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2003/03/24

事件の領域。 『Big Hearts ジョーのいない時代に生まれて』 林 明輝 / 講談社モーニングKC

522【これは土壇場で 人生を変える一発が 出せるかどうかの 練習なんです】

 少年マガジン『はじめの一歩』,少年サンデー『KATSU!』,ヤングサンデー『パラダイス』,スーパージャンプ『リングにかけろ2』,そして『あしたのジョー』の復刊。ボクシングマンガが元気である。

 ボクシングそのものの人気が決して快調とはいえない現状を鑑みれば,この盛況は特筆すべきことのように思われる(実際,現在どれほどの日本人が,今日の時点での日本人チャンピオンの名をあげられるだろう。ヘビー級の世界チャンピオンの名を知っているだろう。オリンピックの金メダリストを覚えているだろう)。
 要するに,リアルなボクシングに結びついての人気ではなく,一対一,決着のはっきりした戦いの構図が読者にわかりやすい,あるいは勝ち上がりマンガとして描きやすいだけなのではないか。
 その1つの顕れとして,物理法則を超えた必殺パンチの飛び交う一部作品は論外としても,大半の作品で,いっこうにホンモノのボクシングの匂いが感じられないということがある。その原因は,それらの作品の登場人物の顔つきや体つきがちっとも「ボクサー」らしくないことにつきる。

 ごく大雑把にいえば,重量級の一部の選手を除き,プロボクサーの多くは顔も腕も格闘技の選手としてはラインが細い。スピードが命のこの競技では,贅肉は敵であり,さらに選手は試合前の減量でとことん水分をしぼり取られる。丸顔でずんぐり筋肉質な体系というのは,およそプロボクサーとしてのリアリティに欠けるのである。
 その点,モーニング誌上で断続的に掲載され,この3月に同時に1,2巻が発行された『Big Hearts』は,実にプロボクシングの匂いがする。ボクサーの,余分なものを削り落とされた,一種薄っぺらいまでの戦闘性がきちんと描かれているためだ(添付の表紙画像からでも、それはご理解いただけるだろう)。

 だから『Big Hearts』はリアリティあふれており,……と話を進められるなら紹介も楽なものである。
 しかし,『Big Hearts』の魅力は,実はそんなところにはない。

 主人公は,プレッシャーに弱く,プレゼンで失態をさらして会社を辞めた26歳の青年・保谷栄一と,メジャーデビューしたばかりの新人歌手・古谷カオリの2人。思いがけずプロとしてデビュー,鍛錬を重ねる栄一と,脱アイドルをはかり,自分の作った曲で人を感動させたいと願うカオリの2人の軌跡が,つかず離れず展開していく。
 粗筋だけみると陳腐なほどにオーソドックスなボクシングマンガだし(最近のトレンドとして,これに「死んだ父親もボクサーだった」を加えればデキアガリ),絵柄そのものも決して流麗とは言いがたい。決してこれだけで人気が出そうな造型とは言えないだろう。

 しかし,本作が鳥肌が立つほどに感動を呼ぶのは,無名なボクサーの生活や心情を上手く描いている,などといったナイーブな次元の問題ではない。
 2度,3度読み返すうちに明確になってくるのだが,この作品ではシンプルな線や登場人物の言動の背後に,驚くほど細密な計算が行き渡っている。いや,計算という言葉は誤った印象を与えるかもしれない。どちらかといえば,橋であるとか,塔であるとか,そういった建造物のイメージである。

 たとえば,栄一のために招かれた,まじめだがちょっとピントのはずれたトレーナー,梁瀬。彼は四六時中ボクサーらしからぬ丁寧な口調でボクシングを説くのだが,それが栄一の試合のゴングとともにぼそりと敬語モードを捨て去る……彼がですます調で語っていたのは,その効果のためだったのである。
 あるいは,栄一の試合の最中に,いわゆる回想シーンが見開きで入る。これは同じ2巻の最初のほうに登場したシーンのコピーなのだが,最初に登場したときは1ページだったのに,後の回想シーンは見開き2ページ分に絵柄が広がっている。つまり,このコピーは,連載を抱えたマンガ家の苦し紛れのコピーではなく,最初から反復効果を意図して用意されていたものなのである。
 これらの点に気がついてみると,たとえば栄一が大手ジムに出稽古に赴き,スパーするシーン。おそらく取材の写真をもとにした構図なのだろうが,2度登場するスパーの見開きシーンで,エプロンに立つ2人のトレーナーの姿勢が鏡に描かれたように逆転していることにも効果が見えてくる。

 つまり,本作は,素朴な青年の成長を素朴に描いたように見えながら,多数の伏線,造型上の工夫が縦横に張り巡らされているのである。そのため,ただのジムでの反復練習シーンをみても,その効果は深い。
 実際,2巻のうち何箇所か,数十コマにわたってただ鍛錬の様子が続くページがあるのだが,これが異常なほどに心に残る。その数十コマを通して,栄一の肉体とハートが,ボクサーとして削られ,尖っていくことが如実に伝わるのだ。
 これは,稀有な経験だ。このようなボクシングマンガ,いやスポーツマンガは記憶にない。

 本作が非常に高度かつ複合的な構成意識に基づいて描かれていることの例証として,もう1点あげておこう。次のセリフは,カオリが脱アイドルのために作品を持ち込んだプロデューサー,ミカミの独白である。

  「わたしはこういうネイキッドなのは好きではない!! 断じて好きではない!! だが………」

 このプロデューサーの揺れは,そのまま『Big Hearts』を前にした読者の動揺でもあるだろう。この相似形は偶然とは思えない。作者は確信犯的に「狙って」いるのである。

 単にネイキッドな「勝ち上がり」マンガとして読むか,計算し尽くされた緻密にして大胆な建造物として読むか。
 このあと,勝ち抜きマンガに流れてしまうくらいなら,現在までの2冊で終わってほしいと思うほどの力作である。推奨度120%。

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