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2001/09/28

独身者の機械 その六 永遠の回転運動

【42.195のフロイト】 ← 意味なし

 同じ「少女愛」でも『ロリータ』のハンバート・ハンバートの場合と,ルイス・キャロル,ジョナサン・スウィフト,エドガー・アラン・ポーらの場合とでは何かが決定的に異なって見える,ということを前回指摘した。

 なぜ,ハンバート・ハンバートはロリータと肉体関係を結ぶことができ,残る3人ではセックス,あるいはそもそも乳房,初潮といった第二次性徴そのものまで忌避したように見えるのか。

 まず,後者,たとえばスウィフトやポーには,そもそも肉体的に性的不能だったのではないか,とする説がある。性的快楽を享受できないがゆえに性の脅威を感じさせない少女,幼女に情愛を傾け,現実の肉体関係の代償として言葉遊びや論理遊びにいそしむ。
 これはそれなりに説得力のある説だ。ことにスウィフトの場合など,その高いプライド,聖職界での政治的成功の代替として風刺小説を書いたことと透かせ合わせても,十分納得できるものである。

 もう1つの,さらにうがった説として,彼らの少女愛の背景に近親相姦に対する禁忌(タブー)の気配を見るというものがある。近親相姦の衝動が「罪」の意識から去勢コンプレックスに結びつき,ナルシシスム,あるいはオナニスムとなって現れる……とかいう,例のフロイトのアレである。

 たとえば,先にあげたジョナサン・スウィフトには2歳違いの姉ジェインがいたが,彼がステラ,ヴァネッサとの三角関係のさなかに突然奇妙かつ実現不可能な条件をつけて結婚を申し込み,苦心惨憺の末に相手が了解したら,姉が結婚すると同時にスウィフトのほうから断ってしまった相手の名前がその姉と同じジェインだったこと。ステラとの(擬似)結婚の折りに「スウィフトとステラは実の兄妹だ」という噂を流したのが当のスウィフトではないかと思われるふしがあること。
 エドガー・アラン・ポーが叔母のクレム夫人を「母親」としての思慕を抱き,姪のヴァージニアへの手紙の中で彼女を「妹」と呼んだこと。ポーの代表作の1つにおいて,「アッシャー家」は濃密な近親相姦の禁忌のもとに崩壊していくこと。
 キャロルのアクロバティックな詩や童話は,そもそも妹たちのために作った家庭誌"Mischmasch"(ごたまぜ,の意)が発端だったこと。人間嫌いで通したキャロルが,晩年まで妹たちとは親しかったこと。

 もちろん,家族のためにお話を作っただけで近親相姦を疑われたのではかなわない。独身男が妹の家で死んだからといって,何の不思議があるわけもない。
 またジェインはありふれた名前だし,姉の結婚に寂しさを覚えた弟が身近な女に走るのもありそうなことだ。

 だが,それでも,(当人がそう書き残すわけはないから証拠がないとはいえ)この設定は魅力的だ。母親や姉妹への絶望的にかなわぬ愛慕を自分の中で折り返すうちにその愛の矢印は性的に未成熟な少女に向かい,精神の中の内燃機関は言葉遊び,論理遊びを執拗に繰り返す。達成できないことの代償であるこの遊びは,コミュニケーションという実用性を失い,とことんノンセンスの領域にはまり込んでいく。

 つまり,ロリータの肉体を抱けてしまったハンバート・ハンバートと異なり,スウィフトやキャロルやポーにとっては,愛の対象とは愛が成就できないことそのものであり,愛の成就とは肉体的接触のともなわぬ,ただ精神の機械的な回転運動なのである。
 もしそうならば,the winged seraphs of HeavenがAnnabel Leeと私をうらやむのも当然だったろう。その愛は,地上の肉の上にもったりと成就した愛ではなく,形而上の,いわば虚数空間にまっすぐに張り渡された太さを持たぬガラスの直線なのだから。

 実は,インターネットの片隅では,ちょうど1年前に,このような精神のあり方について描いた作品(?)が提示されていた。それは……。

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