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2007年2月の2件の記事

2007/02/26

こういうのを待っていた 『DIVE!!』(上・下) 森 絵都 / 角川文庫

600【そこにはあなたにしか見ることのできない風景があるわ】

 噂にたがわぬ傑作でした。

 ほら,よくあるでしょう,素晴らしい映画を観終わったあと,エンドロールが終わって場内が明るくなってもしばらく呆けてしまって席を立てない,あんな感覚。
 ページを繰る手が止まらない,ジェットコースター的快感とは少し異なります。むしろ,1つの章を読み終わると,思わずその意味を考えたり,味わい返したりするために,何度も同じページをめくってしまう。また泣かせる「名セリフ」が多いんだ,これが。電車の中で目頭が熱くなってしまって,苦労しました。

 そんな物語が文庫の上下2巻分,切なくじっくり展開するのだからもうたまりません。
 ダイビングという決してメジャーではないスポーツの魅力,高さ10メートルの飛込み台から水面までわずか1.4秒の演技の鋭さ,その逆の弛緩の恐ろしさを文章でこれだけ描いただけでも賞賛モノ,さらに,

 ここからは,『DIVE!!』の登場人物やストーリーについて,未読の方が本書を読むときに興趣をそぐ,いわゆるネタバレが続きます。本書を未読の方は以下を読まないことを,……もとい,もとい,とっとと本屋に走って2巻読み終えてからこちらもご覧いただけると幸い。

読み進む途中であなたはきっと声に出してしまうことでしょう,

 ダイビングとテニス,男と女の違いこそあれ,これって『エースをねらえ!』だよねーっ!?

 バラバラっと思いつくままいくつか書いてみましょうか。

 物語が,謎の有能コーチの登場と強引な指導で動き始めること。
 物語の前半で,オリンピックを目指す選抜合宿への参加をめぐって登場人物たちが競い合うのも,もともと全国で知られるほどの有力選手ではなかった主人公がそのメンバーに抜擢されて周囲から浮いてしまう展開もエースそっくり。

 主人公 坂井知季は,自分がなぜコーチに抜擢されたのか理解できないながらも,素直さとその資質でめきめき力をつける,これはもちろん岡ひろみのキャラクター。あまり詳しくは書けませんが,コーチが主人公の目に着目する点,主人公のプレイが限界を知らない点などでも似ています。
 主人公の先輩 富士谷要一は,両親ともにオリンピック出場経験をもち,高度なワザをも難なくこなすサラブレッド。言うまでもなくお蝶夫人 竜崎麗華の役柄。知季らをライバルとして心のどこかでおそれつつ,ついつい後輩たちの成長に気配りしてしまうあたりもお蝶夫人そっくりなら,最後の最後に体調を崩すのも『エース』の18巻を思い出します。
 北国から現れた強烈なライバル 沖津飛沫(しぶき)。これはもちろん加賀のお蘭こと緑川蘭子。過去をひきずり,大柄かつパワフルながらもついに(物語内では)ナンバーワンになれないこと,故障に苦しむことなどもお蘭に似ています。
 要一と飛沫が同学年で,後輩の知季がまっすぐそれを追う,これが『エース』的でなくてなんでしょう。

 そして,なにより『エース』ファンの涙腺を刺激するのが,本書の最終章が大きな大会に向かう飛行場のシーンで終わっていくことでしょうか。ただし『DIVE!!』ではコーチは死にません。大丈夫。ついでに『エース』の第2部ほどお説教臭くもありません。大丈夫。

 
 念のため。
 『DIVE!!』が『エースをねらえ!』に似ているところがあるからよろしくない,などと主張する気はコレッポッチもありません。上に書いたように数々の類似点がありながらも,『DIVE!!』はどこまでも『DIVE!!』であり,その魅力は『エース』とはまったく次元,手触り,鋭さ,温度の違うところにあります。

 むしろ,『アラベスク』が結果として『エースをねらえ!』を産み,この2作がさらにさまざまなスポーツマンガに骨太な影響を残したように,『DIVE!!』はそういった傑作群の優れた嫡子として,スポーツ小説に新しく気高い頂を示した,そう考えるべきかと思います。

 ともかく,スポーツマンガの好きな方は,黙って読め。読めばわかる。熱くなるから。

 
 ちなみに……全18巻かけてキスシーンひとつなかった(2人めのコーチにいたっては仏門にすがった)『エース』と違って,『DIVE!!』の世界は異性交遊花盛り,そのあからさまな描写も今風です。
 うちの子供たちにも読ませたいのに奨めづらい,それが唯一の悩みといえば悩みかな。

2007/02/13

今さらながら 『蛇にピアス』 金原ひとみ / 集英社文庫

972【シバさんは私の口を開け,眉をひそめてのぞきこんだ。】

 綿矢りさ『蹴りたい背中』が「少女マンガにもっといくらでもいいのがあるだろうに」という手応えしか得られなかったため,芥川賞で並び称された(賞された?)金原ひとみの単行本も棚ざらしになり,結局読むことなく処分してしまっていた。
 最近になって文庫(中古,105円)を手に取ったのは,新聞の書評やダリ展に寄せた金原の文章がいかにも「役割を心得た」もので,おやこれは綿矢とはまったく逆に,案外したたかな「プロ」かもしれないと思いいたったためである。

 結論からいうと,『蛇にピアス』は非常によいというほどではなかったが,予想より悪くもなかった。つまり,綿矢に比べれば,格段によかった。

 舌にピアスがどうの,スプリットタンがどうの,そういった話題は芥川賞受賞当時にうんざりするほど目にしたので,ここでは取り上げない。特筆すべきは,そういった過激な設定,過剰な性描写を抑えた文体で淡々と記していることで,まずそれだけでも評価に値する。
 逆にいえば,それだけだ。

 この作品で描かれたような精神のあり方を,今さら追体験したいとは思わない。憬れもしなければ,否定もしない。そこにも人間の真実があるのかもしれないが,何もそのあたりを探さなくとも真実なんていくらでも落ちている。

 それでも,この作品で試みられたことは,ここ百年ばかり,世界のあちこちで文学や演劇が挑戦した競技の一つである。セックスや暴力や無軌道を乾いた文体で展開することが,なんらかの精神の解放に結びつくという志向,もしくは作法,もしくは思い込み。それがオレオレ詐欺のように性懲りもなく繰り返される詐術なのか,それともいつかはどこか予想外の突破点に至るのか,それはよくわからない。
 金原の文体は無造作で,自分の描く一言一句については意図的ではないかもしれないが,全体では何をやっているかわかっているような気がする。それが意図的である限り応援したい,と言ってもよい。

 それにしても……あまり付き合いがないからよくわからないのだが,こういったいかにも内省的でない若い女が,このような内省を繰り広げるということはよくあることなのだろうか。たとえば,本当にボキャブラリーの少ない女が「私のボキャブラリーの少なさがこんなところで暴露された」などというモノローグをものするのかどうか,などなど。

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