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2003年10月の4件の記事

2003/10/27

眼球譚 ~ある日の恐怖体験~

 症状が進むと,ステロイド系の薬品を使わざるを得ないわけだが,これを長期にわたって使用した場合リバウンドの危険もあり,できるなら避けたいと医者は言う。私も避けたい。
 また,この薬品には眼圧が上がるという副作用があり,ある朝目を覚まして視野が真っ白に靄っていたのには肝を冷やした。急遽点滴を受けて事なきを得たが,眼科で診察台に横になって点滴を受ける体験はそうざらにできるものではない。

 眼底の検査も,なかなかにシビアな場合がある。
 まず目薬を注して瞳孔を開く。片目ずつならどうということもないが,両方の目を一度に開くとまぶしいなんてものではない。焦点が合わなくなってもちろん本も読めず,ただくらくらしながら診察の順番を待つばかりである。
 ようやく名前が呼ばれ,診察室に入り,なにやらものものしい椅子に座らされる。なぜか看護婦が互いに呼び合って数名ざわざわと集まってくる。心なしか彼女たちが嬉しそうなのは気のせいだろうか……。ここから先は,思い出すのもおぞましい。つまり彼らは眼底を撮影するために私の頭を撮影機に押さえつけ,瞳孔が開いてすでにまぶしくて仕方のない両の目の眼前でフラッシュをバシバシ,ガシガシと焚きまくったのである。呼び集められた看護婦たちの一人は撮影する側のまぶたを力ずくで押し開く係,それ以外は暴れて立ち上がろうとする患者を無理やり押さえつける係なのであった。
 このときの至近距離で際限なく繰り返されるボシャ,ボシャ,ボシャという重いフラッシュの音,頭蓋骨の内側のすみずみまで赤く青く鉄槌で砕かれるようなまぶしさは今も忘れられない。私がベルリンに潜入した屈強のスパイであったとしても,同僚の名と任務をあっさり売ったに違いない。撮影が終わっても視野いっぱいに赤い火花が消えず,目の奥には激痛が飛び交い,しばらくは歩くこともできなかった。

 さて,恐ろしいのは眼底検査だけではない。
 撮影が終わり,ほとんど人間であることを放棄する寸前,ずた袋のようになった私に,眼科医はなにやら意味のよくわからない専門用語を連発し,看護婦になにやら得体の知れない薬品の名前を告げる。ガンチュー,ガンチューという言葉が飛び交う。何だろうとようやく顔を上げた私の前に立ちふさがる白い悪魔が手にしているのは,細く鋭い注射器である。
「目薬では効果が得られないようですので,ガンチューしましょう」
 だからガンチューってなんだ。
「先ほど痛み止めの目薬を注してはいますが,これは痛いですよ」
 痛いのなら止めてくれ。こら,何をする。なんでまた押さえつける。
「動かないでください。針が抜けて大変なことになりますから」
 大変なことってなんだ。なぜ注射器を目のほうに向けるのだ。わあ。針が。目にぶすりと。目に。目に。
「はい,動かない。今,薬品を注入していますから」
 ぐぎぎ。ぐぎ。痛い,痛いぞ。こら,何が起こっているんだ。
「しばらく目を動かさないでください。今,眼球の白目のところが,ぷくっと,蚊にかまれたときみたいにふくらんでますから」
 いでで。いでで。

 世界はくるくる回ってすうっとどこかへ行ってしまったのであった。

2003/10/20

『ドスコイ警備保障』 室積 光 / アーティストハウス(角川書店)

Photo【この人,今すごくいいこと言ってる,と豪勇は思った。】

 で、その『都立水商!』の室積光の第二作がこれ。
 今回は、廃業後の力士の就職先として警備会社を作ろう,という話だ。

 警備会社そのものは最初のほうでわりあいあっけなくでき上がってしまって,あとはそこからのさまざまな展開。いや,会社ができてからも順風満帆というか,「ドスコイ警備保障(株)」は幾多のイベントを経て,すたすたとステータスを上げていく。ハリウッド映画もかくやのご都合主義の山である。
 しかし,この作者の作品は,多分,ストーリーが,とか,人物の描き方が,とか,そんな読み方をしてはいけない。

 いや,もちろん欠点があることを認めないわけではない。
 前作もその傾向があったが,本作では「主人公」がはっきりせず,状況を語る視点も明確ではない。これは,部分部分では笑わせられたり泣かされたりしつつも,一つのカタマリ,つまり小説として,なんとなく座りの悪い,物足りない印象につながっている。
 たとえば,木原敦子という非常に魅力的な人物が登場するのだが,主人公がはっきりしないため,彼女の魅力が主人公としての(つまり読み手の視点からの)魅力なのか,登場人物の誰かの視点からの信頼やあこがれの対象なのかがはっきりせず,結局敦子の魅力が浮かび上がらない。

 だが,非常によく出来た小説ができないことを,この作品がしてのけてくれることもまた事実だろう。それはつまり……いや,言葉にしてしまったらオシマイの,馬鹿馬鹿しいようなことなのだが。

 前作『都立水商!』でもそうだったが,細部を見れば,作者は渡る世間に苦い面があることは否定していない。世の中にはどうしても付き合いにくい人々がいること,その人々による悪意が不愉快な出来事を巻き起こすことも実は描き込まれている。
 だが,「主人公」と目される側の登場人物たちはすべて途方もなく好人物であり,多少の弱点欠点などものともせずに前向きに生きていこうという人々ばかりである。それがどんなに浪花節に聞こえようが,お涙頂戴と見えようが,作者は臆することなく彼らの歩みを讃えるのだ。
 だから,十分に,もしくは少しは幸せな方に,本書はオススメである。本書はあなたをさらに,よりハッピーにしてくれるだろう。しかし,あまり幸せでない方にまでそのマジックが通じるかというと,それは申し訳ないがよくわからない。

 それにしても,まさかとは思うが,作者には,世界がこのように見えているのだろうか? だとすると,それは実にうらやましいことだと思う。
 それとも,ある程度わかったうえで,余計なものをそぎ落とし,技術としてこのような世界を描いてみせているのだろうか。
 だとすると,それは……やはりそれなりにうらやましいことには違いない。

2003/10/15

『都立水商!』 室積 光 / 小学館

392【これが今では有名な,「水商ソープ科の手こすり千回」である。】

 タイトルの「水商」は「おみずしょう」と読む。

 帯の惹句をそのまま引用しよう。
「平成××年3月2日,東京都教育局は,水商売(風俗営業)に関する専門教育を行う都立高校を歌舞伎町に設立すると発表。正称『東京都立水商業高等学校』。同校は,ホステス科,ソープ科,ホスト科など七学科で発足する。またこの発表を行った3月2日を,東京都では『お水の日』に指定した。」

 大変なチカラワザである。
 上の惹句でおわかりのように,発想がすごい。その素っ頓狂な発想を,照れずに(←これがポイント!)まっつぐに押し切る,作者の朴訥さが切ない。猫も杓子もホラーもミステリも深刻ぶらないと評価されにくい時代に,ストレートなユーモア,正面切ってのお涙頂戴に徹した覚悟がエラい。

 一例だけ挙げる。

  毎朝生徒が登校してくると,担任が教室の前で待ち受けていて,
  厳しい服装チェックが始まる。
  「何だこの髪は? 染めてこんかア!」

 思えば,30年,40年ばかり昔,「中一時代」とか「高一コース」とかいった雑誌には,純然たるジャンルとして「青春ユーモア小説」なるものが掲載されていた。作品の中にギャグがあるのではない。全体として「ユーモア小説」としか言いようのない,呑気な登場人物,起伏のない展開,数段読んだ程度ではどこがオチなんだかわからないような,そんな漠々たる小説群。現在なら「いやし系」「なごみ系」とでも分類されるのだろうか。……いや,あのさじ加減はもう少しプロの技術者としてのワザによるものだったように思う。
 この『都立水商!』の魅力の1つは,その,懐かしい「青春ユーモア小説」に通ずる素朴さだ。ただ,職業小説家による手慣れた「青春ユーモア小説」とは違い,『都立水商!』はおそらく作者にとって,まっしぐらに目的地めざして投げ込んだボールではないか。

 だから,本書はさまざまな意味で教育論の素材たり得る。間違っても教育論そのものではない。その素材となり得る,のである。
 また,だから本書は随所に泣ける。ひねくれた読書家がナナメに構えても,ドッジボールが胸元に飛んでくるように登場人物たちの思いがぶつかってくる。

 後半の,スポーツ小説と化した部分については,賛否あるに違いない。面白くは読めるのだが,「水商」という発想をセンターラインとすると,どうしても外れてしまう面が否めない。

 そのほか,弱点,難点はいろいろあるかもしれない。
 当たり前である。
 本書は現代において作品として提供するのが最も困難な「純情」の花を描いた一大挑戦なのだ。
 「水商」の設立は無理として,どこぞの小粋な教育委員会が本書を「課題図書」に選んでくれないものか。

 なお,『都立水商!』は週刊ヤングサンデー誌上で猪熊しのぶのペンでマンガ化されているが,残念ながらヘタなマンガよりよほどマンガ的魅力にあふれた原作の特異性は表現しきれてないようだ。

2003/10/06

書評未満 『AV女優』『AV女優2 おんなのこ』 永沢光雄 / 文春文庫

Av400【「キスっていうか,小学校六年生の時,フェラチオをしました」】

 『東電OL殺人事件』については,早くもこの9月末に続編『東電OL症候群(シンドローム)』が文庫化されている。
 『東電OL殺人事件』のほうはネパール人容疑者が一審で無罪判決を得る時点までをまとめた内容だったのに対し,『東電OL症候群』はその直後,東京地検によって容疑者の再拘留が請求されたことに始まり,あげくに逆転有罪・無期懲役判決,また一方で容疑者の再拘留にかかわった東京高裁判事が少女買春容疑で逮捕,弾劾裁判によって法曹資格剥奪を受けるまでの経緯を諸外国のマスコミの反応までを含めて追うものである。

 骨のように痩せた身をひさぎつつ,かかわる人々に次々とタールを擦りつけるごとく黒い運命を司る闇の巫女。その女を抱いてしまったばかりにカフカ的な審判の迷宮につなぎとめられて出口を見出せない容疑者。……本来フィクションに描かれるステージの事象が現実世界に無造作に展開されていく。確かに,何かおかしい。
 そもそもそのようであった禍々しい世界が,たまたまこの事件を契機に露見しているだけなのか。
 それとも,何かが音を立てて崩壊していく,この事件はそのささやかな予兆に過ぎないのか。

 『東電OL殺人事件』に対しては,女性からの生々しい反響が数多く届いたという。この事件,つまり上場企業社員でありながら夜になると几帳面に売春を繰り返した被害者が,少なからぬ女性読者のどこか,何かをインスパイアした,ということである。
 『東電OL症候群』においても紹介されているが,女性読者からの投書には自らの人生が詳細に語られ,「親との愛情の葛藤,早すぎる結婚,結婚後のみだらな性関係,拒食症による激やせ,アルコール依存等」と事件の被害者との類似点が多々告白されているのだそうだ。

 これらのまさしく東電OL「症候群」について,ふと脳裏をよぎる本がある。
 永沢光雄『AV女優』『AV女優2 おんなのこ』の2冊である。
 ロングセラーであり,ご存知の方も少なくないに違いない。内容は,AV,つまりアダルトビデオを紹介するビデオ雑誌誌上のAV女優へのインタビューを連綿とまとめたものなのだが,これが本として抜群におもしろいのだ。

 出身者の一部がタレントとして成功する例もなくはないが,いまだ決して「世間」的に好ましい評価を受ける側とは思えないアダルトビデオ,それに出演する女性は,自分の生い立ちや家族について,ビデオ会社やマネージャーにどれほど真実を語っていることだろう。ましてや,営業行為の一対象たる雑誌インタビューにおいて,どれほど本当のことが語られるだろう。そこでは営利的な,あるいは精神的な障壁としての,作られた情報が提供されるに違いない。すべてをオープンにしてしまったら人間関係的に,あるいは金銭的にトラブルを招く場合もあるかもしれない。さらにいえば,ビデオ雑誌のインタビュアーや編集者は,その場で彼女らの口から漏れた内容をどこまで忠実に再現するだろう。

 こう考えれば,本書の内容は,「虚々実々」どころか「虚々々々々々々々々々々々々実」,くらいではないかと想像される。ある生い立ちについては巧妙に作為が施され,ある人生経験はその場限りの口から出まかせかもしれない。実際,初期の『AV女優』では悲惨な生い立ち,無残な恋愛体験が語られるケースが少なくなく,後期の『AV女優2』ではごく普通に育ち,ごく普通の職業感覚でAVにスカウトされたというケースが少なくないが,これは彼女たちの側の事情が変わったというより,AVの視聴者,雑誌の読者の側のニーズに応えただけのように思われてならない。

 だが,「虚々々々々々々々々々々々々実」,しょせんハリボテの出来レースとばかりナメてかかると,ときにくいっと足をすくわれて痛い思いをすることもある。本書がおもしろいのは,そこだ。実は著者の筆さばきは抜群の腕前で,本シリーズに登場するAV女優たちは,誰もみな営業的なスタンスなど知ったことかとばかりに飲んべぇの著者に向かってあっさりさっぱりと本音を語っているように見えるのだ。そして,その中に,油断していると倒される,そんな凄みが数十ページに一行くらい現れる。

 その一つは,彼女たちの「張り」である。それはもう,感覚的に「張り」とでもいうしかない。どのような経緯からAVの世界に足を踏み入れたのであっても,彼女たちのセックス──顔やスタイルを含めて──は「売り物」だという誇りである。それはある場合には,惨めな,売ってはいけないものまで売ってしまった諦観の裏返しかもしれない。しかし,そこまで売ってしまった人間の,最後の,それも剥き出しの「矜持」がときにインタビュアーの永沢を突き刺し,それはそのまま読み手まで強く圧倒してくるのである。

 そして,もう一方が,『東電OL殺人事件』の被害者にも通底する,まっすぐに下に,底に向けて落ちていってしまうような,そのような精神のありようである。『AV女優』『AV女優2』に登場する「おんなのこ」たちは,アダルトビデオというものについて素人が想像するより格段に明るく,凛々しく,清々しい。しかし,物語をつむいでもつむいでも,どうしても「でもなぜ君が」のところで説明ができないヒロインがいる。冗談にまぎれないシリアスな顔が現れてしまう。それが,苦い。

 そういえば,長野県奈良井川河川敷で知人の車のそばで焼け焦げて発見されたAV女優もいた。車の中で死んでいた男性による無理心中という扱いで落ち着きつつあるようだが,これもまた,よくわからない。

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