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2002/09/23

順番の物語 『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』(全26巻) ゆうきまさみ / 小学館少年サンデーコミックス

27【どれもいいね!(竹岡竜二)】

 乱暴な括り方をしてしまえば,少年マンガのメインテーマは,主人公もしくは読み手の「かくありたい自分」である。

 苦心惨憺ののち,主人公が「かくありたい自分」の枠にピタリとはまり,それを衆目に実証してみせたとき,読み手はそのカタルシスに溜飲を下げ,こぶしを握ることだろう。逆に,運命に翻弄された主人公がいかに願っても「かくありたい自分」に近づくことがかなわないとき,読み手は自分のことのように身悶えて涙するかもしれない。あるいは登場人物が「かくありたい自分」どころか(往々にして無意識のうちに)それを数段飛び超えた存在であることが示されたとき,その作品は「永遠の名作」と呼ばれたりもする。たとえば『ドラゴンボール』,『キャプテン』,『スラムダンク』,エトセトラ。

 もちろんこんなことはごく一部の少年マンガのごく一面に過ぎず,何ほどのことでもない。多分この程度のツジツマなら,「努力・友情・勝利」なり,ほかの言葉でも適当に組み上げられるだろう。
 が,まぁ今回は「かくありたい自分」から話を起こすことを許していただこう。

 「かくありたい自分」を表に出し,それにまっしぐらに邁進する。これなら実のところ話は早い。
 「強いってどんなんだろう……強いって……いったいどんな気持ちですか?」とチャンピオンを目指す『はじめの一歩』,「おれは世界一の海賊王になる」とゴムゴムのパーンチ!『ワンピース』など,そういうシンプルな構造の例にはことかかない。
 一方,「かくありたい自分」が見つからず,「かくありたい自分」を探す過程そのものをテーマとする作品も決して少なくはない。たとえば手塚治虫作品の大半が,実はこれに属す。

 少年サンデーに長期連載され,北海道・渡会(わたらい)牧場を舞台に,競馬界に馬を送り出す側の日常を詳細に描き上げた『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』は,都会の平凡な高校生として「かくありたい自分」を見いだせずにいた若者のモラトリアムなあり方が明示された作品の1つである。主人公・久世駿平の「自分」を求める路程は実に「学業」「就職」「親からの自立」「得恋~結婚」「学業への復帰」「仕事の成就」……とまったく見事なまでに自分探しの旅ワンセット揃い踏みオプション付きパックツアーである。

 ポイントは,駿平が決してスーパーマンでも二枚目でもないことだ。
 恋仲のひびきにさえ「能天気ナ声ト──間ノ抜ケタ表情──」と酷評され,多くのコマで膝を曲げただらしない姿勢で描かれるまことに頼りないお調子者の若者。彼は高校の休みにツーリングに出たまま渡会牧場でアルバイトすることになるが,その姿勢は正面から牧場の仕事に立ち向かうほどでもなければ,現実から逃げ出したというほどでもない。
 かといってこの頼りなさが読み手に身近な印象を与え,本作の人気に結びついた……ようにもとても思えない。なぜなら,彼の資質がいかに凡庸であっったとしても,渡会牧場はおそらく大半の読者にとって「異郷」であり「異界」であったはずだからである。

 部外者にはせいぜい馬に飼葉を与える絵柄くらいしか思い浮かばない牧場業務だが,本作ではそれが微に入り細に渡り(それも特別なこととしてでなく)描かれる。朝6時半に目覚めても「普段よりずっと長寝」という次第で,全ページデリケートな馬の面倒を中心とした牧場の日常の業務,生活がコマを埋め尽くしている。渡会家の少し変わった間取りや,家族の風呂の順番,洗濯の時間帯など,少年マンガとは思えない密度で詳細に描かれていることも,おそらく理由のないことではないのだ。

 『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』の登場人物のうち,少なくとも駿平やひびきは,ダービーなどのGIレースに直接騎乗するわけではない。渡会牧場の仕事は,よりよい馬を送り出すことにある。彼らには産駒が大きなレースで勝利する喜びがあるが,当然のことながらその時点ではその馬は馬主のものであり,その面倒すら厩舎の管理下にあって,もはや彼らの管轄下ではないのである。
 他者に何かを受け渡したところで完結する,これは,特殊な例を除けば,実は仕事や生活というものの本質だ。つまり,都会住まいの能天気な高校生であった駿平が足を踏み入れた「異郷」「異界」は,まさしくリアルな仕事や生活の場であったわけである。その「場」で,駿平は少しずつ「仕事」をする「自分」を見出していくが,その成長はまことに遅々としたものであり,その動機もひびきへの恋愛感情であったり,双子の馬(ヒメ,ヒコ)を産ませてしまったことへの責任感であったり,錯綜するがゆえに四六時中揺れて定まらず,ときには牧場の仕事を投げ出して都会に戻ったりしてしまう。

 本作の後半,かみ合わなかったひびきとの関係が相思相愛に,さらには思いがけない妊娠から結婚にいたる過程,また勝てるとは誰しもが思わなかった双子のヒメ,ヒコの活躍など,やはりマンガだけに都合のよい夢のような展開が続く。しかし,それは必ずしもマンガでなければ絶対にあり得ないほどのことではない。
 読み手の少年たちの多くが迎えるであろうパッとしない人生とはいえ,第一希望の大学に落ちても第二,第三希望に合格できたとき,日ごろもてなくとも見合い相手からOKの返事がもらえたとき,共稼ぎできなくなって厳しいとぼやきながらも第一子誕生を喜ぶとき,同期より少し遅れても課長に出世できたとき,などなど,そのときどきに人は心に祝杯をあげる。それはスーパーサイア人でなくとも,まさにその青年が得た自己実現の瞬間なのである。
 本作は数々の落胆と,そのような日常の中の喜びとその手応えを得た若者の物語である。だからこそ25巻のひびきの何気ない「あんた、ヒコの面倒で疲れ果てて眠っちゃって、ずっと夢見てるのかもよ。」というセリフは冗談とわかっていても駿平を(読み手を)ひやりと打つ。

 そして,駿平の若さ,幼さがそれほど目立たない程度にのどかな渡会牧場の「仕事」が,一皮向けば非常に厳しい大人の世界につながるものであることを明言するかのように,作者の「競馬」界側の描き方は徹底してリアルでクールである。中央競馬にかかわるシーンだけを抜き出して読んだとき,そこにはがっちりとした重荷をしょわされ,それでもなおかつ淡々と働き続ける大人の日常がある。
 少なくとも,本作26巻において,駿平のリアリティはその世界の厳しさには到底いたらない。一子をなしてなお駿平は子供であり,「かくありたい自分」への道のりがまだ続くことを示して物語はいったん閉ざされる。

 ところで『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』がこのように仕事や生活を詳細に描き上げた結果,当然の帰結として,世間の一般家庭で避けられない問題は作中でも重いいさかいとして浮上する。たとえば,駿平を一流の大学に進学させて一流の会社に,と考える母親と駿平の仕事観には最後まで歩み寄りがなく,またこの母親とひびきとのいわゆる嫁・姑問題はかなり早い時点から明示され,やはり最後まで一切の解決を見ない。
 総じて駿平の母親は,一人息子に対してごく当たり前の期待をかけているにすぎないにもかかわらず,常に主人公たちの夢の前に立ちふさがる存在として描かれて気の毒なばかりだ(最終回,15年後の主人公たちを描くエピローグにも,渡会牧場の主な面々に対し,駿平の両親は父母とも登場しない)。

 最後にもう一点,本作は「順番」の物語でもある。
 作者ゆうきまさみの癖かもしれないが,なにかというと「順番」にこだわるのだ。たとえば,
 22巻ではひびきの妊娠発覚に,駿平がひびきの母親に結婚を口ばしり,ひびきが「順番が違うっ!!」
 同じく22巻,駿平の母親にひびきの妊娠と駿平の獣医大進学の意思を説明するのに,ひびきが「普通に説明したらいいんでないの。……だからさ、始めから順番に。」
 23巻では渡会家の次女たづなに駿平が大学進学の意思を説明するのに「だ…だからそれは順番が違うんだよ!
 25巻では渡会家の長女あぶみの夫候補たる猪口繁行が,披露宴より先に子供を宿した駿平・ひびきに「ちょっと順番を間違えたからな、君たち。」
 26巻では交通事故を起こして怪我をした醍醐悟(のちのあぶみの夫)に対して猪口父が「醍醐の社長も息子に先に死なれたらかなわんぞ。順番を間違えたらだめさ。」

 考えてみれば,競馬こそは何よりも順番にこだわるものではあるのだが。

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