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2006年7月の4件の記事

2006/07/20

最近の新刊から 『コミカル・ミステリー・ツアー4 長~~~いお別れ』『恐怖の怨霊絵巻』

472『コミカル・ミステリー・ツアー4 長~~~いお別れ』 いしいひさいち / 創元推理文庫

 当初は史上まれにみる情けないホームズとワトスンを主人公とした,まがりなりにもオチのある4コマギャグマンガ集だったのだが,4巻ともなるともはやミステリの登場人物に想を得た,さばさばした異界を描くラフスケッチの山となっている。『現代思想の遭難者たち』の作風に近いといえば,おわかりいただけるだろうか……って,読んでなければわからんわぁ!
 今回は『ペトロフ事件』(鮎川哲也)から『追憶のかけら』(貫井徳郎),『赫い月照』(谺健二),『ロンド』(柄澤齊),『九杯目には早すぎる』(蒼井上鷹),『ギブソン』(藤岡真)など,実在する87編のミステリ作品を素材にてけてけと4コマが提示されるのだが,国内モノから海外モノ,本格からライトノベルまで,その対象の無節操なまでの広さに圧倒される。こんなんまで読んどんのかいっ! 驚くべきことは,こちらが元作品を読んでいても,何をもって笑うべきなのかオチがちっともわからないことだ。パロディですらない。いったい何なのだ。
 独りよがりといえばこれほど独りよがりな作風はない。さりとてつまらないわけではない。奇妙にゆがんだ読後感は残る。困ったことにそれが決して不快ではない。『ののちゃん』を持ち出すまでもなく,読者サービスなどいくらでも提供できるこの作者にしてこの仕打ち,どうとらえばよいのか。
 馬鹿げた比較かもしれないが,元作品の人物や設定をパーツにまったく異なる作品を不親切に放り出すあたり,マックス・エルンストのコラージュ作品『百頭女』や『慈善週間』を思い浮かべてしまった。それを「いしいひさいち風」としか評し得ないなら,書評者としては首を吊るしかないのだが。

『恐怖の怨霊絵巻』 山口敏太郎 / KAWADE夢文庫

 この表紙,このタイトルで本当に怖い本を求めたらバチがあたる。そのあたりは織り込み済みだ。実際,稲川淳二や平山夢明のような怖さを求める方には本書はお奨めできない。ある夜とうとう女房が寝ないで待っている恐ろしさに比べれば……いいえ,そういうことではなくってよひろみ。何を言ってるんだオレは。
 内容は,四谷怪談や累ヶ淵といった古典中の古典的怪談から,昭和,平成の都市伝説ふうまで,あるいは狸や猫の妖怪噺から怨霊亡霊譚まで,縦横無尽というか無作為というか,要は節操なしにかき集めたような按配である。文章も一つひとつが短くて演出に欠ける。
 特筆すべきは見開きそれぞれに添えられたイラストの水準で,表紙含めて5人が担当しているのだが,いずれもプロの仕事としてはちょっと信じがたいレベルなのである(網掛けなどの技術はあるのだが,およそデッサンが……)。昭和30年代,創刊当時のマーガレットや少女フレンドの読み物記事の挿絵がこんな感じだったかもしれない。従姉たちと膝小僧つきあわせて読んだ,あれもまた,夏だった。

2006/07/12

オカズいっぱい イベント多すぎ 『マンホール』(全3巻) 筒井哲也 / スクウェア・エニックス ヤングガンガンコミックス

873【…ただし普通の救急車じゃダメだ 感染症の疑いありと言え…!】

 それは,蚊やアブを介してヒトに感染し,右目角膜から網膜,視神経を伝って間脳の視床下部に侵入する。脳組織を食い荒らされたヒトは,摂食や飲水,性行動などの本能行動,怒りや不安などの情動を喪い,自律神経も乱される。
 その未知の寄生虫を日本に持ち込み広めようとする人物。彼を追う二人の刑事。感染の拡散と闘う保険所職員。

 本書のように,背景の白っぽい,効果線をほとんど使わない作品を見ると,この国のコミックにおいて「大友克洋」はすでに模倣やリスペクトの対象ではなく,遺伝子の域に入ったように思われてならない。もしかすると『マンホール』の作者には大友の影響下にあるという自覚さえないかもしれない。紙面を覆う緊張感はすでに技法ではなく様式である。
 ただ,ハードロックにおいて様式化が推し進められた結果それぞれのバンドの個性が見えなくなってしまったように,この種のコミック作品は次のステージに進むのが難しい。
 本書『マンホール』では,顔の皮膚下の寄生虫の動きや,マンションの一室に蚊の乱舞する場面がうざうざと生理的嫌悪を誘う。二人の刑事は寡黙だが所作,もの言いに味がある。首謀者を追う展開は時間との争い含めて読み手に緊張を迫る。……だが,それだけといえばそれだけだ。
 不安や不快感は3巻めともなるとそれなりに慣れてしまう。寄生虫は不気味だが,その生態はしょせん本能に基づいた生物の営みにすぎない。スリルとサスペンス(と言葉にすると古いが),通り過ぎてしまえばそれだけである。犯人のもくろみは多すぎるイベントの中に埋没して見えてこない。

 本書で扱われる新型フィラリアは架空の存在だが,実在する寄生虫の中には,たとえば,ヒツジに捕食されるためにいったんアリに寄生し,そのアリをしてヒツジのエサを食べる時間に草の先のほうに噛み付いて体を固定させしむるという槍形吸虫がいる。また,レウコクロリディウムという寄生虫は,幼虫時にカタツムリの触覚に寄生し,その触覚を鳥の好む芋虫に色・形・動きまでそっくりに擬態させ,カタツムリごと鳥に食べられようとする。あるいは,寄生したバッタの中枢神経をコントロールして水に飛び込ませ,溺死させて水中に躍り出るハリガネムシ。
 これらの寄生虫に比べれば,本書に登場する新型フィラリアは,ある意味穏やかにさえ思われる。そこで著者が持ち出した舞台が「マンホール」なのだが……残念ながら必ずしも成功しているようには思えない。ストーリーを装飾するオカズが多すぎて,振り返ってみると「マンホール」そのものにはたいした必然性がない。

 外薗昌也『エマージング』が全2巻,本書が全3巻。バイオハザードをテーマにした作品は,引っ張ろうと思えばいくらでも長くなると思うのだが,いずれも意外と短いのは,「相手」が意思のないウイルスであったり,寄生虫であったりするためだろうか。
 いずれも,描かれた可能性は恐ろしく,それをめぐる物語は面白い。だが,死に方がいささか悲惨とはいえ,ウイルスや寄生虫に感染して死ぬだけなら,それは交通事故の奇禍と大差ない。
 この世で本当に恐ろしいものは何か。それは少なくとも,謎の新型ウイルスや寄生虫の「気持ち悪さ」ではないだろう。

2006/07/06

「宇宙人 王貞治」 作者不明 / 掲載誌不明

 続いてご紹介するのは,発表年,掲載誌はおろか,作者名も何もわからない読み切りマンガ作品である。タイトルは,「宇宙人 王貞治」

 少年マンガ誌の主力が「少年画報」「冒険王」「ぼくら」「少年」等の月刊誌から週刊誌に移りつつあった昭和30年代後半にその表紙を飾っていたのは,一に実在の軍艦・戦闘機,一にゴジラをはじめとする怪獣たち,さらに人気を呼んだのが力士やプロ野球選手たちだった。たとえば少年マガジン創刊(1959年3月26日号)の表紙を飾ったのは当時の人気力士,3代目朝潮太郎である。
 また,当時は野球マンガの勃興に伴い,連載マンガの中で実在のプロ野球選手や監督が登場,活躍することも珍しくなかった(『スポーツマン金太郎』,『ちかいの魔球』,『ミラクルエース』,『黒い秘密兵器』,『巨人の星』,新しいところでは『侍ジャイアンツ』,『アストロ球団』,『あぶさん』などなど。こうして振り返ると,その多くで巨人軍川上哲治監督の存在感が際立っている。さすがは打撃の神様)。

 「娯楽の少ない」などという常套句で時代を括ってしまうのもどうかとは思うが,当時のスポーツ選手の知名度,人気の高さは,たとえば最近のサッカー選手の比ではなかった。先にあげた連載マンガ以外でも,人気スターの生い立ちや活躍を描く実話モノ,一種の伝記マンガがよく見られたものだ。

 一本足打法できりりと構える王選手,その影が頭の大きな宇宙人の姿になっているという表紙の「宇宙人 王貞治」は,そういった作品の一つ。その内容が一風変わっていて,今も忘れられない。
 読んだのはおそらく1965年(王選手が55本のホームラン記録を達成した翌年である),近郊の観光センターに家族と出かけたときに買ってもらった週刊少年マンガ誌に載っていたのだった。ちなみに当時はまだ「少年ジャンプ」,「少年チャンピオン」は発刊されておらず,「少年マガジン」,「少年サンデー」,「少年キング」のうちいずれかということになるが,そのうちどれだったかは覚えていない。

 ストーリーは,名門巨人軍に入団したものの調子が上がらず苦戦していた王選手が,自分の特殊な能力に気がつき一本足打法に開眼する,という,「○○物語」によくあるパターン。ただ,その特殊能力たるや「宇宙人のように,目隠ししても向こうが見える」というものなのだ。しかも,その能力に気がつくのが,成績が上がらないためヤケになって車を暴走させ,岸壁のところまできたとき,そちらを見ていないにもかかわらず,見事に危険を回避した,などという事件から。王は先輩・長島の指摘にその能力を磨くため,目隠しして再度自動車でその岸壁に突進し,なんとそのまま車を沈没させてしまう。
 そのあと,どんな経緯で一本足打法を実践することになったか,そのあたりの詳細はどうしても思い出せないのだが,要は,アンバランスな一本足打法でも,王のその特殊な直観力をもってすればホームランを量産できるという理屈だったかと記憶している。……理屈になってないか。
 ともかく,当時小学生だった僕の記憶ではそういうマンガだったのである。

 内記稔夫氏の「現代マンガ図書館」で当時の少年マンガ誌を徹底的に探し込めば「宇宙人 王貞治」を発見するのは不可能ではないかもしれない。ただ,小学生のときに読んだ読み切りマンガが,記憶のとおりとは到底思えない。タイトル含め,さぞかしとんちんかんな覚え間違いもしているに違いない。
 しかし,ぐいっと一本足打法を決めた表紙,そして岸壁から車ごと飛び込み,浮かび上がって「ぷはっ」と息をつぐ「宇宙人 王貞治」の姿は40年経った今でも僕の中でありありと生きている。

 福岡ソフトバンクホークスの王監督が,胃の腫瘍の手術のためにしばらく休養するという。

 比類なき業績に比べて,どうも今ひとつツキがないようにも思われる王監督。
 ホークスの監督に就任したその年,不甲斐ない成績にファンから投げられたあの生卵。TBS「筋肉番付」のメンコスタジアムで,一生懸命角度を考え力をふりしぼったあげく,ルールも理解せず適当に腕を振った長島にメンコをはじき出されたあの勝負。
 心無い何者かに持ち去られた奥様のお骨も戻っていないはず。
 それだけに,WBCでの優勝は,よかった。
 手術,治療は大変だろうが,ここはひとつ「宇宙人」の本領発揮,早期快復を心から祈りたい。

2006/07/05

手に負えていない 『街の灯』 北村 薫 / 文春文庫

362【本当に,世の中のことというのは見えにくく,つかみにくいものです。】

 一つのことを成し遂げたなら,作家の評価は高まる。
 だが,作家の評価と作品の評価は本来別ものである。素晴らしい作品を上梓した作家の次の作品も素晴らしい,わけではない。にもかかわらず,一度評価の高まった作家の新作はこれでもかとばかりにデコレートされ,場合によっては醜悪だ。

 北村薫の短編集『街の灯』は,褒めるほどの作品だろうか?

 昭和七年の上流階級を舞台に選んだ作者の筆は,風俗地誌を踏み誤らないよう足元を見るに精一杯で,そこに無理くり埋め込んだ事件と推理は取り出してよくみれば貧相だ。
 つまりは労作だが習作なのである。

 加えて,登場人物,ことに令嬢の花村英子が,とりたてて魅力的とは思えない。対して配置された女性運転手別宮(べっく)みつ子も焦点がはっきりしない。
 昭和七年の人物ならいかにも口にしそう,というセリフがあちらこちらに据えられて,それだけ粘土でこしらえたような肌触りに思われてならない。

 北村薫はもう自分を笑えないのだろうか。鶴太郎じゃあるまいに。

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