名探偵、だかなんだかわからない 『未明の悪夢』『恋霊館事件』『赫い月照』 谺 健二 / 光文社文庫
【テントに入ると、圭子は相変わらず毛布にくるまって横になっていた。】
人は、巨大な岩や壮大な伽藍の前に立てばとりあえず驚嘆の声を上げ、拝観料のなにがしかを支払うにやぶさかでない。ただし、その岩や伽藍が本当に感嘆に値するものだったかとなると、後で記念写真を見返してもよくわからない。
谺(こだま)健二の三部作『未明の悪夢』『恋霊館(こりょうかん)事件』『赫(あか)い月照』は、その分厚さで巨大な岩のように読み手の前に起立する。
物理的なボリュームのことではない。
ページ数でもっと分厚い本なら観光地の数ほどある。1冊めの『未明の悪夢』は447ページ、当節のミステリ長編として長いほうですらない。
しかし、この447ページが、厚い。この作品に描かれた猟奇殺人事件は、1995年1月17日の未明に神戸を襲った阪神・淡路大震災を背景としており、ページの大半は震災前、震災後の神戸の街のありさまを記録することに費やされているためだ。
やがて土の間から、からまった植物の根のような物が出てきた。小石を払いのけている内、それが人の頭だということに気が付いて、有希は愕然となった。
その少し南の十二階建てのニッセイビルは、途中からへし折れていた。四階がなく、これも車道の方に傾いている。砕け散った窓々から凧の足のような物が白く無数に垂れ下がっているのはブラインドだろうか。
四角いチーズケーキを上からバターナイフで叩き潰したように、横に長いスーパー・ダイエーの建物が中央部を陥没させて潰れている光景を前に、有希はこの日、何度目かの自失に陥った。
決して器用とは言いがたい震災の描写に背を押され、読み手は続く『恋霊館事件』を手に取る。テント生活を続ける主人公達のその後と奇妙な事件を描く中・短編集だ。さらに、(少し首を傾げながら)3冊めの『赫い月照』にも手を伸ばす。こちらは辞書と見まがう913ページ、震災後の神戸市須磨区で起こったあの現実の連続殺人に想を得た長編ミステリである。
3冊めを読み終わったころ、読み手はふと我に返る。
地震による倒壊のショックで震災以後ずっと公園のテントや仮設住宅で寝たきりの占い師、雪御所圭子が名探偵足り得るのはなぜだろう? ほとんどオカルトではないか。
ワトスン役の私立探偵有希真一が、私立探偵らしい活動を見せる場面がほとんどないのはなぜ?
複雑怪奇と思われた事件の大半で、「偶然」が大きな要素を占めているように見えるのだが、本格ミステリとしてこれでいいのだろうか?
バラバラ死体、密室殺人、犯人消失など、猟奇的、トリッキーな事件が連発するが、はたして犯人にはそこまで事件を複雑にする必然性があったのだろうか?
実は、3冊めを読み終わったときには1冊め『未明の悪夢』の犯人が誰だったのかをもう思い出せない。
2冊め『恋霊館事件』では、思わず失笑してしまうような推理ばかり記憶に残っている(猫を……に使う? 洋館の壁が……!?)。
3冊め、『赫い月照』内の中学生が書いたような作中作は、少なくとも
「さあゲームの始まりです」
「今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として認めて頂きたいのである」
「ボクには一人の人間を二度殺す能力が備わっている」
等々キレのよい名言と抑制にあふれた少年A=酒鬼薔薇聖斗の犯行声明、犯行メモの足元にも遠く及ばない。
……だが、これほどに難点、粗だらけでありながら、本三部作は重く、長く、そして読了後に後をひく。震災は確かに町並み以外の何かを内側から破壊したのであり、そしてそれは底のほうを通して伝染するのだ。
ただ、幸か不幸か3冊めがあのような没義道な閉じ方をしたことで、読み手は空しく4冊めを待つということだけはせずに済みそうだ。バモイドオキ神の思し召しである。