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2006/03/04

従容として逝く 『桃』 久世光彦 / 中公文庫

191【なんだ,それだけのことなんだと頷きながら,私は紅色の漆の筐の中へ落ちていった。】

 三月三日,桃の節句の夜に『桃』を紹介する心積りもなくはなかったが,作者の死を悼みつつ書くことになる算段まではしてなかった。

 久世光彦は,当たり前のように言葉遣いにこだわった。
 大量生産のプラスチック工場のごとき昨今の売文家たちの中にあって,いわば厚手の漆器の手触りを示してくれたものだ。
 その分濫読できず,手間のかかる,疲れる作家の一人でもあった。最近も『桃』や『聖なる春』,『花迷宮』などを読んだが,続けて読もうとは思わなかった。本棚の一隅に雑作なく積んでおいて,探偵小説やゴシックホラー,ノンフィクションに飽いたら鞄に1冊忍ばせる,そんなふうに読む。そのようにしていつくしむ。

 添付画像の『桃』は,タイトルどおり桃の果実の,腐る寸前の匂い立つようなありようを死に喩え,物狂おしくもはかない男女の滅びを謡った短編集。
 熟達の筆で重ね塗りされた作者の文体は昭和の熱っぽい空気,空間を背景に,実体験を織り込んだ私小説なのか,まるきりのこしらえごとなのか,黒い時間を練って捻じ曲げて,そこに桃の色を走らせる。それはまるで柔らかな果肉をこねあげた彫像のように,油断すると腐って崩れてしまいそうな,したたる味の濃密な。

 文庫版『桃』の解説で,担当の日和聡子は力尽くして力及ばず,一編一編のあらすじを書きつらねる(大きなお世話!)。『聖なる春』(新潮文庫)解説の清岡卓行も結局は同様。ところが,久世光彦が書いた,たとえば岩井志麻子『魔羅節』(新潮文庫)の解説を見てみれば,ここでなんと久世は志麻子を別れた女の産んだ我が娘に喩え,その娘が男と女の地獄に落ちるさまを嘆きつつ指の間から薄目をあけてうかがうように志麻子の歌を覗き見る。たとえばこのような具合。

 「志麻子を産んだ女のことは憶えている。(中略)抱いた後,眠り呆けている目をむりやりこじ開けて,瞳の中を覗いてみたら,目の中いっぱいに灰色の空が広がっていて怖かった。普段はのろのろと,畳を蛞蝓(なめくじ)みたいに這って歩くのに,布団に入ってくるときだけは,いやに敏捷だった。」

 もちろんこれは文庫小説の解説に用いるべき文体ではない。ではないにもかかわらず,その前後に『魔羅節』各編のタイトル見事に読み込んで,つかずはなれず捧げた岩井志麻子へのオマージュとなっている。その6ページ余りのオマージュそのものが一編の短編小説と化して怪しい。久世光彦は,産業的技術の限りを尽くして昭和と性と死を描いた人でもあった。

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