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2003年8月の4件の記事

2003/08/25

『怪盗ニック登場』 エドワード・D・ホック,小鷹信光 編,木村二郎・他 訳 / ハヤカワ文庫

Photo【文字どおりにからっぽだった。ニック・ヴェルヴェットが盗むような物はなにもなかった。】

 山村美紗の本を読むというのは,民放のサスペンスドラマを見るのと同様,「○○がうつり」そうでまことにいやなものだ。当方は○○ではない,などと思い上がったことを言っているわけではない。念のため。○○は○○でも,違う種類の○○がうつって救いようがない,そんな感じである。

 たとえば,新聞のテレビ面にはときどきサスペンスドラマの紹介記事が掲載されているが,あのコラムの担当者の苦労を思うと2時間で胃に穴,肺に影ができそうだ。山村美紗原作,片平なぎさ主演のドラマの,何をどうほめればよいのか。中村玉緒演ずる女刑事とかね。
 ところが,なかには,何の苦労も感じさせずにサスペンスドラマを褒めちぎることのできる輩がいる。根っからのプロなのか,それとも底抜けに馬鹿なのか。

 新潮文庫『赤い霊柩車』の解説担当者は,明らかに後者だった。
 デビュー当時はいざしらず,量産体制後の山村美紗をあのチェスタートンと比較するだけでも噴飯ものなのに,山村美紗の作品数が多いことを褒め上げるために,チェスタートンにはブラウン神父ものの短編しかない,だから山村美紗のほうがすごいかも,とおっしゃるのである。漱石には『坊っちゃん』というユーモア小説,鴎外には『舞姫』という恋愛短編しかない,と言うのと大差ないことに気がつかない著者,その原稿をチェックもできず素通りで載せてしまう編集者。
 ちなみに,ギルバート・キース・チェスタートンには,ブラウン神父シリーズのほか,『奇商クラブ』『詩人と狂人たち』『ポンド氏の逆説』『木曜の男』といったやはり奇想にあふれた短編集,長編があり,これらは創元推理文庫で簡単に手に入る。現在入手は難しいが,さまざまな論評,評伝をまとめた著作集も翻訳されている。

 念のため,山村美紗の作品やサスペンスドラマがこの世の中には不要だ,などと言っているのではない。
 テレビドラマが朝から晩までタルコフスキーの作品のようだったら,それはそれで息が詰まるだろう。この世には気分転換というものもの必要なのだ。ただ,24時間,サスペンスドラマの水準で省みないようなら,いや,山村美紗すら読めないほど活字や本を必要としないのであるなら,それはよほど幸福な人生か,あるいはよほど……否否否,思うことを全部書けばよいわけではない。話題を変えよう。

 口直しということを考えてみた。

 『殺しも鯖もMで始まる』の口直しには鮎川哲也の三番館シリーズなどいかがであろう。創元推理文庫から『鼓叩きはなぜ笑う』『サムソンの犯罪』『ブロンズの使者』『材木座の殺人』の4冊が今年の4,5,7,8月と続けて発行され,以下続刊の予定である。
 三番館シリーズというのは,いずれも「事件が起こる」「弁護士が主人公の探偵に相談する」「捜査の壁にぶちあたった探偵がバー三番館のバーテンに相談すると見事な回答が得られる」という三幕ものの展開を示す,典型的な安楽椅子探偵譚の短編集である。これが,もう,精緻にして,素晴らしい。各編とも荒い筆でなぞったような描写しかないにもかかわらず,犯人や被害者が実にいきいきと描かれ,主眼がアクロバティックなトリックとその看破であるにもかかわらず,豊かな時間,得した気分を得られるのである。往年の『刑事コロンボ』を見たような手応えとでもいえばよいだろうか。
 なお,バーテンが相談者との対話だけで事件を解決するのは,アシモフの『黒後家蜘蛛の会』と偕老同穴,じゃなくて大同小異,いや換骨奪胎かな,まぁいいやともかく設定が似ているわけだが,これは決して鮎川哲也が真似したわけではなく,まったく偶然の一致らしい。雑誌発表時期もほぼ同時なのだそうである。

 一方,〈葬儀屋探偵〉明子シリーズの口直しには,たとえばエドワード・D・ホックの『怪盗ニック登場』などいかがだろう。
 主人公ニック・ヴェルヴェットの職業は盗賊。二万ドルの報酬で仕事を引き受ける盗みのプロフェッショナルである。ただし,彼は現金や宝石など,ありきたりのものは盗まない。動物園の虎,ビルの看板の文字,大リーグのチーム,ただのカレンダー,恐竜の尾骨,陪審員一同などなど,なぜそれを盗む必要があるのか,それをどう盗むのか,盗んだあとどうするのか……いずれも一筋縄ではいかない絶品揃いの短編集である。『ルパン三世』,いや,むしろ昔懐かしい『ナポレオン・ソロ』『スパイ大作戦』など,ジャズサウンドに載せた難関突破型の海外ドラマの香りとでもいおうか。その中でも,ロバート・ワグナー扮する大泥棒を主人公とした『プロスパイ』(のち『スパイのライセンス』)を彷彿とさせるカッコ良さである。
 もちろん,単なるカッコ良さだけでなく,不可能犯罪ミステリの専門家だけあって,幾重にも織り込まれた謎とそれを一気に解きほぐしてみせる手腕は見事の一言。
 同じ気分転換ならこういう本でリフレッシュしたいものである。

※8月末には続巻『怪盗ニックを盗め』発刊。その腰巻の惹句が(ハヤカワらしからず)スバカらしい。曰く,
 “貫井徳郎氏(作家)慟哭す。「ニック大好き!」”

2003/08/18

〈葬儀屋探偵〉明子シリーズ 『赤い霊柩車』『猫を抱いた死体』『毎月の脅迫者』『華やかな誤算』『大江山鬼伝説殺人事件』 山村美紗 / 新潮文庫

008【顔は比較的傷んでなかったので,着物を着せると,なんとかみられる姿になった。】

 誰に聞いたのだったか,「葬」という字は,草の上に死体を横たえ,その上に草をかぶせる,そういう行為を表したものだそうである。
 もちろん,人口の爆発的に増えてしまった今,そのような弔いふうでは聖衆来迎寺の「人道九不浄相之図」のごとき有様をあちこちに見ることになっていただけない。これは要するに源信の『往生要集』の思想を具体化したもので,墓地に捨てられた死体が青黒く膨れ上がり,ただれて皮が破れ,血膿が流れ出し,犬猫に食い荒らされ,蛆がわき,白骨となり,ついには粉々に砕けて土とひとつになってしまう,その推移を克明に描いたものである。これが野山,町中,いたるところにあふれ返るわけだ。

 そこで,葬儀屋という職業が存在する。おかげで僕たちは父や母あるいは妻や夫,子供の亡骸を野山に捨てにいかずにすんでいるのだ。ありがたいことである。

 年齢がある程度いくと,同じ冠婚葬祭でも,結婚式より葬式のほうが多くなってくるような気がする。否,よしんば回数がおなじでも,同世代や若い世代の葬式が増えて,若いころのそれよりこたえるのだ。
 その葬式のひとつで,読経の際,ふと思いついた。
 「葬儀屋を本職とする探偵はいなかったのではないか。普段はクールで無口な葬儀屋の青年,葬式で死体を扱いながら,その死体の有様や遺族の言動にふと疑念を抱き,卓抜な推理力をもって見事に事件を解決していく。冠婚葬祭の作法や葬儀業界の裏表なども交えれば,推理以外の部分も読み応えが増すのではないか……」

 残念ながら,すでに先例があった。
 山村美紗の〈葬儀屋探偵〉明子シリーズ,『赤い霊柩車』『猫を抱いた死体』『毎月の脅迫者』『華やかな誤算』『大江山鬼伝説殺人事件』の5冊である(いずれも新潮文庫に収録)。
 主人公・明子は,交通事故で亡くなった父の跡を継ぎ,京都で葬儀社を切り盛りするようになる。葬儀の現場で遺体を検め,遺族とやり取りするうちにふと疑念が生じ……といったストーリーで,片平なぎさ主演でサスペンスドラマにもなっているらしい。
 文庫1冊に数編ずつ収められた中短編はいかにもサスペンスドラマの原作向き,京都を舞台に,ドラマにしやすそうな脇役も取り揃え(葬儀社の有能なベテラン社員や,明子の恋人の医者の卵など),推理ともいえない荒っぽい事件の発生から解決までの顛末が山村美紗ならではの箇条書きのような文体で描かれている(事件の発端から解決まで,ラブシーンも女事務員と茶飲み話をするシーンも,全編まったく同じ厚みの文章が続くのは驚嘆に値するほどである)。

 事件やストーリーは主人公が葬儀屋であろうが検察官であろうが女医であろうが別にかまわないようなしろものだが,それでも,葬儀屋の社員がいち早く死亡の情報を得るために病院の看護婦に付届けをしたり,警察無線を傍受したりといった(どこまで本当かは知らないが)営業努力を重ねていることや,友引を避け,火葬場の込み具合と調整し,といった葬儀のスケジュール感など,葬儀屋探偵譚「ならでは」の知識も得られ,その点ではなかなか面白い。

 ただ,個人的には本シリーズ,なんというか,少々,いや,かなり気持ちの悪いものだった。
 死体や殺害シーンが出てくることが気持ち悪いのではない。それらにまったく無頓着な主人公・明子やその恋人で医者の卵の黒沢が,気持ち悪いのだ。
 明子と黒沢は東京で知り合い,その後明子が父の跡を継ぐために京都に戻って,現在は遠距離恋愛中である。黒沢はときどき東京から明子に会いにくるのだが,休みの日でも葬式が入ると二人で出かけることもできなくなる。その按排は明子の職業が検察官であろうが女医であろうが変わらなかったに違いないが,それにしても火事で焼けただれた,あるいは発見が遅れて腐敗の進んだ死体の処置を施したその数時間後にその死体の有様を語り合いながら仲良く食事をし,それから二時間ばかり「愛をたしかめ」合う,二人の神経は太い。サスペンスドラマ向けサービスなのか,いずれの作品でも似たような展開で,このシリーズをそのように描いた山村美紗もまたそのような神経の持ち主だったということだろうか。

 この夏,ちょっとした旅行で京都に赴き,晴明神社を含むいくつかの寺社仏閣と,太秦の映画村を散策した。映画村では「最恐のお化け屋敷」というものに入ったのだが,(誰と入ったかはさておき)三十年ばかり前に入った縁日のお化け屋敷とは少しばかり様変わりしていて興味深く思った。
 昔の縁日のお化け屋敷も映画村のお化け屋敷も,迷路ふうの暗く狭い通路と音や風によって人を怯えさせる仕組みは似たりよったりなのだが,前者にまだ見受けられた一つ目小僧,ろくろっ首,唐傘といった「お化け」「妖怪」のたぐいは一切なくなり,「幽霊」でさえなく,映画村のお化け屋敷の恐怖の根源は惨殺された死体,磔られた死体,獄死した死体,要するに「死体」なのだった。ここのお化け屋敷のウリは人形にまじってプロの俳優が突然現れ,恐怖を演出することなのだが,彼らが演ずるのも「幽霊」というよりは,怨念のあまり死ぬに死ねない「死体」なのであった。
 つまり,科学や理屈が妖怪や幽霊を追いやった結果,リアルな恐怖として残されたものはソリッドな「死体」に対するそれ,ということだろうか(太秦のお化け屋敷1つでそこまで言うのも何だが)。

 さて,〈葬儀屋探偵〉シリーズに登場する恋人たちは,この「最恐のお化け屋敷」に入っても冷静に観察して歩ける,職業的経験に裏打ちされた強心臓の持ち主なのだろうか。それとも単に無神経なのだろうか。どうも後者のように思われてならず,それがグロテスクで底なしに気持ち悪いのである。

2003/08/11

『殺しも鯖もMで始まる』 浅暮三文 / 講談社ノベルス

144【魚はジャック・ロビンソンといい終わる前に腐っちゃいますからね。】

 推理小説が,見ていて,つらい。

 新本格,日常の謎,と多少の盛り返しはあったものの,このところ「新機軸」といえるほどの潮流は現れず,江戸川乱歩,松本清張といった大巨人も登場しない。島田荘司を上回る者さえ噂を聞かず,少なくともここ数年の新作を読むくらいなら,過去数十年間の傑作を手に取り直したほうがよほど充実した時間が過ごせそうだ。

 そもそも,前提条件が厳しいのである。
 たとえば,密室殺人のトリックは,主だったものがすでに出揃ってしまった。一見新しそうなアイデアも,過去のいずれかのカテゴリーに折りたためてしまう。無理やりアクロバティックなトリックを捻出しても,やれ紐や装置を用いる機械トリックはつまらない,心理トリックとしては過去の何々という作品に似ている,などなど。

 けだし,推理小説の作者やファンは大きく2つに分かれるようで,一方はやたらとお勉強好きで記憶力がよろしい。やれ誰の作品のトリックが,やれこのプロットは誰の作品で,と過去の作品の生き字引であることがすなわち権威であるかのような,そのような一派がいる。かと思えば,もう一方は不思議なくらいそういったことに頓着しない,極端にいえば同じ作品の中の十数ページ前と矛盾することを書いてもとくに気にしないような,そんな一派である。
 前者はおもに「本格」という旗のもとに集いたがり,後者は決して集わない代わりに推理小説は体力勝負とばかりに百も二百も長編を生産し続ける。B級C級サスペンスドラマの原作としてスタッフロールをにぎわすのも主に後者のつとめである。興味深いのは,後者の作家の担当編集者もまた忘れっぽい御仁が少なくないようで,使い古された,いや同じ作家の作品で何度も用いられたトリックにせいぜい国内日帰り旅行パックをかぶせた程度の作品に「本格」「驚愕」「空前絶後」等の惹句をつけたがる傾向が強いようだ。
 閑話休題。

 さて,今回ご紹介する『殺しも鯖もMで始まる』は,昨今の推理小説の素地,素材の枯渇を思い切り現すような……要するに痛々しいまでにつまらない作品の1つである。

 発覚した殺人の状況そのものは,なかなか面白い。
 死体が発見されたのは地中の空洞であり,その空洞のあった原っぱには穴が掘られた形跡がまったくない。死んでいたのは奇術師であり,彼はなぜか「餓死」しており,空洞の中には「サバ」なるダイイングメッセージが残されていた。……

 この作品が傑作として記憶に残るためには,この殺人が地中の空洞で行われた理由になるほどと手をうち,「サバ」の文字の解釈にそれはごもっともと指を鳴らし,さらにそれらすべてを指摘して犯人を割り出す探偵の手腕に溜飲が下がらねばならない。
 だが……。
 未読の方へのネタばらしはご法度なので詳細には書けないが,この作品では,犯人がなぜ地下の空洞で殺人を行わねばならなかったのかについて,とくに明確な理由がない。いや,探偵は説明したつもりなのかもしれないが,アリバイを目的とするなら,このような発見されにくい犯行現場には意味がない。逆に,「サバ」というダイイングメッセージのわかりにくさも説明がつかない。もし被害者が犯人を示したかったのなら,堂々と名前や殺害方法を記せばよいのだ。この状況では,犯人に消される心配など別にないし,消されるなら何を書こうが同じなのだから。
 「サバ」に続いて「ミソ」なるダイイングメッセージが残される第二の犯行は,第一の犯行に比べれば目的はわからないでもない。しかし,第一の犯行同様,作者が「密室殺人」「ダイイングメッセージ」を描くために起こされた感は否めない。

 その他,本作について文句を言い出せばキリがない。
 登場人物の一人が何十回も繰り返す「なんだ,ほりゃ」「なんじゃ,ほりゃ」という口癖はうるさい限りだし,刑事の部下の妻についてのやり取りもしつこくてうざったい。それ以上に鬱陶しいのが,探偵役の青年が突拍子もない警句を撒き散らすことだが,これについては作者も確信犯的なところがあるらしく,とりあえず是非は問わないでおこう。

 そして,一番残念だったことは,探偵の青年は葬儀屋として事件にかかわってきたにもかかわらず,彼が葬儀屋であるという事実は全編を通してとくに何の布石にもなっていなかったことである。
 実は今回,これほど酷評する作品を捜し求めて最後まで読んだ理由は,探偵が葬儀屋,という一点につきたのだ。これについては,次回に続けて取り上げたい。

2003/08/03

企業人必読! 『社長をだせ! 実録 クレームとの死闘』 川田茂雄 / 宝島社

937【「あなたね,これは,いるのいらないのの問題じゃありませんよ。」】

 好著である。
 サポートセンター,サービス窓口など,インバウンド接客を主業務とする部署の方はもちろん,営業企画や製品開発にかかわる方々にもぜひとも読んでいただきたい。

 本書の構成はきわめてシンプルで,とあるカメラメーカーで製造部門,消費者相談室,サービスセンター所長等を務め,数多くのクレーム処理にあたってきた著者が,その経験をもとにクレームとそれに対する対応を語る,というもの。当然ながらカメラ,レンズという製品に固有のクレームが少なくないが,クレームなるものの本質,それに対する処置,対策が平易な文体でまとめられており,その内容は業種を超えて説得力がある。

 たとえば,海外旅行にカメラを持っていったが,その故障のせいで貴重な写真がすべてダメになった,旅行費用を全額弁償してほしい。そうでないならそれに匹敵する金額のカメラ,レンズが欲しい……そう主張して説得に応じず,自分の言い分が通らないと泣き,わめく女性。
 クレーム対応のポイントは「さじ加減」にある。正直言って,この著者の対処がすべての場合に正しかったとも思えない。たとえばある事例で著者はクレームをしかけてきた相手に対し何十万円かを手渡そうとする。結果的に渡さずにすんだとはいえ,一般的にそれがよい対応とは思えない(相手が総会屋スジなら思うツボである)。さりとてこの事例でほかにどのような対処があり得たかといえば,わからない。それがクレーム処理の難しさだ。

 また,これは経験的にいえることだが,クレーム処理には向き,不向きがある。低姿勢に出なくてはダメだが卑屈に謝り通してもダメ。顧客の側に立つことは大切だが,一緒に会社やサービスの悪口を言ってるようではダメ。トークの中に顧客の言い分が法的に通らないことを交えなければならないが,だからといって高圧的になってはダメ。つまりは,顧客の言い分を承りつつ企業として主張すべきは主張し,丸く四角く好感を持たれなくてはならない。風貌や服装,髪型,声のトーンなども影響するだろう。

 知人にクレーム対応のスペシャリストがおり,いざヘビークレームが発生したと聞けば「いやーまただよ,まいった」と口ではぼやきつつ喜色満面で日本全国どこへでも飛んでいく。技術やサービスオペレーションについての知識はけっこういい加減なのだが,にもかかわらず重大クレームをなんとなく片付ける。あげくに全国に彼のいうところの「お客様」,つまりお友達にしてシンパの情報源を得てしまう。
 彼の場合,組織運営や管理面では何度もトラブルを起こしているのだが,ともかくクレーム対応のプロとして評価を受け,役職とは別に,常に部長待遇を受けているらしい。

 ただ,かつて東芝事件で話題になった人物がそうであったように,業者側から一種「有名人扱い」されるような,クレームのスペシャリストが存在することもまた事実だ。
 ある電気製品の業界では,もう十数年も前にある製品を購入し,些細な問題点を騒ぎ立てて代金を払わず(ここまでならまだわかる),その問題点についていつまでもしつこくクレームを発し続け,担当者を呼びつけては新品と交換させ(ここまでもまだ理解できるが),あげくにその製品について新製品が発売されるたびになんだかんだと持ってこさせ,一度も代金を払わないままに十数年間新しい製品を使い続けているという人物がいる。
 この例ではメーカー担当者の初動がまずかったのだろう……と批判するのはたやすいが,実際にここまで横暴な顧客(正確には顧客とすら言えないか)に自分がとりつかれた場合を思うと,想像しただけで脂汗が吹き出しそうである。

 自分でもライトからヘビーまで,何度かクレーム処理に苦労したこともある。
 そんな経験から漠然ととらえていた顧客のクレームを,本書のように【ごね得型】【プライド回復型】【神経質型】【新興宗教型】【自己実現型】【愉快犯型】などときちんと分類してもらえると,過去のそれぞれの例が顧客のタイプ,目的,クローズの仕方など,非常に明確になったような気がする。
 また,このクレームの分類において,著者が【泣き寝入り型】,つまりクレームを言ってこない顧客こそが企業にとって最も厳しいクレームである,と指摘するのには目を洗われる思いがした。確かにそういった顧客を放置することは,その企業,製品からの顧客離れを進め,また製品やサービスの改善の機会を失うことでもある。
 サポートセンターは単に顧客の質問に答え,クレームを撃退するためにあるわけではないのだ。

 とにもかくにも,穏やかな口調で淡々と書かれてはいるが,奇妙な,あるいは過激なクレーマーたちの言動を読むだけでも十分読み応えがあるし,さらにそこからさまざまな企業対応のノウハウが読み取れる。中堅サラリーマン必読の1冊である。チーズや金持ちとーさんなどよりよほどオススメ。
 ただし,読んで万一つまらなくても,ここにクレームを入れてきたりしないように。

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