フォト
無料ブログはココログ

« 2003年1月 | トップページ | 2003年3月 »

2003年2月の3件の記事

2003/02/24

ちょっぴりエッチな捕物帳 『蜘蛛の巣屋敷』『比丘尼御殿』『花の通り魔』 横溝正史 / 徳間文庫

03【二度と人前に出られぬ体にしてやらにゃ……】

 往路の通勤電車でインクの匂いもかぐわしい新刊を開いては装丁やデザインを味わい,オープニングに引き込まれれば途中下車してドトールから急遽商談が入ったと電話をかける。復路の電車ではずみがつけば,郊外の四阿(あずまや)にたどり着く間も待ち遠しく,グラスとチョコチップを片手に深夜の時を刻む……。
 まこと本好きにとって至福の日々といえよう。
 ところが最近は,いっこうに上司の机の書類が減らないことに業を煮やした有能スタッフH嬢が,行き帰りの通勤電車で目を通すようにと宿題を出すのである。
「Hさん,宿題はいいけれど,これ,社外秘の,電車の中で隣の人に見られてよい書類じゃないような気がするのだけれど」
「ええ,ええ,その通りです。ですから,それがお気にかかるようでしたら,全部ご覧になってから帰ってください」
 そういうわけで,某私鉄線で,一枚一枚に「社外秘」と大きく赤くプリントされた書類の束相手にあたふたとハンコを押したり赤ペンを入れたりしている怪しい中年オヤジがいたら,それが私である。
 ……もちろん,H嬢には申しわけないが,その程度で日々の読書の手を止めるような私でもない。今日はN社,明日はS社とミーティング,もちろんこれらは架空のスケジュールで,黒いレザーのカバンはマンガと文庫本で張り裂けんばかりだ。

 さて,最近は徳間文庫や光文社文庫の,黒い背表紙の捕物帳がお気に入りである。
 『蜘蛛の巣屋敷』『比丘尼御殿』『花の通り魔』は,横溝正史の「お役者文七捕物暦」の一連のシリーズ,文庫化は今回が初めてとのこと。

 横溝正史は「人形佐七捕物帳」で知られる,いわば捕物帳の大御所。
 なんでも捕物帳の執筆を始めたのは,昭和八年,大喀血に襲われて転地療養した際に,博文館の「講談雑誌」編集長乾信一郎に半永久的な収入につながるに違いないと勧められて,とのことらしい。それが昭和四十年代の前半まで,二百篇を越す人気シリーズとなった(光文社文庫『人形佐七捕物帳』,縄田一男の解説より)。
 横溝の捕物帳の特徴は,彼のミステリ作品にも共通する,一種の官能臭が濃密に漂う点である。もちろん,現在のインターネットのホームページにあふれるストレートなセックス描写に比べればいずれも穏やかなものだが,その分,想像をかきたてる面もなきにしもあらず。
 たとえば,麻布飯倉の上屋敷で幽鬼のごとく怪しい男の後を追ってみれば,
「そこには女体のはかない哀しみが無残にもまざまざとうきだしている。強い麻薬の陶酔に,姫はおそらく意識をうしなっているのであろう。しかも,姫の肉体は男のあたえる刺戟にたえかねて,のたうちまわっているのである。あらわな腕が男の首にまきついている。……」(蜘蛛の巣屋敷)
 具体的な行為や肢体描写はほとんど何もないにもかかわらず,ねっとりと官能的であることご覧のとおり。
 あるいは,気丈な岡っ引きの娘が悪人どもに捕らえられて,
「憎いやつ,そう聞いてはいよいよ捨ててはおけぬ。二度と人前に出られぬ体にしてやらにゃ……」(比丘尼御殿)
 二度と人前に出られぬとは正直どうされるんだかよくわからないし,この後もとくに描かれているわけではないが,なんともぞくぞくさせられるわけである。

 そもそも,主人公のお役者文七たるや,水もしたたるいい男にしてもとお役者,神免二刀流の達人にして実は名家の御落胤。今はサイコロに身を持ち崩して大根河岸の岡っ引き,だるまの金兵衛のところに居候を決め込んでいるが,ひとたび事件の気配をかぎとるや,狂言一座の一人に化けて(要するに女装して)邸内を探り,大岡越前守を交えての推理に立ち回り,江戸を騒がす怪しい事件に快刀乱麻の大活躍。
 とはいえ,物語前半ではあでやかなお狂言師姿の文七が囚われていたぶられるなど,単にはらはらさせる趣向を越えた隠微さのただよう筆致なのは先にも述べたとおり。

 ただ,上記のような設定が重厚に活かされているのは『蜘蛛の巣屋敷』『比丘尼御殿』の2作までで,3作めの『花の通り魔』では主人公がお役者文七でも人形佐七でも大差ないような具合となっている。また,前2作ではセリフの一行一行にねっとりした江戸言葉が感じられていたものが,3作めではごく現代的な言葉遣いが多くなっており,読みやすい分,興を削がれる面もなくはない。
 逆にいえば,1作2作めの豊穣さたるや相当なもので,映画化を想定して書かれたというが,実際よき時代のよくできた時代劇をみるようなストーリー,スクリーンにちりちりとフイルムの痛みが煌めき,場内の吐息に映写機のカタカタという音が重なるような,懐かしさと楽しさを感じさせてくれる。

 それにしても,「半七」を元祖とする捕物帳の歴史には,「佐七」だの「文七」だの「伝七」だの,「七」のつく名親分が少なくない。宇宙からきたならず者にお縄をかけるウルトラセブンがファイブでもエイトでもなくてセブンだったのはこの伝統にのっとったものであったろうか……。

2003/02/10

『短編復活』 集英社文庫 編

35【すごい有名じゃん。刀を千本集めてんだよね。】

 集英社「小説すばる」創刊15周年を記念し,157冊の中から選ばれた秀作短編小説のアンソロジーである。文字通りの短編集なので,こちらも短冊ふうに。

 以前,ある大手出版社の廊下を,当時飛ぶ鳥落とす勢いだったコミック誌の編集者と歩いていると,向こうからきた背広の数人が,さほど狭くもない通路で道を譲るかのようにわきに避け,顔を伏せた。
 今どき大名行列でもあるまいに「なんだいあれ」と尋ねると,利益の出ない文芸誌の編集者だという。どうして赤字の雑誌を廃刊にしてしまわないのかと問うと,総合出版社としての体裁のためだという。
 その言葉の真偽は知らない。単にそのコミック誌編集者と文芸誌編集者の個人的な折り合いの問題だったのかもしれない。それでも,文芸誌が産業として厳しいことは伺えた。

 本書に収録されているのは赤川次郎,浅田次郎,綾辻行人,伊集院静,北方謙三,椎名誠,篠田節子,志水辰夫,清水義範,高橋克彦,坂東真砂子,東野圭吾,宮部みゆき,群ようこ,山本文緒,唯川恵の16人の各作品。
 これで利益が上がらなかったら,文芸というジャンルが産業として成り立つまい,というレベルの作家群である。

 赤川次郎,相変わらず緻密とは言い難いが上手い。浅田次郎,並べてみると赤川次郎と音韻表記がこんなに似た名前だったとは。
 ……と,ここで気がついたのだが,全16作は,作家名の五十音順に掲載されているのだった。なんと無造作。いやむしろ,それぞれの作家の顔を立てようとした結果か。

 ならば逆に,この16作の選から惜しくも漏れた作家,作品は,誰,何だったのだろう。

 ユーモア,ペーソス,恋愛,ミステリ,ハードボイルドなど,さまざまなテイストの作品,それもさすがに高いクオリティのものがそろっている。
 ただ,綾辻行人「特別料理」は,小松左京に同じオチの短編があり,しかも小松作品のほうが格段にディープかつビターで,少々興醒め。
 椎名誠「猫舐祭」も,これより“らしい”作品はあったろうに,と思われないでもない。

 一方,清水義範「苦労判官大変記」は見事。もともとパスティーシュとかなんとかいいつつ,切り口もオチもヌルいことの多い作家だが,本作はとっかかりから最後の1行まで,パロディ歴史小説として実によくできた逸品。

 志水辰夫「プレーオフ」,ストーリーはひねった作りになっているが,登場人物の純朴さ,直裁さが少しばかり異様で,まるで中学生向けユーモア小説のよう。凝った短編の並ぶ中で,かえって最も奇妙な風味をかもし出しているように思われた。

 文庫の表紙は,小説すばる創刊号の表紙イラストの流用。1994年に急逝したペーター佐藤氏の手によるもの。このような強い視線,濃い眉毛に惹かれる。

 巻末の「著者紹介」のそのまた欄外に「特にことわりのないもの以外はすべて,単行本は集英社より刊行されました。現在すべての作品が集英社文庫でお読みいただけます。」との一節。
 こういう商魂は嫌いではない。ただし,「ことわりのないもの以外」では逆ではないか?

2003/02/03

ブルクミュラー 25の練習曲

 子供向けの作品のセンチメンタリズムつながりということで……。

 ブルクミュラーの練習曲に対する感情,これを何と言い表せばよいのでしょうね。
 楽曲として好もしい,というのとは少し違う。たとえばこれをぜひとも高名なピアニストの演奏で聞きたいとか,CDで手元におきたい,という欲求はとくにありません。
 バスを降り目的地に向かう週末の昼下がりの住宅地,夾竹桃の植わったブロック塀の向こうからとつとつとした「パストラル(牧歌)」が聞こえたりする,そんなシチュエーションがよいのです。

 多分,黄色バイエルあたりではまだその子が「練習させられている」イメージが強すぎ,さりとてブルクミュラーより難しくなってしまうとそれはそれで「ちゃんと弾けないといけない」,そんな痛々しさがあるのですね。
 ブルクミュラーはその合間の,ちょうど自分が「弾ける」ことに指が踊るというかそんな楽しさ,さりとて勉強のためにそろそろピアノをやめなきゃとか音大に進もうかとかそんな重みもなく,要は子供の側が自在で軽やかなのです。

 とはいえ,曲そのものはそう簡単でもない。
 このへんまでくる子は頑張ればとりあえず最後まで弾くことはできるのですが,うまく演奏するのはなかなか難しい。発表会では「タランテラ」や「貴婦人の乗馬」あたりが重なることが少なくありませんが,同じ期間一生懸命練習してきたはずなのに,見事に差が現れます。うまく弾けたら,それはもうとても素敵です。

 今日,たまたま久しぶりにそのページを開いて,それぞれの曲が1ページかせいぜい2ページなのに正直驚きました。どれ,とピアノに向かって……錆びた指は最初のページの「すなおな心」に対してさえまるで動かないのでありました。

« 2003年1月 | トップページ | 2003年3月 »