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2005年4月の4件の記事

2005/04/18

十五年の歳月の向こうから 『ラヴクラフト全集(7)』 H・P・ラヴクラフト,大瀧啓裕 訳 / 創元推理文庫

360【この群衆はことごとくその顔に,堪えがたい恐怖から生まれた狂気をまざまざとあらわし】

 まいりました。

 北千住駅構内,スタバ横の書店店頭で『ラヴクラフト全集』の最新巻が平積みになっているのを発見したときの当方の反応は,嬉しい,というより,なんとも困ったな,そういうものだった。

 なにしろ,ひとつ前の6巻が発行されたのが1989年の暮れ。ざっと15年前である。
 当時なら新巻の発売に手を打って喜んだかもしれないが──いや,記憶は曖昧ながら,第6巻ですら,ラヴクラフトらしさという点において少し物足りない気がして,だからこそ創元のこの全集は6冊でお仕舞いなのだなあという気分が当時の愛読者に共有されていたのではないか……。

 このあたり,訳者(編者)による「作品解題」が胸を打つ。頭が下がる。

 「傑作集」が出版社からの連絡でいきなり「全集」に化けてしまったこと。個人で「全集」を編纂するのは,一翻訳者にとって資料蒐集をはじめとして時間的,経済的に極めて厳しい作業であったこと。
 資料として掲載する当時の雑誌の表紙や挿絵も,かつては「一五〇ミリのマクロを装着したカメラで,ミニ・コピイと呼ばれるフィルムを使って撮影した」ものが,今では「デジ・カメとスキャナーを使って取りこみ,八ビットのグレー・スケール変換と補正をおこなっている」とのこと,同じ創元推理文庫の黒い表紙の上に流れる歳月を思えば感慨深い。
 そうだ,1980年代の当時は,「H・P」といえばラヴクラフトであって,ホームページでもヒット・ポイントでもヒューレット・パッカードでもなかったのだ。

 H・P,ハワード・フィリップス・ラヴクラフトは,20世紀初頭のアメリカのホラー・幻想作家。
 夢,狂気,古代をキーワードとするその濃い闇のうねるような作風はのちに追随する多数のホラー作家からいわば「トリビュート」を受け,その一連の作品は《クトゥルー神話》と呼ばれ,神話としての体系,年代記,厚いファン層をもつにいたる。
 直裁にいえば,アニメビデオ(OAV)やアダルトゲームによく出現する,闇から伸びてきて美少女を蹂躙する巨大ミミズのような,あのグロい触手の元祖がこの人である。ジョン・カーペンター監督の映画や菊池秀行の伝奇バイオレンスによく登場するネバネバピュッピュッのアレ,と言ったほうがわかりやすいかもしれない。

 とはいえ,ラヴクラフト当人はデロデロヌタヌタのモンスターをそのまま描いたわけではない。
 彼の作品の多くでは,何かを見てしまった狂人の表情が人智を超えた恐怖を物語り,その恐れの真相は決して直接描かれることがない。なにやら巨大なものが地下室をはいずっていく音が聞こえたり,闇の向こうに大きな黒い影がうごめくのが見えたりするだけである。そして,だからこそ,ラヴクラフトの作品は,のちの《クトゥルー神話》のまま直接的なホラー作品群よりよほど怖いのである。

 ただ,初期作品を中心とした今回の最新巻は,グネグネ触手系の元祖というよりは,ダンセイニ風ファンタジーというか,若書きの思いつめた幻想小説家の印象が強く,訳者の大変な苦労に対しては申し訳ないが……実はまだ読み通せていない。どうしても短編の途中途中で眠ってしまうのだ。

 ……まいりました。ごめんなさい。

2005/04/13

にぎやかな夕ぐれやおへんか 『東亰異聞』 小野不由美 / 新潮文庫

Photo【自分でもよく分からない。ただ,夜に惹かれるのだよ。それも人の心の夜にねえ。】

 力のある「小説」である。
 主題はずばり「夜の闇をなめてはいけない」,だ。

 御一新後二十九年を経て瓦斯灯のともる帝都「東亰(とうけい)」に,「人を突き落とし全身火だるまで姿を消す火炎魔人。夜道で辻斬りの所業をはたらく闇御前。さらには人魂売りやら首遣いだの魑魅魍魎が跋扈する」(カバーの惹句より)。
 狂言回しに黒衣(くろご)とその操る娘文楽人形,さらに旧会津藩の下級藩士を父にもつ新聞記者・平河新太郎,浅草界隈に根城を置く大道芸師の顔役・万造の二人をホームズ,ワトスン役に配し,物語はゆうるり静かに,だが漸次深まっていく。

 伝奇と見るに本格推理,本格推理と見るに……という凝った造りで,平河,万造が事件を追ううちに公爵家のお家騒動が明らかになり。

 「ファンタジー」と称される小説が概して苦手で,本作も敬して遠ざけるの類だったが,不覚だった。
 このような「小説」もあり得るのか。受け手によっては最後の数十頁を是とするかどうか賛否は分かれるかもしれない。ここは,ただ過剰な幻想に流さず淡々と語り通した文体はこの終末をねじ伏せるための力業であったと読む。この同じ「東亰」の闇を,あの槐多もまた見たのではないか,などとも思う。

 桜の舞い散る中,クライマックスを迎える物語。
 夜桜見物の喧騒に背いて,妖しくも苦い異形譚に耽るもまた一興。

2005/04/08

「オーブル街」を聞いてしまったのだから

 「オーブル街」は「帰って来たヨッパライ」「悲しくてやりきれない」のザ・フォーク・クルセダーズの作品。

 松山猛作詞,加藤和彦作曲,青木望編曲。
 発表はおそらく1968年。2分13秒,歌詞も6行しかない,短い曲だ。

 僕が「オーブル街」と初めて出会ったのは,いつのことだったろう。

 1970年か,1971年。
 多分,7月の,深夜というよりは早朝に近い時間のエアチェック。
 確か,僕はそれから音を立てないように家を抜け出して,郊外にある緑の湿った公園のある丘をめざしたのだ。

 馬車の蹄の音を背景に,静かにストリングスが奏でられる。テープの逆回転を利用したリズム音。

    オーブルの街は 僕の涙いっぱい
    灰色の街は 風がいっぱい

 歌詞はややセンチメンタルだが,加藤和彦はのちの「不思議な日」にも近い感情を抑えた歌い方で,オーブル街とはどこなのか,なぜその灰色の街は風がいっぱいなのか,答えは得られない。

    銀色の森に 愛は落ちていく 
    枯れた花が 空をうずめ

 自分の苛烈さをもてあましていたその当時の僕は,よくわからないままにも底知れない喪失を予感したものだ。
 控えめなフルートによる間奏。

    小さな鳥さえ 言葉を忘れる
    僕の心は 帰って来ない

 鳥の声とともにこの短い曲は去っていく。

 僕は──もしくは僕たちは──それ以来ずっと喪い続けている。何を喪い続けているのかは,よく,わからない──。

 多分,この曲に出会っていなければ,僕の中の何かはこのようにならず,それからの出来事のいくつかはあのようにはならなかったかもしれない。

 喪ってばかりいる,といえばもちろん嘘になる。
 だけれども,手のひらからこぼれ落ち続けるもの,馬車の背後に残したり,忘れたり,戻れなかったりするものは確かにある。

 誰か,覚えておいていてくれると嬉しい。
 僕が死んだら,大げさな式も,祈りもいらない。
 「オーブル街」を一度流して,それからささやかな花をそっと投げてほしい。できれば,黄色い花。

2005/04/04

四角い「結界」で解くあやかしパズル 『結界師』 田辺イエロウ / 小学館 少年サンデーコミックス

544【あたしは力を使いすぎた。 もう十分には戦えない。】

 同じ少年サンデー連載でも,『犬夜叉』は読み逃して平気だが,『結界師』は読み逃すとひどく気になる。『犬夜叉』は自分が取り上げなくとも日本中で読みつがれるだろうが,『結界師』はこの手できちんと評価しておきたい。……

 天下の少年サンデー,それも人気連載をマイナー扱いとは失礼な話だが,『結界師』にはいまだインディーの風味が強い。

 作者,田辺イエロウはこれがデビュー連載。
 単行本400冊余の高橋留美子と比較するのも無茶な話かもしれないが,同じ少年誌に連載,戦国~安土桃山時代と現代を結ぶ謎,和服姿の主人公が妖怪と戦う,「犬」が薬味,などなど,この2作には似た要素が少なくない。だからこそ『結界師』の特異性がものを言う。

 クリアな線を求める少年サンデーだけにさすがに一定の水準は保っているが(高橋留美子と比べるまでもなく)絵柄は決して美麗とは言い難い。
 お姉さん色で統一されたヒロイン・時音(ときね)はともかく,茄子紺の着物にデイパック,スニーカー姿の主人公・良守のキャラはいかにも未整理で,底が知れない凄みを垣間見せつつ,結局は表情といい能力といい雑然として片付かない。
 主人公たち「結界師」が対決する妖(あやかし)は,現在の烏森学園(中等部・高等部)の地下にあるという烏森家の祠から得られる力を求めて現れる。つまり,『結界師』は,主人公の自宅と学校のたった2箇所という極めて限られた地域における専守防衛の攻防を描く物語なのである。
 妖の正体は,単なる亡者(幽霊)から,知性の感じられない小ぶりな浮遊妖怪,果てはなにやら組織化された巨大化け物集団まで,枠が明確でないことはなはだしい。

 かくの如き散らかった子供部屋のような設定の中,ひるがえって主人公たちが武器とする「結界」は極めて幾何学的かつ明晰である。
 直方体のガラス函のようなその「結界」の張り方は以下のとおり。

  「方位!」 人差し指と中指を立てて結界の方向を指定。
  「定礎!」 指差して結界の位置を指定。ちなみに建築用語と違って「じょうそ」と読む。
  「結!」 平面の正方形をにょきっと持ち上げて立体にするイメージで,直方体の結界を成形,発動する。敵を囲むだけでなく,味方を敵の攻撃から守ることもある。
  「滅!」 結界に囲んだ敵を,結界ごと消滅させる。それより早く結界が破られると敵に逃げられる。
  「解」 結界を解く。

 作法はほとんどこれですべてだが,組み合わせ次第でさまざまな攻撃,守備が可能になる。
 たとえば適当な空間に結界をいくつか成形することで空中を飛び歩くことができる。結界を幾重にも重ねることでより強力な敵をも攻略することができる。ねそべって本を読むときの書見台に使える。
 もちろん,これらのワザを実現するためには,「結界」そのものについて一種の体力や正確さを得るための日夜の訓練が必要である(このあたり,カンフー映画的だ)。

 『結界師』は,各話ごとにごみごみした設定が未整理に提示されるが,それぞれの事件,さまざまな特性を持つ敵に対して,上記の「結界」という手段のみを用いて事件を解決する一種の知的パズルとなっている。これが面白い。

 単行本は現在6巻。最近は烏森の謎そのものに加え,妖に対抗するはずの「裏会」自身が化け物集団化し,そこに良守の兄・正守が入り込んでいく過程と,妖側の組織の暗躍が複雑にからんで,はたして無事に収拾がつくのか心配な間口の広げ方である。

 少年誌,それも週刊誌の連載はどこまで長期化するか知れず,連載が一段落するまで単行本はなるべく買わないことにしているのだが,本作はついつい発刊のたびに購入してしまう。そして展開や作画の荒っぽさにはらはらしつつ,結局は楽しんでいるのである。
 ……良守と時音は明日も頑張るのでした,で終わらせたら「滅!」だからな。 > 作者

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