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2005/09/27

オバケの本 その二 『聊斎志異』〈上・下〉 蒲 松齢, 立間祥介 訳 / 岩波文庫

189【世間には人に害をあたえない狐はいるけれど,人に害をあたえない幽鬼はいないというのは,陰の気が盛んだからよ。】

 言わずと知れた中国清代の怪異短編小説集ですが,この『聊斎志異』をはじめ,ここ十年ばかりの間に,岩波文庫の新刊や改版本がずいぶんと読みやすくなりました。

 五十刷,六十刷という古典の珍しくない岩波文庫の場合,もともと最近の文庫に比べて活字が小さいということもあったでしょうが,それ以上に「紙型」を用いることの弊害が大きかったような気がします。
 戦前の印刷物の多くは,頭に凸状に文字を刻印した鉛のバーを並べることで組版されました。いわゆる「活版印刷」です。版を保存する際は,活字を組み合わせて作成されたページを「紙型」といって特殊な厚紙にぎゅっと押し当てて凸凹の形で残し,増刷する際はその紙型に再度鉛を流し込んで版下を作成する,そんな手法で再生産を実現していました。鉛でできた活字には欠けや位置ずれがありますし,紙型には乾燥による縮みが発生するため,古い文庫では増刷を重ねるたびに活字が乱れて読みづらくなってきていたのではないかと思います。
 腰の重かった岩波書店も,さすがに印字の品質が気になってか,近年は古い文庫の活字を組み替えたり,翻訳を新たにして再発行したり,といった工夫を進めているようです。
(最近の岩波文庫が写植活字を用いているのか,一気にDTPまで進んでいるのかは,フォントに詳しくないのでわかりません。ただ,『聊斎志異』などの印字並びのクオリティの高さを見る限り,なんらかのDTP(デスクトップパブリッシング)システムを用いているのではないかと思われます。)

 DTPに用いられるPageMakerやQuarkXPressなどのレイアウトソフトは,早い話がワープロの編集機能を高度にしたようなツールですが,これらを利用すると入稿や編集作業が安直簡便な分,活版や写植に比べて,出版社,編集者の「版下」に対する思い入れが失われはしないか,そう心配するベテラン編集者もいるそうです。
 実際,新雑誌を創刊するにあたって,ベースとなるページレイアウトすら検討せず,ただテキストと画像ファイルをメールでデザイナー宛に入稿し,あとはお任せモードの編集者がいて,驚いたこともあります(細い罫線,太い罫線をそれぞれ「オモテ罫」「ウラ罫」というのは活版の鉛活字の仕様から出た言葉なのですが,最近は,その由来どころか「オモテ罫に」という指定がDTPオペレータに通じないことすら珍しくありません)。
 とはいえ,DTPが導入されれば,レイアウトや活字について,その程度の知識でも十分雑誌ができてしまうのも事実です。そのため,最近の雑誌の表紙や記事にはいかにもPhotoShopで文字にエフェクトをかけただけといったタイトルや見出しが目につきますが,目的に合致しているなら効率を喜ぶべきなのでしょう。

 宮沢賢治『銀河鉄道の夜』で主人公ジョバンニが巻頭の「午后の授業」の帰り,家計を助けるために「活版処」で「小さなピンセットでまるで粟粒ぐらいの活字を次から次と拾」うのが活版印刷の活字でした(別役実脚本のアニメ映画でも静かで大好きなシーンです)。しかし,グーテンベルグ以来のそんな活版印刷の文化や技術も,少なくともこの国では事実上滅びてしまいました。今や「紙型」をとる工具も技術者も,ほとんど残っていないそうです。
 是非はいろいろ議論もあるところでしょうが,こと岩波文庫においては,ただでさえ流して読めない思索系カテゴリーの本が多いだけに,最近の新刊の読みやすさは歓迎したいと思います。

 岩波文庫の『聊斎志異』が読みやすいもう1つの理由は,立間祥介氏の訳文の流暢さによるものが大きいと思います。枯淡にして鮮やか,月明かりの下の明晰さ,志怪の気配を上品に伝えてくれて実にもう心地よいのです。また,登場人物たちの会話をいかにも古典といった強張ったものにせず,現代風にさらりと流したのも好感がもてます。

 この上下巻で『聊斎志異』全体の全491篇分の91篇だそうですが,ちょっと印象としては「幽鬼」や「なんとかの精」との恋愛譚の比率が高いような気がしないでもありません。思ったより「怖い話」の比率が低い印象。こんなものでしたっけ。
 「幽鬼」とは日本でいう「幽霊」のことなのですが,当時の中国の死人は,滅するのではなく,幽鬼の世界に移行し,そちらで役人になって働くなど,生活感あふれるものだったようです。こちらの世界と幽鬼の世界を行ったり来たりは当たり前,若い女の幽鬼はハンサムな学生に言い寄られれば「あれぇ」と歓を尽くし,焼き餅はやくわ,子供は生むわ,もうどこが死人なのという大騒ぎです。同じ中国の『剪灯新話』を元とする「牡丹灯籠」の粘着質な幽鬼などむしろ例外的な印象で,アンハッピーエンドな作品においても,さっぱりした大恋愛を楽しむ幽鬼のほうが多数派です。

 そして,その大恋愛において,多くは主人公の若い男が天女のような幽鬼と出会い,愛の行為にいそしむのですが,この表現が,原文がそうなのか訳者の工夫か,バラエティに富んでまことに楽しいのです。ちょっと(悪趣味かもしれませんが)そのいたすところを抜き出してみましょう。

 いきなり抱きしめると,かたちばかり抗ってみせただけだったので,その場でねんごろになった。

「壁画の天女──画壁」

 夢に思った仙女とほんとうに褥をともにして,月の宮居は雲の上と限ったものではないと思ったものであった。

「美女と丸薬──驕娜」

 董は相好をくずして着物を脱ぎ,一緒に寝たが,まるで天にも昇るような心地であった。
 擦り寄って戯れかかられ,ついその気になってまた交わってしまった。

「女狐と二人の男──董生」

 歓を求めたところ,拒む色も見せなかったので,喜んで情をかわした。

「侠女──侠女」

 すると,女がひょっこりやって来たので,また愛をたしかめあった。

「二人妻──蓮香」

 「でも人の精血を受け入れなければ,生き返ることはできないのです」(中略)と言うので,ともに歓を尽くした。

「夜毎の女──連瑣」

 「色気違い。良くなったかと思うと,もういやらしいことを考えるなんて」と言うのを,「せめてものご恩返しですよ」と,ひとつ床に入り,心ゆくまで楽しんだ。

「山中の佳人──翩翩」

 上巻のみざっと見ただけでこんな感じ,どれ一つとして同じ言葉遣いがありません。
 幽鬼も狐の精も,ともかく鬱々とせず,現世の歓を求めて縦横に現れ,語り,褥をともにするか,別れに涙をくれるか,ともかく「いきいき」の一言です。
 全体に,一部を除いて情けなくも受身の貧乏男が多く,勝気で溌剌とした女(の幽鬼や狐の精)が多いのも『聊斎志異』の特徴のような気がします。

 小学生向けジュブナイルから今回の岩波文庫版まで,さまざまな『聊斎志異』の訳本を手にしてきましたが,なんだか年を経るにつれて,ますます現代的な内容であるように思われてなりません。『捜神記』などに通じる素っ頓狂な志怪の面白さもありますが,現代に通用する上質な「短編小説」としての軽妙な味わいがあるのが『聊斎志異』の魅力ではないでしょうか。

 その意味で,今回の通読では,どれ一篇とは決めかねますが,ある程度の長さをもち,ある程度の起承転結を明らかにし,なおかつどこかぽっかり説明の欠けた作品を最も楽しく読みました。
 唐突に現れ,また唐突に去っていった「おきゃん」な幽鬼の娘たちを思い,胸のどこかに穴が空いたような心持の今日この頃です。

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