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2010年3月の3件の記事

2010/03/29

チェーホフ 生誕150周年

Photo  「モーツァルト生誕250周年」などというときの「生誕○周年」、あれはいったい何なんだろう。
 誰だろうが、生まれて、死んで、ほっといてもやがては100年、200年めがやってくる。これはその人物の業績や作品の価値とは何の関係もない。○週連続チャートイン、ほどにも意味がないことだ。

 とはいえ音楽や演劇、出版の世界では、「生誕○周年」という事実があるなら、少しでも催しや本の付加価値を高めるための枕詞として活用したい! そんな気持ちがあるのだろう。
 しかし、なあ。ロシアの劇作家、短編小説家の、それもことさらキリがいいとも思えぬ生誕150周年、これにどれほどの付加価値があるのやら。消費者の側からはよくわからない。

 とにもかくにも、不況極まる出版界で「何、生誕150周年? それなら!」と目を血走らせた編集会議が各地で行われたのだろうか、この2年ばかりの間に発刊・改版されたチェーホフ関連書は、主な文庫に限っても以下のとおり(発刊順)。並々ならぬボリュームである。

  『カシタンカ・ねむい(他七篇)』神西 清(岩波文庫)
  『チェーホフ・ユモレスカ  傑作短編集Ⅰ』松下 裕(新潮文庫)
  『チェーホフを楽しむために』阿刀田 高(新潮文庫)
  『チェーホフ・ユモレスカ 傑作短編集Ⅱ』松下 裕(新潮文庫)
  『チェーホフ全集〈12〉シベリアの旅 サハリン島』松下 裕(ちくま文庫)
  『ワーニャ伯父さん/三人姉妹』浦 雅春(光文社古典新訳文庫)
  『チェーホフ短篇集』松下 裕(ちくま文庫)
  『チェーホフの戦争』宮沢章夫(ちくま文庫)
  『子どもたち・曠野(他十篇)』松下 裕(岩波文庫)
  『ともしび・谷間(他七篇)』松下 裕(岩波文庫)
  『六号病棟・退屈な話(他五篇)』松下 裕(岩波文庫)
  『かもめ』浦 雅春(岩波文庫)
  『馬のような名字 チェーホフ傑作選』浦 雅春(河出文庫)

Photo_2  困ったことにチェーホフは短篇の名手であり、初期の膨大なユーモア短篇から後年の滋味深い中・短篇まで、さまざまな作品が残されている。後期の作品の多くでは、とくに大きな事件が起こるわけではなく、登場人物の生活と会話の中に深い幻滅と絶望がさらりと(ユーモアさえ交えて)描かれていることに特徴がある。ということは、傑作とそうでないものに大きな差がなく、膨大な作品群からどれを選んでもそれなりに傑作集となってしまうということだ。
 その結果、上のような短篇集や傑作選では、いずれも収録作が少しずつ──もしくは全く──異なり、いずれもそれなりに読める組み合わせ、ということになる。しかも、大きな事件やどんでん返しがないため、作品のあらすじは記憶に残りにくく、一度読んだはずの作品も初めてのように新鮮、清冽に読めてしまう。結局、全部買ってしまう。

 気がつけば「生誕150周年」に踊らされているわけだ。
 まあいい。少々忌々しい気がしないでもないが、踊ろう。

2010/03/18

あわれ自らのことは見通せず 『千里眼千鶴子』 光岡 明 / 河出文庫

Photo 【不知火は松橋寄りの水平線に飛んだ。】

 九〇年代のホラー・シーンを席巻した「リング」の貞子。彼女の両親に、モデルが存在していたことをご存知だろうか。

 などと新刊文庫の解説冒頭に謳われていたら、これはさぞや、と上等なゲテモノを期待するが世の必定であろう。ところが本書『千里眼千鶴子』、ゲテモノはおろか、キワモノですらなかった。

 作者の光岡明(1932~2004)は、いくつかの作品で芥川賞候補となる一方、その数年後には一転直木賞を受賞している。最近あまり見かけない「文士」タイプの作家だったのだろうか。

 本書は直木賞受賞第一作、明治末に千里眼で世間、アカデミズム、マスコミを騒がせた二人の女性をテーマに、その経緯をドキュメンタリー風に追った中篇二篇からなる。ただし、この「ドキュメンタリー風」の「風」には大きな陥穽(おとしあな)があって、とくに御船千鶴子を主人公とした「不知火の女」では、千鶴子が死ぬまで決して外には漏らさなかったであろうことが綿々と記されていて実はほぼすべて作者の創作であることが窺える。

 つまりは作者が「巧い」のだ。
 さらには随所にちりばめられた

 長い間、海や浜や瘠畑で働きづめだった女たちは、(中略)積み上げられてきた人生の知恵はかすかな諦念の色合いを帯びて、次の世代がつまずくであろう人生の節目節目の障害を千鶴子の千里眼にすがって避けさせようとするのだった。

などの心理描写の底知れぬ深さ、(半可な推理小説が裸足で逃げ出しそうな)演繹的論理性。

 村人がこぞって不知火を見に浜に集う夜の光景はたとえようもなく美しい。
 しかし、その「不知火の女」の後半、村の生活や千鶴子の内心が描かれなくなるとともに物語は憐れみと妖しさを喪ってただ殺伐とし、続く中篇「福来博士の革命」にいたっては関係者の愚かしさが見苦しいばかり。それはおそらくそのまま作者にとっての「千里眼事件」の真実だったのだろう。お見事。

2010/03/08

ナイスタッチ、ナイスペア 『あなたに似た人』 ロアルド・ダール、田村隆一 訳 / ハヤカワ文庫

Photo 【夕陽をサカナにひとつ飲んでやろうかと】

 今さらですが、ダールの(たぶん「超」がつくほど)有名な短篇集、読了。
 巻頭を飾る短篇「味」はほろほろ舌をくすぐるビターテイスト、続く「おとなしい兇器」はある種のサスペンスの源流となったスタンダードナンバー、さらに「南から来た男」は世界中の掌編の中でも屈指の傑作……となると、その後の「兵隊」や「わがいとしき妻よ、わが鳩よ」あたりはどうしても見劣りして(「海の中へ」もよくできてはいるけれど、あざとさが少し鼻につきます)、そのへんでついついほかの本に浮気してしまう。そんなことをこの十年で二度三度繰り返して、今回とくに何があったわけでもありませんが、ようやく読み通すことができました。

 「韋駄天のフォックスリイ」「毒」「首」など、苦味の利いた妙手ももちろんいくつもありましたが、いくつか(とくにSF仕立てのもの)は凡庸といえば凡庸。贅肉を感じる作品もないではありません。
 ともかく「南から来た男」が抜群、とくにその締めの1文がすごい。同じ短篇でも、サキの「開いた窓」などでは最後に何もかもが明らかになるのですが、本作は最後に想像を絶するボリュームの“書かれていないこと”を指し示して終わります。長編並みの読後感を残す所以です(味わいはですからモームの「雨」に近いかもしれません)。

 ダールの原作もよいのでしょうが、田村隆一の訳文が素晴らしい。
 技巧的というわけではない。重々しい文体とはすっぱな台詞、ですます調とである調、カタカナ言葉と漢字熟語、などなど、あるべきところにあるべき言葉がぴたりぴたり当てはまって、さらり絶妙。
 田村隆一は「荒地」の主幹の一人であり、勝手に敬する「最後の詩人」の一人。訳文の悠々たる語り口調ももちろん、後書きの最後、「隆一再拝」なる言葉遣いにいたるまで、それはもうかなわぬカッコよさです。

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