 ストーリーはなかなかキツい。28、9の同棲カップルの男のほうが、(ただ一度のセックスで)会社の女性を妊娠させてしまう。

 この男が、底抜けに意思薄弱。
 先輩女性社員に妊娠を告げられて「うう」、同棲相手に熟慮なしに告白して「うう」、作中に描かれていないその一度のセックスにしても、状況がああなってこうなって瞳と肩で誘われると背中にのばす腕を止められず「うう」、だったのだろう。
 主人公はじめ女性キャラの「目」がみな鮮やかに生きているのに比べ、この男の「目」はごつごつしておよそ生気がない。この場面、このセリフでこの「目」はないだろう、と言いたくなるほどツジツマの合わない表情をすることもある。

 誰も彼も、生まれてくる赤ん坊のことを考えない。「妊娠させてしまったオレ」とか「一人で生んで育てるつもりのワタシ」とか「浮気されちゃったんだワタシ」とかばかりで、つまりは皆さん子供なのだ(この作品にはほかにも絵に描いたような「子供おとな」が登場する。作者にはわかっているのだろう)。

 中学生が背伸びして読むにはいいのかもしれない。

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