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2010/05/06

喪われていく技術の記録 『ことばの海へ雲にのって 大漢和辞典をつくった諸橋轍次と鈴木一平』 岡田文良 / PHP研究所

Photo 【「紙っ、紙型を、もってきたのか?」】

 (もう昨日になってしまったが)こどもの日にちなんで「課題図書」から1冊。

 『ことばの海へ雲にのって』は、第29回青少年読書感想文全国コンクール小学校高学年の部、課題図書。
 課題図書と称して子どもに本や感想文を押しつけることの功罪はさておき、本書を教育がらみの仕事で薦められて読んだのは、思い起こせばもう25年以上昔のことである。とてもよい本だと当時大いに感動したものだが、最近になって今では絶版となっていることを知り、古書として入手した。この1冊はずっと手元に置いておきたい、そう考えたためである。

 本書は、大修館書店の労作『大漢和辞典』にかかわった諸橋轍次と鈴木一平の努力と苦難を描いた伝記的作品である。『大漢和辞典』全十三巻が完成に至るのは、大修館書店社長 鈴木一平が諸橋轍次にはじめて出会い、その編纂を依頼してから35年を経た1960年のことだった。総ページ数一万四千八百六十七ページ、のべ二十五万人がかかわった大事業だったのである。

 しかし、本書『ことばの海へ雲にのって』が絶版となり、文庫化もされていないことを惜しく思う理由は、そういった「プロジェクトX」的感動作であるから、というだけの理由ではない。
 本書には、『大漢和辞典』の発行という一大事業にかける人々の物語だけでなく、もう1つ、そもそもの「印刷」「出版」という工程の技術、歴史が描き込まれているのである。
 関東大震災に際して、出版社にとって何より大切な「紙型」(現在ならマスターの文書ファイルだろうか)を火災から守った話。あるいは第二次世界大戦の東京大空襲に際して、活版印刷の組版が焼け落ちる次のようなシーン。

 いちだんと強い炎の風がふくと、ものすごいうなりをあげながら屋根や柱や壁が落ちた。同時に、二階にびっしりとつめてあった、大漢和全十三巻、一万四千ページ分の組版も、木箱もろとも、もえくずれるようにして階下に落下した。鉛がとけ、まっかな滝となって流れ落ちていく。
 その総重量、二万五千貫──キロになおして、九万三千七百五十キロ──、十トンづみの大型トラックで約十台分である。

 この巨神兵の暴走もかくやの、黙示録的な滅びの映像は、ただ『漢和大辞典』の膨大な組版が喪われただけでなく、同時に、グーテンベルグ以来数世紀にわたって引き継がれた、鉛を用いた活版印刷技術の(少なくとも日本国内での)終焉でもあった。国内の印刷技術は、こののち、『大漢和辞典』も最終的にはそちらを選択する「写植(写真植字)」に急速に移っていく。

 現在では、鉛の活字を用いた活版印刷や、それを再版するための紙型の技術や器具はほとんど失われ、新刊に用いられることはまったくと言っていいほどない。和文タイプと写真を組み合わせたような写植の技術すら、短期、文書ファイルをロボットで出力する電算写植に移り、さらにはTeX(テフ)といった組版ソフトウェアを横目に見ながら、今ではMacintoshやWindows上のビジュアルなDTP(デスクトップパブリッシング)ソフトウェアがごく当たり前のものとなり、少しパソコンに習熟した者なら誰でも出版デザイナーを名乗ることができるようになった。
 さらに近年にいたっては、iPadやKindleといった電子ブックリーダーが登場、普及しようとしている。

 こういった技術の変遷そのものは、多分、とてもよいことなのだろう。少なくとも、文字を組み合わせた情報を作成しページに配置する労力は、活版印刷とは比較にならないほど軽減された。バックアップ、配布という点についてもディジタルメディアの優位は圧倒的だ。

 だが、誰かが忘れてしまったとしても、「活版」「紙型」「写植」などこつこつと文字を配置する技術が長い間出版文化を支えてきたこと、これは紛れもない事実だ。若干でも紙の印刷、出版にかかわってきた者としては、ときたまであれ『ことばの海へ雲にのって』を思い起こしたいと思う。ただ古い技術を懐かしむため、などではない。鉛のバーに込められた文字の重さを、忘れない、忘れてはならない。

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