野田地図第15回公演「ザ・キャラクター」
池袋の東京芸術劇場で、野田秀樹作・演出『ザ・キャラクター』を見てきた。
ポスターやパンフレット、公式Webサイトを見ても、あらすじなどとくに公開されていないようなので、ここでは「ある事件を素材にしている」とだけ記しておく。
午後2時開演。
少し傾斜のついたステージの奥からわらわらと役者たちが起き上がる。幻想的なオープニングに続き、一転、タイトでリアルな掛け合いがスピーディに展開する。ベテラン、若手の一糸乱れぬテクニカルな演技は笑いとショックを随所に配置し、きびきびして気持ちがよい。ハイブロウ。とくに演出の「間」が本当に素晴らしい。大小の舞台装置の活用も納得だ。
主演の宮沢りえ、かつてのはかなげな美少女のイメージなどかけらもない、堂々たる役者ぶりである(正直、なかなかその役者が宮沢りえであるとわからなかった)。野田の筆による実際の事件を神話の体系に置き換える設定は巧みだし、その設定の中で事件を再構築していく裏返しに次ぐ裏返しの展開も素晴らしい。引き込まれる。
……と、手放しでほめることができるのは前半、開演からおよそ1時間まで。やがて物語はどんどん現実の事件を忠実になぞるほかなくなっていき、最後には起こってしまった事象への(申し訳ないが)かなり直接的で卑小な「評価」を示して閉じる。すると前半への評価が裏返される。神話の体系への置き換えが巧みであるということは、つまり「置き換え」をしてみせただけ、ということである。紙と文字を多用したメタファー転がしは言葉遊びに過ぎない。
坂道を転げ落ちる雪ダルマがどうなるか、それを語るのはそれほど難しいことではない。問題は、その雪ダルマが、何をコアに、なぜ転がりだしたか、ではないか。それについて、「ザ・キャラクター」は何一つ語らない。時代のせいか、世代のせいか、場の、あるいは特定の人物のキャラクターのせいだったのか。もう一度起こり得ることなのか、二度と起こらないのなら一度でも起こったのはなぜだったのか。
久しぶりに力のこもった演劇空間にどっぷり身を浸せた満足感の一方で、野田をもってここまでしか迫れないのかとの無念さが残る。少なくともあの日、危うく巻き込まれそうになった私たち、巻き込まれた方を目の当たりにしてしまった私たちは、このような「評価」ごときで物語が閉じるのを許すことができない。
じっと、一心に、考えることだけが残される。
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