フォト
無料ブログはココログ

« 2009年8月 | トップページ | 2009年10月 »

2009年9月の3件の記事

2009/09/28

コート100分割! 『ベイビーステップ』(現在9巻まで) 勝木 光 / 講談社コミックス

272 【軸足の位置を決めるところでほとんどやるべきことは終わってるから】

 スポーツの中では、昔からテニスが好きだ。
 先日の全米オープンでは、お調子者ジョコビッチが試合後にマッケンローのモノマネをしてみせたところ、テレビブースから飛び出してきたYシャツ姿のマッケンローがジョコビッチのモノマネ返し、そのまま2人でミニゲーム……くく、たまらん。
 楽天オープンは見に行きたかったのだが、油断してチケットをおさえ損ねてしまった。残念。

 ところで、テニスマンガもあれこれ好きなのだが、スポーツマンガなるもの、試合展開だけではどう工夫しようにも限界がある。
 たとえば、少年マガジン『ダイヤのA』(寺嶋裕二)、少年サンデー『最強!都立あおい坂高校野球部』(田中モトユキ)、いずれも毎週楽しみな野球マンガなのだが、たまたま最近、かたや地区予選決勝、かたや甲子園決勝と、ステージは違えどライバルとの重要な試合が重なった。そして残念なことに、2つの試合展開がそっくりなのである。
 負傷あるいは疲労したエースの代役が先発。天才肌の相手ピッチャーが本調子になる前に先制点。しかし相手チームも本領を発揮して逆転を許し、いよいよエースの登板……というのが現在までのところ。おそらくこの後いろいろあって、最後には相手エースの渾身の一球をはじき返し、劇的な再逆転で主人公たちが勝利するのだろう。……見え見えである。

 団体競技たる野球でもこれほどつらいのだ。テニスやボクシングのような個人競技では、試合ごとに新しい魔球、必殺技のインフレを起こしていくしかない。マンガだもの。
 ……いや、そうとも限らない。手はほかにもある。
 それが「練習」の面白さだ。魔球や必殺技に頼らずとも、練習と周囲のアドバイスで主人公が少しずつ伸びていく、その理屈っぽい構造的な魅力。

 勝木光の『ベイビーステップ』は、そんなプレイヤー構築の楽しさをじっくり見せてくれるテニスマンガだ。必殺技の出てこない地味な展開に早々の打ち切りも心配されたが、いつの間にか9巻まできた。赤いPRINCE DIABLO XP MPを手に、試合最中にもノートをつける優等生主人公丸尾栄一郎(エーちゃん)も、今やプロを目指してアメリカのテニスアカデミーに短期留学をするにいたった。しかし、練習試合では27戦全敗、ようやく勝つコツを見出しても、まだまだ(錦織圭をモデルにしたと思われる)同い年のプロプレイヤー池爽児には手も足も出ない。練習、練習。

 1日24時間テニス漬け、近代設備完備のアカデミーでも、指導は「コントロール向上のためにはコートを9分割したイメージで」とか「コントロールを気にするあまり手元を見すぎている」とか、さらには「自分を信じろ」とか、テニスマンガをいくつか読んでいれば素人でもアドバイスできるような内容ばかり、大丈夫かテニスアカデミー。いや、エーちゃんの目指していることはアメリカのプロのハードヒッター相手にコート100分割など、実は無茶苦茶ハイレベルではあるのだが。

 こういった作品は、主人公がスーパープレイヤーになってしまってはタダのヒーローマンガに成り果てる。このまま全国ジュニアあたりでじっくりエーちゃんの課題とその克服を描いてほしい。絶対そのほうが面白いって。

2009/09/22

暗い坂の底に沈む 『黒い玉 十四の不気味な物語』『青い蛇 十六の不気味な物語』 トーマス・オーウェン、加藤尚宏 訳 / 創元推理文庫

136  【「勝ったものが雌豚を見に行く権利を貰うのさ」】

 2冊ともに表紙にはルドンの黒い絵が遣われているが、よい選択だと思う。
 ルドンのざらついた(過度にぬめぬめしない)気色悪さ、いがらっぽい説明のつかなさ、そんな手触りがこの作品群と低音でノイジーに共鳴している。

 『黒い玉』には比較的オーソドックスな怪談、『青い蛇』には明確なオチや説明のない、ただ無闇に不条理で暗い話が、主に束ねられている。代表作とされる「青い蛇」にせよ「雌豚」にせよ、何が起こっているのか(起こっていないのか)、なぜ登場人物はそうするのか(しないのか)、最後に何がどうなってしまったのか、きちんと書かれているのにわからない。ただ、うっかりタールに触ってしまったような苦味が残る。

 2冊合わせて30の短編の中には、「~は実は死んでいた」「~は死体だった」という同工異曲が少なからず含まれている。しかし、同じネタを読まされた気がしないのは、象徴主義的技法を駆使したそこにいたる不快で濃密な展開のせいで、最後のオチにいたる前にこちらが十分斜めにずり落とされているせいである。

 作者はベルギーの代表的な幻想、怪奇小説家の1人。
 1910年、ベルギーの古都ルーヴァンに生まれる。「26歳のときに発病。精神病院を出たり入ったりして困窮のうちに第二次世界大戦混乱期に34歳で夭逝」……とか紹介できると実に似つかわしいのだが、実は2002年に91歳で亡くなるまで、トーマス・オーウェンの筆名で旺盛に怪奇幻想小説を発表し続ける一方ステファン・レイなる美術評論家として数千篇の美術批評を倦まず弛まず執筆、否、ここまではともかく、本名のジェラルド・ベルトはベルギー製粉業界の大立者で、わずか数年の間に「ベルギー製粉業総連合会会長」「ムーラン・デ・トロワ・フォンテーヌ社社長」「欧州経済共同体の製粉業協会連合会会長」「国際製粉業協会会長」そして「農業・食品工業連盟会長」に歴任。大実業家としての会議、出張の合間にこれら「不気味な物語」を書いていた……いや、いや、待て。普通は、そういう世界に入れない、入っても活躍できない者が薄笑いを浮かべて怪奇幻想にひたるのではなかったか。

 精神に巣食った濁った墨汁を、すべてこれら怪奇小説の形にして吐き出し、残る健全な肉体で元気に実業界を飛び回ったのなら……この作者そのものが一個の妖怪なのかもしれない。

2009/09/13

痛快時代劇 『2011年 新聞・テレビ消滅』 佐々木 俊尚 / 文春文庫

983 【要するに編集権をヤフーニュース編集部に奪われてしまうのだ】

 本作りとしては確かにいくつかミスがある。
 日米のマスメディアのあり方はかなり異なるというのに「アメリカのメディア業界で起きたことはつねに三年後に日本でも起きる」などという論調を冒頭に持ってきてしまったこともそうだ。

 それら勇み足への突っ込みは受けるに違いないが、全体の主張としては説得力に満ちている。
 いまや山火事のようにあちこちで騒がれているとおり、マスメディアの手法が終焉を迎えつつあること、どの方向にも手の打ちようがない段階に入りつつあることはもはや明らかだ。不景気なのではなく、ビジネスモデルとして成り立たなくなってきているのである。

 本書はマスメディアがマスメディアとして生き延びる道を取り上げては八方から塞いで叩きのめす。大手新聞やテレビ局の胡乱さ傲慢さにうんざりして久しい者には「溜飲が下がった」と認めること、やぶさかではない。
 マスメディア側の反論を細かく取り上げ、検討するという作業についてはやや粗さが目立つものの、総選挙前の民主圧勝を伝えた週刊誌同様、ビール片手に面白がって読むぶんには最高である。

 ところで、以前から不思議に思っていたことがある。企業が商品を企画、開発、販売し、さらに次の展開を検討する際には、対象顧客の細密な調査分析が必須である。
 しかるに、大手新聞はトータルの(しかも押し紙等のせいでおよそ正確とは言いがたい)発行部数以外になんら検討の素材がない。たとえば、新聞朝刊のどのコーナーがどの年齢層に実際にはどれほど読まれているか、といった資料など見たことがない。沢山の人に読まれているから影響があります、効果があります、と言われても昨今のビジネスシーンではマーケティングデータとして使い物にならない。この一点を見ても、大手新聞が現在の形のまま生き残るのは難しいように思われてならない。

« 2009年8月 | トップページ | 2009年10月 »