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2008年10月の3件の記事

2008/10/20

名探偵、だかなんだかわからない 『未明の悪夢』『恋霊館事件』『赫い月照』 谺 健二 / 光文社文庫

940【テントに入ると、圭子は相変わらず毛布にくるまって横になっていた。】

 人は、巨大な岩や壮大な伽藍の前に立てばとりあえず驚嘆の声を上げ、拝観料のなにがしかを支払うにやぶさかでない。ただし、その岩や伽藍が本当に感嘆に値するものだったかとなると、後で記念写真を見返してもよくわからない。

 谺(こだま)健二の三部作『未明の悪夢』『恋霊館(こりょうかん)事件』『赫(あか)い月照』は、その分厚さで巨大な岩のように読み手の前に起立する。

 物理的なボリュームのことではない。
 ページ数でもっと分厚い本なら観光地の数ほどある。1冊めの『未明の悪夢』は447ページ、当節のミステリ長編として長いほうですらない。
 しかし、この447ページが、厚い。この作品に描かれた猟奇殺人事件は、1995年1月17日の未明に神戸を襲った阪神・淡路大震災を背景としており、ページの大半は震災前、震災後の神戸の街のありさまを記録することに費やされているためだ。

 やがて土の間から、からまった植物の根のような物が出てきた。小石を払いのけている内、それが人の頭だということに気が付いて、有希は愕然となった。

 その少し南の十二階建てのニッセイビルは、途中からへし折れていた。四階がなく、これも車道の方に傾いている。砕け散った窓々から凧の足のような物が白く無数に垂れ下がっているのはブラインドだろうか。

 四角いチーズケーキを上からバターナイフで叩き潰したように、横に長いスーパー・ダイエーの建物が中央部を陥没させて潰れている光景を前に、有希はこの日、何度目かの自失に陥った。

 決して器用とは言いがたい震災の描写に背を押され、読み手は続く『恋霊館事件』を手に取る。テント生活を続ける主人公達のその後と奇妙な事件を描く中・短編集だ。さらに、(少し首を傾げながら)3冊めの『赫い月照』にも手を伸ばす。こちらは辞書と見まがう913ページ、震災後の神戸市須磨区で起こったあの現実の連続殺人に想を得た長編ミステリである。

 3冊めを読み終わったころ、読み手はふと我に返る。

 地震による倒壊のショックで震災以後ずっと公園のテントや仮設住宅で寝たきりの占い師、雪御所圭子が名探偵足り得るのはなぜだろう? ほとんどオカルトではないか。
 ワトスン役の私立探偵有希真一が、私立探偵らしい活動を見せる場面がほとんどないのはなぜ?
 複雑怪奇と思われた事件の大半で、「偶然」が大きな要素を占めているように見えるのだが、本格ミステリとしてこれでいいのだろうか?
 バラバラ死体、密室殺人、犯人消失など、猟奇的、トリッキーな事件が連発するが、はたして犯人にはそこまで事件を複雑にする必然性があったのだろうか?

 実は、3冊めを読み終わったときには1冊め『未明の悪夢』の犯人が誰だったのかをもう思い出せない。
 2冊め『恋霊館事件』では、思わず失笑してしまうような推理ばかり記憶に残っている(猫を……に使う? 洋館の壁が……!?)。
 3冊め、『赫い月照』内の中学生が書いたような作中作は、少なくとも
  「さあゲームの始まりです」
  「今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として認めて頂きたいのである」
  「ボクには一人の人間を二度殺す能力が備わっている」
等々キレのよい名言と抑制にあふれた少年A=酒鬼薔薇聖斗の犯行声明、犯行メモの足元にも遠く及ばない。

 ……だが、これほどに難点、粗だらけでありながら、本三部作は重く、長く、そして読了後に後をひく。震災は確かに町並み以外の何かを内側から破壊したのであり、そしてそれは底のほうを通して伝染するのだ。
 ただ、幸か不幸か3冊めがあのような没義道な閉じ方をしたことで、読み手は空しく4冊めを待つということだけはせずに済みそうだ。バモイドオキ神の思し召しである。

2008/10/14

名探偵の英才パズル塾 『千葉千波の事件日記 試験に出るパズル』ほか 高田崇史 / 講談社文庫

786【まあ、今日も色々とあったけれど、終わり良ければ全て良しってことだね。】

 1980年代後半から90年代前半にかけて、新本格派と称される若手ミステリ作家が続々と登場した。彼らの手になるトリッキーな作品群は、本格推理に餓えた読者に熱烈に歓迎される一方、書評欄などで「人間が描かれていない」と酷評されることも少なくなかった。
 新本格派の作家たちからは、繰り返し「大切なのはトリック」「目的は小説でなくパズル」といった反論がなされたが、とはいえ実際のところ、彼らの作品の多くは(少なくとも外面上)小説の体裁を捨てず、動機や犯意の発露において悩める人間をなぞることをやめてしまうわけでもなかった。

 ところが、いたのである。「小説でなくパズル」をとことん具現化してみせる作家が。

 高田崇史は、本格ミステリでは後発の一人だが、歴史上のさまざまな事項、人物に着目し、その謎解きと現在に起こる事件のトリックをからめて重厚な作品に仕上げる実力派とされている。代表作はメフィスト賞受賞の『QED 百人一首の呪』を端緒とする『QED』シリーズ。
 ……との評判を受けて『百人一首の呪』を手に取ってみたのだが、なるほど噂にたがわずその薀蓄はもの凄い。ただ、個人的には感心しなかった。百人一首の謎解きには圧倒されるのだが、その謎とストーリー中の殺人事件とがばらけた感じなのだ。
 「百人一首の謎解きだけで本になってたほうがすっきり面白かったのではないか?」、これほどの労作に対し、申し訳ないがそれが正直なところで、高田崇史は結局それきりになっていた。

 『千葉千波の事件日記 試験に出るパズル』を読んだのは、理由を書くほどもないたまたまのことだったのだが、いや、驚いた。脱帽だ。

 この作品において、作者はもはや「小説」などという作法も体裁もかなぐり捨ててしまっている。一読すぐにわかることだが、あの懐かしいクイズ本のベストセラー、多湖輝の「頭の体操」に肌触りがそっくりなのだ。
 登場人物は「ぴいくん」(語り手、浪人生)、「千葉千波」(ぴいくんの従弟、眉目秀麗な天才高校生)、「饗庭慎之介」(ぴいくんの同級生)ほか若干名。ストーリーは、この3人が時間を持て余したり、なんらかのイベントで集まって、それから時間つぶしにパズルが出題され、それを解くうちに周囲に奇妙な事件が起こりさらにそれを解く……ただそれだけ。

 この事件というのが、怨恨による殺人などといったどろどろしたものではなく、
  正直者の小坊主、嘘しかつかない小坊主、本当のことと嘘とをきちんと交互に口にする小坊主……
とか、
  二人乗りが精一杯な船で、犬をふくめて全員川を渡るには……
といった、まさに「頭の体操」テイストのクイズ、パズルなのである。
 そんなパズルが、

 その上千波くんときたら色白の文学青年で、背はスラリ、髪の毛サラリ、時折りそれをパサリと掻き上げる、スラリ・サラリ・パサリ青年なんだ。

 だってぼくらは、受験生なんだからね。いつだって余分な時間なんてないんだ。本当だよ。

といったライトな文体に乗って、クイズ本でおなじみのシンプルなイラストや図式と一緒にスラリ・サラリ・パサリと提供される。

 快感である。少なくとも小説としてどうとか、人間が描かれているかとかに悩む必要はないんだからね。本当だよ。……と1冊読み終わるころには「ぴいくん」口調にすっかり染まり、気がつけばほかのどんな探偵より、真鍋博テイストのぴいくんや千波のほうが心地よくシャープにみえてくるんだからふしぎだね。続刊が楽しみだよ。

 文体を戻そう。『千葉千波の事件日記』は『試験に出るパズル』『試験に敗けない密室』『試験に出ないパズル』『パズル自由自在』とシリーズ化され、いずれも文庫で手に入る。シリーズ4冊の文庫には、それぞれ森博嗣、真中耕平、有栖川有栖、大矢博子の解説が付与されているが、いずれも(首をかしげたいところも含めて)読みでがある。解説だけでも立ち読みに耐えるクオリティである。

 一つ付け加えるとしたら、作者高田崇史は『QED』シリーズの探偵同様、薬剤師という本業をもっているとのこと。思い起こせばE.A.ポーの創始以来、探偵は本来ディレッタントだった。小説、人間を描く、犯罪を描く、そういったいわば「正面ワザ」ではなく、趣味、脇道の方面から、しかし正面からに比べても格段に精緻、柔軟、深みにいたる、それが本格推理の由緒正しいあり方ではないか、などと思ってみたりもする。

 もう一つ。諸氏の解説でも取り上げられていることだが、「頭の体操」や本シリーズに漂う、奇妙な怖さの問題。よくわからないが、たとえば、本作のとことん明るくて好人物だらけのパズル世界では、嘘つき村の住人が嘘しかつかないように、いつかとことんピュアな悪意も登場し得る、その恐ろしさ、というのは、さてどうだろうか。

2008/10/06

名探偵、意地悪に黒く笑う 「とむらい鉄道」 小貫風樹 / 初出 光文社文庫『新・本格推理03 りら荘の相続人』

587【事態を解決することと、解明することは違うんだ】

 ミルク味もいいだろう。ナッツ入り、ウィスキーボンボンも捨てがたい。しかし、舌の奥でほろ苦く溶けるブラックチョコレートの味わいはまた格別だ。
 探偵も同様、五月蠅いのから呑気なのまで、いろいろ登場するから楽しい。楽しいが、語ることなすことに容赦逡巡ない黒い探偵の切れ味鋭いパフォーマンスを味わいたいというのもまた、秋の夜長の心音である。
 そんな探偵を一人紹介しよう。
 久世弥勒(くぜみろく)。ミステリ短篇「とむらい鉄道」に登場する探偵である。

 作者の小貫風樹(おぬきかざき)は、その名において職業作家ではない。プロの作家がペンネームを用いて寄稿した可能性も否定しないが、その蓋然性は低い(後述する)。
 今のところ、本格推理小説の投稿先として知られる『新・本格推理』(※1)の『03 りら荘の相続人』に「とむらい鉄道」「稷下公案」「夢の国の悪夢」の3作が発表されているのみ。

 ともかく、「とむらい鉄道」が際立って素晴らしい。
 「全国赤字路線安楽死推進委員会会長」を名乗る何者かによる爆破テロが全国で頻発し、語り手春日華凛(かすがかりん)の叔父も巻き込まれて死んでしまう。葬儀の帰りのローカル線で間違えて終電を途中下車してしまった華凛だが、天候は最悪、体調も思わしくなく、途方に暮れたところに現れた青年は、彼女を自分の宿に案内する。彼こそはテロ犯なのだろうか、それとも……。

 奇妙な味付けと間断ないスピーディな論理展開がスリリングな作品だが、体幹に「意地悪」としか言いようのない探偵のスタイルがある。作者がそのような言葉で意識したかどうかは知らないが、「底意地の悪い」探偵を描こうという強い意思が、すべてのエピソード、すべての論理展開を導き出した、そんな印象である。

 この作品は、アマチュアの登竜門たる『新・本格推理』に掲載された後、日本推理作家協会編集の『推理小説年鑑─ザ・ベストミステリーズ〈2004〉』(※2)にも収録された。2003年に国内で発表されたすべてのミステリ短篇から20作品中の1として選ばれたということである。アマチュアの投稿作品がこの年鑑にそのまま選ばれるのは極めて珍しい。珍しいがそれだけの価値はある。一読をお奨めしたい。

 なお、小貫風樹はプロ作家のペンネームではあるまいと考えたのは、同時掲載の「夢の国の悪夢」について二階堂黎人が無理やり探偵のキャラクターを変えたとの推移が前書きに載っていたため。いくら何様俺様二階堂をもってしても、プロ作家にそこまで強要はすまい。また「とむらい鉄道」そのものに目をやれば、華奢で女性とみまがう久世弥勒が前半はそれらしく「ですます」調で喋っていたものが、後半ではつっけんどんな「だ・である」調になってしまう不統一、とくに「反省もしやがらないで」などの野卑な言葉遣いはこのクールで論理的な探偵に似つかわしくなく、このあたりおよそプロの仕事とは思えない。
(職業推理小説家でも、その程度の不統一はあるのではないかって? 確かにあるかもしれない。しかしそういう輩はプロと言わない。言うべきでもない。したがっていずれにしても小貫風樹はプロではない。 Q.E.D.)

※1…光文社文庫『新・本格推理』は、1993年の発刊以来、読者から募集した本格推理短篇を編纂している。初代編集長は鮎川哲也、現在は二階堂黎人。このシリーズでアマチュア投稿家として名乗りを上げ、その後単行本を発刊するなど活躍中の推理作家も少なくない(北森鴻、柄刀一、霧舎巧、光原百合、大倉崇裕、石持浅海、蘇部健一、黒田研二、剣持鷹士ほか多数)。

※2…この年鑑は、講談社から『ミステリー傑作選』(日本推理作家協会編)シリーズとして1974年から文庫化されている。「とむらい列車」はその1冊『孤独な交響曲』に収録。

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