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2005年8月の4件の記事

2005/08/26

[雑談] 危うし!? 将門の首塚

 新聞報道によると,東京都は,現在「旧跡」に指定されている歴史文化財約230件のうち約9割について,「伝承や物語に過ぎない」「史実の根拠があいまい」として指定廃止を視野に総点検を進めているそうです。

 見直しの対象として挙げられている旧跡には,「四谷怪談」のお岩さんが信仰したという田宮稲荷神社跡,京都で斬首された平将門の首が宙を飛んできて落ちたとされる将門の首塚,そして赤穂浪士の一部が切腹したという熊本藩江戸屋敷跡なども含まれているとか。

 そりゃ、京都でさらし首にされた首が関東まで自力でぴゅーんと飛んできて落ちたのが「史実」かと言われればそれまでですが,長年恐れられてきた,あるいは長年演劇人が「四谷怪談」を舞台にかける前に必ず参詣したといった事実は,それはそれとして1つの史実といえなくもないような気がするんですが,どうなんでしょう。

 ちなみに,もし今後──あくまで「もしも」ですが──都の検討委員会関係者の何人かが続けて原因不明の熱病死,自殺,発狂,動悸,いきぎれ,めまい,肩こり,だるさ,手足の冷え,風邪などの諸症状が出るようなら……できれば「どの旧跡の呪い」でそうなったのかはっきりわかるよう,点検・廃止の担当者を「旧跡」ごとに明確にしておいてほしいですよね。

2005/08/17

仕事モードオン!! 『働きマン』(現在2巻まで) 安野モヨコ / 講談社モーニングKC

717【伝えたいのは何だ?】

 吾妻ひでお『失踪日記』を取り上げた折に「このところ,新聞の書評欄をにぎわすような,いわば文化人ウケするマンガの単行本が続いて……」と書いたのは,続いて安野モヨコ『監督不行届』,そしてこうの史代『夕凪の街桜の国』を取り上げようと思ったからだった。

 ところがこの2冊,とくに『夕凪の街』は,なんというか,自分の中のある部分と正面から向き合わないと書いてはいけないような気がして,結局形にならないままだらだらと今日に至っている。
 多分,書かないでいたほうがよい。そういう作品なのだ。

 さて,そこで『働きマン』である。

 『働きマン』は自分と対峙せずに読めるの,と聞かれると,あれっそういえばと思い当たるフシがないわけではないのだが,こちらはなんだか平気で楽しく読めるのであった。

 主人公・松方弘子(28)は週刊『JIDAI』(発行部数60万部,月曜日発売)のライター編集者。
 『働きマン』は彼女を中心に,編集の現場で働く人々の「働く」ことの意味をさまざまな角度から描き出す短編集。校了後は人と喋りながら寝てしまうほどのハードワーク,思うように動かない同僚たち,思うように企画をまとめられない自分,屈辱,疲弊,迷い,その中で跳躍的に何かが得られる瞬間,何かを失う瞬間。

 安野モヨコの絵柄はどちらかといえばかなり苦手なほうに属する。目が大きすぎる。フリーハンドでぐじゃぐじゃした印象。……
 だが,『働きマン』で,その印象がずいぶん変わった。

 アバウトな絵柄に見えて,コマ割り,人物のアップの配置が素晴らしくテクニカルなのに驚く。正面のアップには正面でなければならない理由が,右45度の苦笑いには同じく右45度の理由がある。勘によるものかもしれないが,さまざまな描写がリーズナブルに,最大効果を求めた結果となっているのだ。また,第2巻の「昔も今も働きマン」,最後の1ページが唐突に登場人物の独白で終わるなども非常に技巧的で,その技巧の的確な効果が心地よい。

 松方弘子という働きマン,その弘子の目に映るさまざまな働きマン,そしてそれをマンガに描き上げる安野モヨコという働きマン。1作め,2作め……という作品の横軸とは別の垂直な糸がおりて,『働きマン』は「働く」ことを強く,柔軟に編み上げてみせている。

 ただ,いかんせん「不覚にも涙が」というほどの心持ちになれないのは,この作品の舞台が週刊誌編集部という,ハードではあるがある意味呑気で保障された「働き場」であるせいかもしれない。いくら当人が優秀でも,本作のように周囲をどなり散らしたり,上司に反論したりできる「働き場」はそう多くはないだろう。というよりほとんどないだろう。
 早い話,思いっきり「働く」ことを許される職場というのは,案外と少ないのだ。
 その意味で,『働きマン』は,働きマンたちにとっての,ささやかなファンタジーなのかもしれない。

 ……それにしても,確かにいるよなあ,プレゼントページで何度もリテイクくらう使えない編集者。あれはいったいなぜ(なに)なんだろう?

2005/08/08

『スパイシー・カフェガール』 深谷 陽 / 宙出版

716【カラッ…ウマイ ツーン じ…ん この辛さとキャベツの甘みがなんとも】

 こってり匂いたつような東南アジアンテイストを描かせれば天下一品……というかその方面ではそもそも比較対象の思い浮かばない深谷陽の新作単行本。コミックバンチに掲載されたものに書き下ろしを加えた208ページ。

 ふと立ち寄ったタイ料理店「ドゥアン」の味が気に入り,思いがけず翌日からそこで働くことになった料理人志望のテツヤ。
 いかにも「ワケあり」ふうなごっついマスター,謎の美人ウェイトレス……と身構えるヒマもあらばこそ,あっという間に事件に巻き起まれてさあたいへん。国際陰謀に巨大ルビーに3億円の現ナマ。『運び屋ケン』に通じるノンストップジェットコースターハードボイルドハートウォームサスペンス(ながっ),でもあくまで味付けは東南アジア。
 食べる,驚く,逃げる,料理を作る,また逃げる,また食べる。重い話もあきれた話もテツヤといっしょにわあわあと一気呵成。

 ただ……主人公とヒロイン,あるいは悲運のアフガン少女との交流など,深谷陽特有の「言葉は通じなくとも」タッチは快いが,この作者の作品を読み込んだ者からすると充足感は想像を超えるほどではない。無国籍な話に見えて,実のところこの国で,この国の者によって描かれた,というエリア内での面白さに思われなくもない。

 やっぱり深谷陽は初期の『アキオ紀行 バリ』,『アキオ無宿 ベトナム(1)(2)』の3冊が一番「くる」。
 その後の作品も面白いことは面白いのだが,なにしろ『アキオ~』ではすべてのページ,すべてのコマを流れる時間の色が違う。空気が違う。密度が違う。この国から見た異国なのではなく,バリやベトナムの,がたついた午後のテーブルで食べ物をちょっと寄せて描かれた異国,そんな感じ。それが読み手をねぶる。

 本作のような波乱万丈なストーリーも悪くはないのだが,ただアジアの片隅で食べて寝そべって子供と遊ぶ,そんな深谷陽も久しぶりに読んでみたい。切に願う。

2005/08/04

ブックオフに出回ってからで十分 『陰陽師 12 天空』 原作 夢枕獏,作画 岡野玲子 / 白泉社(Jets comics)

201【もし私が… 重大なことを間違えてしまったら… 何としよう…】

 ある作品が万人向けであるかどうかは,その作品の評価とは別の話。
 一部であれ,読み手の心を深くとらえるなら,それだけでも十分価値のあることであり,その作品を評価しない者たちがいかに否定しても,その作品の評価が減ずるわけではない。

 ……と弁明しといた上で断言してしまうが,12巻は,11巻にも増して最低。

 「深い」といった評価もなくはないようだが,深いとか深くないとか,そんなこと以前にそもそも論外。この書き手は読み手に何かを正確に伝えようとする努力を放棄しているようにしか見えない。そのため,この12巻にいたっては,読み通すのが面倒を通り越して苦痛。
 それを,たまたま波長の合う読み手が評価したとしても,知ったことではない。

 美しいことと美しいものを描くことは別だ。正しいことと正しさを訴えることも,また別。
 作品が作品であるためには,作者の中にア・プリオリに存在するテーマをなんらかの手段で読み手に伝える作業,ないし工程が必要である。その工程と効果抜きにシンパシィだけが成立するなら,それは独りよがりと独りよがりがたまたまシンクロする,悪い意味でのローカル宗教に過ぎない。
 たとえば,同じ少女マンガ系列でいえば,佐藤史生の一部の作品も相当に難解な作風ではある。だが,佐藤史生の場合は,そのテーマを伝えるにはその展開をもってそのように描くしかないという懸命さがある。誠意がある。岡野玲子の『陰陽師』のここ数冊については,その切実さ,誠実さがぽっかり欠落しているように思われてならない。

 少なくとも,ことここに至るまでに,「原作・夢枕獏」の肩書きははずすべきだったろう。
 夢枕獏の作品をすべて高く評価するわけではないが,それでも彼は作家であることを踏み外してはいない。理屈と情をこね回す岡野晴明に比べ,調子がよいばかりの夢枕晴明は浅薄に思われるかもしれない。が,こと「呪」に関して夢枕晴明は深い浅いを論ずる必要のないほど明晰だ。だいいち,夢枕晴明は,情けなくうざうざうろたえたりしない。

 結局のところ,深いわけではない。晴明を維持するに弱いだけなのだ。岡野玲子が。

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