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2009年5月の4件の記事

2009/05/23

グッジョブ 『悪夢の観覧車』木下半太 / 幻冬舎文庫

832 【家族が幸せだった日の、朝食の風景】

 うーん、面白かった!

「ゴールデンウィークの行楽地で、手品が趣味のチンピラ・大二郎が、大観覧車をジャックした。スイッチひとつで、観覧車を爆破するという。目的は、ワケありの美人医師・ニーナの身代金6億円。警察に声明文まで発表した、白昼堂々の公開誘拐だ。死角ゼロの観覧車上で、そんな大金の受け渡しは成功するのか!?」

 引用が少し長いが、文庫カバーのこの惹句は以前から気になっていた。
 「観覧車上で6億円の身代金の受け渡し」、どう考えても難しい。観覧車外の誰かに受け渡しするのではありきたりに過ぎる。観覧車の窓から撒き散らす手はどうか。大金の身代金の目的はターゲットのダメージということもあるからだ。問題は犯人がどうやって逃れるか……そもそも、なぜわざわざ観覧車を選ぶ?

 読み始めてすぐ、この観覧車が大阪は天保山ハーバービレッジの大観覧車であると知って嬉しくなった。ほんの1ヶ月ばかり前に家族で大阪旅行に出かけ、その大観覧車の隣の海遊館でジンベエザメを見てきたところだったからだ。

 ストーリーは、何人かの登場人物、それぞれの現在と少し昔が交互にからまって、笑わせつつビターな展開を示す。身代金の受け渡し、そもそもの犯行の目的。なるほど、ね。セットで納得で満足だ。
 ありがとう。

2009/05/19

愚挙 『マタンゴ 最後の逆襲』 吉村達也 / 角川ホラー文庫

759  【マタンゴに感染した人間の生命は、もはや人間のルールには従わない。】

 書いてはいけない本がある。東宝の了解を得られたとしても、作者に『マタンゴ』へのリスペクトがあったとしても、いやリスペクトがあるならあったほど、書かれるべきではなかった。

 マタンゴは、恐ろしい。

 東宝映画『マタンゴ』。
 封切は1963年、同じ東宝の怪獣映画『キングコング対ゴジラ』の翌年、『モスラ対ゴジラ』の前年で、巨大キノコ怪獣が暴れまわる映画と勘違いした(そう勘違いしてしかたない予告ポスターだったのだ)日本中の小学生が封切館におびき寄せられ、あのラストシーンにキャッと悲鳴を上げたまましばらく夜一人でトイレに行けなくなった。

 ストーリーはシンプルだ。六本木のナイトクラブに遊ぶ金持ちや学者、作家たち男女7人がヨット遊びに出、嵐に遭って漂流する。流れ着いたカビだらけの無人島で、彼らは食料と女をめぐり、エゴと欲望をむき出しにして争う。やがて彼らの背後に現れる怪しい影。その島のキノコを食べると、人はキノコ様の怪人になってしまうのだ。しかし、極限の飢餓の中、若者たちは一人、また一人とキノコに手を出していく。

 40年以上昔の映像だけに、CGを多用した昨今の映像に比べるとクリアさでは劣る。しかし、打ち捨てられた難破船の船室の湿っぽさ、洞窟のようなキノコの森の壮絶な光景は、ヘビやクモやナメクジに感じられるあの「触ってはいけない」、「触ったら何かがうつりそう」な不潔感、気色悪さに満ちている。

 怪人マタンゴは決して強大な脅威というわけではない。火や強い光に怯え、打ちすえれば腕がもげ、銃で撃てばあっさり倒れる。怪人マタンゴはただ群れて立ち、見つめ、誘うだけなのだ。キノコのように。
 『マタンゴ』が当時の他の怪奇映画と一線を画したのは、そこに描かれた恐怖の素因が、自分自身の肉体と精神が醜い怪物と化すことにあった。巨大怪獣が夜の都市を襲う恐怖、吸血怪人が闇から現れる恐怖などとは次元が違う。怪人マタンゴがドアの向こうに立つのもそれはそれで怖いが、それ以上に、追い詰められた自分が、清廉な恋人が、逃れようもなくそのグロテスクな怪人に変じてしまう、それこそが恐ろしいのである。

 ……などということは、DVDか何かでひとたび『マタンゴ』を見ていただければわかることだ(映像の雰囲気が知りたいならYouTubeで映画の予告篇を探してみるといいだろう)。お子様ランチ化した平成ゴジラなどと異なり、一篇の映画作品として、大人の鑑賞に堪える内容、品質であることは保証しておきたい。

 さて、角川ホラー文庫『マタンゴ 最後の逆襲』は、ミステリ、ホラー作家の吉村達也が東宝の了解を得て発表した、映画『マタンゴ』の後日譚である。

 「富士山麓の樹海の奥深く、大型ヨットが浮かび、亡霊がさまよっている──その「都市伝説」を確かめようと訪れた五人の男子学生と二人の女子高生を包み込む極彩色の胞子の霧。そして現れたキノコの怪物!」というオープニングの設定はまだしも、意思を持ったかごとき「極彩色の胞子の霧」があまりに超常的で、読み始めてすぐに不安になる。悪い予感はあたり、マタンゴの発生に放射能実験云々の理屈をつけてみたり(映画の予告篇で安易に語られた「放射能が生んだ」という設定は、映画本編で削られている。卓見だろう)、国際バイオテロとからませたり、あげくに巨大マタンゴに変身前の人の意識を持たせるにいたってはもはや『マタンゴ』への冒涜である。

 水野久美が嫣然とキノコを口にするシーン──色っぽくむき出しになった足がすでに一部ケロイド状に変色しているのが美しくグロい──がなぜ怖いか。「せーんせーえ、せんせーえ」と清楚な笑顔のまま久保明を招く八代美紀がなぜ怖いか。そこにいるのが、まったく同じ顔をしていながら、すでに自分たちの知っている人間ではないからではないか。

 吉村達也の『マタンゴ 最後の逆襲』に登場するマタンゴは、ただキノコに似た、巨大でほこりっぽい着ぐるみにすぎない。平成キングギドラにも見受けられたやたら複雑な設定、大掛かりな理由付けをかぶせて今ふうの(ハリウッド映画を少しチープにしたような)アクションシーンへとなだれ込み、「マタンゴに感染」「村井マタンゴ」「米軍のマタンゴ研究チーム」……悪い冗談のようだ。
 これはもはや、あの底なしに美しく、果てなしに恐ろしいマタンゴの胞子を受けた嫡子ではない。小麦粉か何かだ。

2009/05/12

久々の復刊を言祝ぐ 『弁護側の証人』 小泉喜美子 / 集英社文庫

561 【わたしたちは、面会室の金網ごしに接吻した】

 古い探偵小説やテレビのサスペンス劇場にいくらもありそうな設定と展開に「ふふん、それで?」とページをめくるうち、後半のあるところまでくると……思わず「ちょと待てぇ、おい、こら」と少々上品とは言いがたい声がもれてしまう。見事してやられたことに憤懣やる方ないが、人目に隠れてページを戻してみると実は決して騙されたわけではなく、こちらが勝手に読み違えただけではないかと悟り、もうグルグルうなり声を上げるしかない。

 小泉喜美子といえばハヤカワ・ミステリ文庫のP・D・ジェイムズやクレイグ・ライスの翻訳者としてお世話になっている名前だが、実は小粋な都会派ミステリをいくつも書き残した先鋭的な作家でもある。
 美しく洗練された海外ミステリを愛し、返す刀で犯人あてやトリック追求ばかりの型にはまってしまった日本のミステリに対しては山猫が歯牙にもかけぬ扱いだった。当然、当時の推理文壇との軋轢もただならぬものがあったと推察される。

 『弁護側の証人』(1963年)は、その小泉喜美子の処女長編にして代表作。タイトルがクリスティの法廷劇『検察側の証人』の(文字通り)翻案であるあたりもこの作者らしい。
 主人公は美人で強気な元ヌード・ダンサー、彼女は資産家の御曹司と結婚して豪邸に移り住むが、そこでは(当然のように)彼女への偏見と悪意が満ちあふれる。そしてその邸宅で義父の資産家が殺害され……。

 元ヌード・ダンサーが若妻として白い目で見られるという設定、登場人物それぞれの濃さ、熱っぽいセリフ展開、それらはいかにも「昭和」の手触りであり、現時点からみればさすがに古臭い言葉遣いも目につく。
 しかし、作品の構造は見事なまでにアクロバティックで、叙述ミステリ流行りの当節の新作に交えてもまったく遜色ない、いやむしろ手際のスマートさと骨太な構成という相反する要素において堂々勝っているように思われてならない。
 古今のミステリの名作の数々が「その当時としては斬新だったに違いない」と留保付きの感興を招くのと違い、死体と油断して皮膚を切ったら動脈から血が吹き出したような鮮烈さだ。

 この『弁護側の証人』は久しく品切れ状態が続いていたが、この4月に集英社文庫として30年ぶりに装丁を変えて再版された(添付画像は1978年発行の旧版)。まずは目出度い。静かに祝杯をあげよう。

 小泉喜美子自身は「1985年、酒に酔って新宿の酒場の階段から足を踏み外して転落し、脳挫傷を負い、意識が戻らぬまま外傷性硬膜下血腫で死亡した。」(Wikipediaより)
 亡くなり方も、一から十まで昭和の人だった。合掌。

2009/05/06

名探偵、ありがちな落ちで戸惑いを誘う 『葉桜の季節に君を想うということ』 歌野晶午 / 文春文庫

365  今さらで申し訳ない。いちおう立ち位置だけ表明しておこう。

 「2004年版このミステリーがすごい!」「2004本格ミステリベスト10」「第57回日本推理作家協会賞受賞」「第4回本格ミステリ大賞受賞」、いずれも「第1位」なのだそうだ。版元が文庫の帯に「これが現代ミステリーのベスト1です」と持ち上げたくなる気持ちもわからないではない。

 ところがいざ読んでみると──これが別段面白くない。
 青臭いハードボイルド調が鼻につくこともあるが、最後の種明かしに世評ほどびっくりできないのだ。

 この作品のメイントリックは、かつて多産された(それもB級の)SFショートショートでよく見うけられたパターンの一種である。
 ページを費やしていても、仕組みは同じ。

 もちろんありがちな枠組みであっても、詰め物次第なのだが……「君を想う」という言葉があまりに軽すぎて、入り込むこともできない。

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