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2004/05/31

少女マンガにおける「甘美」と「内省」の変遷 『ジェシカの世界』 西谷祥子 / 白泉社文庫

169【じゃあこれから考えるのね ちっともおそくはないわ】

 2002年に水野英子のいくつかの作品が文庫化されたことはすでに紹介した(あとはどこかが『赤毛のスカーレット』を復刊してくれるのを待つばかり)。それに続いて,今年は西谷祥子(にしたに よしこ)の代表作の文庫化が進んでいる。1960年代の「週刊マーガレット」という,ピュアな意味での少女マンガの黄金期を代表する作品群である。

     ☆    ☆    ☆

 既刊の『マリイ・ルウ』(おお! ちなみに「マリイ」と「ルウ」の間はハートマーク),『ジェシカの世界』(うう!),『レモンとサクランボ』(ぎゃお!)……。
 続刊は,連載当時どんどん救いがなくなっていく展開に驚きつつ読み呆け,そのくせ肝心なクライマックスを読み逃した,痛恨の『学生たちの道』だそうだ。40年近くそれが記憶の咽喉(のど)にトゲのようにひっかかってきたが,その最終回を知ることは,果たして人生の充足といえるだろうか,それとも。

     ☆    ☆    ☆

 西谷祥子は,ヨーロッパの貴族社会やアメリカのハイスクール,そして日本の高校の自由な青春群像と,当時の少女たちがあこがれた世界を次々取り上げてはハイテンポかつオシャレに描き上げてみせた。
 のちにデラックスマーガレットの表紙を飾った美麗な(高橋真琴ばりの)イラストの印象も強く,どうもこの少女の「あこがれ」や「オシャレ」のベクトルばかり強調されているような気がしないでもない。しかし,実のところ西谷祥子が少女マンガに持ち込んだもので最も重要だったものは「内省的な心理描写」だったのではないか。

 ご記憶の方は,他愛ない青春コメディの一幕であったはずの『ジュンの結婚』を思い起こしていただきたい。
 マンガのセリフはご存知のとおり,風船のような吹き出し(どの人物のセリフかは「<」の向きで示される)と,吹き出しと人物を「〇〇〇」で結んだ心中のセリフに分けられる。ところが,『ジュンの結婚』では,さらに登場人物の背景の地に文字で書かれた,いわば内省的なセリフが随所に活用されていた。
 つまり,それまでの少女マンガの登場人物たちが,「嬉しい」「悲しい」「楽しい」「残念」等,いわば一次的な感情のままに喋り,行動していたのに比べ,西谷作品の登場人物は,たとえば「わたしが嬉しいのはあの人の不幸を喜んでいることになるわ」とか,「残念と思うわたしは,彼のことが気になっているということかしら」と二手,三手先まで自分の心を読もうとしたのである。文学では当たり前のことだが,当時の少女マンガの世界ではそれはかなり斬新なことだったのだ。

 元来,マンガのキャラクターは純真で疑いを知らないのを善しとされ,およそ内省的とはいい難い。だからこそ,トゥシューズに画鋲が入っていても周囲を憎むことなく翌日も頑張ってレッスンに励むことができたのだ。
 しかし,西谷作品の登場人物は,そこで相手の悪意を考える。ただし,単に高慢なお嬢さまグループを敵とみなすのではなく,なぜ彼女がその行為をするにいたったのか,自分のせいではないのか,自分としてはどうすればよいのか,まで考える。

 内省的に過ぎる結果,なかなか思いを相手に伝えられなかったり,大切な一歩を踏み出せないということはあるだろう。だから西谷作品では,主人公の恋愛がテーマでありながら,得恋あるいは失恋という明確な結果が得られないことが多い。
 思いを伝えられないブルーな日々,ところが思いがけない事件ののち両想いが明らかになってピンクの日々……そういった,それまでのオーソドックスな少女マンガ作品の多くのように恋愛が簡単に割り切れるものではないことを,たとえば『レモンとサクランボ』は示す。ラブ・アフェアにあふれたストーリーでありながら,この作品では主人公の礼子とさくらは最後までステディな彼氏を持たないのだ(「ステディ」も「彼氏」もいまや死語ではあるが……)。

     ☆    ☆    ☆

 ヨーロッパの貴族社会,アメリカン・ハイスクール……西谷作品がこれらを舞台にしたのは,当時の少女マンガが,当時の少女たちの「甘美な夢」を代わりに描いてみせるものだったためだ。
 いわく,はじめてのドレス,はじめてのデイト,はじめてのダンス・パーティー……。

 もちろん,昨今の少女マンガにもそういった傾向がないわけではない。
 しかし,最近の作品の大半には「この程度ならあり得るだろう」というリアリティが染み付いている。たとえばミュージシャンとの恋愛を描くにしても,プロのミュージシャンの生活はキラキラ光る別世界ではなく,アマチュアバンド,インディーズのセミプロ,その先のプロの世界と,読み手の日常生活と地続きである。

 しかし,西谷祥子らが活躍した時代,とくに60年代は,そうではなかった。
 その一つの現れが,『ジェシカの世界』のエンディングである。ネタバレで申し訳ないが,本作では主人公の少女が最後には発狂して,自分の世界に閉じこもってしまう。当時,一条ゆかり『風の中のクレオ』,水野英子『ファイヤー!』など,主人公が発狂して終わる少女マンガは少なくなかった。
 つまり,当時,少女マンガに求められていたものは日常生活と地続きでない「甘美」さであり,狂気はその「甘美」の側にあったのである。

 現在,登場人物が発狂するエンディングを「甘美」に描くことはかなり難しいだろう。描かれる世界が日常と地続きとなった時代,狂気は結局のところやっかいな,あるいは治療の対象たる「病気」の一種なのだから。

     ☆    ☆    ☆

 西谷祥子は,考える主人公を創造し,おそらくそれは見えにくいところで少女マンガの系譜に極めて大きな影響を残した。

 「甘美」へのニーズに応えつつも,「考えないお人形」から「考える少女」に。それは少女マンガの主人公がのちに「少女」から生身の「女」に変わるために開かねばならなかった扉ではなかったかと思うのだが,どうだろうか。

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