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2003年5月の5件の記事

2003/05/26

[雑感] 旧石器捏造事件,プロ野球,100円USBケーブル

 東北旧石器文化研究所の藤村・元副理事長がかかわったとされる前期・中期旧石器遺跡について,180以上の遺跡のうち162遺跡で捏造が確認された。要するに彼の「発見」はすべて「捏造」だったということだ。捏造が暴露された際,この「くるくる回転図書館」でも「もし最初の1つがフェイクなら,全部チャラ」ということを指摘したが,結局そうなったわけだ。
 藤村氏の行為を責めるのはたやすい。しかし,問題はむしろ162回にわたって繰り返された捏造をチェックできなかった考古学会の怠慢……否,そもそも学説としてきちんと発表,検証されてもいないレベルで「発見」イコール「通説」としてまかり通してしまった体質のほうだろう。
 それは,少なくとも科学的な姿勢ではない。

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 あまり指摘されないようだが,ヤンキースの松井秀喜のプレイはつまらない。
 49試合を経て3本のホームラン,2割6分台の打率がものたりない……それも事実だが,それだけではない。もっとスポーツ観戦の根幹にかかわること,つまり,わくわく,どきどきしないのである。体が重そうだし,こねるようなバッティング,再三のセカンドゴロがなんだかいかにも思い切りが悪そうで,すっきりしない。
 打てなければブーイング,打たれればマイナー送り,それがMLBの痛快さ,ひいては魅力だったのではなかったっけ。

 ひるがえって,日本のプロ野球が今年はなかなか面白い。
 各チームとも中継ぎ,抑えの強化や調整に大失敗したらしく,やたら大差をひっくり返される逆転試合が少なくない。終盤で5点差や6点差あってもちっとも安全圏ではない。年がら年中荒っぽい試合ばかりというのも困るが,とりあえずフランクリン・ルーズベルトも言ったように「もっとも面白いのは8対7の試合だ」。7回を終わって7対2の試合が,終わってみれば同点,延長,大逆転! 見る側からしてみればまことにけっこうなことではないか。
 ペナントレースが面白いのは,もう1つ,例によって金にものを言わせて強化を重ねたジャイアンツがいっこうにパッとせず,タイガースが2位に6.5ゲーム差をつけて独走していることがある。31勝のうちなんと22勝が逆転と,終盤の粘りがファンを沸かせているのも盛り上がりの材料だ。
 しかし。逆転が多いということは,冷静に考えれば序盤に先発投手が点を取られるケースが多いということだ。6月,7月に向けてまだまだセ・リーグもこじれそうである。こじれにこじれたあげく,ジャイアンツはヤクルトに足を掬われ,僅差でタイガース優勝,といったあたりがもっとも「沸く」展開だろうか。

 パ・リーグではダイエーの若手投手陣をおおいに応援したい。寺原,杉内,和田,新垣……松坂と競い合って,客を呼べるパ・リーグにしてほしいものだ。

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 最近,ノートPCが新しくなったのに合わせて,コンパクトフラッシュの512MBのものを購入。1万円あまりで買えて,驚いた。何年か前,デジカメが登場して浸透し始めたころには,8MBや16MBの製品が1万円以上していたような記憶がある。
 コンパクトフラッシュは相次いで登場するメモリカードの中ではすでに負け組みとまではいかないまでも,なんとなく進化の止まってしまった規格だが,大容量の製品が他のメモリカードより早く出ること,容量あたりの単価が安いことが魅力だ。512MBを無造作に使いながら,自分はこのまま容量について無神経になってしまうのだろうかと妙な危惧さえ覚える。

 廉価なPC器具といえば,近所の100円ショップにUSBケーブルがあった。1mのUSBケーブル,オス⇔オス,オス⇔メスがいずれも100円である。
 机の下のデスクトップ機の背面からUSBケーブルを引き回すのが面倒と日ごろから感じていたので(さりとてUSB HUBを購入するほどの用途でもない),1本買ってきたが,缶コーヒー1本より安いとはなんともメーカーが気の毒になってしまう。自分が買っておいてなんだが,いったい100円ショップでUSBケーブルを購入する者がどれほどいるというのだろうか……。

2003/05/19

SARS禍の今,もう一度手にしてみたい 『ホット・ゾーン』 リチャード・プレストン,高見 浩 訳 / 小学館文庫ta

7181【アメリカ合衆国陸軍の冷凍庫に保存されているウイルスの源,メインガ看護婦。……彼女は静かで気立てのいい,美しいアフリカの娘だった。年は二十歳くらいだったというから,いわば,人生でいちばん楽しいさかりだった。彼女は明るい希望に燃えていた。……両親は彼女のことを,目の中に入れても痛くないくらいに可愛がっていたという。】

 脳,内臓を溶かし,目,鼻,口など,体中の穴という穴から血の滴が滲み出てくる……。

 ホラー映画のコピーではない。
 致死率九〇パーセントの「エボラ・ザイール」ウイルスとの闘いを描いたリチャード・プレストンのノンフィクションの惹句である。

 ケニアの農園に働くフランス人シャルル・モネの発病のさまから静かに書き起こされる本書は,精緻かつ淡々とした文章で描かれる……が,エボラの病状は想像を絶する恐ろしさだ。
 それは,人がインフルエンザにかかったときなどとはまるで違う。ある宿主の中でウイルスが増殖すると,その結果,その宿主の肉体は脳から皮膚にいたるまでウイルス粒子で飽和させられてしまう。肝臓,腎臓,肺,両手足,そして頭の中は血栓で詰まり始める。血液の供給が遮断された腸筋肉は壊死を開始する。やがて患者は「炸裂」する。鼻や口,肛門,いや体中のあらゆる孔という孔からおびただしい血が噴き出し,壊死した内蔵が吐き出される……。

 本書は,ワシントン近郊の町レストンのモンキー・ハウスに突然出現した「エボラ」に対し,防護服に身を包んだアメリカ陸軍の特殊チームが核攻撃さながらの最高度機密保持態勢のもとに展開した制圧作戦を描く第二部以降が主旋律となっている。
 しかし,思わず本棚から取り出し,何度も読み返してしまうのは,アフリカの熱帯雨林のどこかから不意にエボラが現れ,宿主を徹底的に破壊しつくすさまを克明に描いた第一部である。

 その第一部に,「メインガ・N」という患者についての記述がある。
 彼女は看護婦として,ザイール,ヌガリエマ病院で「シスターM・E」と呼ばれる患者の「炸裂」に立ち会う。シスターM・Eの病室は,床といわず,椅子といわず,壁といわず,あたり一面すべてが血まみれとなり,患者の死体を運び出したあとも清掃のためにその部屋に踏み込もうとする者はなかった。
 しばらくして,メインガは頭痛と極度の疲労を覚え始める。メインガはシスターM・Eの血か黒色吐物を体に浴びたのかもしれない。メインガは自分が病気にかかりつつあることはわかっていても,それが何なのかを素直に認めようとはしなかった。認めたくはなかった。彼女はすでにヨーロッパの大学で学ぶための奨学金を得ていた。ここで病気になってしまったら海外旅行の許可を取り消されるかもしれない。彼女の症状はさらに悪くなった。しかし,彼女はその病気に詳しい,自分の勤める病院で告白することができなかった。そして彼女は二日間にわたって混雑した町中をさまよい,ほかの病院をたずね,マラリア患者やボロをまとった子供たちの中で震えていたのだ。

 1976年10月のことだ。
 メインガ看護婦は世界的な厄災の撃鉄を引いたのかもしれなかった。ことの次第を知ったザイール大統領は,軍を動員し,そのヌガリエマ病院を含むブンバ・ゾーン一帯を封鎖した。情報のとだえたブンバは地上から消え,密林の奥に飲み込まれ,消えようとしていた……。

 関西ツアー旅行に参加し,大阪,京都,兵庫,徳島,香川の2府3県をバスと船でめぐった台湾人医師が,帰国後,新型肺炎「重症急性呼吸器症候群」(SARS)に感染していることが確認された。
 彼はSARSの患者のいる病院に勤務していたが,病院側の言によれば直接患者を診療したわけではなく,勤務中は高性能マスクと防護服を着用していたという。
 だが……。

 日本での観光のさなかに発熱した彼の思いはどうだったのだろうか。

2003/05/11

『テレビに出せない本当の怖い話』『テレビの中で起きた怖い話』 宗 優子 / 竹書房文庫

83【男性の後ろ手に組んだ右手の人差し指を,小さな手がつかんでいる。】

 前回取り上げた『東京伝説 うごめく街の怖い話』が存外によかったので,「むむ。竹書房文庫はしばらく詮議の外だった」と都内某大手書店で買ってきた2冊。しかし,こちらははずれだった。
 なにしろまるで怖くないのである。

 著者はいわゆる「霊能者」で,雑誌,テレビなどで活躍しているらしい。ここに掲載されている短い話も,実際にあった事件を一部仮名にしてストーリー化したものとのこと。つまりは,本書が「怖い」としたら,その根拠はそれが「本物」「事実」である,ということで……だが,読み手というものは贅沢なもので,よしんばその内容が本当に事実だったとしても,そう感じられなければそれまでである。まして活字にスレてしまって,本になった情報,テレビで放送された情報などしょせん大半はマガイモノなどと考えてしまう輩にはなにほどでもない。

 つまりは,1枚の心霊写真があったとして,それが本当に心霊のしわざであるかどうかより,ヒヤっとさせられたり,ハラハラさせられたりするかどうかのほうが問題なのである。リアリティのないホンモノよりは,うまくだまされるならニセモノのほうが説得力が高い,ということだ。

 ところが,本書に掲載されたストーリーたるや,著者が直接体験したものにせよ,知人の体験談にせよ,煎じ詰めればほとんど内容がない。
 とある心霊スポットにテレビクルーが撮影に赴いた際のことを「放送できなかった恐怖映像」「山道のアクシデント」「廃屋の異常事態」などタイトルこそにぎにぎしく並べたてているが,参加者の誰それが夜道を怖がった,悲鳴を上げた,といったアオリを削っていくと「著者が浮遊霊を見た(と思った)」「ビデオ機器の調子が悪くなった」「歩いていたキャスターの足が痛くなった」程度の記述しか残らない。
 掲載された心霊写真にしても,やたら「オーブ(霊魂の玉)が」と連発するが,夜間フラッシュを焚けば,埃や虫が丸い光の玉になって写るのは珍しくない。
 そもそも,
 「わたしは,少女の怨念だとか,ベッドに触ると死ぬだとかいったうわさはまったく信じません。」
と記したほんの数十ページあとに
 「その人は,そのスタジオではなく,まったく別の場所で自殺したのですが,○番スタジオに未練か恨みのようなものを残していて,それで現れるのでしょう。」
などと書けてしまう神経も疑問だ。

 ……とかなんとかいうようなことを書いている最中に,霊能者の宜保愛子氏が6日に胃癌で亡くなっていたとの報が届いた。
 宜保愛子氏については,彼女が活躍した時期あたりからほとんどテレビというものを見なくなったため,まったくというほど動く映像を見た記憶がない。本も読んでいない。雑誌などからの間接的な情報を得ただけだ。総じて今回取り上げた2冊と似た印象で,もしテレビをよく見ていても,興味の対象となったとは思えない。
 最近はあまりテレビにも出ていなかったようだが,オウム事件以来,こういったオカルト系のタレントは不遇だったのだろうか,といったようなことも考える。

 いずれにしても,そこらあたりにいる人間とよくできた怪談と,どちらがより怖いかは考えものだ。
 うろついたり写真に現れたりする程度で,たいした悪さもしない浮遊霊などより恐ろしい人間はいくらでもいる。怖いかどうかは別にしても,白い服を着て車に渦巻きのシールを張れば電磁波を防げると言われてそれを信じてしまう人間が少なからずいることのほうがよほど薄気味悪いではないか。

2003/05/04

『東京伝説 うごめく街の怖い話』 平山夢明 / 竹書房文庫

691【だめ…この首がいいから…】

 「ある意味」という慣用句は,じっくり考えてみるまでもなく,もともとたいした意味は持たない。
 「米政府の選択はある意味正しい」「人の命はある意味地球より重い」などという文言は,大袈裟な雰囲気を取り除くと,実のところ何も言ってないに等しいのである。
 とはいえ,これが便利な用法であることは確かで,たとえば次のような使い回しはどうだろう。

 平山夢明の『東京伝説 うごめく街の怖い話』は彼の得意な心霊モノではないが,ある意味心霊モノよりよほど恐ろしい……。

 平山夢明は『怖い本』などで知られる怪談コレクターにして小説家。
 木原浩勝・中山市朗の『新耳袋』と比べるとやや作った感,つまり作為的なエンターテインメント臭は否定できないが,市井から取材した体験談の素朴さ,得体の知れなさに,こなれた怪談の物語性がほどよくブレンドされている。そのくせ一話一話は引き締まって短く,展開に弛みがない。
 もっとも,弛みがないということは,「出るか,出るか……でっ,出た~っ!」といった演出には適さないわけで,稲川淳二の怪談と比べればその利用法(?)はまるで違う。女子大生をスタジオに集め,青いライトを揺らして悲鳴を上げさせるのには向いていないだろう。

 さて,新刊の文庫書き下ろし『東京伝説 うごめく街の怖い話』である。
 平山夢明には,類似タイトルの『東京伝説 呪われた街の怖い話』(ハルキ・ホラー文庫)という怪談集があるが,正統派(?)の心霊体験談であるそちらに対し,こちらは<幽霊のでない怖い話>をまとめたものである。著者の前書きから引用すれば,
 “エレベーターから降りたら,なかに残った男に髪を掴まれ引きこまれそうになった”
 “かつての同級生が滅茶苦茶な整形をし,誰なのかわからないようになってやってきた”
 “知らない人から何枚も犬の生皮を送りつけられる”
といった体験談話であり,要は<あちら側へ行ってしまった人たち>が日常生活の中にするりと入り込んできて,さりげなく,あるいは猛然と語り手たちに現実の被害を及ぼす物語である。
 「くるくる回転図書館」でも再三取り上げてきたストーカーたちがこれに含まれるだろうし,ここしばらくテレビのワイドショーを賑わしている白い集団,「パナウェーブ研究所」とやらの醸し出す気配もそれに通じるかもしれない。

 本書に掲載された恐怖譚にはいくつかのパターンが見られる。たとえば,アパートの大家の壊れた息子。相手を選ばない尖った殺意。あるいは,ちょっとした善意の行為が呼ぶ悲惨な結末(自殺幇助など)。都市の仕事の裏の真実……。
 宅配便のあるコースの担当者が,髪の毛が束になって抜け,次々と癌で死んでいくという話には,新たな都市伝説として定着しそうな気配がある。いや,新しい都市伝説を著者がたまたま拾ってきてしまったのか。

 いずれにしても,恐ろしさのわりには意外と実害の少ない心霊譚に比べ,本書で扱われている事件はその多くが関係者の人生を徹底的に破壊しかねないものである。そのいくつかは「まさか」で切り捨てられそうだが,もし事実であったとき,直接の被害者は「まさか」ではすまない思いをすることだろう。旅先のホテルで幽霊を見た,といった話との違いとして,その多くが現在進行形の事件であることも一段と恐怖を募る。

 それにしても……プロフィールに「生理的に嫌な話を書かせたら日本で三指に入る」と紹介される著者も著者である。三指の残りの二指が誰なのかも気になるところではあるが。

2003/05/02

『ほんとにあった怖い話 裏観光ガイド心霊スポット特集』 朝日ソノラマ ASコミックス

43【一応全部はがしたよ】

 リバイバルブームである。たとえばシルヴィ・バルタンのベストアルバムが売れる。というか,洋楽CDの棚を見ればいにしえのミュージシャンのベストアルバムだらけである。
 そのこと自体は別に悪いことではない。夏目漱石や三島由紀夫の作品が手に入らないような時代がやってきたら,それこそ問題だ。
 問題は,新しい時代をになうミュージシャンが登場しているかどうかということだが,それについては正直よくわからない。大物が出てきていないのではないか,と感じているのは事実だが,それは単に昨今のウェイブにこちらが対応できていないだけかもしれないからだ。

 マンガも,リバイバルが盛んだ。
 マンガ文庫の定着によって,雑誌掲載から単行本,せいぜいたまに豪華本,という循環しかなかったものが,古い名作を再度店頭に並べる仕組みが用意された感じである。たとえばここしばらくの間に書店に平積みされたものの中には,『ちかいの魔球』『柔道賛歌』『ひとりぼっちのリン』『七つの黄金郷』などの過去の名作がある。いずれも,近年は入手が難しく,とはいえ高額な古本を探し出してまでは,といったレベルの作品ばかりである。
 文庫サイズで緻密なタッチを味わえるか,といった点はさておき,こうしてさまざまな作品が発掘されることで多少なりとも読者の層が広がったり,現在の作家がインスピレーションを得たりすることは期待できるのではないか。

 最近は,このマンガのリバイバル,リサイクルブームに,さらに新しいチャンネルが加わっている。それが主にコンビニエンスストアの店頭に並ぶA5サイズ,糊綴じのコミック冊子である。要するに旧作をチープな作りで安く(300円代~)販売するというもの。流通のルールはよくわからないが,雑誌コードが付いているところをみると雑誌として期限を設けてコンビニに卸し,返本は即断裁なのだろう。つまり制作費を抑えるだけでなく,単行本と違って在庫リスクを負わないわけである。
 月単位なのか週単位なのかはわからないが,雑誌のサイクルだとすると,いつまでもコンビニ店頭に並んでいるはずはない。各社,すでに相当さまざまな作品を投入しているようで,全貌となるとおよそよくわからない。著名な作品の,それも面白いところを切り取るような発行をして,出版物というよりはまったくのマーケ商品である。
 もちろん,読み手にとっては,それが面白ければどのような経路で販売されようと知ったことではない。値段,サイズの手ごろさもあって,手持ちの本に倦んだ帰りの通勤電車用にコンビニで無造作に購入したりする。それは『あずみ』であったり『アストロ球団』であったり『Papa told me』であったり,極端な場合は『哭きの竜』や高橋留美子の作品集のように,自宅の棚を探せば単行本を所有していることがわかっていても,時間つぶしとばかり買ってしまったりもする。
 問題は,うっかり前後編の片割れを買ってしまった場合,もう一方も入手できるとは限らないことだ。原哲夫『公権力横領捜査官中坊林太郎』など,上巻を購入してしまったために,その続きが気になってしかたがない。しかし,雑誌扱いだけに紀伊国屋BookWebなどにも在庫はないし,そもそも単行本を探してみようというほどの作品でないのもまた事実……。

 そんなこんなで,今夜は朝日ソノラマの心霊体験コミック集『ほんとにあった怖い話 裏観光ガイド心霊スポット特集』を購入してきた。遅い夕飯を食べながら,先ほど読了した次第。

 この手の心霊マンガオムニバス本の面白さは,どうにも絵の下手なのからけっこう巧いのまで,さまざまなマンガ家によってさまざまな「恐怖」が描かれることである。たとえば,血まみれの女がアップになっても,それはかならずしも怖くはない。むしろ,そぼふる雨の中,車の後ろにしゃがんでいる霊のほうがなにか「危ない」ものが感じられたりするものだ。あるいは,血まみれの女が振り向く際,首をやや剣呑な角度で描き,そこに「ぐるん」と効果音を付け加えるだけでそれなりに「死体」感が増す,といったテクニックなど。

 今回は,巻頭に並ぶ霊能者・寺尾玲子モノで,心霊スポットで霊を「拾う」,そこを再度たずねて霊を「はがす」という言い回しが登場人物たちの中ですんなり日常化している気配なのを興味深く読んだ。

  「とりあえずそいつは元の場所に戻した 一体ずつ確認しながらはがしていくの」
  「ここで二体目を拾ってる これも置いてくね」
  「この交差点だよ 元凶である奴を拾ってるのは──」
  「たぶんこれが最後だね 一応ぜんぶはがしたよ」

 こんな具合に抜き出してしまうと,いやはや何の会話であることやら。

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