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2003/07/21

『ODESSEY 1966 2003 岡田史子作品集 episode 1 ガラス玉』 監修 青島広志 / 飛鳥新社

29【けれどもあれは死んでいる うごかない…あれもレド・アールだ】

 どこで小耳にしたものか,長男が突然「アバンギャルドって何?」と言い出した。既存の権威や流派を否定する芸術上の手法,作品のこと……といった程度の知識は持ち合わせているが,しかし,これをピカソやシュルレアリスムはおろか,「芸術」という概念さえない小学生にどう教えればよいのか。モナリザが,ピアノ発表会の選曲が,書道の練習が,と回答に到る道とも思えぬあれやこれやの話題が飛び交って,あげくに我が家の食卓ではカンディンスキーのように,どちらが上だか下だかわからないのがアバンギャルドということとなった。

 言われてみれば,アバンギャルドという言葉に縁遠くなって久しい。1960年代,70年代には,ファッションや映画について,まだまだ日常的に耳にする機会が少なくなかった。「キーハンター」で大川栄子演ずる丸顔のお嬢さんがちょっと奇抜な洋服を着て現れると丹波哲郎がすかさず「アバンギャルドだねえ」とつぶやく,とか。
 一方,現在,ちゃんとした主旋律もなく,意味不明なつぶやきや自然音だけを組み合わせた音楽CDが発売されたとして,それが面白いか面白くないか,売れるか売れないかは語れても,アバンギャルドとは言われないような気がする。スタンダードがなければ,それに対するアンチも動機足り得ない,そういうことなのだろう。

 さらに加えて,単にコラージュ的であったり幾何学的であったり上下が判別不明であったりすることと,アバンギャルドとはまた少し異なるような気がしないでもない。シュルレアリスムや表現主義においても,ダリやキリコ,ムンクらはアバンギャルドとはまた違うような気がする。アバンギャルドという言葉が似合うためには,もう少し乾いてなくてはダメだ。たとえばピカソの「ゲルニカ」など。

 ひるがえって我が国のマンガ誌において,アバンギャルドなる言葉が雑誌単位で最もよく似合ったのは,虫プロ商事の月刊誌「COM」だったような気がする。たとえば「COM」と同時代,青林堂の「ガロ」に掲載されたつげ義春の「ねじ式」などは,悪夢を自動記述的に描くことにおいてシュルレアリスムの類縁にあるが,どうもアバンギャルドという言葉は似合わなかった。やはり,アバンギャルドを称するためには,(裏にいかなる七転八倒があれど)あくまでクールで既存のものにとらわれないドライさを持ち合わせていなくてはならない気がする。

 そして,1960年代の「COM」のアバンギャルドな空気を代表する作家の一人,それが岡田史子である。
 岡田史子については,かつて朝日ソノラマから発刊された『ガラス玉』を紹介しているので,そちらを参照いただきたい。

 岡田史子は萩尾望都をして「天才」と呼ばしめた稀代の短編コミック作家であり,その鮮烈さにおいて比較し得る対象を知らない。
 しかし,今回飛鳥新社から発刊された『ODESSEY 1966 2003 岡田史子作品集 episode 1 ガラス玉』は,残念ながら朝日ソノラマ版に比べておよそオススメに足るものではない。一人の作家の作品集を編み上げるにおいて,編集や監修の力はそう影響を及ぼすまいと考えるのが普通だ。朝日ソノラマ版と今回の作品集においても,かなりの作品が重複して収録されていることでもあるし……。
 だが,「ODESSEY」というおよそ岡田史子の作風に似合わないサブタイトルを含むごちゃごちゃした書名,表紙カットの選択,その色遣い,作品の収録順,著者への回顧談の依頼にいたるまで……あらゆる切り口からみて,本書は1冊の書物として最低の次元にある。

 岡田史子本人の思いがいかなるものであったにせよ,岡田作品は,プライベートな感傷とは別の次元で読み手に意味を問うものであった。際立って特殊な技法ではなかったにもかかわらず,それはアバンギャルドと呼ぶに足る衝撃を当時の読者,ことにマンガ家や作家をめざす者に大きなショックを与えたものだった。
 たとえば,作品ごとにタッチ,とくに登場人物の「目」の描き方を変えた「とらわれなさ」。作品内世界の木で鼻をくくったような会話の「不親切さ」。それらのすべてが読み手に突きつけられた問いの刃だったのである。

 それを,作家の家族構成だの,作品がコンテストで評価されるかどうかに一喜一憂するさまだの,要するに楽屋ネタばかり加えてどうするのか。いや,百歩譲って資料的価値ありとして掲載するまでは容認するとしても,作品そのものの魅力を邪魔せんばかりに巻き散らかしてどうするというのか。

 コミック作家としての岡田史子は,実際のところは,キャリア的にもテクニック的にも,およそプロといえる水準にはない。作家としてのキャリアを一望にしてみれば,決して商業的に成功したとはいえない「COM」という雑誌の,そのまた「投稿者」に毛の生えた程度の存在に過ぎない。その作品が……場合によっては佳作扱いで,雑誌の1ページに2ページ分ごと縮小されて掲載された程度の作品が,あれほどの衝撃を残したことを思い起こすべきだろう。それを,今さら40年近く昔の「投稿者」としての作者の等身大の姿を紹介することに何の意味があるのか。

 そもそも,このような作りの『ODESSEY 1966 2003 岡田史子作品集 episode 1 ガラス玉』を手にして,新たに岡田史子に衝撃を受ける者がどれほどいるだろう。本書は岡田史子という資源の浪費にすぎない。

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