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2001/07/21

寡黙で骨太なもう1つの昭和史 『スカウト』 後藤正治 / 講談社文庫

231【背筋をきちんと伸ばして生きてきた】

 今年ほどプロ野球の人気凋落が話題にされた年があったろうか。財力にあかして有名選手をかき集める一部球団の体質が問題とされることが多いが,それはプロ野球の人気が好調であった頃から実は変わっていない。同じ方法論ではもう通用しなくなった,とみるべきだろう。
 それも道理で,なにしろ昔の子供はほかに楽しみがなかった。革のグローブ,木のバットなど持っているだけで空き地でのレギュラーが保証され,ピッチャーで4番でホームランを打つことはほかの何にも代えがたい夢だった。

 本書『スカウト』は広島カープ(のち大洋ホエールズ,オリックスブルーウェーブ,日本ハムファイターズ)で辣腕スカウトとしてならし,数々の名選手を発掘した木庭教(きにわさとし)に数年間密着取材し,スカウトという仕事を通してプロ野球を,より正確には「昭和」という時代の1つの側面を克明に描き上げた「作品」である。

 木庭がカープのスカウトであったという設定は,それだけで重い意味を持つ。
 彼は被爆者であり,九死に一生を得たものの,今も甲子園大会初日の国旗掲揚と君が代の斉唱の折りにはそれが過ぎ去るのを球場スタンド下の通路で待ち,それから席に向かう。また往年のカープは人ぞ知る貧乏球団であり,高い契約金が用意できないため,無名の,しかし将来性のある選手を発掘する必要があった(だからこそ赤ヘル軍団の初めての優勝は,カープファンならずとも胸にこみあげるものがあった)。カープ時代に木庭が手がけた選手には衣笠祥雄,三村敏之,金城基泰,池谷公二郎,木下富雄,高橋慶彦,山崎隆造,大野豊,達川光男,長嶋清幸,川口和久,紀藤真琴,正田耕三らがいる。野球に詳しい方なら「なるほど」と通じるものがあるのではないか。
(ちなみに本書でも詳しく紹介されているアンダースローの金城は,烏丸がプロ野球史上でも最も好きなフォームの持ち主の1人だ。肩から後ろに思い切り伸ばした腕の振りには,線でなく面の球威を感じたものだ)

 本書を読み進むうちに,アマチュア野球選手に対する著者の評価の目がだんだん木庭に似てくるのが面白い。さらにページを繰るうちに,読み手の目まで影響を受けるのだ。すなわち,ある程度の身長があり,痩せていてもバネがあり,ピッチャーならキレ,バッターならスイングに見るべき点があるかどうか。もちろんプロの目は厳しい。その厳しい目をもってしても見逃しや,期待通りにいかない選手がいる。
 (どこまでが本音かはわからないが),昨今はなかなかよい選手がいないという。しゃかりきに野球漬けでなくとも,という環境のせいだろうか。

 本書終盤において,夏のアマチュア大会や地方の高校を尋ね歩く木庭は顔が土気色となり,老いや病を感じさせる。それはまるでプロ野球,いや野球に代表される1つの時代の終焉を感じさせるようだ。
 ところがプロ野球界は逆指名や契約金の高騰など,ごく一部の球団にのみ都合よく,ファンや子供たちから見ればごり押しの姑息な色合いをますます強めていく。
 今さらその是非は問うまい。ただ記憶のスポーツと呼ばれるプロ野球や甲子園の高校野球の魅力が色あせていくことを心から惜しみたい。この国は,何か大切なものを喪いつつあるのではないか。

 最後にもう1節だけ,この木綿でしっかり編まれたような気持ちのよい本から引用しよう。
 「どのような仕事であれ,仕事は,それをやり遂げた当人に無形の報酬を付与するものだ。淡雪のごとく,たちまち消え去っていくものであれ,至上のときといっていい時間がある」

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