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2004/10/19

果実のような潤い 『停電の夜に』 ジュンパ・ラヒリ,小山高義 訳 / 新潮文庫

436【ひと月もすると,すっかり回復したビビは,ハルダーが置きみやげにした金で物置を白壁に塗り,窓やドアに南京錠をつけた。】

 ピュリツァー賞文学部門,O・ヘンリー賞,PEN/ヘミングウェイ賞,ニューヨーカー新人賞など著名な文学賞を総なめ……なんていうと,何やら大上段にふりかざした,大仰な作品をイメージしてしまうが,決してそのような作品ではない。

 作者は1967年ロンドン生まれ,幼少時に渡米。両親ともカルカッタ出身のベンガル人で,このデビュー短編集も「アメリカで働くインド系移民」「インドを訪れたアメリカ人」といった異文化の出会いを……いや,これもまた肩肘張った本のように思われそうだが,そういったものではない。インド,アメリカという国の違い,風俗習慣の違いは確かに各短編の外枠とはなっている。なってはいるのだが,その枠組みの中に精緻に描かれているものは静かに哀しい,しかしどこか誇り高い,果汁をたっぷり含んだ果実のような人々の日々の営みである。

 たとえば表題作「停電の夜に」。
 初めての子供の流産をきっかけに,少しずつ心が離れつつある若い夫婦が,毎夜1時間の停電を機会に隠し事を打ち明け合うようになる。ロウソクの灯りの下,交互に「相手を,または自分自身を,傷つけたり裏切ったりしたようなちょっとしたことを白状」するのである。ささやかな互いの秘め事めくりが1晩,2晩と続き,そして最後の夜。……
 その結末には思わず声を上げてしまった。それから,パラパラと最初からページを読み返し,今度は小さくため息がもれた。予想は,覆される。だが,予想できなくはなかったはずの2人の心の流れ。そこにいたるまでは1行も無駄がない。どの1行にも意味がある。
 文庫にして30ページあまり,掌編と呼んでもよいような短い作品に,久しぶりに「小説」という言葉の手応えが感じられた。

 ほかの作品も,食事や家具といった生活のエレメントを細かく描き入れつつ,いずれもささやかだが確かな人の心のありようが示される。
 どうしようもないほどに哀しい結末に,声高に嘆くのではなくしんっと水底に結晶が沈むような気持ちにさせられる。思いがけないハッピーエンドに,胸の奥に小さな青い火がともる。
 9つの短編を読み終わったとき,この星を,高みから,そして時間を越えて静かに見つめる視線を感じる。切ないばかりの欠落感と,ゆっくりと溢れる満足感。この星のすべての人々,すべての心,すべての夜,すべての朝。

 ところで──。
 作者のジュンパ・ラヒリは,新潮文庫のカバー写真を見た限り,とんでもない美人である。
 通常,誰かが誰かを「美人」と呼ぶ際には,好みによって評価が違ったり,嫌味がこもったりするものだが,これが絶対的な領域に近い美人なのだ。たおやかなアングル,さやかに見つめる目,白い歯。そのくせ華美に走らず,穏やかで貞淑な妻のようでもある。カメラマンの腕がいいのだろうか,久しぶりに「ブロマイド」という言葉を思い出したりした。定期入れに写真を入れて持ち歩く,とか。

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