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2006/05/25

『心霊写真 不思議をめぐる事件史』 小池壮彦 / 宝島社文庫

918【要は写真を「見る側」の問題である。】

◆読了前

 『心霊写真 不思議をめぐる事件史』なる本を読んでいます。
 タイトルだけ見ると,夏になるとどこの本屋にも平積みになる「あっ,こんなところに顔が」本の一種のように思われますが,これがお立ち会い,実は日本における心霊写真報道とそれに対する反証の世相史をとことん資料を立てて語り尽くそうとする,上に「バカ」を付けたいほど生真面目なドキュメントなのでした。

 なぜこの本を手に取ったかと言えば,「もしやこの国の心霊写真史は今,大きな曲がり角にきているのではないか」という思いにかられたためです。
 最近,久しぶりにいわゆる「カメラ屋」に赴き,家電量販店でデジタルカメラが売れているのは知っていたものの,カメラ専門店においても従来のフィルムカメラがほとんど販売されていないことを知って驚く,ということがありました。
 レンズ付きフィルム(いわゆる使い捨てカメラ)や趣味の高級一眼レフなど,一部には(たとえばアナログレコードプレイヤーのように)フィルムカメラも残っていくのでしょうが,家庭用フィルムカメラがデジカメにすっかり置き換わってしまうのはもはや時間の問題のようです。
 さて,そうなったとき,「顔が,手が,光が」の心霊写真はどうなっていくのでしょうか。

 もちろん,今後も,誰かが自殺した崖のデコボコが人の顔に見えるといったことはデジカメで撮影したJPEGファイルでも同じように起こることでしょう。

 しかし,デジタル画像の場合,ネガフィルムに比べればその修正は格段に簡単です。岩の影がちょっと人の顔っぽく見えたなら,それをお絵描きソフトで強調したり,特定の人物に似せたりといったことはすぐにも誰にでもできそうです。
 「専門家」(何の?)が見ると,データに手を加えたことがバレることもあるでしょうが,逆にその「専門家」が腕をふるえば,修正の判明しづらい画像を作成することもまた可能でしょう。
 しょせんデジタルデータですからね。ドット単位で微調整するなら何でもありです。

 つまり,デジカメの普及によって,心霊写真はその信憑性を失い,怪しい顔が手がと主張しても鼻で笑われて終わる,そんな時代が訪れつつあるのではないでしょうか。

◆読了後

 そんなこんなを考えつつ,読了。
 思ったより格段に,「硬派」なレポートでした。

 著者は徹底的に「幽霊が写真に写る,念がフィルムに写る」ことを否定しています。心霊写真の原因は,焼付けミス,もしくは意図的な二重焼き,偶然,目の錯覚などのいずれかにすぎないという判断のもとにすべての例にあたります。
 本の帯の「写ったのは 本物か? 否か?」などというキワモノキャッチは,これだけ過去の資料を網羅して論旨を展開する作者に対し,失礼というものでしょう。むしろ,これほど実証主義な著者がテーマとして心霊写真を選んだことのほうが不思議に思えるほどです。
 口裂け女や女性客の消えるブティック,ハンバーガーミミズ肉説などの都市伝説を扱うに,扇情的な怪談とする本と社会学として収集,検証する本があるなら,この本は明らかに後者に属すわけです。

 本書によれば,写真技術が導入されたころは,乾板をきちんと綺麗にしなかったために人物が二重写しになるということが多発していたようです。その一部がのちに幽霊の写真と騒ぎを招くようになり,その後も世相や技術の変遷に応じて心霊写真はさまざまな形で巷をにぎわすことになります。
 たとえば「心霊写真」という言葉が最初に使われたのはいつ,誰によるのか,とか,初期の心霊写真はむしろお守りのように大切にされたのに,「霊障」や「御祓い」が話題とされるようになったのはなぜか,など,著者の指摘は心霊写真を中心に縦横に展開します。
 それにしても,興味本位の雑誌などならまだしも,大手新聞が心霊写真を再三にわたって(トピック扱いとはいえ)けっこう大きく扱ってきたことには驚かされます。

 本書では,この国で最初に心霊写真が話題になった当時から,(妖怪博士 井上円了らによって)論理的,科学的にはそれが否定されてきたこと,それにもかかわらず,心霊写真が再三再四大きなブームとなったのは,心霊や念の存在を意図的に語りたい者がいたからであるとし,各時代のさまざまな写真,事件,主張を細かく取り上げていきます。
 さらには,おそまつな(たとえば誰が見てもカメラの下げ紐が写り込んでいるにすぎないなど)心霊写真を否定しても否定してもブームが去らないのは,結局のところそこに「何かを見たい」者がいるため,と作者は指摘します。
 自殺した岡田有希子の幽霊騒動の際には,幽霊が映ったとされるビデオテープが視聴者からマスコミに届けられ,その結果として「幽霊は映っていない」のではなく,「見える人には見える」という声が残ったのがその顕著な例と言えるでしょう(その当時の若者間のオカルトブームがのちのオウム真理教事件に影響を及ぼしたという指摘は,検証を必要とはするものの,重いものを感じます)。

 つまるところ,著者も最後に簡単に触れているように,デジカメの時代になっても,何も写ってないところに何かを見たい者がいる以上,心霊写真は存続し続け,夏になれば書店の棚で暗い顔や白い手がうごめき続けることになるのでしょう。

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