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2005/07/06

『新耳袋 現代百物語 第十夜』 木原浩勝・中山市朗 / メディア・ファクトリー

506【「あっ,驚かれませんように。驚かれませんように。」】

 独特な怪異譚を蒐集して人気の高い『新耳袋』,ちょっと寂しいシリーズ最終巻。

 「独特な」というのは,要は
   友達の友達が聞いたという,よく出来た話
よりは,
   自分や自分の家族が直接見聞きした,奇妙な体験
のほうを優先する──そう言えばさほど遠くはないだろうか(ただし,当節多発のサイコな話,ストーカーな話は注意深く避けられている。怪異は怪異でなければならない)。

 そのため,怪談集でありながら,「実はその場所ではかつて○○ということがあったのだった(怪現象はその際に死んだ者の霊のせいだった)」というオーソドックスな因縁話は割合少なく,「自分も家族もちょっと信じられないのだが,実際にあったこと(もの)で,その理由・原因もいまだによくわからない」といった一種突き放した怪奇現象の記述が少なくない。

 たとえば,初期の名作(?),坂道を前転しながらおりていくスーツ姿の紳士や,地下の出入り口のない日の丸を貼った部屋,などがその代表といえる。それらは正体を明らかにされることもなく,また通常の意味での幽霊や妖怪とも結びつかない。
 つまり,よくある怪談の一つと安心してかまえていたら,なんともいえない日常のすきまに落とされて薄ひんやり途方に暮れる,そんな話が少なくないのだ。

 しかし,四巻巻末の「山の牧場にまつわる10の話」を頂点に,『新耳袋』の特異性はやがて目に見えにくい袋小路にはまり込んでしまう。

 『新耳袋』は,木原,中山の二人が知人をつてにインタビューを重ねて怪異譚を蒐集したものだが,おそらく『新耳袋』が(映像,文庫化も含めて)知名度が上がったせいだろう,取材に答える側が「いかにも『新耳袋』に載りそうな」話を語るようになってしまう。「オーソドックスな怪談ではない,自分や家族の見聞きした説明のつかないユニークな経験」が拡大再生産されるようになってしまうのだ。
 となると,怪談としての「落ち」の明晰でないそれらの経験談はにわかに緊張感を喪い,第六,七,八夜あたりとなるとほとんど記憶に残る話がない。第九夜,そして最終巻の第十夜にいたっては,とうとうそういう「ユニークな経験」のコピーにも行き詰った語り手たちが,結局はオーソドックスな怪談,都市伝説の類でお茶を濁しにかかった,そんな印象である。
 今回掲載された新撰組にかかわる話などおよそ『新耳袋』らしからぬ内容で,なぜ最終巻巻頭にこんなものが選ばれたのか理解に苦しむ。

 たとえばこういうことだ。
 第十夜には「手」にまつわる話がいくつか登場する。「黄色い水槽」をかきまぜる手や,「天井」に跡を残す手だ。しかし……『新耳袋』なら,これらの「手」は語り手の目に見えるべきではなかったのではないか。

 「それまでの表情を変えて,それは聞かないで下さい,と黙ってしまった。」(「寺に預けられた理由」)
 「いくら聞いても,知らない方がいいと何も言ってくれない。」(「河原の子」)

 本当に怖いものは,現れて暴れるものより,上の二話のように,語られないものにひっそりとひそむ。そして「中へ入られてもあまり驚きませんように」(「賽銭箱」)と申し訳なさそうに断ったりする。

 それでも悲鳴は漏れるものだ。

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