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2010年8月の5件の記事

2010/08/29

麻生太郎、って何してた人ですかー 『大問題 '10』 いしいひさいち+峯正澄 / 創元ライブラリ

10_3 【ところでオイ。 総理はだれがやるんだ。】

 電子書籍なら峯正澄のコラムだけ非表示にできるかしら、などと夢見てしまう『大問題』シリーズの新刊。踏ん切りの悪いコラムは鬱陶しいがそのマイナスを上回っていしいひさいちの切れ味がすごい。パサリ、首を切られた相手が気づかない、乾いた殺意の領域である。

 それにしても政権交代はほんの(ちょうど)1年前の夏のことだったのに、再三登場する麻生総理が1年前まで国政を代表する人物であったとはとうてい信じがたい。もしかしたらその当時も誰も信じていなかったのかもしれない。今さらどうでもいいことですが。

 109ページの4コマめ、舛添厚生労働大臣(当時)のセリフ。
  「お国とちがって
   互助社会の崩壊した
   日本の貧困は
   老人の
   年金に
   頼らざるを得ず
   死亡届が出て
   こないのです
   莫大に。」
 足立区の111歳ミイラ遺体事件に端を発する年金不正受給事件や高齢者所在不明問題を見事昨年のうちに言い当てていたことになる。
 舛添に言わせているところがまた巧い。

 実は逆なのかもしれない。111歳の老人が30年以上も姿を見せない。何が起こっているのか、近所でわかられていなかったはずがない。100歳以上の生死不明の戸籍が山ほど残っている。役場の戸籍課で認識されていなかったはずがない。そこへ、どこかの雑誌にこんな4コマが載ってしまったことで、誰かが動かざるを得なかった……そう考えるのも少し 楽しい。

2010/08/23

夏枯れ。 『九十九怪談 第一夜』 木原浩勝 / 角川文庫

Photo 【「いがいとかしこい」】 ←これにはワロた

 ベストセラーとなった『新耳袋 現代百物語』(中山市朗と共著)で実録怪談ブームの端緒を築いた木原浩勝の新シリーズ、第一巻。
 しかし、知人をたぐって得られた怪異体験を多数(編集操作で九十九話に見せている)収録した、という作りは全く『新耳袋』と変わらない。取材を受ける側が落ち着いてしまって、とくに新奇な印象が得られないのも『新耳袋』の後半と同じ。
 はっきり言えば、収録されたほぼ全作品が、とくに怖いわけでも目新しいわけでもない。

 そうなると、ほかのことが気になってくる。

 『新耳袋』やこの『九十九怪談』は、作者(編者)の創作でなく、体験者本人に取材して怪談を書き起こす、という手法で知られている。だが、『現代百物語 嘘実』を持ち出すまでもなく、人は往々にして嘘をつく。それも、嘘をついているという自覚もなしにつるつると嘘に嘘を重ねる。
 実話怪談の収集家は、たとえば、自身の来歴について虚言壁のあることで知られる人物が現れて怪談を語ったら、どうするのだろう。いや、そこまで複雑な状況でなくともよい。知人の知人が現れて、自分の体験として、世の中にあふれかえる古典的な怪談を口にしたなら(たとえば青山霊園前でタクシーに乗ってくる女の幽霊)、そのときはどうするのだろう。綿密に質問を重ね、矛盾をつき、当人の作為を削っていくのだろうか。しかし、生真面目な顔をして懸命に怪異体験を語る相手に対し、そんなことができるのだろうか。

 たぶん、できない相手もいるのだろう。『九十九怪談』には、そういう厳格な作業が行われたとは思えない、よくある怪談、ないしそのバリエーションが散見する。その限りでは、怪談そのものでなく、語り手本人の怖さにシフトした『現代百物語 嘘実』が(作品としての完成度は別として)一歩先んじて見えるのは事実である。

 とはいえ。夜中にドンドン窓が叩かれ、朝見てみると窓ガラスの外に白い拳の跡がついていた、とか、戦地の島で野戦服を着た日本兵を見た、とか、衣裳部屋のドアを開けるとうつむいた人がぎっしりと立っていた、とかいった話を「あるある」と怖がりもせずページをめくる読み手の神経もいかがなものか。もし、一人の夜に本当にそんな目にあったら……いや、考えないことにしよう。

2010/08/15

夏なのに (;゚Д゚))))ガクガクブルブル 鬼籍通覧シリーズ『暁天の星』『無明の闇』『壺中の天』 椹野道流 / 講談社文庫

Photo 【袋の底に、ごく少量たまっているのは、茶色い濁った液体と、土くれのようなもの。腐臭は、間違いなくその液体が発しているものであろう。】

 シリーズ最初の1冊を一気読みして……あ、あー、びっくりした。
 謎解きがないんだもの。

 (ほかならぬ)講談社文庫で、このタイトル、この装丁。
 本格ミステリでなければ何かの間違い、いっそ詐欺!というものだろう。

 書店で見つけたのはシリーズ3作め『壺中の天』。
 まず、タイトルが目についた。諸星大二郎の短編表題にも用いられた言葉で、後漢書の故事に由来し、「俗界と切り離された別天地。酒を飲んで俗世間を忘れる楽しみ。別世界。仙境。壺中の天地」(大辞林)の意。次いで、表紙カバーの惹句。「(前略)ところがその遺体が、警察に搬送される途中で忽然と消えてしまった。さらにミチルに謎のメッセージが送られてくる。怖ろしすぎるラストまで目が離せない!」。
 O医科大学法医学教室を舞台にした「鬼籍通覧」シリーズとな。面白そうじゃないか! 買うか? 買おう。読むか? 読もう! 椹野道流(ドウリュウとでも読むのであろうか?)なる作家がなぜこれまで自分のアンテナに引っかかってこなかったのか、心の片隅でチリチリと小さく警鐘の鈴が鳴るのに耳を塞ぎつつ、とりあえずシリーズ最初の3冊『暁天の星』『無明の闇』『壺中の天』をむんずと掴んでレジに急いだとして、いったい誰が責められよう、いや責められはしない。

 そしてその勢いのまま1冊めを読み上げたところで、本文フリダシに戻る。本格ミステリじゃないんだー。
 おまけに文体がライトノベル。主人公の一人、伊月崇の口調は
「うわ、マジかよ」
だったり
「どうしたもこうしたもないっすよ!」
だったり。
 彼が朝が苦手で人より三十分ばかり遅く現れる、それを受付嬢がからかう、そんなものが「ほのぼの」のツボらしい。そんなやり取りが何度も出てくる。読むのがつらいっす。
 どうやら作者はBL系の小説で知られた方らしい(道流は登場人物の一人と同じミチルであったか!)。それもなかなか大量生産の人であった。知らなかったっすよ。

Photo_2  しかし。そういった諸々はさておき、この鬼籍通覧シリーズ、とくに1冊めの『暁天の星』と3冊めの『壺中の天』は怖い。実にもうたっぷりと気持ちが悪い(ホメ言葉ですよ)。

 まず、登場人物たちのふにゃらけた関西弁に似合わぬ、リアルな解剖描写。腐敗した老婆だろうが、ねじくれた子供だろうが、ひとたび変死体を台に乗せるや次から次へ無造作にざくざくばきばき腑分けていく人々。切り開いた胸の肋骨を折る腕力を笑いながら競う、そういうお仕事なのだ。
 そして、ぬちゃぬちゃの解剖シーンのすぐ後に毎度毎度展開されるボリューム豊かなお食事シーン。作者はもともと法医学教室勤務とのこと、おそらくリアル世界で日々何百回何千回と「解剖の後で食事なんてできるのぉ?」と好奇の質問を振られ続けてきたに違いない。思わずムキになってのことだろう、ねたねた生焼けな焼き肉やトマトソースべったりのパスタを頬張りながら最前捌いた遺体の所見を語り合う登場人物たち。
 さらに、本書をミステリではなくホラーたらしめている超自然現象……。理屈でいえば、『暁天の星』のエンディングも、『壺中の天』の冒頭で遺体が消えてしまうのも、超自然現象としてもツジツマが合わない。だが、そんなことを気にしている余裕がない。思わぬ展開と転がり出てくる死体の気持ち悪さにただうろたえるばかり。

 殺害した主婦をばらばらにし、風呂場でその上を転げまわりながら「芋虫ごーろごろ」とうそぶくお話も、殺した被害者の皮を剥いで縫い合わせ、それを着て楽しむサイコパスのお話もいずれも大好きで、食事中もページをめくる手をとめなかった烏丸が、さすがに寿司屋で『暁天の星』を読むのを躊躇した、と言えば、どうでしょう、読んでみたくなりましたか。

2010/08/08

夏だし。 『本当にあった30話! 葬儀屋が教えるココだけの怖い話』 オフィス・サンガ編著 / 宝島SUGOI文庫

Photo【なんと亡くなったはずのSさんが一生懸命花をちぎって、M社長やYさんのほうに投げつけていたというのです。】

 夏なので、怪談本を読む。

 本書は実録モノの体裁をとってはいるが、昔ながらの創作怪談なのだろう。本当にプロの葬儀屋が体験した怪異譚なら、もう少し仕事上の手続きや具材についてのこまごまが現れてきそうな気がする(そういった話がまったくないわけではないので、葬儀屋の方に取材していないとまで断定するつもりはない)。
 ただ、なんにしても、きちんと供養されなかった事故の被害者の霊が事故現場となったホテルに現れる……などといった話には、語り手が葬儀屋である必然性がない。

 結局、多少なりともぞわっとさせられたのは、夜の葬儀場をさまよう少女や主の墓を守る落武者ではなく、引きこもりで肥満した息子の棺に「ノドがかわくでしょうに」と棺の底が抜けるまでペットボトルの水を汲み続ける母親や、亡くなって腐敗した夫の遺体と暮らし、部屋いっぱいのゴキブリやウジを踏んで歩く老婆のほうだった。

 しかし、この夏もっと怖かったのは、次に紹介する……。

2010/08/06

閑話休題 『コワ~い不動産の話』 宝島編集部編 / 宝島SUGOI文庫

Photo【共用部分の心理的嫌悪事件は告知義務がありません。】

 一人の作家やジャンルを追いかけたり、重い読み物が続いたりしたあとには、自分でも「どうしてこんなものを?」と思うような本に突発的に手を出してしまうことがある。
 ニワトリが砂嚢に溜めるために小石を呑んだり、消化不良の犬が草を齧ったりするようなものか。

 しばらく家やマンションを購入する予定もないのに不動産の本なんぞ読んでしまった。

 宝島の本らしく、タイトルや表紙の無造作さから比べれば生真面目な造りだ。
 雨漏り、手抜き工事など欠陥新築住宅、老朽化しても再建築できない中古住宅、スラム化するマンション、住宅ローンの甘い罠等々、内容は多岐にわたり、確かに「もし大金投じてこんな不動産にあたったら」と思うとなかなかに薄ら寒い。
 「高層階に住む女性の3分の2は流産・早産をする」「マンション屋上に立つ携帯基地局が鼻血、めまい、不眠症を招く」など、知らなかったヤバめの話もある。この世に安心な不動産などないという気もしてくる。

 ……いや、実際、そうなのかもしれない。

 たとえば、携帯基地局が問題だ、と言われる。それは避けよう。では、あなたは、何千万も出して携帯電話のつながらないマンションを選ぶだろうか。安心な業者を選びたい。往々にして安心は高価だ。月々のローン返済がようやくのあなたに、それを上回る安心料は払えるか。屋根裏や床下にハクビシンやアライグマが住みつく中古住宅。とんでもない。だが、緑豊かな場所を選んだのはあなたではなかったか。

 不動産を選ぶということは、こういった数限りない二律背反をかき分け、覚悟を決めることでもある。広さに無理をすれば強度が損なわれる。近所の面倒見がよい地域では、近所付き合いを断れない。

 困ったことに、不動産屋だって知らない、住んでみないとわからないトラブルだってこの世にはある。
 二階の和室の奥でうずくまる緑色の人とか、お土産にと郵便受けに皮を剥いたバナナを押し入れるお隣さんとか、平屋の天井裏で膝を引きずって歩く足音とか、画面に映っていない女のうめき声が聞こえるテレビとか、毎日同じ時間帯に床下から洩れる腐った生き物の臭いとか、気がつくといつも少し開いている押し入れとか、自分が死んでしまったことに気づかず毎日屋上から降ってくる女子中学生とか、壁の高い位置にぽつんとついている赤ん坊の手形とか、シャンプーしていると黙って背後に立っている女とか、そんなことより自分たちのことを書けとじっと見下ろす顎のない軍服の男とか、とかとかとか。

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