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2004/09/06

がんばれと言うは誰,がんばるは誰 『がんばれ元気』 小山ゆう / 小学館文庫

4871【ぼくは自分に不似合いな道を…… むりしてつっ走ってきたのかなあ…………】

 『Big Hearts ジョーのいない時代に生まれて』を取り上げた際の繰り返しになるが,ここしばらく,日本ではボクシング人気がぱっとしない。
 ショウアップされたK1やプライドほど話題にのらないし,プロレスのように細分化してニッチを担うわけでもない。

 最近の10年間に日本から出た世界チャンピオンは,かつての,ファイティング原田,藤猛,輪島功一,ガッツ石松らのような国民的英雄扱いを受けているだろうか。誰もがその名を知っている世界チャンピオンのあり方は,具志堅用高あたりが最後だったのではないか。
 たとえば辰吉丈一郎。彼はあれほどドラマを作ってみせながら,それでもマイナースポーツの扱いしか受けなかったような気がしてならない。
 はたしてどのくらいの人が,この10年の世界チャンピオンの名前を言えるだろう……。

 にもかかわらず,ボクシングマンガの人気は高い。

 競技そのものの人気がかげっても,マンガとしての描きやすさ,ドラマの盛り込みやすさにおいて,野球とボクシングは『巨人の星』『あしたのジョー』以来,現在にいたるまで変わらないらしい。
 実際,ボクシングマンガの名作,話題作は『あしたのジョー』から現在の『はじめの一歩』にいたるまで数知れず……といったところでようやく今回のテーマである。

 『がんばれ元気』は,なぜ,これほどまでに忘れられてしまったのだろう?

 『がんばれ元気』が掲載されたのは少年サンデー,昭和51年19号から昭和56年14号までの約5年間。とくに最後の関拳児との統一戦は「どちらが勝つか」と大学生,社会人までビールの泡を飛ばして議論にくれたものだ(それは本作が「主人公が勝ってハッピーエンド」で終わりそうにない,なにやら不穏な気配をかもし出していたからにほかならないのだが)。

 もちろん,この作品のことを当時の読者が覚えていないわけではない。
 だが,さまざまなメディアで正面から,あるいはパロディとして繰り返し取り上げられる『あしたのジョー』などに比べると,再販が話題になるでなし,追従する作品が現れるでなし,連載時の盛り上がりに比べると信じがたいほどその存在が「忘れられている」印象なのだ。

 今回読み返してみて,古びているか,つまらないか,といえば,決してそんなことはない。

 もちろん,格闘技の描き方は,最近のリアルな格闘マンガに比べると難がある。
 堀口元気や関拳児のパンチは一見かっこいいが,防御をまるで考えてない「いってこい」パンチでしかない。ゴングが鳴るや2人ともおよそフットワークを使わず,足を止めての正面からの殴り合い(なにしろ足元の擬音は「ズズ」なのである)。その後,「巨大熊を一撃のもとに葬った」(本当)関のパンチを顔面に何度も受け,何度もダウンしながら元気は立ち上がり,12ラウンドをフルに戦い抜く。……などなど,地味ではあるが破天荒さにおいてはギャラクティカマグナーム!の『リングにかけろ』とそう変わらない。

 その分,マンガとしては面白い。ボコボコに殴り,殴られ,最後に逆転で勝つという展開がつまらないわけがない(このあたり,WBAフライ級チャンピオンだった大場政夫の闘いぶりを思い出させなくもない)。
 関拳児との決戦など,読み終わってすぐ最初のページに戻り,読み返すだけの魅力にあふれてはいるのだ。

 それだけの魅力にあふれながら……つらい。『がんばれ元気』を読み返すのは,なぜか,とてもつらい。
 元気の母,元気の父であるシャーク堀口,元気にボクシングを教えた三島など,本作には身近な人物の死や別れがあふれている。だが,それがつらいのとは少し違うようだ。

 マンガをほめるとき,よく使われる常套句が「人間が描けている」だが(ちなみにミステリをけなすときによく使われるのが「人間が描けていない」),『がんばれ元気』がほかのボクシングマンガに比べ,より「人間が描けている」ようには思えない。それどころか本作に登場する人物はいずれも視野狭窄,感情は痙攣的で,どこか壊れたような,実生活にいたら「マンガ的」とレッテルを貼るしかなさそうな人物ばかりだ。

 うまくいえないが,問題はそのあたりにあるような気がする。
 単に一枚板的に,「マンガの登場人物がマンガの中で活躍する」という構図ならいいのだ。しかるにここでは,「マンガ的な人間が,マンガの中に登場する」という妙な二重構造が起こっているのだ。

 『がんばれ元気』を読み返すとき,ともかくつらいのは,随所に表れる登場人物たちの泣き笑い顔だ。彼らは泣くような顔で笑い,笑うような顔で泣く。それも静かにじわじわ泣くことは決してなく,ベショベショに泣き笑う。

 関との決戦前夜,元気は愛する芦川先生とドライブし,ホテルに入ろうかとゆき惑う(1970年代後半の,それもお行儀のよい少年サンデーの誌面としてはラディカル極まりない展開である)。だが,ホテルに入らず車を飛ばす元気に,「男はボクサーは結局女に逃げることはできない」と述懐する芦川先生の泣きながらの最初のセリフは「えへっ……」なのだ。

 この場面で,元気は芦川先生と心中を再三試み,キスを交わす。延々と繰り出される元気の愚痴っぽい統一戦への宣言は,結局のところ本作がボクシングマンガではなかったこと,堀口元気がボクサーではなかったことを示しているように思えてならない。

 関との統一戦後,元気は世界チャンピオンを引退して祖父母のもとに戻り,堀口元気の名を捨てて田沼元気になることを宣言する。

 つまり,『がんばれ元気』は,死者や敗者のことを気に病んだ少年が,「堀口元気」というボクサーとしてがんばってがんばって,最後にやっとそのしがらみからただ解放される物語なのである。年齢差などを考えれば少年誌向けとはいいがたい芦川先生との恋愛も,彼に課せられた「がんばり」と考えれば理解できなくもない。
 不向きな職業,不似合いな恋愛。およそボクサーの似合わない丸顔の少年が死を覚悟するまで「がんばれ」と追い詰め続けたのはいったい誰(何)なのか(それは読者です,となるとなかなかメタで興味深い構造なのだが,それはまた別の機会に)。

 いずれにしても結局のところ,これほど面白いにもかかわらず,これほどにつらい,これほどに目をそむけたいマンガもそうはない。
 小山ゆうはこの後も『愛がゆく』など,あまりのつらさに読んだことを忘れる以外ないような傑作を発表し続ける。彼が何をしたいのか,本当のところはよくわからない。途方に暮れるばかりだ。

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