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2004年10月の7件の記事

2004/10/29

最近の新刊から 『ミステリー傑作選45 殺人作法』 日本推理作家協会 編 / 講談社文庫

122 薄緑の背表紙,講談社文庫のミステリー傑作選ももう45巻。特別編の6冊を合わせると,とても本棚1段には収まりません。

 第1巻『犯罪ロードマップ』は1974年の発行。収録作家は梶山季之・加納一朗・黒岩重吾・笹沢左保・佐野洋・多岐川恭・陳舜臣・土屋隆夫・戸板康二・戸川昌子・仁木悦子・日影丈吉・星新一・松本清張・三好徹・山村正夫・結城昌治。
 お,重ひ……。ハードカバー全集本の似合いそうな大家だらけですが,作品そのものも短編ながらいずれも重厚にして稠密,描かれた犯罪の動機も切実かつ深刻なものばかりでした。

 かたや最新巻,『殺人作法』。
 収録作家は,福井晴敏・真保裕一・法月綸太郎・北川歩実・辻真先・三枝洋・高野史緒・香納諒一・山本一力・横山秀夫。
 ……軽い。作者を云々する以前に,各作品の犯罪行為の動機を含めた上滑り感,その犯罪を隠しきろうとする意思の薄さが否みようもありません。

 さらに,今回の収録作品のうち数編は,ミステリですらありませんでした。

 別に,ミステリにおいて,必ずしも殺人や密室,アリバイといったものが表立って扱われなければならないわけではないでしょう。日常のちょっとした不思議に鮮やかな回答を示そうとするタイプの作品は当節少なくありませんし,従来のミステリの枠にとらわれない,実験的な作品をミステリと呼ぶこともあるでしょう。でも,それらのいずれでもなく,ただ青春小説としかいいようのないものが『推理小説年鑑 ザ・ベストミステリーズ』を底本とする本書に選ばれてしまう……。マズいでしょう,それは。
 『名探偵コナン』の出来のよいやつでも入れておいたほうが,まだスジが通るような気がしてガンモにコンニャク。

2004/10/24

最近の新刊から 『DO YOU? 11NOV vol.1』『脳内エステ IQサプリ』

247『DO YOU? 11NOV vol.1』 ソフトバンクパブリッシング

 「DO YOU?」で「どーよ?」と読ませるんでしょうか。「本日発売」と本屋に並んでいた新刊雑誌です。

 表紙には「大人のデジは“フツーじゃ、つまらん!"」「誕生!大人のデジモノ誌」とあります。「頂上…? ノーッ超常!」なんて吹き出しもある。いずれもコピーとしてはちょっといただけない。

 さっそくめくってみましょう。中身は表紙に比べれば格段にヨサゲな感じ。
 「DIME」「MONOマガジン」「特選街」といったグッズカタログ系の雑誌の一種のようです。そちら系はあまり詳しくないので,紹介されたデジタル製品の品揃えやページデザインの水準についてはよくわかりません。少なくとも「DIME」や「MONOマガジン」より「大人」って感じではありませんが,いくつか面白そう,買ってみたいと思う商品もありました。ただ,ホームシアター機器やデジカメ,PDAあたりまでならともかく,BMWやベンツ,オペルの新車まで並べられると,これは実際に比較調査して推奨しているわけではないんでしょ,と言いたくなります。目的がレビューなのか,カタログなのか,そのあたりははっきりしてほしいものです。

 創刊号の特徴は,特集「常識を超えるシアターへ」などの読み物,グラビアを中心とした冊子と,「秋のデジモノ新製品200」と銘打ったカタログ誌の2分冊に分かれ,その真ん中に分厚いオマケの箱がはさまっていることです。
 このオマケが,話題の青色LED(発光ダイオード)の付いたキーホルダー。けっこう明るいし,キーホルダーとしての手触りも悪くない。ボタン電池3個も付いて,けっこういー感じです。私事ですが,我が家の玄関は門灯の位置が悪く,手元が暗くて困っていたので,雑誌の定価680円の半分がこのキーホルダーとしても悪い買い物ではありませんでした。

 ところで創刊2号にはこんなオマケはないのでしょうか。次号予告にはとくに明記してないところを見ると,ないのかな?

『脳内エステ IQサプリ』 フジテレビ出版

 少し前に『トリビアの泉』の放送内容をリメンバランスした新書サイズのカラー冊子がたくさん売れましたが,それに類した番組本です。冊子としては『トリビアの泉』に比べて格段に手抜きな造作ですが(自信がないのか,どこにも「第1巻」にあたる表記すらありません),ついつい買ってしまうのがサガというもの。それでは確認のVTRをご覧ください。……それは番組が違うって。

 さて,本書では,右ページに

 「1枚の紙を切ったり破ったりすることなく10枚にしてください」
 「?ふみよいむなよこと… ?に当てはまるのは何でしょう?」
 「1から9までのカードがあります。この9枚のカードをすべて使い横に並べて表すことのできる最小の数字は?」

などなどの問題が提示され,ページをめくるとそこに回答が掲載されています。昔のベストセラー,『頭の体操』(多胡輝)を思い出しますね。

 『IQサプリ』の場合,大半はダジャレだったりしょうもないマッチパズルだったりするのですが,ごくまれにひどく論理的で,武蔵中学の入学問題に出されそうな問題もあり,回答できなかったことが悔しくてヘソを噛みたくなるようなクイズも含まれています。
 逆に不愉快なのは,ミステリの叙述トリックにあたる,単に言葉遣いで相手をひっかけるような問題。たとえば「……を通してみる」を「……を通して」「見る」と言ったでしょ? というような出題。こういうズルいのは,『頭の体操』にはあまりなかったのではないでしょうか。

 『IQサプリ』の番組そのものは,くすぐりやリプレイが多すぎて,展開がスローモーに感じられ,イライラして苦手です。もちろん,視聴者に回答を考えさせる時間をとるため,ということもあるのでしょうが,答えが提示された後もだらだらした印象が否めません。一方,この冊子はページの表・裏で勝負が決まりますから,あっけないほどスピーディ。

 そうですね,一人で暇つぶしもいいんですが,数人で出かけるときに誰かがバッグにしのばせていくというのが一番いいんじゃないでしょうか。そういう用途にはとてもオススメです。

2004/10/21

『岡山女』 岩井志麻子 / 角川ホラー文庫

Photo_5【雨が降ると傷が痛むか,嫌な客がくる。】

 ジュンパ・ラヒリに続いて岩井志麻子を持ち出したのは,果たしてどのような意図が? ……と期待された方には申し訳ないが,とくに深い意味はない。2冊とも,しばらく本棚で眠っていたのを最近ようやく読むことができたといった程度の縁。

 『岡山女』は『ぼっけえ、きょうてえ』で独特かつ新しいホラーの世界を開いた(というのが決して世辞追従ではない)岩井志麻子による,やはり明治期の岡山を舞台にしたホラー短篇集。

 妾として囲われていた男に無理心中をはかられ,日本刀で切り付けられたタミエ。彼女は左目と美しい容貌の代償として,失われた左目に明日起こる事柄やとうに死んだ者の姿を見るようになる。霊媒師として生計をたてるようになった彼女の元には,今日もいわくありげな依頼客が……。

(今気がついたのだが,左目に異形のものが見えるという設定,これは『ホムンクルス』と並べて評すべき作品だったかもしれない。後の祭り寿司。)

 さて,この設定なら,いくらでも怖い話,気持ち悪い話をこしらえることができたはずだ。
 だが,本作は『ぼっけえ、きょうてえ』と比較してもホラーとしてはほの白い印象で,死者や超常現象を描きつつ,恐ろしさを伝えるばかりではない。読了後に胸を通り過ぎたのは思いがけず透明な清涼感だった。

 決してストーリーが爽やかというのではない。岡山の町の描写はいずれじめじめしているか埃っぽいかのどちらかだし,血や狂気や凶々しい影といったホラーならではの描写もそこかしこに用意されている。早い話,決して綺麗な話ではないのだ。しかし,主人公タミエの言動,いや存在そのものが,淡々と,上品,可憐に感じられてならないのである。タミエは事件の最後にときどき笑うのだが,それが清潔な錫の風鈴のよう,とでもいえば近いだろうか。

 だが,ぱらぱらと読み返しても,どのあたりがその印象の根拠なのか,今ひとつよくわからない。金銭や世評への欲がないといった簡単な話では,ない。半分霊界に足を踏み入れたため,現世での執着とは次元の違う世界に生きているためか。いや,それだけではタミエのほそやかな穏やかさの説明にならない。

 とにもかくにも……そう目覚ましい内容と思えない短篇集なのに妙に贅沢な印象,ホラーとしての衝撃は『ぼっけえ、きょうてえ』のほうが格段に上だが,本書のほうが好もしい。

 『岡山女』という没義道なタイトルのつけ方といい,岩井志麻子はレッテルを貼りにくい作家だ。お札のように壁は一面レッテルだらけで地肌が見えないとでもいうか。
 作品によって当たりハズレはあるが,およそオリジナリティを志向する作品は本来そのようであるべきだし,今後ともそのようにあってほしい,そんな作家の一人である。

2004/10/19

果実のような潤い 『停電の夜に』 ジュンパ・ラヒリ,小山高義 訳 / 新潮文庫

436【ひと月もすると,すっかり回復したビビは,ハルダーが置きみやげにした金で物置を白壁に塗り,窓やドアに南京錠をつけた。】

 ピュリツァー賞文学部門,O・ヘンリー賞,PEN/ヘミングウェイ賞,ニューヨーカー新人賞など著名な文学賞を総なめ……なんていうと,何やら大上段にふりかざした,大仰な作品をイメージしてしまうが,決してそのような作品ではない。

 作者は1967年ロンドン生まれ,幼少時に渡米。両親ともカルカッタ出身のベンガル人で,このデビュー短編集も「アメリカで働くインド系移民」「インドを訪れたアメリカ人」といった異文化の出会いを……いや,これもまた肩肘張った本のように思われそうだが,そういったものではない。インド,アメリカという国の違い,風俗習慣の違いは確かに各短編の外枠とはなっている。なってはいるのだが,その枠組みの中に精緻に描かれているものは静かに哀しい,しかしどこか誇り高い,果汁をたっぷり含んだ果実のような人々の日々の営みである。

 たとえば表題作「停電の夜に」。
 初めての子供の流産をきっかけに,少しずつ心が離れつつある若い夫婦が,毎夜1時間の停電を機会に隠し事を打ち明け合うようになる。ロウソクの灯りの下,交互に「相手を,または自分自身を,傷つけたり裏切ったりしたようなちょっとしたことを白状」するのである。ささやかな互いの秘め事めくりが1晩,2晩と続き,そして最後の夜。……
 その結末には思わず声を上げてしまった。それから,パラパラと最初からページを読み返し,今度は小さくため息がもれた。予想は,覆される。だが,予想できなくはなかったはずの2人の心の流れ。そこにいたるまでは1行も無駄がない。どの1行にも意味がある。
 文庫にして30ページあまり,掌編と呼んでもよいような短い作品に,久しぶりに「小説」という言葉の手応えが感じられた。

 ほかの作品も,食事や家具といった生活のエレメントを細かく描き入れつつ,いずれもささやかだが確かな人の心のありようが示される。
 どうしようもないほどに哀しい結末に,声高に嘆くのではなくしんっと水底に結晶が沈むような気持ちにさせられる。思いがけないハッピーエンドに,胸の奥に小さな青い火がともる。
 9つの短編を読み終わったとき,この星を,高みから,そして時間を越えて静かに見つめる視線を感じる。切ないばかりの欠落感と,ゆっくりと溢れる満足感。この星のすべての人々,すべての心,すべての夜,すべての朝。

 ところで──。
 作者のジュンパ・ラヒリは,新潮文庫のカバー写真を見た限り,とんでもない美人である。
 通常,誰かが誰かを「美人」と呼ぶ際には,好みによって評価が違ったり,嫌味がこもったりするものだが,これが絶対的な領域に近い美人なのだ。たおやかなアングル,さやかに見つめる目,白い歯。そのくせ華美に走らず,穏やかで貞淑な妻のようでもある。カメラマンの腕がいいのだろうか,久しぶりに「ブロマイド」という言葉を思い出したりした。定期入れに写真を入れて持ち歩く,とか。

2004/10/16

最近読んだ本 『ホムンクルス(3)』『御宿かわせみ二十九 初春弁才船』

009『ホムンクルス(3)』 山本英夫 / 小学館ビッグコミックス

 こちらはそのスピリッツで現在掲載中,異様なイメージと緊迫感を誌面いっぱいに展開させる『ホムンクルス』の第3巻である。

 今回は,本作における「ホムンクルス」という言葉の意味がいよいよ明らかになる。
 それは従来の「人造人間」という意味ではなく,脳科学でいうところの「脳の中の小人」のことで……と説明されるとともに作品世界にざあっと光が当たる,かといえばさにあらず,必ずしもそうとは限らない。
 むしろ,自在なイメージが理屈の枷を受けた印象。早い話,興醒めなのよ。

 頭蓋骨に穴をあける(歯が浮くようで気色悪い……)トレパネーションの手術を受けた名越の左目に期せずして見えるようになった,怪物のような人々。「ロボットの中におさまって泣いている少年」に見えるヤクザの組長や,太っているくせに厚さが2cmくらいしかないペラペラなサラリーマン。なめらかな金属でできた球体の小さな穴から相手をうかがうホームレスや,体が6つに分かれて腰の部分をウィンウィンと回転させるオシャレな女。
 彼らの姿が鮮やかであればあるほど,なぜそう見えるか理屈で説明されてしまうとなんとなくつまらなくなってしまうのだ。

 第3巻で注目したいのは,それら化け物の姿態や謎解きより,むしろ,名越と伊藤の対話シーンのほうだ。
 ホテルのレストランや喫茶店で向かい合う,彼らのかもし出すダルな雰囲気とそれに相反する密度の高い緊張感。喋る,相手を覗き込む,笑ってみせる,目をそらす,首を傾げる,そういったごくありきたりな表情ひとつひとつが異様に濃いのだ。名越,伊藤の顔のほんのちょっとした描き込みが,意識的,あるいは無意識の欺きや秘匿,不信といったものを見事に表象している。
 個々のコマはただその対話を忠実に描写するばかりで,彼らが実際のところどう感じ,どう考えたかはほとんど説明されない。したがって,彼らの互いの信頼感や疑念,関心/無関心が,1コマ1コマで常に揺れるのだ。

 『ホムルンクス』は,この対話シーンだけをもってしても,マンガ史に残したいと思う。その独自性,緊張感は,それほどのものだ。

『御宿かわせみ二十九 初春弁才船』 平岩弓枝 / 文春文庫

 文芸誌や単行本でなく文庫での付き合いだが,『御宿かわせみ』はたいがい発売日に購入,その日のうちに読んでしまう。ありていにいえばファンである。
 ただ,今回はどうもうまく作品世界,大川端に旅籠「かわせみ」のある江戸末期に入り込めなかった。
 原因はこちら側にある。

 ここしばらく海外ミステリの分厚いのを何冊か続けて読んでおり,その錆臭い空気,その饒舌な文体が脳裡にへばりついて,マンガの3冊4冊読んだ程度では振り落とせなかったため,新酒を江戸に運ぶ樽廻船をめぐる人情話や,嫁姑のいさかいに端を発する丑の刻まいり,といった話にゆったりとは入っていけなかったのだ。

 ただ,読んでいる間は気がつかなかったが,今回はわりあい殺伐とした,救いのない事件が少なくない。もう少し穏やかな本を続けて読んだあとだったならまた別の,いや,かなり違う印象をもったに違いない。

 それにしても。

> 東吾や源三郎が,この小判商人という闇の組織を相手に正面から戦を挑むことになるのは,まだ少々先の話である。

 昭和48年(1973年)2月号の「小説サンデー毎日」の第1話から30年以上かけての225作め,単行本にして29冊めで,こんな大ネタ振るか。
 平岩弓枝,昭和7年(1932年)3月15日生まれ,今年で71歳。元気。意気軒昂。

2004/10/11

ある愛の 『うずまき』(全3巻) 伊藤潤二 / スピリッツ怪奇コミックス

367【…私も,もう力は残ってないわ… あなたとここに残る…】

 いつのことだったろう,毎週欠かさず購入していたビッグコミックスピリッツを読まなくなったのは。
 絵柄もストーリーも白っぽく思えて,ヘンな言い方だがある日ふと「もしや読まなくてもツラくないかも」という気になって,ひとたび離れてみると見事にツラくないものだからついついそのままになってしまった。

 1998年から1999年にかけてスピリッツに連載された『うずまき』は,だから,掲載されているのは知っていたのだが,通して読んではいなかった。

 小奇麗でわけ知り顔なスピリッツにずちゃずちゃぬたぬたの伊藤潤二……それはどうにも若干無理のある取り合わせで,あの森山塔が山本直樹になってしまったように,伊藤潤二が伊藤潤二ではなくなってしまうかも,などと考えたことを覚えている。

 『うずまき』は,主人公の五島桐絵の住む町で「うずまき」にからまる怪しい事件が次から次へと起こり,やがて町は……というストーリー。まるでスティーブン・キングだが,ことスケールの大きさや破壊の徹底度合に限っては,常に人間の身の丈(コモンセンス)をルールの核と課すキングの比ではない。

 兎に角,ホラーの素材として「うずまき」を選んだ着眼点が素晴らしい。
 「うずまき」という一種抽象的な現象が,内から外から黒渦町の人々を襲うのだが,あるときはぬらぬら陰湿腐乱,あるときは爽快なまでにスピーディかつダイナミックな個々のアイデアがまたいい。
 本作中で最もホラーらしい「びっくり箱」は桐絵を追ってくる死体を「うずまき」に結び付けたオチが秀逸だし,2巻の最終話で桐絵を見初めてどこまでも追ってくる「うずまき」……ネタバレになるので詳細は書けないが,この「うずまき」を持ち出してきた発想がすごい。そのほか,大中小小,グロテスクな「うずまき」が全編にナルト巻きである。

 ただ……アイデアに走ったあまり,各編のバランスは必ずしもよくないし,ホラー作品としての恐怖を首までねっとり味わいたい向きにはお奨めしかねる面もある。じわじわ怖くなって夜トイレに一人で行けなくなる,そういう作品ではないのだ。
 而して,伊藤作品にしては珍しく,ヒロイン桐絵は最後まで正気を失いもせず,被虐のなかにも美麗さを失わない。否,髪を切られてからの彼女は近来まれなほどに清純可憐,そんな彼女を描きたくてと見えるカットも少なくない。もっとも,その桐絵にして,「禍々しい」「狂ってる」と繰り返すばかりの斎藤秀一少年を選んだ時点ですでに──つまり最初から──壊れていたのかもしれないが(だからこそ耐えられた,という見方もできる)。
 そして,フランシス・レイ(古いぞ)が似合いそうな,妙に感動的なエンディング。

 ところで。異質なもの同士の無意識かつ偶然の出会いを礼賛し,『黒いユーモア選集』を編んだシュルレアリスムの首魁(ドン),アンドレ・ブルトン。もしも彼が存命で,終夜営業のマンガ喫茶あたりで『うずまき』を手にする機会を得たなら,はたしてどう評したか……想像するだに体がネジくねる。
 たとえば,

 「うずまきとは痙攣的なものだろう,さもなくば存在しないだろう。」

 わはははははははははははははは。うずまき,うずまき。

2004/10/04

最近読んだ本 『エマージング(1)』『エロイカより愛をこめて(30)』

Photo_6『エマージング(1)』 外薗昌也 / 講談社モーニングKC

 このところ『ブラックジャックによろしく』(佐藤秀峰),『Ns'(ナース)あおい』(こしのりょう),『スピナス』(清水みよこ,楠木あると),『ES』(総領冬実),『サイコドクター 楷恭介』(亜樹直,オオモト・シュウ)と,すっかり医療,治療機関づいているモーニング。白衣だらけである。
 そこに,さらに加えてこの『エマージング』。

 本作はモーニング32号で連載開始,9月22日発行の単行本第1巻には42号までの掲載分が収録されている。
 破天荒なことだ。

 9月22日木曜日にはモーニングの43号が発売され,『エマージング』の連載第11回が掲載されている。つまり,単行本の発行が連載に追いついているのだ。出版のデジタル化,オンライン化が進んでいる中でも,かなりの荒業といっていいだろう。

 『エマージング』では,ストーリーもまた,時間との闘いである。
 新宿の交差点で,あるサラリーマンが目,鼻,口,耳から大量の血を吐き,のたうち回って死ぬ。病院に運ばれた死体は,まるで死後3日は経過しているかのごとく眼球が溶けくずれ,全身がプリンのようにとろけて下部にたるみ,壊死による腐敗臭を撒き散らかす。エボラに似たこの出血熱のウイルスは,過去に存在したどのウイルスにも該当しない。それはつまり,これが日本初のエマージング(新興)ウイルスであることを示していた……。

 なにしろ,連載4ページめに登場する女子高生,本作のヒロインと思われるこの可憐な少女が単行本の後半にはもうふくれあがって足をばたつかせながら口から血を吹き上げる。最初のサラリーマンの死の場面に居合わせた人々の大半が発病するという,エボラ以上に強力なウイルスと向き合わざるを得ない医療,行政,研究機関……ストーリーの先はまったく読めない。

 だが,このエマージングウイルスの猛烈な感染速度の一方で,本書は奇妙にのんびりした雰囲気も漂わせる。

 リチャード・プレストンの『ホット・ゾーン』等でBL4(バイオセーフティレベル4)機関の厳重な上にも厳重な管理にすくみ上がった者としては,症状の進んだ患者に対しマスク1枚で治療にあたる医師,その医師たちが病院内を闊歩したり,普通の交通機関でマンションを行き来したりする,その呑気さがかえって異様だ。出血熱の患者の血に触れたかもしれない手を,水道で洗うってのはありなのか。
 日本にはエボラ級のウイルスに対処できる設備,ノウハウがないからといえばそれまでなのだが……。

 本書のエマージングウイルスは,連載現時点では,治療法はもちろん,感染経路も,潜伏期間も,何ひとつわかっていない。しかし,患者はすでに100人を超え,マスコミもその存在に気がついた。
 タダではすまない。注目である。

『エロイカより愛をこめて(30)』 青池保子 / 秋田書店プリンセスコミックス

 「まだ,続いていたの?」という妙齢の女性も少なくないかもしれない。

 かつては熱狂したり,爆笑したり,とファンを自認しながら,そのうち,いくたびかの作風の変遷,あるいは生活の変化とともに,少しずつ離れていった読み手の方々。かくいう筆者も,新刊を見かけるたびに購入してこそいるが,熱心な読者とは言いがたい。

 だが,今回の第30巻は,かつて本シリーズが大好きだったという方にはぜひとも手にとってほしい。
 あの『Z -ツェット-』の最終話,「Z・VI(ツェット ゼクス) -ファイナル・ストーリー-」が掲載されているのだから。

 エーベルバッハ少佐の部下,Z(ツェット)を主人公とするこのシリーズは,1979年の夏に白泉社の「LaLa」で開始され,1983年の第5作までが何度か単行本化されている。そして1999年,突然第6作が白泉社「メロディ」に掲載されたという,短編ながら息の長い作品である。

 なぜ『Z -ツェット-』は16年ぶりに描かれたのか,また(Zが死ぬわけでもないのに)なぜ最終回なのか。その理由は作者青池保子の1ページ分のコメントに簡潔に記されている。お奨めしたいのは,作品そのものより,そのコメントのほうかもしれない。短いながら「戦後」「昭和」を引きずった者にはじわっとくるものがあるテキストなのである。

 馬鹿馬鹿しくも華麗に展開するエロイカと少佐,ミーシャやジェイムズ君たちの活躍の背景に,いつの間にか25年以上の月日が経ったことに愕然とする。作者のプロ意識と,プロでありながら(もしくはプロだからこそ)登場人物を愛する気持ちがうかがえて……そう,途方に暮れるのだ。

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