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2004年11月の5件の記事

2004/11/29

食品界の謎 「片栗粉」編

 厨房でふと白い紙袋を手に取れば,そこには麗々しく

   馬鈴薯澱粉
   品質100%保証
   東京片栗粉組合

と記されている。商品名に大きく「片栗粉」を名乗りながら,馬鈴薯澱粉として品質100%を保証されるとはいったい何事か。

 大辞林によると片栗粉とは,

   かたくりこ【片栗粉】
    カタクリの地下茎から製した白い澱粉。
    市販の多くはジャガイモから製し、葛(クズ)粉の代用として
    菓子・料理に用いる。

であるという。かたやカタクリとは

   かたくり【片栗】
    (1)ユリ科の多年草。林下に生じ、早春、二葉を開く。
    葉は楕円形で厚く、紫斑がある。葉にやや後れて長い花茎の先に
    紫紅色のユリに似た花を一個下向きにつける。
    根茎は白色・多肉の棒状で澱粉(デンプン)を蓄え、片栗粉にする。
    古名、カタカゴ・カタカシ。カタコ。
    (2)「片栗粉」の略。

であり,さらに片栗粉によって代用される葛粉とは

   くずこ【葛粉】
    クズの根を粉にし、布袋に入れて水中でもみ出した沈殿粒を
    脱水乾燥させたもの。
    白色、良質の澱粉で、菓子などに利用される。吉野地方の名産。

 ……つまり片栗粉とは,本来ユリ科のカタクリの根茎から製する澱粉だったにもかかわらず,スーパーで手に入る片栗粉は往々にしてジャガイモの澱粉であり,しかもその使用目的は葛粉の代用。ミネット・ウォルターズの作品世界のように入り組んで解きほぐせない自己同一性。

 かくのごとき商品に品質100%保障せざるを得ない東京片栗粉組合員の横顔は後ろめたさにかげり,カタクリの花のように下を向いているのか。
 否,そもそも馬鈴薯澱粉を片栗粉として認めるは東京片栗粉組合だけであり,澱粉業界にいまなお隠然たる勢力をほこる関西片栗粉協会は組織が決裂して百歳(ももとせ)を経てなお東西の覇権を企み,東京片栗粉組合筆頭書記の村瀬恭一青年と関西片栗粉協会の川合幸子事務員の清い恋は引き裂かれ,吉野からは御所に密偵が走り,迎え撃つは白装束の……。

 ついばまれるあんかけの魚の皿の向こう,晩秋の夜は静かに緊張を深めていくのだった。

2004/11/15

蒔かれた種子としてのジュブナイル 『ヴァイスの空』 原作 あさりよしとお,まんが カサハラテツロー / 学習研究社 ノーラコミックス

090【空なんて ないの。】

 後世畏るべし,子供たちの記憶力はバカにできない。
 ずっと以前のことだが,妹夫婦から小学校低学年の姪,甥を撮ったビデオが届いた。そのビデオの中で,彼らは「今日見てきた映画の歌を歌います」とその日映画館で一度聞いただけのモスラの歌を歌ってみせた。あの,(いにしえのモスラではザ・ピーナッツ演ずる小美人が歌った)何語とも知れぬ雅歌である。

 自分のことでいえば,やはり小学生の頃に,従姉の部屋で読んだ学年誌の連載マンガが忘れられない。
 子供の目にも『サイボーグ009』の真似とすぐわかるそのB級SFマンガでは,悪の組織がサイボーグ戦士を体育館のような大きなフロアいっぱいに集結させ,彼らが一語一語組織の命令に服従することを見せつける。立て。右を向け。座れ。囚われた主人公たちは,縛られたままそのさまを見つめる……(このあたり,記憶があいまい)。
 もう30年以上昔の,雑誌名も月号もわからない作品,それも連載の1回分を読んだだけなので,そのシーンに至る経緯も後の展開もわからない(覚えていないのではない。読んでないのだ)。
 ただ,妙に克明に覚えているのは,その中の一コマで,悪のボスの命令にそろってしゃがむ無表情な下っぱ戦士たちの中に,ただ一人,動きが遅れているのがいたことだ。その下っぱにとくに意味があるわけではなさそうで,荒っぽいマンガ家のペンがなぜかそう描いただけだとは思うのだが……現在に至るも,会社やサークルなど,さまざまな組織の中で(よきにつけあしきにつけ)はみだす者を見るとき,思うとき,前頭葉にあの白っぽいコマが警鐘のようによみがえる。少々大袈裟に言うなら,体育会系の組織などで全員が無条件に上長に従属することに嫌悪を感じる性癖の,一種のイコンとしてそのコマがあるのだ。

 さて,『ヴァイスの空』は学研の「4年の科学」2002年4月~2003年3月号に連載されたSFジュブナイルファンタジー。
 ロボット警察「ポリツァイ」に管理された穏やかな社会に暮らすはみ出しっ子のヴァイスは,「空が見たい」と友人ネロと日々工夫を重ねる。ある日,黒いポリツァイに守られた少女ノワールと出会ったヴァイスは,思いがけない冒険に巻き込まれる。ヴァイスたちが暮らしてきた世界は。そしてヴァイスが見たがっていた空は。

 小学4年生向けなのだから,あさりよしとおらしいスプラッタな展開は期待(?)しないほうがよい。『空想科学エジソン』を3巻できれいに完結させた(2巻は少しダレたが,最終巻はけっこう泣ける)カサハラテツローも,本作ではあまり背伸びをせず,『未来少年コナン』や『ドラゴンボール』などの人気作品から雰囲気や手法を手軽に借りて,薄味に料理した印象である。
 しかし,すべり気味のギャグもたまに配して軽いタッチで描かれた作品ではあるが,その根底のストーリーはなかなかシリアスで,未来世界の選択肢を苦く問う面もないわけではない。とくに遺伝子操作で記憶を失いながら大人と子供の世代を繰り返す不老不死の「赤」の民,ルージュの設定はかなり重い。

 大人が読めば先の展開も読め,「よくあるパターン」で済んでしまうようなお話ではある。光瀬龍,萩尾望都の『百億の昼と千億の夜』から宗教,哲学的要素をざっくり削ってさらに薄めたようなストーリーといえなくもない。
 だが,小学4年という,心もほっぺたも柔らかい時期にこの作品に出会ったことはきっとその子の記憶に何かを残すだろう。「4年の科学」を毎号買ってもらえるとは限らず,連載を飛び飛びにしか読めなかった子もいるだろう,従兄姉の家でたまたま目にしたもっと小さい子供たちもいたかもしれない。だが,小学生の頃には意外とその作品の全編を通して読むかどうかは問題でない。
 彼らは連載の1回分,1回分から,まるで樹木が水分や養分を吸い上げるように,必要なものだけを読み取り,怖いものだけを心に刻むのである。それは勇気とか元気とか個性とか,綺麗な言葉で語られがちなものかもしれない。ただしそれは,子供たちが大人になって組織の中で生きていくために必ずしもプラスになるとは限らない。

 そういった勇気や個性といった属性を組織が求めるとは限らないし,何より,走って,走って,走って走って走りまくった先で,ヴァイスたちのようにもう一度「空」にめぐり合えるとは限らないのだから。

2004/11/12

最近の新刊から 『警察署長(15)』 やぶうちゆうき / 講談社 イブニングKC

Photo_2【民間人の家に上がり込み しかも相手を 張り飛ばしただと?】

 イブニング本誌では,警察官としては異例の出身地勤務,かつ署長として異例の在任10年目,しかもキャリアと思えない昼行灯(これはまぁ,そう見えているだけで実は切れ者なんですが),という椎名啓介が,とうとう本庁勤務に向かうという展開となりました。タイトルも『警視正 椎名啓介』と変わり,これまでのようにシンプルな性善説に立脚したほのぼのタウンストーリーというわけにはいかなくなる感じです。

 一人の若い警官が死に際して残した手紙,おそらくそれは警察機構の闇に関するもので……という設定と4冊の単行本を残してたかもちげんが急逝したあと,それを引き継いだやぶうちゆうきは思いがけず(失礼)『警察署長』をしっかりした独自の作品に仕立て上げました。とくに番外編の単行本『警察学校物語』にも明らかな若手警察官の成長物語,また1巻に1編は登場する老人の生きがいと町の防犯,警護についての提案……これらはたかもち作品にはなかった本シリーズの魅力です(スプラッタなサイコホラーや連続殺人犯との知恵比べの合間にたまに読むからいい,という面は否めませんが)。

 「署長 椎名啓介」編も残り少ない第15巻でフューチャーされたのは,本池上署勤続35年,生活安全課 家事相談係主任 堀内純子巡査部長(通称・家事さん)。
 今回のキモは,この家事さんの27年前,まだ新婚のころの活躍なのですが,家出少女や親の庇護を受けられない子供たちを助けるストーリーそのものはいつものごとしとして,気になったのは,彼女が事件の関係者に対して,気合い入れのためとはいえ,再三平手打ちを食らわしていることでした。

 もちろん,巡査が一般市民を殴ったなら,暴力事件として大変な問題とされるでしょう。やぶうちゆうきもそのあたりはわかっているに違いなく,「おまえのクビが飛ぶどころじゃない!」等々,彼女の上司(当時)の課長に弁明させています。
 当たり前ですが,これはあくまでフィクションとして読むべき話なのでしょう(逆光の中,受験校の体育館に現れる堀内巡査のカッコよさはほとんどケンシロウ)。

 ……しかし,こと「体罰」については,ときに疑問に思うことがあります。

 家庭内で子供を殴れば児童虐待,学校内なら暴力教師。……では,子供はどこで痛みを覚えるのか。どこで罰を覚えるのか。

 よく,子供や若者に対して「理解させる」という言い方をします。しかし,転んで膝を打つ痛みでなく,暖かい母親の手のひらで頬を打たれる「痛み」を知らない者に,言葉で「痛み」の説得はあり得るのでしょうか。
 もちろん,虐待,暴力を是とするつもりはありません。客観的な「程度」の程合いが難しいのは承知の上で……それでも尻を叩いたり,ほっぺたを張り飛ばしたりしないといけないときはあるのではないでしょうか。

 個人的には,グーで殴る覚悟なしに子育てなんて出来ない,そう考えています。

2004/11/09

最近の新刊から 『百鬼夜行抄(12)』 今 市子 / 朝日ソノラマ 眠れぬ夜の奇妙な話コミックス

Photo_3【この子の目にはいったい何が見えているんだろう】

 『百鬼夜行抄』の怖さについては,以前取り上げたときからとくに新ネタを思いついていないので,今回は触れません。愛ニモねたニモ飢(カツ)エテイルノヨ,今日コノゴロ。

 第12巻は突出して怖い話があるでなし──台所に開いた底なしの丸い穴はちょっと怖かったかな──飯嶋家やそれをとりまく妖魔たちに思いがけない展開があるわけでもありません。司ちゃんに彼氏が出来たりもしたけど,なんだか浮いた感じだし,地味といえば地味,そんな印象です。

 ただ,今回収録の少し長めのお話「水辺の暗い道」に登場する遠野真理子は,なんというか,非常に魅力的でした。

 真理子は『百鬼夜行抄』によく登場する巻き込まれ型の,一話限りの登場人物にすぎませんが,少し違うのは彼女自身が「見えて」しまうタイプ,それも雑霊よりはもう少し高い次元のものが見えるらしいことです。
 田舎暮らしのごく普通の若い娘が,そんな自分におびえ,都会に逃げ出し,結局は郷里に戻って「ふしさん」(巫者さん)のあとを継ぐ……。「水辺の暗い道」は,真理子を中心にとらえれば,そういう物語です。

 真理子が魅力的に見えるのはなぜなんだろう。

 彼女は場面によって大人びていたり子供じみていたり,あるいはコマによって髪の色や顔の造りが不統一で,何度か読み返さないとほかの登場人物と混乱しそうになります。早い話が,作者の絵柄が彼女を魅力的に描き上げているというほどではありません。

 しかし,やはりいろいろと「見えて」しまう律と出会って,「……怖がりで 弱音を吐きあえる こんな相手が側にいてくれたら」と願い,田祭りと事件が一段落した最後のページで「…ふしさんでも就職も結婚もできるのよ」と自らを指差す真理子の子供っぽいしぐさはやはり愛おしい。
 単に可愛いとかそういうことではなく,「正式なシャーマン」とうぶな印象のギャップに魅かれるのかもしれません。どんな世界が見えているのかわからないシャーマンに,「あ… あなたって割といじわるなんですね」と言われるシチュエーション……どきどきしますね。僕だけかしらん。

 うまく言えませんが,真理子は,まだ出会ってはいない誰か,生まれてこなかった誰かに,少しだけ似ているような気がします。
 僕たちは何度も真理子と出会っているのに,いつも忘れてしまうのです。

2004/11/08

最近の新刊から 『ヒストリエ(1)(2)』 岩明 均 / 講談社 アフタヌーンKC

Photo_4【「ぼんやりにも程がある」】

 ごく稀にですが,出会えた喜びに体が知らず熱くなるような,そんな作品があります。しかし……出会ってしまったことに畏れさえ覚え,体がきいんと冷たくなる,そのような作品はさらに得がたいものです。
 『骨の音』『寄生獣』の岩明均の新作『ヒストリエ』は,まさしくそのような作品の1つです。

 主人公エウメネスは,第1巻の帯によるとアレキサンダー大王の書記官とのこと。
 ですが,第2巻まででは,旅の若者エウメネスの幼年時代が描かれるばかりで,まだ彼が「何者」なのかは明らかではありません。……ただ,少なくとも彼が「ただ者ではない」ことだけはさまざまな切り口から描かれています。白っぽい絵柄,淡白な述懐に浮き彫りにされるエウメネスの底知れぬ資質──それをさっくりと描き抜く作者の手腕──は,鳥肌が立つほどです。
(単行本の表紙からすると,カラーは苦手,ということかもしれませんが……。)

 ローマ・カルタゴ間の紛争に巻き込まれたシラクサ,そしてアルキメデスの死を描いた前作『ヘウレーカ』は「さあこれから!?」と期待されたところで終わってしまいました。今となっては,それは本作のための習作だったのか,などと邪推したくなるほどです。しかし,つまらぬ論評はほどほどにして,しばらくはただ作者の技に身をゆだねましょう。

 萩尾望都『バルバラ異界』とともに,現在最も注目すべき連載作品であることは間違いないと思います。『バルバラ』は想像力の飛翔の自在さにおいて,『ヒストリエ』は表現(記録)への透徹した誠意において。

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