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2009年8月の3件の記事

2009/08/25

ソフトでビニールな愛のカタチ 『南極1号伝説 ダッチワイフの戦後史』 高月 靖 / 文春文庫

613 【うちの製品はお客さんが動かしてなんぼですから、ちょっと伸ばしただけで裂けるようじゃ売り物にならない】

 書店の平積で発見して、すぐにレジに走った。ダッチワイフの戦後史をたどるノンフィクション。企画の段階で脱帽だ。

 ご存知ない方のためにちょっとだけ説明しておくと、ダッチワイフとは、性的な用途に用いられる等身大の人形のこと。年配の男性の中には、ある種の雑誌のモノクロ広告ページに掲載された、粒子の粗い写真を記憶されている方も少なくないだろう。あの、ポッカリ口を開けた美麗とは言いがたい浮き袋のような風船人形。用途の隠微さもあって大っぴらに話題にできない、さりとて心のくぼみから消し去ることもできない、そんな切なくも滑稽なオブジェ、それがダッチワイフである。

 ところが、いずこの世界にも技術の進歩はあるもので、ダッチワイフは知らないうちに「リアルドール」「ラブドール」等と呼び名を変え、恐ろしいほどに美しくかつ高価な人形に姿を転じていた。
 論より証拠、「オリエント工業」「4woods」「LEVEL-D」といった主だったメーカーのホームページを覗いてみよう。ドールたちの美しさに部屋の空気が冷える思いがするに違いない。

 本書『南極1号伝説』は、そのダッチワイフ~リアルドール、ラブドールへの変遷を綴ったノンフィクションである。
 表題の「南極1号」とは、かつて南極越冬隊員の性的欲求不満を解消するために南極まで持ち込まれたという伝説的なダッチワイフの名称。これが1956年のことで、ソフビ、ウレタン、シリコン等を用いた高級なドールがヒットし、主流となったのが1990年代のこと。

 最新のシリコン製のリアルなドールは、ソフトな手触りを維持するためにオイルが混合されていて、染み込んだオイルの含有量が多いとシーツが汚れ、衣装の色がドールの肌にうつってしまう。ウレタンやシリコンの手足は、扱いが荒いと、消しゴムのようにぱっくり割れてしまう。そもそもリアルに造られたドールは非常に重く(数十キログラム)、風呂場で洗ったり衣装を着せたりにするのに一苦労、などなど、直接触れたことのない者には想像もつかないリアルな情報が文字通り満載で、どのページをめくってもともかく面白い。
 国内の主なメーカーへのインタビューは会社の成り立ちから開発苦労談を中心としたものだが、力みかえることのない、営業臭さのない語り口はそれぞれ淡々としてとても読み心地がよい。

 ただ、1冊のノンフィクションとしてみるとどうだろう。『南極1号伝説』には食い足りないところも少なくない。
 そもそも表題の「南極1号」についてのドキュメンタリーとして期待しすぎると思い切り肩透かしを食らう。50年以上昔の、それもあまり公にはしづらい話題である。コラム程度と考えたほうが無難だろう。また、最近のリアルなドールについても、歴史、製造法や開発者インタビューなどの記載がなんとなくバラバラで、どうもおさまりが悪い。ドールの写真がモノクロで、点数が今一つなのは、文春文庫として電車の中で読まれることを考えるとこのくらいが限界か。

 もう1つ、問題は、リアルなドールにつきまとう人形愛のあり方について、その深さ、濃密さを十分に掬い上げられているように思えないことだ。たとえば、オリエント工業のホームページに用意された「ユーザーズリンク」に並ぶドールのユーザーサイト、これらにおいて、衣装を身につけ、目や唇に濃く薄く化粧を施され、さまざまなポーズをとったドールたちに漂う独特の匂いのようなもの(ハンス・ベルメールや四谷シモンと通じるものもあり、異なるものもある)。この空気を本書が十二分に伝えられているとは正直思えない。

 しかし。ダッチワイフという切り口をノンフィクションの対象に取り上げたアイデア、それを形に仕上げ、文春文庫といういわば公民権のある場所にまで持ち出した功績は大きい。
 この覗き穴から、見えてしまうものはいったい何だろうか。それは、本当に見てしまってよいものなのだろうか。

2009/08/16

楽しい無数の追憶 『のだめカンタービレ(22)』 二ノ宮知子 / 講談社 Kiss KC

452 【のだめ もっとガツンといきたくなったんで オケもガツンときてください】

 単行本年3冊以上と、走るような速さで上演を続けてきた『のだめカンタービレ』だが、今回は作者の妊娠、出産にともなう休載のため、ちょうど1年ぶりの新刊となった。なので、ヨーロッパにきてから話がどうなってきたのだったか(いくつかの断片を除いて)よく思い出せない。
 そこは後で読み返すとして、とりあえず新刊に目を通そう。

 ……すごい。鳥肌が立つ。

 シュトレーゼマン(ミルヒー)率いるオケとのだめのリハ。
 シュトレーゼマンのロンドン公演でデビューするのだめの演奏。
 シャルル・オクレールとシュトレーゼマンの(のだめをめぐる)静かな対決。

 音楽を題材にした描写があまりにもよくできているため、ときどき、これが主人公たちにとって本当は痛々しいまでに過酷な物語だということを忘れてしまう。

 今回の1冊の中では、千秋とのだめの仲はすれ違ってばかりでうまくいかない。まるでそれを埋め合わせるかのように、カバーの裏表紙では千秋とのだめがオープンカフェで静かな時を過ごしている。この賑わしい1冊の中で、ほとんど唯一心の落ち着く、穏やかなカットだ。
 このように存ることのできない作中の二人を切なく思う。

2009/08/03

組織をはぐくむ夢 『オーレ!』(全5巻) 能田達規 / 新潮社BUNCH COMICS

228 【あとひとつ 中島さんから伝言がある】

 先に紹介した『GIANT KILLING』の売りが「サッカー漫画では未知の領域である監督をテーマに描く」なら、こちら『オーレ!』はチームの運営・経営によりフォーカスした、いわば社長育成をテーマにしたサッカー漫画である。

 主人公の青年中島順治は、サッカー選手でも監督でもない、サッカーに詳しいとさえいえない一地方公務員。
 ひょんなことから弱小プロサッカークラブ「上総オーレ」に出向を命ぜられた中島は、通訳兼アドバイザーという中途半端な立場から、2部リーグ下位で観客動員に苦しむクラブの実態を目の当たりにする。
 彼は当初は公務員ならではの理想論をふりかざし、周囲の反発を買うが、やがてチームの強化と地域の復興を生涯の目標とみなし、さまざまな難題に挑んでいく。低迷しているとはいえトップリーグに所属する『GIANT KILLING』のETUに比べても、上総オーレの目先の敵はより明確に「貧乏」と「人手不足」なのだ。
(サッカーチームの経営といえばセガの『プロサッカークラブをつくろう!』(通称「サカつく」)だが、「サカつく」ではプレイヤーは最初からチームのオーナーとしてある程度の権限を握っている。一方、『オーレ!』の中島は、上総オーレ出向時点ではボランティアスタッフからさえ軽んじられる不勉強な傍観者に過ぎない。だからこそ、3巻、プロリーグ残留のかかった重要な試合のさなか、選手たちへの伝令が口にする「あとひとつ 中島さんから伝言がある」というセリフは、中島のチーム内でのポジションの高まりを描いて痛快なのだ。)

 『オーレ!』の1巻から4巻までは、弱小チームが2部リーグからの降格危機をいかに乗り切るかというオーソドックスなスポーツマンガの体裁をとっている。それと並行して、チーム運営にかかるコスト、選手との契約、自治体との関係、地元へのプロモーション、細かいところでは試合後のゴミ処理など、チーム運営にかかわる大小のテーマが次々取り上げられていて興味深い。このあたり、主人公がサッカー経営に詳しくないことが描写にうまく活用されている。最終の5巻にいたるとサッカーの試合はほとんど描かれず、ドイツに赴き市民スポーツとして根付いたブンデスリーガのありさまを直接体験した中島が、上総市と上総オーレの未来のために身を投ずる覚悟を決めるにいたる過程が描かれるばかりだ。

 物語は後日譚として、上総オーレの社長となり、チームをトップリーグの強豪に育て上げた中島が、なおも世界のトップへの道を模索するシーンで終わる。もちろん、覚悟だけで経営ができるわけはなく、上総オーレの経営が改善されるにいたったさまざまな努力は結局描かれていない。そのため、経営をテーマとする作品としての『オーレ!』は荒削り、未完成と言わざるを得ない。しかし、その隙間を埋めて読もうとする者には非常に有意義なテキストの1つとなるだろう。

 たとえば、中島が上総オーレのスポンサーになってもらおうと日参する海運富豪の大河原老人のセリフ、

  「人は『故郷のために……』などという理念に金を出したりはしない
   その理念を体現した人間のために金を出すのだ」

これなど、読み手によっていかようにも読み取れそうだ。
 よくできたスポーツマンガの常で、『オーレ!』にはほかにもチャッチーなセリフがたくさん登場する。経営、運営の問題に直面している方には、心に沁みる言葉も少なくないのではないか。推奨したい。

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