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2005年6月の5件の記事

2005/06/26

正統派?除霊コミック 『MAIL』(現在3巻まで) 山崎峰水 / 角川コミックス・エース

551_3【なら……コレ コレはどうやって撮ったの…!?】

 「○○のように頭がよい」というとき,人は不思議と「天使のように」とは言わない。大概,○○にはまるのは「悪魔」であり,その伝でいうならamazon.co.jpの仕業こそは悪魔の所業に等しい。
 このサイトは顧客が購入した商品をデータ化し,それにひもづくあれこれの商品を「おすすめ」してくるのだ。そ の選択がまた巧緻かつ絶妙で,「おっ,この作家の新刊が出たなら買わねばねばねば」「やや,このようなCDがあったなら聞かずしてどうしよどうしよ」と速攻で注文ボタンをクリックしてしまったこと庭のダンゴムシの数ではきかない。

 『MAIL(メイル)』は怖い小説やコミックをちょくちょく注文するIDで以前からその「おすすめ」にあがっていたもので,最近まとめて購入したのだが……残念ながらこれは密林様のお告げにしては久しぶりにハズレだった。

 本作は,霊能探偵・秋葉零児を主人公とする連作短編集。
 物語の大半は,彼のもとに霊的な事件の相談がもたらされ,現れた邪悪な霊を霊銃・迦具土(カグツチ)を用いて黄泉に送る──つまりは除霊する──というものである。

 山崎峰水(なかなか風光明媚な名前ではある)のペンタッチはやや太めでシンプル,背景は白っぽくクリア,といかにもカドカワしていて悪くない。事件の一つひとつは様々な工夫をこらしてありきたりの怪談噺に新味を加えている。登場する霊たちも,天井を這ったり,血とともにトイレから現れたり,携帯電話のメールとともにだんだん近づいてきたり,となかなかに……ところが,これがあまり怖くない。

 なぜあまり怖くないのか。その理由は明白で,中山昌亮(『オフィス北極星』の作画者だ)のホラーショート『不安の種』などもそうなのだが,霊の描き方が直接的にすぎるのだ。出るぞ,出るぞ……と盛り上げておいて,そこでぐわわっとゆがんだ顔が本当にコマの中に描かれてしまう。
 それをああ怖い,もう一人でトイレに行けない,という読み手も少なからずおられるだろうし,その方々が怖がるのを否定するつもりもないのだが,残念ながらそういったぬちゃっとした悪霊のアップはある程度年齢を経てホラー映画やコミックの経験を積むほどにさほど怖くなくなってしまう。

 本当に怖い作品は,血まみれの悪霊が見開きの大ゴマにアップで襲い掛かるようなものではない(映画の『エイリアン』の1と2のどちらがより「怖い」かを比較して考えていただきたい)。
 ましてや,その悪霊が世の中や特定の人物を恨んでそれに復讐をしようという物語でもない。それならあなたの背中であなたを恨んでいる高校生の息子さんのほうがよほど剣呑かもしれない。

 本当に怖いのは

2005/06/15

悪を倒せと友が呼ぶ!! 合い言葉は正義!! 『チェンジング・ナウ』 UMA(ユーマ) / 講談社コミックス

498 【でも── もし 次に 戦闘で会ったら…… 私は キミを本気で倒さなければならない──】

 新刊紹介を旨としていない当「くるくる回転図書館」では,したがって小説やマンガを人様より早く紹介することに重きをおいていない(単に時流に乗り遅れている,とも言う)。しかし,一昨日の朝日新聞書評欄で石川雅之『もやしもん』が紹介された件については,さすがに悔しい思いをしたことを認めるにやぶさかでない。古今未曾有の農大細菌マンガ,単行本が出るより前に取り上げておくのだった……。

 というわけで,朝日新聞が取り上げる前に,せめてこちらは急いで紹介しておこう。少年マガジン連載中,UMA(ユーマ)の『チェンジング・ナウ』である。

 少年マガジンをお読みの方は,巻末間近のモノクロページに,ごちゃごちゃ,ギスギスした絵柄のギャグだかシリアスだかよくわからない変身モノのマンガが毎号数ページ,ひっそりと掲載されていることにお気づきかもしれない。気づくだけでなく,パラパラと目を通しておられる方も少なくないだろう。たいていはほのぼの,もしくはベタなギャグで終わっているのだが,ごくまれに思いがけない展開に息が止まるような思いをされた方もおられるかもしれない。……けれど結局のところ「まさか」「そんなはずは」といった気分で素通りしているのが実情ではないだろうか。

 『チェンジング・ナウ』は,変身ヒーローモノを本歌取りした,パロディ作品である。
 ストーリーは,冴えないフジオカ係長(3人の子持ち)がある日正義のヒーローとして変身能力を身につけてしまうが,変身後の「ドッグファイターゼロワン」はお世辞にもかっこよいとはいえず,おまけに必殺技は世にも卑怯でセコイ「目つぶしチョップ」に「スネキック」。そのため,父親の変身能力を知る娘にまで嫌われて一緒に歩いてもらえない。それでも次々と現れる怪しげな怪人(同語反復)に,今日もドッグファイターゼロワンは立ち向かっていく……。

 だが,進んでパロディを描けるということは,言うまでもなくそこに変身モノに対する愛情が,そして愛情もってなされる観察があるということだ。それは──ごくまれにだが──対象を凌駕する。
 だから,『チェンジング・ナウ』はときに,閃光のように凡百の変身ヒーローモノを越えた輝きを示す。そこに顕現するギャグの,あるいはシリアスな魅力は,マンガならではのものだ。細分化され,産業として整備されたマンガがときに見失ってしまいそうな,マンガの,マンガならではの危うい魅力。

 連載打ち切りが近いのか,少年マガジン誌上の連載は唐突にシリアスなストーリー展開を示している。ギャグマンガがシリアスに飛翔して輝きを失わないとしたら,それは『GS美神極楽大作戦!!』のアシュタロス篇以来かもしれない。乗り遅れたくない方はすぐ単行本1,2巻をゲットだ。爆装!! イグニッション! チェンジング・ナウ!

2005/06/10

ライト新書の佳作 『水族館の通になる』 中村 元 / 祥伝社新書

0171【この業界が,お互いの真似やいいとこ取りを容認する社会だからである】

 なにゆえ俺は──水族館ではこれほどまでに深く心が落ち着くのか。
 ときおり,矢も楯もたまらず,何もかも振り捨てて水族館に向かう──それはどちらかといえば肉体がビタミンを求めるのに似た生理的な欲望だ。冷たく分厚いアクリルガラスの向こう,静かにうごめく魚や両生類は姿が異様なほどよい。ごぽごぽと裏で働く濾過装置の振動と館内にこもる静かな歓声を受けて俺の奥のどこかが修復され,満たされていく。俺はどこから来たのか。どこへ行くのか。

 とかなんとかいう水族館フリークのつぶやきはあんまり重いからちょっと君あっちね。本書『水族館の通になる ──年間3千万人を魅了する楽園の謎』はそんなんじゃなくてライトでこざっぱりしていてシリアルスナックみたいな読み応え。

   「巨大なジンベエザメを運ぶ方法は?」
   「ピラニアの水槽掃除は怖くないの?」
   「死んだ魚は食べちゃうの?」
   「誰の食費が一番高い?」
   「なぜ写真撮影は禁止なの?」

 などなど,言われてみればどうなってるのかしらのソボクな水族館の疑問あれこれ,それを,元アシカトレーナーにして現在巨大水族館やTV番組のプロデュースを手がけている著者が水族館のウラオモテを答えてくれる。「まさか!」とウロコがポロポロ落ちるほどではないが,知っていたかといえばパクパクとエラを開け閉じせざるを得ないような興味深い情報満載。
 全編通して,役に立つんだか立たないんだかよくわからない,いや,だからこそ「通」な知識がたくさん。水槽の中の巨大な岩はニセモノだとか。南極に住んでいるペンギンは18種のうち4種だけだとか。

 個人的には,水族館にウミウシがいないのは,彼らがエサにしている微細な生物が不明なため,という情報にピシと背びれを立てる気分。ぜひとも全国の飼育マニアの皆さんの奮起を期待したい。もしもお台場だの汐留だのに世界最大のウミウシ専門水族館がオープンなんてことになったら必ず行く。お土産にはウミウシクッキー,ウミウシTシャツ,ウミウシストラップ,必ず買う,買ってしまう。

 なお,本書は水族館本によくある,どこにいけば何が見られるとかいったガイドブックの類ではない。巻末には本書に登場する水族館の住所が載ってはいるが,それだけ。全国の水族館の中ではホタルイカの卵にすぎない。
 まぁ,水族館好きならまずは自分の住まいから近い水族館から順にあたっていくのがよいだろう。ただ,「朝の開館直後に訪れるのは,水族館通の常套手段だ」と言われても,なぁ。会社休んで,おまけに早起きか。うー。

2005/06/06

ライトといえば最近の新書 『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』 山田真哉 / 光文社新書

Photo【利益を出すためにはふたつの方法しかなく】

 ライトといえば,最近の新書が軽い。

 従来,新書といえば
   岩波新書 (1938年~)
   中公新書 (1962年~)
   講談社現代新書 (1964年~)
の3シリーズが代表的で,ビール業界に近い寡占状態だった。ところが1994年のちくま新書発刊を嚆矢として,主だった出版社がこぞって参入にいたり,現在までにPHP新書,KAWADE夢新書,文春新書,平凡社新書,集英社新書,新潮新書など20数シリーズが市場に投入されている。いわゆる平成の「新書戦争」である。

 その新書戦争勃発後の新書だが,乱暴にまとめればその特徴は「軽さ」につきる。
 かつて,ケインズだの唐詩だの構造主義だのヒロシマだのといった社会学,経済学,哲学等,重厚かつ学究的なテーマを競った新書の姿は今はなく,執筆陣は変わらず各界の専門家ではあるものの,ライトでスマートな読み応えがいかにも現代ふうである。
 過去の著書ですでに何度も主張した内容を口述筆記で読みやすく採録し,空前のベストセラーとなった養老孟司『バカの壁』などはその典型といえるだろう。

 大学の教養課程の教科書に使われたような初期の岩波新書などに比べて,最近の新書は集中すれば30分もあれば読み切れるものが少なくない。だが,それをただ中身が薄いと見下すのはあたらないだろう。むしろ,ほんの数十分で貴重な知識やモノの考え方のサワリを賞味できることを喜ぶべきである。
 小説において「ライトノベル」が一ジャンルをなしているように,「ライト新書」とも言うべきカテゴリーがすでに起ち上がっているとするのが妥当と思うのだがどうだろうか。

 さて,そんな最近の新書のベストセラーの1冊『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』は,身近な疑問を検討することによって読者を「会計」にいざなうものである。
 「いざなう」という言葉を選ぶには少しばかり検討に時間をかけた。少なくとも「入門」ではない。「入門」にはいたらないのだから。
 本書に目を通しても財務諸表の見方がわかるわけではない。「機会損失」,「キャッシュ・フロー」,「連結経営」といった言葉は説明されるが,公認会計士の資格をとるための勉強になるかといえばまず無理だろう。

 だが,町を走るさおだけ屋はなぜ潰れないのか,ベッドタウンの高級フランス料理店の経営はどうなりたっているのか,ワリカンの支払い役はなぜ有利なのか,といった身近な例をいくつもたてて経営を語る著者の語り口は十二分に興味深く,「会計の世界もなかなか面白く,また役に立ちそうだぞ」と思わせてくれる。
 「入門」以前の,ハッピを羽織っての「呼び込み」本とでもいうべきか。

 また,本書に紹介された事例の多くは会社や店舗の経営の基本中の基本であり,経営者はもちろん,サラリーマンや学生にしてもここに書かれた内容を把握しておいて決して損はしないだろう。
(もちろん,仕事や学業で何か判断が必要になった際に本書に書かれていたことを思い出そう,というほどのことであって,間違ってもこの程度の知識を直接ひけらかしてはいけない。生兵法は禁物である。)

 軽妙にしてバランス感覚にあふれた著者の山田真哉氏は『女子大生会計士の事件簿』の著者でもある。「会計」の世界は少なくとも稀有な広報担当者を得たようだ。

2005/06/01

ライトが身上 『なぞ食探偵』 泉 麻人 / 中公文庫

209【はい,ラジウム一丁】

 「町角でふと目にとまった,ちょっと不思議な料理を紹介していきたい。」
 巻頭の挨拶はそれだけである。ほんとうに? とクラリスのつぶらな瞳で尋ねられても万国旗も出てこない。
 各料理の紹介は,それぞれ2ページ。著者手描き(フリーハンド)のカラーイラストが添えられている。

 取り上げられた店は,浅草の定食屋や駅の立ち食いソバ屋など,いずれも高級とは縁遠い。
 「ず丼」「ソイ丼」「あ玉ヶ池」「ラジウムそば」など,どのような食べ物かおよそ見当もつかない。ちなみに「ず丼」はナマズの天丼,「あ玉ヶ池」はウナギの頭を唐揚げにしてタレをつけたもの。
 「とんかつ茶づけ」「天サンド」「おでんきしめん」「焼き寿司」などは材料・調理法こそ見当がつくが,味のほうが少し想像を超えている。「いかにんじん」と言われても,なあ。
 かと思えば「ソース焼そば」「印度風カリーライス」「マカロニグラタン」「コロッケそば」等々,どこがなぞなんだか,取り上げられていること自体がなぞなものもある。

 読み応えは,ともかく軽い。
 読売新聞木曜日の夕刊に連載されたものだそうだが,最初から最後まで,味や人生について深まることも究むこともない。含みのないタイトルといい,たださくさくと軽い。

 泉麻人については,何年か前の朝日新聞,レコード会社や映画館がタイアップ出稿した年末の広告の印象が強い(調べてみると,1996年11月のようだ)。その見開き広告では,語り手の泉麻人の写真とともに,大きな文字で「今年のクリスマスは、自分らしく」と主張されていた。
 それはつまり,(バブル華やかなりしころののように)カップルはレストランを予約せねば,とか,その際には当然ファッショナブルでなければ,とか,そんなふうに周囲のブームに身を任せることなく,今年は自分らしく,たとえばアットホームにしみじみとビデオを鑑賞したり,あるいはしっぽり二人で映画館を訪ねて,と,そういうクリスマスがブームになりそうですよ,という内容なのである。
 言うまでもないが,論理構造的にはどこかおかしい。そのおかしな主張を,てらいもなくさらっと語ってしまえる,泉麻人にはそんな印象が強い。

 なので,「不思議な料理」と言いながら,品川駅の立ち食いソバ屋の「品川丼」を気負いもなく取り上げる。それはよくあるカキアゲ丼に過ぎないのだが,それを連載の2回めに取り上げることに迷いも見せず,

   先にカウンターにいた常連風の男が「シナドン」と縮め言葉で券を差し出している様がカッチョいい。

だの,

   調べてみると他に鉄火丼やシャコを使った丼に品川丼の名を付けている店が界隈にあるらしい。しかし,なんといっても,「品川駅ホームの品川丼」という環境が旅情を誘う。

だのということを平気で書いてしまうのである。

 本書では全編そのような(曇天の貯水池のように)波風立たないライトな料理紹介が続く。

 よくはわからないが,だからこそ彼はプロのコラムニストとして生きていけるのだろう。
 実際,一定の軽さ,深さ(浅さ)をキープしたまま100編近い料理紹介を継続するというのは,想像するだにおおよそ簡単ではない。凡百の徒ならついついそのうち料理の味についてひとくさり説教したくなったり,料理にかこつけて人生のどろどろにふれたくなったりするに違いないのだが,泉麻人に限ってはそのような心配は一切ない。

 深いものを求めたいときや,重いものを流したいときにはどうかとも思うが,「ごま味銀座ホールメンってどんなものだろう,そうかこの銀座ってのは江東区北砂の砂町銀座のことなんだ」とライトに時間をつぶしたいときにはオススメだ。
 ちなみに,カラスがこれを読んだのは,半日絶食ののちの人間ドックの結果待ちの待合室だった。そのあと,どこに何を食べに行ったかは,家人とお医者にはナイショである。

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