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2002/08/26

『語っておきたい古代史』 森 浩一 / 新潮文庫  ……とはあまり関係なく仁徳天皇陵の思い出について

33【前方部の幅305m 後円部の直径245m 濠を含む東西の長さ656m 濠を含む南北の長さ793m 周囲2718m 面積464124平方m】

 「倭人・クマソ・天皇をめぐって」と副題された本書は,考古学者・森浩一氏の1990年代の5つの講演記録に加筆,再編集したものである。製鉄をはじめとする古代日本のテクノロジー,クマソと倭人伝の狗奴国との関連,さらには宮内庁の制約が考古学的研究の妨げになっていることへの憤懣など,その内容は多岐にわたる。8歳のときに土器に興味を持ち,それ以来ずっと考古学にかかわってきたという森氏の話術と論理に堪能できる。考古学に興味をお持ちの方にも,そうでない方にもお奨めしたい……。

 が,今回は本書の内容にはとくに踏み込まず,表紙の仁徳天皇陵について少しばかり思い出話。

 勤めていた会社を社員みんなでつぶして,少しばかり暇になった。
 17年前のことだ。

 会社の向かいの文具屋に封筒と便箋を買いにいき,書棚の「手紙の書き方」の辞表の書き方のページを人数分コピーして配ったことも今は懐かしい。辞表を書くための便箋代は経費で落ちるかどうか議論をした記憶があるが,あの領収書は結局どうしたのだったか。
 その会社では,退社時に退職者が本社の社長室まで挨拶に向かうのが通例だったが,なにしろ分社のワンフロア全員が退職するため,社長自らやってきて応接室で順繰りに面談することとなった。ある時期週刊誌などでも取り上げられた名物社長は大柄でもじゃもじゃ頭,要するに小ぶりな高見山ふう。それが大きな目をぎょろぎょろさせて「あとで後悔するぞ」と聞きようによっては恐喝的なありがたい訓示をたれてくださったが幸いその会社を退社したことについては一度も後悔することなくすんでいる。十年ばかりしてつぶれたのは本社のほうだった。ハレルヤ。

 当時すでに,一年以上何もせずに生活できるだけの蓄えはあった。というより,どうやら自分の人生は一箇所で穏やかにこつこつと働くといった具合になりそうもなかったため,いつどこで誰ともめて失業してもよいよう,年収の一年以上分の貯金を溜め込むのが習いである。実際は,もめることはもめるが,それ以上にしつっこい性格から,当時予想したよりは職を転々とすることはなかったのだが。

 それはともかく,当時年齢としてはそれなりの退職金も得て,文字どおり「あてもなく」山手線に乗ったのは春まだ浅く,小雪ちらつく中だった。南に向かうことにしたのはその天候ゆえである。目的地というものは明確にはなかったが,多少なりともこの国の歴史とかかわる仕事をしてきたにもかかわらず,生来の旅行嫌い,出不精ゆえ,名所,旧跡をたずねるということをしなかった,その穴埋めをしようと思い立った。たとえば登呂遺跡,あるいは京都金閣,もしくは広島原爆祈念館。

 新幹線ではなく在来線で西へと向かい,疲れたらそこで降りて一泊,気が向けばもう一泊。あれこれの果てにたどり着いた大阪では旧知の友人と久々の邂逅,彼もまたたまたま失業中で,昼は大阪近辺の名所めぐり,夜はガイド本どおりの名店での飲み食いと金の続く限りの放蕩三昧にひたることにあいなった。そのある日(グリコ事件のキツネ目の男が大阪城をにぎわした翌日),「行くべし」と向かったのがようやく本題の仁徳天皇陵である。

 あれほど有名な前方後円墳でありながら,驚き困ったことに,それを一望にできる高みというのはそのあたり一帯にいっさいないのだった。近所の公園の博物館は平屋,戦没者を祈念する塔は人が出入りできるような具合ではない。もちろん陵には入り口こそあるが立ち入り禁止。しかし,時間だけは両手を広げても余るくらい持ち合わせた二人はいやもおうもなく歩き始める。陵の周囲を一周するために。

 堺の市中なのだから不思議もないが,陵の周囲には高校やホテル(どう見てもモーテルというよりラブホテルである),ごくありきたりの民家が建ち並ぶ。そこそこ遊歩道ふうにこぎれいな部分もあるのだが,金網に右手を添えて歩くと最後には町工場とみまがう民家の庭を無断で入り込んで,洗濯物をかき分けて,あれで見咎められ通報でもされていたら我ら二人はどうなったのだろう,職業は? いや無職です。二人とも? 二人とも。
 ……相当に,怪しい。

 最近の仁徳天皇陵についての紹介文を読むと遊歩道が完備されているように書かれている。僕たちが歩いた後に整備されたのか,それとも僕たちがイレギュラーな道を歩いてしまったのだろうか。
 この周辺には百舌鳥古墳群といって,かつては数百の古墳が随所に見られたらしい。宅地造成のために取り壊され,現在では50程度しか残っていないとか。仁徳天皇陵のすぐ隣の公園の資料館には現在と以前の大きな航空写真があり,膨大な数の古墳が失われたことがわかる。墓を掘り返された祟りはないのだろうか,などとも思う。

 仁徳天皇陵,その周辺一周はおよそ徒歩45分,金網の向こう,堀のよどんだ水には倒木が浮かび,その上で大きな亀が何匹も甲羅を干していた。明治だか昭和だかのいつかに台風で一部が崩れ,その部分だけ学術調査を許されたという丘陵は穏やかに緑豊か,その数年の軽い神経症的な状態からようやく開放され,次の仕事を求めてネクタイを絞めるにはまだ数ヶ月を要する,そんなうらうらとした春の一日。

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