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2006/02/02

「作家。をプロデュース」 芥川賞がダメダメな理由?

【僕らの高校生活とは全く違いますから、読めないんですよ。先に進めない。】

 読売新聞1月19日の文化面に,昨夏の第133回で芥川賞の選考委員を退任した作家・三浦哲郎のインタビュー記事が掲載されている。これが,賞選考の裏面を示してすこぶる面白い。

 三浦は表向きは病気(脳梗塞)を理由に選考委員を辞退したのだが,本音を言えば

・時代が変わって今や作品中の高校生の生活などが理解できず,作品を読み進めることができない。
・自分は本来選考委員の素質がない。人と争って言葉で相手を圧倒するようなことはできない。
・重視すべきは文章,と主張してきたが,段々効力がなくなってきた。編集者も作家も,文章より時代性を重視するようになった。
・自然少数派の肩を持つことになるが,自分の支持したものはいっこうに受賞しない。会心の選考会というのは残念ながら経験がない。

……というのである。

 今週の「週刊ポスト」誌(小学館,2月10日号),「日本の新聞を読む」欄では,ノンフィクション作家・小林照幸がこのインタビュー記事を取り上げ,「候補作の中の高校生の生活が理解できないのは,世代差が本当の理由なのではなく,あらゆる世代が読むに耐え得る文章力で時代性を描き切っていないからである」と三浦に賛同の意を表している。いかにも教科書的な反応だ。

 しかし。小林の読みははたして正しいのだろうか。

 先にクリアにしておきたい。
 芥川賞,直木賞というのは,そもそも,菊池寛が「文藝春秋」誌の売り上げを伸ばし,また新人を発掘するために創設したものだ。その後,受賞作家が広く活躍する例が続き,文学賞の中でも権威あるものとされてきたが,本質的には他社の賞同様,文学や小説の振興という意味合いは含むにせよ,しょせん出版社の都合で開催される廉価なプロモーションツールの一つにすぎない。

 したがって,受賞作品がベテラン作家からみて評価に足る作品であるかどうかは,必ずしも最大要件ではない。容姿端麗な若い女性作家であること,(表層的であっても)刺激的な世相を扱っていること,そういったスキャンダリズムが選考基準として文章の品質以上に重視されたとしても,それは授賞サイドの方針,さじ加減次第だ。
(綿矢りさ『蹴りたい背中』,金原ひとみ『蛇にピアス』の同時受賞は,作品の価値,クオリティを格段に上回る掲載誌の売り上げを計上した。プロモーションツール芥川賞の本領発揮と言うべきだろう。高く売る,もしくはたくさん売る,それがブランド戦略なのだ。)

 ……それにしても,三浦哲郎という人物はひどいというか,とんでもない。

 本人の言葉をそのまま信じるなら,彼は,自分が選考委員にふさわしくないことを自覚しつつ,20余年(!)にわたりその地位に留まり続けたということだ。後進に道を譲るでもなく,賞への疑念を広く訴えるでもなく,退任した今になって自分の推した作品は選ばれなかったと繰り言をこぼす。無責任,老害と言わずしてなんと言おう。

 個人的に,昨今の芥川賞受賞作にさほど興味はない。なるべく目を通すようにはしているが,棚に残すほどの作家にはめったに出会えない。直木賞受賞作家には敬愛する作家が少なくないが,こちらは一種功労賞なので,受賞で話題にならずとも名前や代表作くらいは聞き知っていることが多い。
 だから両賞の運営を今さらどうこう言うスジアイでもないのだが,それにしても,もし選考委員にほかに三浦のような勘違いの御仁がおられるなら,早急にもっと目の利く人物にすげ替えたほうがよいのではないか。
 近年の芥川賞受賞作の問題は,文章より時代性を重視していること,などではない。三浦が言うほどに時代性をテーマにした作品の比率が高いとも思わない。それ以前に,端的に作品としてつまらないのだ。

 芥川賞に今必要なのは,演歌全盛期を懐かしむばかりでアユもヒップホップも聞かない音楽評論家ではなく,「おニャン子クラブ」における秋元康や「モーニング娘。」におけるつんく♂のような才能ではないかと思う。
 文学界に今そのような人物がいるかどうかは知らない。しかし,少なくとも探す努力,任せる度量は必要だろう。

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