フォト
無料ブログはココログ

« 「退屈な話」「かもめ」「ワーニャ伯父さん」「三人姉妹」「桜の園」ほか ──アントン・チェーホフ | トップページ | 追想のアンドレ・ブルトン その一 »

2009/01/20

翻訳の難しさ 『高慢と偏見』 ジェーン・オースティン、富田 彬 訳 / 岩波文庫、『自負と偏見』 オースティン、中野好夫 訳 / 新潮文庫

671【独りもので、金があるといえば……】

 トーマス・マンの『魔の山』同様、いや、それ以上に一生縁がないと思っていたオースティンの『高慢と偏見』だが、この年末、ふと手に取り、風呂や新幹線の中でぱらぱらめくっているうちに気がついたら読み切ってしまっていた。いつかはこんなふうに『失われた時を求めて』を読みたいと思う日が訪れるのだろうか。まさか、ね。……いや、人生何が起こるかわからない。

 さて、『高慢と偏見』、あるいは『自負と偏見』(原題 Pride and Prejudice)というのは……。
 今から200年ほど前に書かれた、イギリスの片田舎を舞台に、ベネット家の次女エリザベスが資産家のダーシー氏と出逢い、舞踏会、散歩、旅行、誤解が生じ、誤解が解け、紆余曲折の末にめでたく結婚する、それだけといえばそれだけの話だ。
 ハリウッド映画のように急展開やどんでん返しがあるわけではない。人間の存在について深くえぐるとかそういうものでもない。だが、確かに、不思議と面白い。眠れなくなるほどではないが、ページをくるうち静かにたっぷりと章が進んでいく。ときどきページをめくり返して人物の紹介や小さな事件、主人公の観察の意味を確認し、また読み進む。すると、作者の周到な用意に驚かされる。誰それが後半でこうなることは、ここですでに予見されていたのか! 誰それのここでの困惑が後半のあのシーンにつながるとは! などなど。面白さにはちゃんと理由がある。
 作者は本当に頭のよい人だったようだ。

 岩波文庫版は1983年発行(90年代に改版)とわりあい最近の翻訳なのだが、全体に英文直訳調で堅苦しい。たとえば
 「貴下と私の亡父との間につづいていた不和は、ひどく私を不安にしました」
とかいった按配。
 新潮文庫版の翻訳が評価も高いようなので、岩波文庫版を読み終えてすぐ新潮文庫版を手に入れて読んでみる。
 先ほどの同じところが、新潮文庫版だと
 「貴殿および小生亡父との間に生じていました不和につきましては、多年小生心痛の種でありました」
と、なるほどこちらは(手紙だからと意図的に大げさな言葉遣いが用いられているものの)流れとしてはスムーズで読みやすい。

 ただ、岩波文庫版より新潮文庫版のほうがすべてにおいてまさっているかといえば、やはり一概にそうでもないから悩ましい。

 英文直訳調だからこそ伝わるものもある。先に引用したのはコリンズ氏なる人物がベネット家にあてた手紙の冒頭の一節なのだが、彼の慇懃な物言い(=早い話がおべんちゃら)に対する作者の皮肉、手厳しさは岩波文庫のほうが格段にわかりやすい。新潮文庫版では一つひとつの表現が読みやすいだけ、コリンズ氏やキャサリン夫人ら敵役の言動がすんなり流れてしまい、その分作者のまぶした毒粉の苦さが残らないのだ。

 また、心のうちに恋慕を秘めた若い男女の会話、これがなかなかよろしくない。
 岩波文庫版はあまりにも堅苦しいし、新潮文庫版では文末の「ねえ」の多用が気になる。

 1813年に発表された作品とはいえ、オーソドックスな英文、ストーリーや単語も日常的なものだけに翻訳はさほど難しくないだろうに、と考えてしまうのが素人の浅はかさ。岩波文庫版、新潮文庫版を(とくに細部を比較しようなどという意図なしに)続けて読んだだけで、翻訳という作業、選択の難しさがしのばれる。

 たとえば……。

 物語の後日譚として、エリザベスの父親が、先のコリンズ氏に思いっきり嫌味な手紙を送る一節がある。「(娘のエリザベスとダーシー氏の結婚に反対した)キャサリン夫人をできるだけ慰めてあげてほしい、もっとも自分ならキャサリン夫人より甥のダーシー氏の肩を持つだろう」と記して手紙を〆るのだが、その理由が岩波文庫版では
 「甥の方がたんまりくれますもの──」
 ……どうもピンとこない。ダーシー氏がいかに金持ちであっても、結婚相手の父親に「くれる」ものだろうか?
 新潮文庫版では、同じ一文が
 「勿論彼のほうが、たんまり持ち居る故なり」
となっていて「くれる」ニュアンスがない。こちらのほうがシンプルで納得しやすい。
 ついでに河出文庫版(阿部知二訳)も調べてみた。
 「そちらのほうが、たくさんの贈与聖職禄を持っておられます」
 なんとダーシー氏がコリンズ氏にお金を「くれる」話になってしまった。
 ちくま文庫版(中野康司訳)も
 「聖職禄の件など、ダーシー氏のほうがいっそう貴殿のお役に立つと思われます」
と、河出文庫版に右へなれ。しかし……これでは慇懃だが無神経なコリンズ氏に最後に一発きつい皮肉を投げつけるという読み手の楽しみが失われてしまうと思えるのだが。

 この一文、原書ではなんと書かれているのか。インターネットで探してみた。すぐに見つかった。

 “He has more to give.”

 これだけ? これだけ。

 なるほど……翻訳は難しい。

« 「退屈な話」「かもめ」「ワーニャ伯父さん」「三人姉妹」「桜の園」ほか ──アントン・チェーホフ | トップページ | 追想のアンドレ・ブルトン その一 »

小説・詩・文芸評論」カテゴリの記事

コメント

むさ。さん、こんにちは。
最近、ダンテの『神曲 地獄篇』を、初心者でもわかりやすいと評判の平川祐弘訳(河出文庫)でわからんながらも読み返しているのですが、訳者本人による解説に、直訳すれば
「自己の潔白の自覚は鎖帷子のように自分を守ってくれる」
という喩えが用いられているところ(地28歌117行)を、
「自己の潔白の自覚が人に強みを与えてくれる」
とした、とありました。
確かにわかりやすくはなったかもしれませんが、そんなに意味を削っていいのかな、と思われたことでした。

通りすがりです。
「高慢と偏見」に限らず、翻訳ものがすべて苦手です。この手の文芸からSF、ミステリと雑読ではありますが、いつも読み終わって「?」となる部分が少なからずあります。
この「高慢と偏見」にしても、日本語がねじれてて、これだったら日本語的にこうしたほうが読みやすいのに!って思うことが何度もありました。

“He has more to give.”
自分なら、「彼のほうがより様々な面で優っていますからね」と訳したいかなと思ったのですが、それだとちょっと直接すぎるでしょうか。
伝えたいニュアンス、当地の価値観やら表現ってものをより的確に表現しつつ、日本語としてわかるような文章にするというのは実際、難易度の高い作業なのかもしれませんね。
それでわかりやすくやると、某戸田女史のように誤訳と非難される火種になる、と。
通りすがりで失礼しました。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/547008/46409225

この記事へのトラックバック一覧です: 翻訳の難しさ 『高慢と偏見』 ジェーン・オースティン、富田 彬 訳 / 岩波文庫、『自負と偏見』 オースティン、中野好夫 訳 / 新潮文庫:

« 「退屈な話」「かもめ」「ワーニャ伯父さん」「三人姉妹」「桜の園」ほか ──アントン・チェーホフ | トップページ | 追想のアンドレ・ブルトン その一 »