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2006年10月の5件の記事

2006/10/30

目が死んでいる 『レナード現象には理由がある』 川原 泉 / 白泉社

Photo【そーかい? ありがとう 和田くん】

 もう何ヶ月か前のある夏の日,大手書店に立ち寄って大判のコミックを何冊かまとめ買いした。

  吾妻ひでお 『うつうつひでお日記』
  とり みき 『トマソンの罠』『パシパエーの宴』
  二階堂正宏 『のりこ』
  浦沢直樹 『PLUTO(3)』

袋の大きさからするともっとあれこれ買ったはずだが,よく覚えていない。

 いずれもすぐに目を通した。ただ,1冊だけ,そのあまりの重さに棚にずっと放置していたものがある。
 川原泉の新作短編集だ。

 もちろん,たかが学園コメディ,内容が重いわけではない。ひでお日記のように文字だらけというほどでもないし,パシパエーやトマソンのような全共闘時代のSFでもない。のりこのように……これは比較するのが無理か。PLUTOは3巻にいたってさすがにトーンダウンだが,これは別の機会にしよう。

 川原のこの十年の作品はすべて痛い。痛くてたまらない。
 とくに,主人公の目がひどい。これは,放置されたセルロイド人形の目だ。死人にはめたガラスの目だ。

 ことにこの『レナード現象』は,穏健な学園を舞台に,奇抜なめぐり合いをし,ささやかに惹かれ合う若者を描くという,初期の『3月革命』や『月夜のドレス』,食欲魔人シリーズを彷彿とさせる枠組みだけに,当時との落差がつらい。

 『空の食欲魔人』『甲子園の空に笑え!』『カレーの王子さま』『銀のロマンティック…わはは』『美貌の果実』,これで必要十分。
 『笑う大天使』以降は不要。

2006/10/23

『きのこの迷宮 こんなところにあった,別世界』 小林路子 / 光文社 知恵の森文庫

684【だからきのこは自然がそこにポンと置いていった贈り物のように思えるのではあるまいか。】

 みな底にひそむ異形の徒が深海生物なら,森を飾るあやかしの使いがきのこである。
 上に引用した一節の「ポンと置いていった」にも表れるごとく,なにか私たちの日常の脈絡とはかかわりなく,あたかもほかの次元からはみ出して,ふと気がつけばそこにいるような異界の生き物。さっきまでその切り株には間違いなく何もなかったのに,ふと振り向けば,そこに,いる?

 本書は,細密なきのこの絵で知られる画家の小林路子が,きのこの楽しさを知らしめんと著したもので,きのこ採りの楽しさから食べる楽しみまで,さまざまな切り口からきのこを語りつくした1冊である。

 繊細で不思議なきのこそのものの魅力。きのこを語り合う仲間たちとの集い。完全防備で山に踏み込み,雨をものともせずきのこを探す魅力。逆に都会の一角にひっそり発生するきのこをめぐり,菌類好き同士が出会う話。
 きのこ好きが乗じて仲間うちで「仙人」とあだ名される著者の筆さばきは軽く明るく,笑いを誘うエピソードも満載だ。きのこを探して三年ばかりすると,次第に目がなれてきてきのこが見つけられるようになることを「きのこ目になる」という話など得がたく,興味深い。

 ところで,山に登り,スケッチしたり,ナベにしたり,というきのこ採りの楽しみとは別に,きのこについて耳目を集めるのは,そのいくつかにエキセントリックな「毒」があることだろう。一昨年,これまでごく普通に食用とされてきたスギヒラタケが突如毒性を発現して多数の死者まで出たのも記憶に新しい。
 餌となる生物を捕らえようとしたり,我が身を守ろうとする毒ヘビや毒虫の毒と違い,きのこの毒は明らかに「たまたま」人の体内で毒となってしまうものであり,症状も毒の強弱も千変万化,その分すさまじい。
 嘔吐,下痢,腹痛などの胃腸系の症状は序の口で,
「再び激しい嘔吐がはじまり,大量の黒い血を吐き続け,タタミをかきむしって苦悶した」「その後も人工透析が欠かせず,一人前に働けない体になってしまった。臓器がボロボロになってしまうのだ」(ドクツルタケ)
「一時意識はもどったが,四人の子供のうち小さい三人は二日後に死亡,一番上の子は四日後に死亡した」(ニガクリタケ)
「手足の先が赤く腫れ,焼け火バシを刺されるような激痛が一ケ月以上続くのである」「皮膚がただれて,治ってもケロイド状になるそうである」(ドクササコ)
「数日後,四十度以上の発熱があり髪が抜けはじめた。運動や言語に障害が起き,幸い回復したが後遺症があり小脳に萎縮が見られたという」(カエンダケ)
など,など。食べたときには違和感がなく,何日も経ってから症状が出るものも怖い。あとに障害が残るのも恐ろしい。
 きのこは結局のところ,ヒトとは文脈,文体が違う生き物なのである。理解できなければ,解毒剤の開発も難しい。

 著者はきのこの楽しみを伝道する意識をもって本書を纏めたようだが,実際に記憶に強く残ったのはナベにして楽しいきのこではなく,あくまで異界の使者としての謎めいた毒きのこの姿である。
(まぁ,このあたりは私がもともとマツタケ含めてきのこにあまり食欲のわかないタチであることにもよるのだろうが。)

 きのこのヒダからツボにいたるまで詳細に扱った本書は実に興趣に満ちた書物ではあるが,しいて1冊の本として欲をいえば,本文中にさまざまなきのこが話題に登場するのに対し,カラー口絵にはタマゴタケやアシベニイグチなどほんの数種類しか掲載されていないことが寂しい。カラフルな,あるいは不気味なきのこと遭遇し,「私は喜んで,地面に寝転び,スケッチをした」といったような表記が散在するだけに,余計に口惜しい。

 また,きのこの食べ方について万漢全席ならぬ「万菌全席」と称してシブくてゴージャスなきのこ料理のフルコースを紹介するなど,バラエティに富んだ内容のわりに,最後がきのこグッズやきのこの形を模したお菓子の話題で終わるのはどうもバランスが悪い。同じきのこの話題を広げるのなら,きのこが登場する本や映画まで扱ってほしいと思うのは,選り好みが過ぎるだろうか。しかし,冬虫夏草を扱って名高い白土三平『イシミツ』や,きのこの怪しさを描いて夜の巷の心肝寒からしめた映画『マタンゴ』など,私の知る限りでもきのこを扱った作品には魅力的なものが少なくない。など,など。

2006/10/13

『深海生物ファイル あなたの知らない暗黒世界の住人たち』 北村雄一 / ネコ・パブリッシング

181【餌になる魚を置いてしばらく待てば,何もいないように見える深淵の闇のなかから集まってくる】

 ターミナル駅の地下街の書店でたまたま出会った。奥付を見ると昨年の11月の発行とある。
 不覚,不覚,不覚,不覚。こんないい本を知らなかったとは。

 ……それから夜毎枕元に置いて,ところが読み切るまでに2ヶ月近くかかってしまった。
 暗い海の底に音もなく集まる怪しい生き物たちが脳裏に揺れて,毎晩ほんの2ページ,4ページと読み進んだところでとろりとろーりと意識がとけてしまうのである。

 最初の80ページあまりは深海生物の写真集。
 これは貴重だ。嬉しい。美しい。
 試しに,小学生のころから魚類図鑑であこがれだった,あの口が大きくて胃袋に自分より大きな魚を収めたフウセンウナギ(サッコファリンクス),フクロウナギ(ユーリファリンクス)の画像をインターネットで検索してみよう。海洋堂のボトルキャップで人気の出たセンジュナマコ,早川いくをの『へんないきもの』で有名になったオオグチボヤなどの深海生物でもいい。イラストや海洋堂のフィギュアの写真はあっても,生きた深海生物のクリアな写真となるとほとんど見つからないことに驚くだろう。
 深海生物はこと写真,映像についていえばまだまだ未開拓な分野なのだ。
 (深海生物の高画質な壁紙用画像,ゆるゆると泳ぐ深海魚のスクリーンセーバーをCD-ROMにしたらウケると思うのだが,どうだろうか?)

 本文ページではグラビアで紹介された生物たちが,左に文章,右にイラストで再登場する。本の造りはベストセラーとなった『へんないきもの』の真似と言われてもやむを得ないところがあるが,なにしろ紹介される深海生物の特殊性がそんなことを忘れさせる。

 異形でありながら,どこか静かで毅然とした美しさをたたえた魚の仲間たち。
 この星の生き物であることが信じがたい,あでやかで量感たっぷりのクラゲの仲間たち。
 巨大なヒレと直角に曲がる長い腕とをもつ大型イカ(映像はあるが標本がないので未命名)やNHKのドキュメンタリーで一躍勇名をはせたコウモリダコを含む,不気味なイカ,タコの仲間たち。
 夢のように美しいナマコの仲間たち,みな底の砂に奇妙な軌跡を残すユムシ,ギボシムシの仲間たち。
 そして,硫化水素と酸素を化学反応させてそのエネルギーで増殖する硫黄酸化細菌を体内にぎっしり共生させて成長するハオリムシ。ハオリムシは口も肛門も消化器官も退化し,ただ真紅のエラから硫化水素と酸素を取り込んで体内のバクテリアに送り込んで自らも成長していく……。

「さらに深く潜ると1000メートルあたりで全くの暗黒になってしまう。」
「暗い深海では植物が光合成によって有機物を生み出すことができない。」
「人間は10気圧程度で呼吸障害を起こす。深海の生物にとって水圧が真に脅威になるのは深度3000メートルを超えて圧力が300気圧以上,1センチ四方にかかる圧力が300キログラム以上に達するあたりからだ。強大な水圧は生物のミクロな部分,細胞やタンパク質の構造まで押しつぶしはじめる。」

 宇宙に進出するのに比べても比較にならないほど過酷と言われる深海に生まれ,漂い,棲息する個性豊かな生き物たち。
 彼らの多くは発光器官をもつ。あるものは目が異常に発達し,あるものは目がすっかり退化している。繁殖の機会が少ないためか,深海魚には,雄が小さくて雌に寄生するもの,雌雄同体のもの,さらには最初は雄として成熟し,成長すると雌に性転換するものもいる。

 彼らが自ら望んでこのような姿,このような機能を持ったのでないとしたら,この世界には,間違いなく,設計に長けた神がいるのだ。ただし,その神のデザインセンスは人間の想像を超えている。その神の存在を前にしたとき,死肉にもぐりつく骨らしい骨のないヌタウナギと人間にどれほどの違いがあるのだろう。

 ……よく,わからない。わからないながら今夜もまたページをめくる。そして深い闇に沈む。

2006/10/09

『巨人軍タブー事件史』 別冊宝島編集部 編 / 宝島社文庫

932【凋落しているのはジャイアンツで,プロ野球ではない。】

 ジャイアンツの本など別に続けたくはない。ないのだ。のだけれど今のうちに書いておかないと二度と話題にできないかもしれない……そんなことをウスら寒く思ってしまうジャイアンツの凋落度合いである。諸行無常。

 本書は長島解任,江川空白の1日,バース敬遠指令疑惑,桑田当板日漏洩疑惑,湯口変死事件,韓国籍選手への差別,番長清原の乱闘時の意外なヘタレ具合など,ジャイアンツにまつわる数々のスキャンダルを取り上げたもの。
 アンチジャイアンツ派にとっては溜飲の下がるダーティなスキャンダルのオンパレードであり,「やっぱりあいつらは,な」と酒の肴に煮たり焼いたりしたいところだが……あいにくジャイアンツの悪口で盛り上がることのできるトモガラも今や絶滅危惧種だ。

 そもそも,ジャイアンツの凋落の直接の原因は何だったのか。
 嗜好の多様化,度重なる不祥事,金権野球。サッカー人気,スター選手のメジャーリーグへの流出。妙にバラエティ化したナイター放送の勘違い。
 いずれも正解だろう。その中でも,昭和のスーパーヒーロー,長島を軽んじた監督解任事件はマーケットを断絶させた点で減点ポイントが高い。さらにもう1つ,あまり言われていないことだが,松井秀喜の役割というか,残したダメージが大きかったのではないか。

 松井のドラフト会議への反応について,ある記事は「阪神ファンだったと言われる松井だが,長嶋茂雄監督(当時)がクジを引き当て巨人に決まると笑顔で快諾」と記している。これはそれまでのジャイアンツ一辺倒の入団記事とはかなり色合いが異なる。
 空白の一日を利用して江川が,密約を噂されながら桑田が,FAを利用して落合が清原が入団したがった球団に対して「快諾」。この文脈は,明らかに主体が球団側でなく(まだ北陸の一高校生に過ぎなかった)松井の側にあったことを示している。そしてその松井は,四番打者として活躍中,球団を見捨ててメジャーリーグに走る。礼を失しているわけではないが,球団に対する過剰なレスペクトは感じられない。
 もしかすると,生真面目な顔をした松井秀喜こそは「栄光」のジャイアンツに水をかけ,この国が見続けていた太平の夢を覚ました張本人だったのではないか。……

 ところで,そのジャイアンツを復活させるための方策は何かあるだろうか。
 ジャイアンツの人気を取り戻すために生え抜きの選手によるクリーンナップを,という提言をよく見かける。別にそんな必要はないだろう。阪神金本,日ハム新庄らを見ても明らかなように,問題は生え抜きかどうかではなく,魅力と実力である。
 ……それにつけても解せないのは高橋由伸だ。あり余る才能を持て余し,ただ引退を待ちこがれているかのようなふてくされた態度。
 彼は,どこへ行きたいのだろう。何が,嫌なのだろう。

2006/10/02

『巨人(ジャイアンツ)マンガの系譜』 蕪木和夫 / 水声社

632【あゝ,あの頃の巨人が懐かしいなあ】

 駒苫の田中を持ち上げるだけ持ち上げて,ハンカチ王子こと早実斎藤の人気がブレークするやそちらに色目を使う。斎藤が進学表明すると,一転愛工大名電の堂上を1位指名。結局抽選に外れ,ことわざ通り虻も蜂も取り損なって後悔後の祭り。
 クジ引きは時の運とはいえ,少なくともここにはかつて金と人気で専横を極めた「盟主」ジャイアンツの面影はない。相変わらず傲岸不遜なのは球団幹部の老人どもだけで,痩せた選手らは顔と名前が一致せず,視聴率は勝っても負けてもふにゃふにゃとしお垂れるばかり。

 そんなジャイアンツのかつての栄光の時代に,少年マンガ各誌を飾った数々の「巨人マンガ」があった。本書はその重いコンダラを列挙し,過ぎし野球少年時代へのオマージュと,未来への苦味を込めた紹介をしてみせるシレンの道である。
 『スポーツマン金太郎』『ちかいの魔球』『ミラクルエース』『黒い秘密兵器』『巨人の星』『侍ジャイアンツ』……。
 いずれの作品も奇妙奇天烈,奇想天外,人間離れした主人公,ライバルともに味わい深く,かつて部屋の隅で日がかげるのも忘れて読みふけった半ズボンの日々が思い出される。

 今,こうして一連に並べてみると,憧れの対象だった主人公の誰しもに暗い「再起不能」の影が落ちていることに驚く。
 『ちかいの魔球』『黒い秘密兵器』『巨人の星』という少年マガジン連載シリーズでは,主人公はいずれも魔球を投げ過ぎて手首を傷めて消えていく。『ミラクルエース』でも主人公は満身創痍,『侍ジャイアンツ』にいたってはマウンドで弁慶立ちしたまま死んでしまう。
 星飛雄馬を例にひくまでもなく,なぜか巨人マンガのエースたちは肉体的にも精神的にも脆弱だ。荒唐無稽なマンガでありながら,結局のところ最後まで作中の「光」の具現たる長島に及ばない。

 もう一点,不思議なことがある。
 これら「巨人マンガ」では,作者を異にするにもかかわらず,記憶に残る名シーンの一つひとつがおよそ肉体の躍動感の対極にあった。
 投球シーンなら,投げ終わったあとの静止ポーズ。打撃シーンなら,振り終わって打球を目で追うシーン。映画『巨人の星』(そういうものがあったのだ)のラストシーンは甲子園に向かう飛雄馬ら星雲高校チームの乗った汽車に向かう一徹のVサインの静止画像だったし,テレビでは大リーグボール二号で飛雄馬が高く足を上げたシーンだけで30分はもった(ような気がした)。
 つまり,これらのマンガにおいて,ボールを投げる,打つ,取る,投げる,という一連の流れとしてのプレーはほとんど記憶に残っていないのである(ちばあきおの『キャプテン』『プレイボール』の躍動感と比較すれば,その「静止」性は明らかだ)。
 まるで所作として「大見得」をきることだけが大切であるかのように,ポーズポーズがいちいち停止してしまうスポーツマンガ。梶原一騎の趣味嗜好だけで語れることではないような気がする。

 つまるところ,「巨人マンガ」とは野球に姿を借りた格闘技であり,その必殺技たる「魔球」は野球というスポーツの技術ではない。だから,「巨人マンガ」では,ボールゲームとしての野球のダイナミズムは描きようがなかったのかもしれない。
 これらの「巨人マンガ」に再三登場する土ケムリにボールが姿を隠す魔球,あの魔球はピッチャーの手首を凍りつかせ,バッターは立ちすくんで動けず,観客も水を打ったように静かになる。どう頑張っても,土けむりごと振り抜いてみせた,あの長島に勝てるわけはなかったのだ。

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